改進党を支える人々
明治12年(1879年)9月15日
残暑残る気温のせいもあって、会場の出入口は全て開け放っておる。
参加者は会期が迫るにつれアレよあれよと増えていき、とうとう三田の講堂では入りきらなくなってしまった。
そこで犬養くんが岩崎家の深川別邸を借りる事としたそうだ。
普段は宴会場として利用するそうであるが、100名以上入る宴会場など三菱でなければそうそう使うもんでも無いはずである。
犬養くんの借家も近いという理由もあって、岩崎さんは気前よくこの深川別邸を、改進党準備委員会の第一回大会に提供してくれたんである。いつの間にそんな仲良くなっておったのか。
朝も早よからコレほど大勢が参加してくれておる事には感無量である。
矢野くん犬養くん、末広・田口・尾崎諸君それぞれのご苦労が実ったんである。
我輩ら党執行部は、壇上奥に席を占めておる。
ご参加いただいた各位は思い思いに横長座席の座布団へ腰掛け、寄席の出を待つ客のようにも見える。
そりゃあ近頃コレほどの見せ物はちょっと無いであろうから、その後ろへ立ち見で陣取る新聞記者たちの入りっぷりにも納得である。
数ヶ月前、既に結党大会を済ませた自由党の面々も、取材と称して新聞席に陣取る。
愛国社からは誰も来てはおらんようだ。
岩崎さんが凄腕の警備担当をかき集めて、妨害に備えたというのにやや残念な話である。
ご参加いただいたのは地方の政治家・実業家・新聞経営者など多岐にわたる。
我輩が初めてお会いする名士も数多い。
例えば紡績業の星野長太郎くん、大原孝四郎くんである。先程から2人で夢中になってお話しされている。
彼らはこの政党の産業支援側面に大いに期待してくれておる。
また先行して地方で始まっておる県議会からも、多くの人材が集合している。彼らは犬養くんの言うところの『隠された保守派』の人々である。選挙において必ずや大きな活躍をしてくれるであろう。
渋沢が参加しておるのは.....意外というほかない。てっきり愛国社を支持するものと思っておったが。
そしてさらに恐ろしいのは、岩崎さんと隣合って楽しそうに談笑しておる事である。
地震でも起きねばいいんであるが.....犬猿の仲であった2人が、何の心境の変化であろう?
来賓は揃ったようで、尾崎くんが合図を送ってきておる。
いよいよ始まりである。
司会の犬養くんが、第1声を発する。
「ご来賓の皆さま、本日は遥々お越しいただきまして、誠にありがとうございます。」
会場は静まり返って、開け放たれた窓からは船の汽笛が微かに聞こえてくる。
1つ2つの咳きが聞こえ、再び会場に静寂が訪れる。
「実に100名を超えるご参加を頂戴し、執行部の意気込みは盛んでございます。本日を迎えるにあたり、多大なるご支持を頂戴いたしました皆様に、この場をお借りしまして厚く御礼申し上げます。」
万雷の拍手が会場を包み込む。皆の顔は笑顔である。
寄付金を支払ってなおこの笑顔が出せるというのであるから、もう少し払って貰ってもいいんである。
「ソレでは開会の辞を、改進党副総裁!後藤象二郎より申し上げます!」
犬養くんのニヤリとした紹介とともに、再び万雷の拍手が会場を包み込む。
参加者も笑顔、また笑顔である。
後藤くんはゆっくりと台の中央に進み出る。
何という男であろうか。
役者である。人を楽しませる男である。
我輩も壇上から渾身の拍手。
口笛まで鳴り響く会場はもはや、この男のひとり舞台と言っていいんである。
「ただいまご紹介に預かりました、後藤象二郎でございます。どうやらこの場はお知り合いばかりにて、自己紹介は割愛いたします。」
哄笑とともに後藤象二郎!の掛け声が上がる。
お前なんぞ知らん!とヤジも入り、またまた会場に笑いが巻き起こる。
後藤くんは洋装に身を包んでおる。コレがいかにも我が改進党の風である。
民権運動家といえば紋付にハカマが定番であるが、改進党はやはり洋装が相応しいんである。
「さて僕の経歴をご承知の皆さまは、まさか後藤が改進党へと意外にお思いで御座いましょう。或いはお前なんぞ要らぬとお思いかもしれません。」
露見したか!とまたヤジが飛び、再びヤンヤの大喝采。
「まさに節操なしの鞍替え行為、人の誹謗は受け入れましょう。それでもこの党を選びしは、ひとえに国家国民のため、身を粉にしても働ける場所と見込んでの事!つまり党が僕を選んだのではない、僕がこの党を選んだのです!」
この男はまるで幕末の頃に戻ったように、生き生きと口上を披露しておる。
不思議である。彼が我が党に参加する事も、こんな様子である事も摩訶不思議である。
不思議といえば、朝鮮では何事かに巻き込まれて肩を銃で撃ち抜かれたと!
幸い弾は貫通しており、手当ての経過も問題ないそうであるが、何の騒ぎでこうなったのか?
