13:行ってらっしゃいのキス
「何してるの、リー兄ちゃん!」
「不審者を見つけたので、捕まえた!」
キラキラ笑顔で、純真無垢にそう宣言する。相変わらずの大音声だ。
三階と一階でのやり取りでは、らちが明かないとカティは考える。
いや、そもそもご近所迷惑だ、このままでは。
カティは部屋を飛び出し、螺旋階段を駆け下りた。
その間、パパラッチがリーに抗議する。
「俺は不審者じゃない! 仕事で、ここに住んでる局長の娘に張り付いてるだけ! あんたこそ、何なんだよ!」
「その娘に惚れている者だ! だからこそ、お前のような変質者は生かしておけん!」
この回答に、パパラッチの好奇心がワサワサ刺激される。
「え……彼氏いたの? 嘘、初情報! カメラ……カメラ……いててっ」
しかしカメラへ手を伸ばそうと、もがいたものだからなお拘束された。
そしてリーの回答は、カティの心もざわつかせた。
今までリーは、この手の騒動に極力関わろうとしなかったのだ。それはもちろん、カティを守るためではあった。
下手に異性がしゃしゃり出れば、あることないことを書かれかねない。カティもそれは十分分かっていた。
だが、分かっていたのだが。
今のリーの激白は、嬉しかった。悔しいけれど、胸が高鳴ったのだ。
ここで一階に下りたカティが、高揚を押し隠して声を荒げる。彼女はパパラッチ対策として、帽子を目深にかぶっていた。
以前はサングラスなる、目隠し道具もあったらしいが、柔らかな人工太陽の光の下では不要となり、廃れた。
「リー兄ちゃん! そこまで!」
「なぜだ!」
不本意な顔と大声が、カティへ向けられる。ただ、怒っているわけではないらしい。
人格が豹変して、声のボリュームもアホになっただけ、のようだ。
全速力で走ったため、キュウキュウと悲鳴を上げる肺を抑えつつ、帽子を目深にかぶり直しつつ、カティは言った。
「パパラッチに絡まれるのは日常茶飯事だし、そこまでしなくていいの。いざというときは、警備部の人を呼ぶから」
言いつつ、琥珀の瞳をじっと見つめると、リーは存外素直にうなずいた。腕の拘束も緩める。
「なるほど。統治局の権力に任せる方が、筋は通っているな」
その辺の理解力は変わらずのようだ、とカティは安堵した。
未だリーにマウントを取られたままのパパラッチの眼前にかがみ、カティは次いで彼をにらむ。
「家の敷地の中に入って来るのは、ルール違反ではないでしょうか?」
答えは、そっぽを向いての無言、であった。
悪いことをしたという自覚はあるらしい。ならば、話は早い。
「今から一分以内に出ていかなければ、警備部を呼びます。会社にも連絡が行って、きっと大事になるでしょうね」
立ち上がって腕を組み、殊更悪い顔を作るカティ。
元が蠱惑的であるため、悪女っぽさが際立っている。着ているのはオーバーオールという、顔に少し不似合いな牧歌的装いだけれども。
しかし、その言葉の破壊力は相当なもので、パパラッチは色をなくした。
カティは腕を組んだままリーに目配せすると、彼も無言で馬乗りになっていたパパラッチから身を離す。
「ちっ……」
そんな舌打ちを残して。
飛び起きたパパラッチは、せっかくのシャッターチャンスを捨てて、逃げることを選んだ。庭の入り口に停めていた、電気バイクにまたがって遁走する。
「バイクか、いいな」
それを見送ったリーが、腕を組んでだしぬけにつぶやく。
帽子を脱いだカティが彼を見上げると、歯を見せてニッと笑った。
「バイクは恰好いいだろう」
発想が少年である。カティはうーん、とうなった。彼女の中に、車やバイクへの憧れは皆無だ。
「恰好いいかは分からないけど……持てるぐらいには儲けてるんだろうなあ、とは思ったよ」
