政争のゴングは鳴った
明治12年(1879年)5月28日
東京日日新聞より 社説全文
5月25日、大阪自由日報社において開催された『自由党』なる政党誕生は、日本国の議会政治の発展のため、慶賀すべきことと知識人の間で評判となった。
福島義挙において世間を騒がせた、河野広中と宮崎八郎が手を取り合っての新党船出である。
あれほど世間の同情を集め『今大塩』とまで評された河野広中の事、評判にならぬ訳がない。
かく申し上げる私においても、先年の今上陛下による国会開設の詔を押し戴き、祝酒の一杯も傾けるにやぶさかではない。
しかしながらその結党式に起きた様々な問題は、日本国議会政治の困難さを物語るに余りあるものであった。
男を下げたは紛れもなく、板垣退助であろう。
土佐立志社は当日、大阪自由日報社を大勢の無頼漢で取り囲み、人を中にも入れぬ手段に出た。
これは自身の語る民権運動の理念に関わる、重大な暴力行為と言わねばなるまい。
あまつさえその無頼漢ども、殴る蹴るの暴力行為は言うに及ばず、手に手に糞尿を満たした新聞紙を持ち、建物に投げつけるという行為で、日本国における政治の歴史を汚したという。
1人の新聞人としてこの侮辱行為を見逃すわけにはいかず、ここに板垣自らの謝罪を求めるものである。
これら無頼の輩が、果たして国会の担い手になり得るのか?我ら国民は注視すべきである。
大勢の参加者を集めたが、この体たらくで自由党もケチがついてしまった。
自前の新聞大阪自由日報は、『ウンのつく船出』などとつまらぬ事を言っておるも、明かにその政治担当能力に疑問符のつく結党大会である。
この後審議研究される日本国憲法であるが、議会の責任権力はせいぜい控え目にしておくのが、物の道理というものであろう。
記名記事: 東京日日新聞 吾曹子
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「自由党の結党大会、大変だったみたいですね。」
俺は郵便報知の一角に与えられた革新党準備室に陣取って、今日の各紙朝刊を読んでいた。
東京日日新聞は、主筆の福地桜痴が書く社説が人気を集めている。
まあ御用新聞の筆頭といったところ。政党はお嫌いなようだ。
「そうだね。我々も取材記者を派遣したが、立志社のやり口は常軌を逸したモノがあった。オマケに普段は集会の取り締まりとなれば、怪我人を出すことも厭わぬ官憲どもは、我関せずと見物人のようだったしね。」
藤田さんは肩をポンポンと自分で叩きながら、首をグリグリと動かしている。
公式に政党としてスタートする自由党には、さすがの警保局も手出しができないようだが、そこに対しての暴力行為は取り締まらないという謎のバランス感覚である。
「立志社系との党員の奪い合いはどうなったんでしょう?」
「当日集まってたのは500名ほどだ。参加者からみると詳しいところは.....。」
藤田さんは何やらメモを取り出して読む。
「旧愛国社系の中で、東北・北関東・北陸・近畿はほぼ彼らのものだ。立志社に残されたのは、四国・九州くらいのものだよ。自由党の圧勝と言っていい。」
「なるほど....すると山陰・山陽はこの後激戦ですね。」
「そこは我らが犬養毅の地元じゃないか。大丈夫ダイジョーブ。」
藤田さんは呑気に言って笑う。出遅れてんですから笑い事ではないですよ。
負けた板垣退助が、この後俺に接触してくる可能性も大だ。
「しかも我々と彼らとでは戦い方が違う。彼らは文字通り『戦闘』だが我々は『協調』だ。」
さすがに藤田さんはわかってる。
「私も立候補するからね。」
え?その.....つもりだったんすね。
「矢野さんという頼れる人が来てくれた。おかげで心おきなく戦いに出れるというものだ。」
藤田さんの意外な一面を見た気がする。
「立志社は予定していた結党大会を見送ったそうだよ。」
「はい、こっちの新聞で読みました。」
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明治12年(1879年)5月28日
朝野新聞より 抜粋
終わってみれば、河野・宮崎の圧勝である。
自由党という新たな政党の設立は、旧世代の暴力による妨害にも負けずに力強く実行された。
ここにおいて本邦の政治界は、新世代へと引き継がれた感がある。
妨害に如何程の効果があると信じていたのか、立志社の面々はなす術もなく党員が掻っ攫われるのを見届けるしかなかった。さらに自身は予定していた結党大会を延期すると発表したのだ。
先の福島義挙を経て、民権運動は大きな転換期を迎えている。
すなわち不平士族による維新やり直しのための政党か、真に民衆の立場に立った政党かという選択である。
民衆の意見がどちらにあるのか、もはや言う必要すらも感じられない。
我々は新しい時代の幕開けにいるのだ。旧世代は静かに立ち去るべきである。
記名記事:朝野新聞主筆 末広鉄腸
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「朝野新聞は民権運動支持が鮮明でしたし、もともと立志社に同情的たったと思うんですけど。アレ?」
「どうかしたかね?」
「この人もしかして.....。」
大阪の集まりの時にいた人が、確かこんな名前だった。
そーかあの時、大隈卿と組むのは反対してたな。
組まぬとなったから自由党に参加したのかな?