井上さんへうかがっても何も教えれんの一点張り。
本人はヘラヘラしておるのだが、肝心な事はなにも言わんのである。
同行した犬養くんも、自分は見ておらんと言って何も語らぬ。
どうも口止めされておる。何者かの進退に関わる事と見える。
まあ良いか。その結果がこの男の改進党鞍替え、という事なのであれば。
「改進党の掲げる『官民協調』こそ明日の日本国を作り上げる、すべての創造の源であります。皆さまからの熱烈なるご期待背に、ここに改進党準備委員会の発足を宣言し、僕からの挨拶といたします!」
地を揺るがす様な喝采である。
新聞記者諸君もタバコは耳に挟んで拍手と口笛を吹き鳴らしておる。
もはや成功は疑いもない。
未だ準備段階というのにこの盛り上がり、まさに順風満帆の船出である。
「続きまして今後のご説明を、党執行部の矢野文雄よりご説明申し上げます。」
我輩はこの様な出発を予想してはいなかった。
予想していないといえば、どの様な政党をいかに作り上げるか全く考えは無かったと言ってよい。
我輩が政治家として進んでいく上で、どの様な政党を設計すべきかを考えてくれたのは、犬養くんをおいて他にはいない。イギリス議会の政党を模範に、保守政党が相応しいと決めてくれたのは彼である。
コレがなければ我らは愛国社や自由党と何ら変わりない、政党の1つと見られただけで、知り合いや友人が集まった烏合の衆となったかも知れぬのである。
我輩は壇上の端に座る、犬養くんを横目で見やる。
小柄な彼は以前より肉がついたようだが、彼の容貌はいつも我輩に狼を想起させる。
初めて彼が早稲田にやって来た時は、ガリガリの飢えた一匹狼の様であった。
今や仲間を引き連れ先頭に立つ、堂々たる群れの領袖である。
狼は群れをなすモノなのだ。
彼の先を見通す力は仲間を引き寄せ、組織を成長させておる。我輩はそう感じるのである。
「....このように、党要綱、党内規、また政府への要望事項は今後半年をかけまして、分科会にて審議して参ります。来年3月の党大会におきまして、分科会で可決しました審議案を皆さまにご採決いただく、この様な予定でおります。」
矢野くんは汗だらけで報告する。
誠実な彼らしい、実に好感持てる報告である。我々は良い組織となったんである。
続いて応援に来てくれた岩崎さんはじめ、産業界の小気味いい祝いの言葉が続く。
皆期待をよせてくれておる、その気持ちが我輩を引き締めるんである。
「皆さまありがとうございます。ソレではここで、改進党党首 大隈重信より皆さまへ御礼の言葉でございます!」
ようやく我輩が喋れるんであるか。
出来ることならばここまでずっと、我輩が喋りたかったくらいであった。
台上はすっかり皆の露払いを受け、主役の登場を今日最大の拍手で待ち受けておる。
我輩は壇上中央へ、皆の笑顔眩しき輪の中へ足を踏み出した。
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明治12年(1879年)9月16日
時事新報朝刊より 抜粋
拙訳で大変恐縮だが、『社会』という訳語を作った事がある。
今や皆の口に登る事も多く、まずまず出来た訳であろうと密かに誇っている。
さて意味はと言えば、人と人との関わりと仕組み全般を指した言葉である。
ソレならば本邦で言えば『世間』という言葉がある。
ならば世間と訳せば良かろう、と思われるかもしれぬが、筆者にはいかにもしっくり来ぬ。
何となれば、この『社会』という語にはしばしば『正しい』やら『等しい』やらという言葉がついてくるのである。
しかし正しい世間、とか等しい世間、という言い方が筆者には受け入れ難い。
世間という言葉にはどうも、上下関係や仕事の違いという意味合いが少ない様に思うのだ。
裸一貫の人間同士、渡る世間に鬼はなしと言うは、このあたりを表していると思う。
社会とは前提からして等しくなく、正しくもない。
上下関係があり、従属関係もまたあるモノなのだ。
そんな事もあって、筆者はソサエティーには世間ではなく『社会』という新しい言葉を作ったのである。
さて日本でこの社会を作る試みがなされる。国会開設の事である。
元が正しくも等しくもない社会である。
コレを何とか正しく等しくしようと思えば、身分の上下や立場の貴賎など取り除き、上下貴賎が集まって身のある話をなさねばならぬ。コレは意外と難しい。
最初から話し合おうとも思わぬ奴らは、攻撃ばかりで妥協を知らぬ。
ハナから相手を見下しておる奴らは、侮るばかりで聴く耳持たぬ。
我が国が現在目にする民権活動とは、大概この様な相を呈している。
ところが先日、実に期待が持てる話を聞いた。
既にいくつかの新聞が報じたところである、改進党の準備委員会である。
何と驚くなかれ、愛国社の後藤象二郎くんが、大隈重信くん率いる改進党の副総裁となって選挙を戦うというのである。
だからどうした、節操のない男が馬を変えただけだと言う向きもあろう。
だが筆者の言う社会の意味を、今一度お考えいただきたい。
後藤くんは対立する者たちとの対話、和解、協力を選択したのだ。
コレぞ社会を作る対話である。
後藤くんの試みは小さな一歩である。しかし我が国にとって忘れる事の出来ぬ一歩になるであろう。
この世のすべての対立を、対話によって解決する事こそ、国会開設の最大の意義である。
我が時事新報の掲げる『官民協調』の本質はここにある。
対話を続けよ、相手を理解せよ、そして彼我の差を肯定せよ。
我らの全てが協調を原則とするならば、この先の道のりはいとも容易いモノになるだろう。
時事新報 論説委員 福沢諭吉
コレを持ちまして第二部が終了です。
史実は今や遠い彼方に.....(T . T)
午後の祝言はどうした!と思われた方、番外編を予定しております。
また史実の説明回を書こうと思ったんですが、活動報告の方でボチボチやっていこうと思います。
第3部は少々お時間いたき再スタートさせていただきます。
ここまでありがとうございました!今後ともよろしくです!




