第一章 この世界過酷すぎ! 1
眼前を包み込んでいた光が薄れていき、俺は周囲の景色を認識できるようになった。つまり、転生が完了したということだ。たいていのゲームでの経験を生かせば攻略も楽勝だろうと思い、辺りを見回した。……何も見えない。道や木など、外の情景はおろか、青い空も白い雲も、太陽さえも見えない。ただただ暗闇だけが広がっている空間に俺は立っていた。
「……まさか失敗したってことはないだろうな。それで俺は何もない無の空間に取り残されているとか……? やめろやめろ! そんな悲観的に考える必要はないさ。落ち着け俺。どうせ『オーバーゾーン』のせいでこうなってるだけだ。例えばほら、暗すぎ!、って感じにさ……」
内心で物凄い量の冷や汗をかいている俺を無理して鼓舞する。一応自分の手は見えるわけだから、眼がおかしくなったわけではないだろう。深呼吸をして気持ちを静める。……よし、冷静になってきたぞ。
「ただ単純に暗いだけだとしたら、時間が経てば目が慣れてきて見えるようになるはずだ。」
そう、先ほどの光は妙に明るすぎて瞳孔が狭まっているだけなのだろう。案の定、次第に周りのものが見え始め、5分程経つと、はっきりと形をとらえられるようになった。
「ほっ……。転生には成功しているようだな。しっかしなんだここは?」
俺は転生成功に安堵するとともに、自分がいる場所がよくわからないことに気が付いた。天井があり、壊れた蛍光灯のようなものが見えることから、たぶん建物の中にいるのであろう。ずっとここに立っていても仕方がないので俺はとりあえず散策してみることにした。
「何の建物なんだ……? 廊下みたいなところに出たが、窓らしきものも見当たらないしな……」
俺の独り言がグワングワンと響く。天井がとても低いからだろうか。結構な圧迫感がある。
しばらく道なりに進んでいくと、鉄でできた重そうなドアを見つけた。老朽化はしていなく、ノブもしっかりした形で残っている。鍵穴が見えるが、ノブに手をかけると音を立てて回った。カギはかかっていないようだ。俺はドアに耳を当てて向こう側の音を聞こうとしたが、相当厚いドアなのか、物音ひとつ聞こえない。しかし、分厚い扉をもってしても遮れないような何かを俺は感じた。
「……何かの気配がするな。ここを調査しに来ている人とかだったりすればありがたいんだが」
俺はそんな淡い期待を込めて扉を開こうとした。
「ぐ……! 重いなこれ!」
ゲームばかりしていてろくに運動をしてこなかった非力男子にとって、これは思ったよりも重労働だった。蝶番の部分が錆びついているせいか、それとも油が塗られていないせいなのか。とにかく重すぎる扉だった。
「これもオーバーゾーンか……!」
自分のスキルに毒を吐きながらやっとの思いでドアを開けると、そこには大きなテレビとキーボードのようなものがあった。ただし、キーボードからは火花が散り、テレビの液晶画面は盛大に割れている。
「指令室……」
俺はあるホラーゲームの記憶がよみがえるのを感じた。このような廃墟となった研究所の内部には、生物兵器として飼われていた凶悪なモンスターがうろついており、主人公はそのモンスターから逃げ回るのだ。確かキャッチフレーズは……『あなたの後ろにやつがいる』
「まさか!?」
俺は慌てて背後を見た。しかし、さっき自分が通ってきた廊下が伸びているだけだ。
「ハハハ! 何言ってんだよ俺! 考えすぎだ……」
またオーバーゾーンのせいだろうと思い、視線を前に戻してみると、急にテレビの液晶画面がチカチカと点滅し始めた。
「ヒイイイ!? な、なんだ?」
俺はチカチカと点滅するテレビに文字が映っていることに気が付いた。
「う……し……ろ……」
俺はガクガクと震える足を抑えてもう一度振り返ると、廊下のむこうから、牛のようなサイのような何かが猛スピードでこちらに迫ってくのが見えた。
「ば、バケモンだー!!」
俺は気が付くと全速力でその場から逃げていた。
「ハア……ハア……、ここまでくれば大丈夫だろ」
30秒ほど突っ走ったせいか、俺は指令室のような場所からかなり遠ざかることが出来た。途中でガシャンという大きな音が聞こえたので、もしかしたらあの化け物が突っ込んだのかもしれない。
「やっべ……自分がどこにいるのかわからなくなっちまった……」
最悪な状況。暗くて視界がとても分かりにくいのに来たこともない廃墟で一人。道しるべになるようなものもなし……。
「もう疲れたわ……帰りてえ」
今更ながら、ベガのあの卑怯すぎる転生のさせ方に腹が立ってきた。どうせ廃墟なのだから問題ないだろうと思い、壁を思いきりけった。ガアン!という金属音が聞こえてくる……と思っていたのに、聞こえてきたのは鼻息だった。
「え……? まさか……」
俺が蹴っていたのは壁ではなく、あの化け物だった。
「ご、ゴメンナサーイ!!」
再び俺は全力で走り出した。幸いこの化け物は突進しかしてこないだろうから、曲がり角を曲がれば何とかなる。俺は近くの角に逃げ込もうとした。すると、前方から別の化け物が迫ってきているのが見えた。
「いいっ!?」
予想外の出来ことに一瞬ひるんだが、俺は踵を返して別の角へ。しかしその角の向こうにも同じように化け物が迫ってきているのだった。
「ちょ……化け物多すぎだろ!!」
俺はその後30分ほど化け物共と追いかけっこをする羽目になった。
19匹目の化け物から逃げるなか、ようやく俺は化け物から逃れられる場所を発見した。俺は今、ロッカーの中に身を潜めている。これ以上逃げ続けていては、いつかは化け物に追いつかれてしまうだろう。体力も限界に近い。もうこうなったらどうにかして脱出するしかない。
「とはいっても、出入り口が封鎖されている可能性もあるし……どうしたもんか」
俺は出口を探す方法を考えたが、いい案は一向に思いつかなかった。それどころか、次第に考える気力も失せ始め、転生を後悔していた。あ~あ、転生なんてしていなければ今頃はゲームしながらカップ麺でもすすっていただろうに。あのボタンの感触と画面の光が懐かしいよ……。……光? そうか。外は明るいはずだから、光を探せばおのずと出口にたどり着けるじゃないか!
