善意の詐欺
翌日、俺は新橋の芙蓉亭に使いを出し、後藤先生の所在を尋ねた。
以前お会いした時には、しばらく此処で滞在すると言われていたものの、もう2ヶ月ほど前の事だ。
さすがにもう居られないだろうと思えば、ちゃっかりまだご滞在中。
夜は時間があるからいつでも訪ねてこいとの事だった。
ご自宅も東京ですよね?
何だって料亭なんぞにご滞在ですか?
コレも明治の男の嗜みだろーか?
俺の生きてた平成の世では炎上待った無しのライフスタイルだが。
岩崎弥太郎さんから書状をお預かりしている。
以前の借り入れの件は座興に過ぎず、さっぱりお忘れくださいってな事が書いてあるはず。
さすがに直接お話しするのが決まり悪いのか、俺が間に入ってお伝えする事になりました。
いーんですよパシリくらい、戦争起こるよりマシでしょ?
後藤さんにも朝鮮の事なんぞ忘れて、俺たちとの醜い政治抗争に没頭していただきましょう。
あとひと月でいよいよ改進党の準備委員会も発足する。
俺はいつも通り事務所での仕事を終え、一杯やりに行こべえとしつこい鉄腸さんを振り切り、新橋へと車を走らせた。
夕刻の新橋はすっかり花街の空気に染まり、温い風にも芳しい白粉の香りが込められている。
惜しげもなく光り輝くガス灯と、軒先に並ぶ提灯の灯り。
往来を通る人はその色とりどりの灯りに照らされ、物語の一部を演じているかのようだ。
車引の兄ちゃんが場所を知っていたので、俺は難なく料亭にたどり着いた。
ここまで来ると、人通りもさほど多くはない。
ゴメンください後藤先生にとお取り次ぎを頼めば、どうぞ此方へと流れるようなご対応。
どこをどう作ってあるのか、庭を挟んで離れのようなお部屋へと案内された。
「ご無沙汰しております。犬養です。」
入口でご挨拶。返事はない。
ゆっくりお部屋へ入っていくと後藤さんは、庭に突き出た濡れ縁で脇息にもたれ掛かり1人、酒を飲まれていた。
夕刻の空の薄明るさが、後藤さんを影法師のように暗く見せる。
部屋にはまるで灯りがなかった。
「灯りを持たせましょう。」
俺がそう言うと、後藤さんは此方を振り向く。どうやら既に結構召し上がっているようだ。
「犬養くんか?いつからそこにいた?」
後藤さんは気安く俺に問いかける。暗い室内で重い雰囲気かと思えば、声はいつもの後藤さんだ。
「ただいま入らせて頂いたところです。お声がけしたのですが、ご返事がなかったので。失礼しました。」
「ソレは此方こそ失礼した。もうすっかり暗くなってしまったな。」
後藤さんはそう言って立ち上がると、俺にも濡れ縁に腰掛けるよう勧め、母屋に向かって灯りを持ってこいと怒鳴った。
「お邪魔だったでしょうか?」
俺が一応気を遣って言ってみる。まあいつでも来いってゆーからきたんで、問題無いんだけどねえ。
「丁度相手が欲しいと思っていたとこさ。何か食事も用意させよう。」
そう言って後藤さんは俺に猪口を持たせると、有無を言わさず酒を注ぐ。
「1人で飲んでいると、いろんな奴が思い起こされて少し頭がおかしくなる。話し相手は必要だ。」
そう言って自分の茶碗にもドバドバ。
土佐の人ってお酒強いんすね。
「なんの。容堂公の酒量はこんなものでは無かったぞ。まさに底無しだった。」
土佐のお殿様っすね、鯨海酔侯。
「容堂公ももう居らん。お亡くなりになったのは10年以上前の夏だった、」
また手酌でドバドバ。下男が灯りを持ってきて、後藤さんの周りに溢れたお酒を拭いていく。
「なんぞ食事を頼む。」
後藤さんが言うのに、へいただいまと下がっていく。
「思い出した日が命日と言いますね。」
俺は何となく庭に向かって手を合わせた。
「そう、僕は夏になると毎日のように命日だ。武市さんが死んだのも夏だったしな。」
そう言ってまたグビリと茶碗を傾ける。
武市瑞山は、土佐勤王党の首領だった人だ。俺でも知ってる。
そして処刑命令を下したのは、他でもない容堂公とこの人だったはず。
「容堂公は最後まで武市さんを処刑した事を後悔されていた。僕はそうは思ってないがね。あの人はとにかく人を殺し過ぎた。法によって裁かれるしかなかったんだ。」
自分もその勤王党を処刑しまくった後藤さんは、俺の方を向いて尋ねてくる。
「君は若いから、尊王攘夷なんて言うバカバカしい思想に毒されてはおらんだろう?」
後藤さんはまるで世間話のような気やすさで、チョット引くようなどぎついことを言う。
「そうとも言えません。俺の子供の頃には村中の男が尊王攘夷じゃと叫んでましたから。」
「そうか!子供の頃から聞かされりゃあ、頭に刷り込まれちまうな!」
後藤さんはそう言って笑った。
「しかし僕らが若い頃、この思想は狂信者を産み続けた。何より恐ろしいのは、未だにその狂信者が政治を動かしている事さ。」
「元老たちはまさか、未だに尊王攘夷を信奉してはいないでしょう。」
「幕末のあの時代、僕たち公武合体と開国を唱える者は暗殺の対象だった。その暗殺者の元締めが誰かって言えば、今政権を担っている奴らだよ?そしてやっている事は僕らが主張してた開国だ。彼らを信用できると思うかい?」
後藤さんら佐幕派と幕府関係者からすれば、正にコレが文句の言いたいところだよね。
その気持ちはよく分かる。
「彼らがどうやって尊王攘夷病を克服したか知ってるか?ソレが大攘夷という考え方だ。」
もちろん知りません。何すかソレ?