「それもそうだな。俺もなろうかな、パパラッチに」
昇りつつある人工太陽を背にした笑みは、あまりにも清々しく、反面言っていることはとびきり下世話だった。
思わずカティは顔をしかめた。
「嫌よ。人の秘密をこそこそ探るお仕事なんて、みっともないよ」
「そう怒るな。冗談だ!」
リーは笑いながら、カティの砂色の髪をかき回す。豪快に、グワシグワシと。
「機械化されたんだ、否が応でも俺は統治局付きになるからな」
かき回す手を止め、リーは宙をにらんだ。青空を模して、空色に塗られた超硬化ガラスの天蓋を見つめている。
「学校も辞めさせられたからな」
「そっかあ……」
カティもしゅん、とつられて落ち込んだ。
機械化手術には、莫大な費用がかかる。そしてそれを肩代わりするのが、統治局だった。
そのため機械化手術を施された人間は、ほぼ強制的に統治局局員となり、まあまあな安月給でドームのために働かされるのだ。
もちろん支払いの目途が立っているのなら、統治局付きとならなくてもいい。
そこまでディストピアではない、でもちょっぴり理不尽──それがドーム暮らしなのだ。
偽りの空をにらむリーの横顔を、カティは小さなときめき混じりに見上げた。
「これから、どうなるの? 警備部に入る……とか?」
立場上、警備部のお世話になることが多いからこそ、よく分かる。危険が多い職業なのだ。
恐れの混じった幼馴染の声に、ははは、とリーは笑った。
「軍人になると、決まったわけではない。体は機械化していないからな、たぶん事務官辺りが関の山だろう」
事務官ならば、危険は少なそうだ。
その分、更に薄給ではあるかも、だが。
でも一応は、彼の安全を祈念する立場としては、嬉しい事実かもしれない。
ためらいつつ、カティも笑う。少しぎこちなく。
「そっかあ……そう、なんだ。頑張ってね」
少々たどたどしい激励にも、リーは心底嬉しそうに破顔した。
「ああ! 事務官だろうが何だろうが、全力でやってやろう!」
彼がグッと握りこぶしを作ったところで、その視線がカティのオーバーオールへ下がった。
「もう着替えているのか。早いな」
「うん。仕事だから。お店、朝から開いてるもん」
自分のオーバーオールをつまみつつ、カティは泥だらけになっているリーを見返す。
「……リー兄ちゃんは、早く着替えようね。……あと、怪我はない?」
三階から飛び降りるのは、機械人であってもなかなか無茶な行為だ。そもそもリーの場合、脳以外は生身である。
当然の気遣いだったのだが、リーの琥珀色の瞳が一層輝いた。
「カティが心配をしてくれた! 感激だ、ありがとう!」
叫ぶや否や褐色の腕が、がっしとカティの両肩を掴む。
「お兄ちゃんっ?」
「感謝の印に、行ってらっしゃいのキスをしよう!」
笑顔一色のその端正な顔に、冗談の陰は見えない。
カティは赤くなって、今にも口づけを迫りかねない彼から距離を取る。庭の芝生に踏ん張り、大きくのけぞった。
「いっ、いらない!」
「何故だ、遠慮するな!」
「遠慮じゃない! 本当にいらないの!」
しかし脳を機械化して、押しの強さに定評があるようになったリーは、退かない。
なおもぐいぐい、彼女へ迫る。
「照れなくてもいい、見物人はエダさんしかいないから!」
「え──」
聞き捨てならない言葉に、リーを殴っていた手が止まる。
そしてカティは、自室の窓を見た。
含み笑いのエダが窓辺に頬杖をつき、こちらを眺めていたのだ。
ひょえっ……と、カティから素っ頓狂な鳴き声が漏れる。
「見てたのなら、止めてよ! お母さんのばか!」
「あら、だって楽しいんだもの」
成人済みの娘がいるとは思えぬ、茶目っ気たっぷりのウィンクをするエダであった。セクシーな寝巻姿も絵になる。