俺はゲームをしている自分に感謝し、体力も回復してきたところでロッカーから外に出た。光を見つけるといっても、ただ歩き回るだけでは意味がない。そこで、どこを通ったのか分かるように、その辺においてある鉄パイプやら電線やらをぐちゃぐちゃにして道の真ん中に置いておいた。探索系ゲームのお決まり、迷路には目印を作っておけというやつだ。
それからというもの、俺は目印になりそうなものを奪い取っては、道の真ん中に置く、という作業を続けていた。何故か化け物と出会うことはなくなったが光も一向に見つけることはできなかった。永遠に続くような長い廊下の上に曲がった鉄パイプを置いていくだけ。……工事をしているわけじゃないっての。さっきまであったやる気もだんだんと薄れていき、俺はそろそろ諦め始めていた。……もういいじゃないか。どうせ転生しなくても友達一人作れずに孤独に生きる道しかなかったんだから。何者かの声が頭の中でこだまする。どうせ俺は人の役になんか立てない……すると突然脳裏に勝ち誇った顔のベガが現れた。
「人の役に立ちたいなんてよくそんなこと言えたわね! まだ誰とも会ってすらいないのに諦めるの? それはね、夢だけ見て何の努力もしないただの高慢っていうの。ちょっと本気出せばどうにかなるって思っていたんじゃないの?」
もちろんこの場にはベガはいない。全て自分が考えていることだ。それなのに俺は自分の心の底から湧き上がる怒りを感じた。
「チッ! なんで俺がそんなこと言われなきゃならねえんだ! バカにしやがって! 見てろよこの野郎!」
怒りを糧に、俺は再び歩き出した。そしてようやく角の向こうにある光を見つけたのだ。
「やった! ようやく出口を見つけた! これでこの化け物の巣窟からはお別れだ……あ?」
光は希望を生み、俺は足早に角を曲がった。しかし、そこにいたのは青白い光を発している一回り大きな化け物だった。
「おいおい……そりゃないぜ」
体力も限界だというのに化け物のボスと遭遇した。運が悪すぎる。……まてよ。ボスがここにいるから、ほかの化け物はここに来なかったってことか?
「グオオオオオオ!」
呑気に考察している俺に向かい、ボスは雄たけびをあげた。もちろん突進してくる。俺は最後の力で走り、角を曲がった。化け物は角を曲がればよけられる。何回も化け物から逃げきっている俺にとって、もう慣れたものだ。しかし、ボスは違った。
「なにぃ!?」
角をまるでスピードを落とさずに曲がってきたのである。青白い光はボスのサポートをしているかのようにボスの周囲を明るく照らしている。
「こんなところで終わってたまるかよぉ!」
俺は今まで出したことがないほど全力で走った。そうだ。いくら曲がれるとはいえ、いきなりコースを変えればすれすれで避けられるのではないか。あいつの対応力が低いことにかけるしかない。
俺はボスをギリギリまで引き付け、いきなり曲がろうと思い、頭でコースを考えていたら、足に衝撃が走った。
考えていたせいで足元に気が回っていなかったようで、目印にしていた鉄パイプを踏んでバランスを崩し、転んでしまったのだ。
「くそが……。万事休すか……」
俺は諦めてボスが自分を轢くのを待った。短い人生だったなと思いながら。しかし、頭上でボスが走り抜ける音と、壁が壊れる音が聞こえただけで、自分自身には何の被害もなかった。……何が起こったんだ?俺は起き上がると、ボスが走り抜けていった先に光が見えていた。どうやらボスは、俺が急に倒れたせいで俺の姿が見えなくなり、俺を素通りしてそのまま壁を破壊していったのだろう。光の奥には大きな木と青空が見えている。
「ハハ……。大変すぎる世界だな……」
ようやく見ることのできた空を仰ぎ、俺は廃墟を脱出した。