「大攘夷とは一段上の目線から攘夷を考えることだ。開国して欧米文化を取り入れ、列強を凌ぐ国を作り上げる事で攘夷の目的を果たすという考えだよ。」
あーソレ岩崎さんが言ってた『ワシなりの戦い』っていうのに近いですね。
でもこの時代の日本人なら、多かれ少なかれそう思ってて正常じゃないですか?
「頑張っていつか上回ろう!と考えるのと、いつか殺す!というのじゃ随分違うだろう?日本人はこの部分の整理がつかないまま、開国時代を迎えちまったんだ。」
何でこんな話してるんでしたっけ?俺用事があって来たんすけど....まあ聞くしかないか。
「この大攘夷という考えが、今の日本人を支えている。このまま行くと列強との戦争まで、日本は止まる事無く突き進むだろう。ソレが大攘夷の最終目的だからな。」
こんな事を考えてる人とは思わなかったな。
確かに昭和の軍部が突き進む道はその延長線なのかも。そんで犠牲になるのが俺!オオウ!
「今の政府には国政を握る資格はない。自らの主張を誤魔化し反省もせず、目的も曖昧なまま富国強兵。必ず破滅の道を辿る。立派な男たちが沢山死んでいったというのにだ!」
元はと言えば、若者がみな華やかな尊王攘夷に熱中している時期に、公武合体・開国という地味で苦しい正論を選んだ人。
その時に命をつけ狙った奴らの親玉が、明治維新の元老達なのだ。
そうしてソイツらがやっている事は、自分が嘗て主張した開国。
そりゃまあ厭世的な気分にもなるわな。
「後藤さんが政治を疎まれて、商売の道を選ばれたのは。」
「あの嘘つきどもにウンザリしたのが原因の一つだよ。他にも山のように有るけどね。」
後藤さんは吐き捨てるように言った。でも何かおかしくないですか?
「ソレなのに何故また韓国政府の顧問になろうと?」
俺が問うと後藤さんはグッと詰まる。
「ううむ....ソレはだな....。」
「言ってましたよね?明治6年以来忘れた事はなかったと。」
「うーむ。」
困った顔で唸る後藤さん。
「大同団結なんていう構想をブチ上げたのは?」
「ううむ....アレはだな....。」
結局気まぐれさんってだけの人なんだろうか?
俺は本題を切り出した。
「グラバー商会に言われましたね?借金のカタに朝鮮を寄越せと。」
後藤さんは唖然として俺を見ると、今度は愉快そうに笑い出した。
「君って人は!さすが大策士の本領発揮か!見事だな、犬養くん!」
アレ?ここでなぜ笑う?
「何か可笑しかったでしょうか?」
「いや、君があまりに僕の事情に通じているからね!驚いたっていうか、呆れたというか。」
そう言ってまだ笑っている。
借金で弱みを握られてるなんて事が他の人にバレて、愉快に笑ってられるもんだろうか?
なんだか前回、精養軒でやりあった時とは感触まったくが違う。
「実はね、僕がこんな風になす事もせずブラブラしていると、お国のために働けって小突いてくる奴が多くてね。」
はい?何の話っすか?
「いや、グラバーには確かに借金のカタをと言われたよ。でもそりゃあね、弥太郎さんが僕の状況を心配して、仕掛けて来たいわば善意の詐欺だ。かかったフリして動いてやらにゃあ、友人がいのない話じゃないか。」
え?ご存知だった?あ.....そうなんですか....。
俺が岩崎さんの書状を出すまでも無く、本人はそのカラクリをご承知だったという。
「大体グラバーがそんな欲得まみれな事を言い出すわけはない。アイツは見上げた男だよ。」
国を越えて友人も持つ後藤さん。
確かに今の元勲達とは考え方が違って当然なのかも。
「大同団結の方は、猪之助(板垣)が泣きついて来たから仕方なくだ。国会なんか正直どうだって良いんだけどね。いや君には悪かったけど。」
善意の詐欺か。なんとも....お騒がせな人たちだ。
「なんだって!清国と開戦?なんでそんな話になっちゃうの!?」
そのリアクションは同じですね。チョット安心しました。
さてそうなるとだ、この決着は意外とアッサリつきそうじゃないの?
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