それにしても朝野新聞の主筆だったとは知らなかった。
「東京日日は政党自体に批判的、朝野は旧世代は去れって論調だね。」
藤田さんは黙り込んだ俺の代わりに、まとめ的な事を言う。
そゆこと言うつもりじゃ無かったんすけどね。
「さて次は我々の番だね。準備はどこまで進んでるんだい。」
藤田さんがサラッと言うが、俺はこの仕事を矢野さんから引き継いだばかり。
「まだまだですよ。結党は早くて来年でしょうね。」
予防線は張っとこう。
「今即座に名前が挙げれるのは、身内の勢力だけですね。三田の討論会で一緒にやっていた人たちです。大石正巳さんや西村玄道さん、馬場辰猪さんあたり。」
「ウン?その辺は立志社に行かないのか?馬場なんて土佐出身だし、思想的にも急進派だからな。」
そうなんですか?矢野さんからもらった、ウチに入るリストにありますよ。
「まあ私も引き継いだばかりでして。」
大らかに受け止めてください。この後しっかり詰めますから。
「それから『修身会』の皆さん、河野敏鎌さんが中心ですね。」
「現役の官僚か。まだ選挙資格は不明だけど、官僚は外される可能性が高いと思うが....どうするつもりなんだろうね?」
さあ?イヤですから引継ぎしたばっかで...先行こう。
「それから大隈さんの個人的な関係ですね。小野梓さん、沼間守一さん。」
「沼間あ?」
藤田さんびっくり、俺もビックリ。
「何か問題ある方ですか?」
「知らない?ええ!ツヨシ知らない?コイツ役所たらい回しされてる人!」
そーなんですか.....まあ数優先で動いちゃってる感は否めないですね。
官僚閥を形成しようって言っちゃったの俺だし。
「この方問題児かもしれませんけど、お仲間も多いみたいです。10名くらいは連れてくるみたいですよ。」
「いや仲間多い問題児ってダメだろ?数で問題も押し通されたりすんだよ?」
うーむナルホド......圧倒的に藤田さん正しい感じ。
「ただ現役官僚が多いのは、俺からも大隈さんへ話していた事です。霞ヶ関へ顔が利くのは必要な事だし、ある程度有能な人材が手に入るので。」
「そおねえ.....分かるけど沼間はなあ。」
そんなにヤバイ人のようです、義兄さん!お願いしますよ!
「今その程度っていう事は、まだまだこれからって事だね。」
「そーなんです。ですから早くても結党は来年。」
オマケにこれだけ雑多な人の集まりって事は、結党してからもかなり不安定な運営になってしまう。
「党要綱はすぐにできると思うんですが、これによって党の方針が固まるというほど明確ではありません。俺はこの後、党方針を出版しようと思うんです。」
「ふーん、それって新聞紙上ではダメなのかな?」
本来そうあるべきなんですけど。
「少々専門的な内容になり、分量も多くなると思います。一般の読者には向いてないかなと。」
「なるほどね。まあ本になっていれば、読んでない奴が悪いって言えるしね。」
もう少しポジティブな気持ちで書いてるんですが。
「それに我々が目指すのは、大隈さんが内閣に残留する事を想定した保守政党です。」
まあ中道左派ってところだろうか?
「これはイキナリぶち上げても、肝心の政府側が理解されていなければ話になりません。ですから来年以降、伊藤卿が戻られてからお話通しておかないと。」
「それも含めて結党は来年って事か。でも伊藤卿はそんな事望むだろうか?」
これは俺には少しだけ勝算があった。
いま欧州視察をしている伊藤博文は、必ず議会政治に対しての理解を深めて帰ってくる。
これだけ歴史を知らん俺でも、彼が後に政党を立ち上げる事は知っている。
安定した国会運営を願う彼は、俺の作戦に必ず乗ってくるはずなのだ!
「ツヨシ.....何か悪い顔してるよ?」
おっといけない。スマイルスマイル。




