泥沼の10年
いや〜年末の追い込みがキツかった....。
更新遅くて申し訳ありませんでした
今日から頑張っていきたいと思います!
よろしくお付き合いください!
乗客の動きが慌ただしくなってきた。
朝鮮が見えてきたらしい。
みな船室から出て、甲板の方へ向かっていた。
到着まではしばらくかかるだろう。俺も見てみようと甲板へ上がる。
思ったよりもハッキリと釜山の町が見えた。
どうやら小高い丘の上にある集落が、恐らく日本人居留地だろうと思われた。
何でかっていうと、明らかに他の部分と見え方が違うのだ。
丘の上以外には、ハッキリとした建物の輪郭が見えてこないのに対して、丘の上の集落には整備された通りや大型の建築物があるのが確認できる。
「ここからでもはっきりと分かるね。丘の上が居留地だ。」
いつの間にか隣に立っていた花房公使が、俺に教えてくれた。
「他に人が住む場所って無いんですか?」
「いや、あの隣にも現地住民の町があるんだけどね。建物らしき物が無いせいで、ここからではよく見えないんだ。」
花房公使は苦々しく言う。
「両班階級の住む家はそれなりにしっかりしているから、もう少しすれば見えてくる。庶民の家はほぼ建物とは呼べないシロモノだ。」
花房さんはこの10年ほど朝鮮と関わっている。
昨日食事の時色々な話をうかがったが、言葉の端々に支配階級への不満と現地住民への同情が滲んでいた。
「この国は変えなきゃならん。住民たちがあまりにも気の毒だよ。」
花房さんは再びそんな事を言った。
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汽船がゆっくりと釜山港へ着岸し、乗客は次々と上陸して行く。
そのほとんどが商売人風の日本人だ。
「彼らの多くは米を安く買い付け、日本へ持って行ってる。」
花房さんが説明してくれる。
「数年前の不作時にも米の買い付けは止まらなかった。朝鮮国内で米不足が深刻になってしまってね。それ以来日本商人に対して、地元住民の見方が厳しくなってしまった。」
揉め事のタネは常に湧いてくる。
「労働者風の若者たちは出稼ぎ組だ。居留地自治会の町整備に、労働力を提供してくれる人たちだね。」
「現地の労働者は使っていないんですか?」
そう俺が尋ねると、花房さんはお困り顔で力なく笑っている。
「もちろん安い労働力として重視している。しかし規律が低過ぎて中々役に立たないんだ。言葉の問題や勤労意欲の低さもあって、現地は日本からの働き手を欲しがっている。上手くいかないもんだね。」
「現地の町整備費用は、現地住民が負担してるんですか?」
「いや、大部分は日本国からの補助だ。しかし行政が他国に出張ってくるわけにもいかぬので、自治体は古くからの商店や貿易商達が担っているんだよ。」
しかし出稼ぎの日本人がこれほど多いとは知らなかった。
住民は1000名程度でも、臨時雇いや商人を入れれば軽くその倍はいきそうだ。
「プサン、マチキレイ。ウラヤマシイ。」
ドンインはそう呟く。
いつものボロ僧衣に風呂敷包みを背負っている。
今更だがコイツの荷物ってこれだけか....。ミニマル過ぎる。服の替えとか無いんかいな?
俺たちは最後尾で船を降りる。港で働く人々もみな日本人だ。
まだ朝鮮人の姿を見ていない.....いやドンインがいるか。
花房さんの言ってたように、使い辛いから働かせていないのかな。
彼らの生活を向上させたいと思っている花房さんにしてみれば、『上手くいかないものだ』っていうのは本音だろうね。
さて、居留地までは徒歩で10分もかからない。少々登りなのがしんどいが。
到着した町は、何というか日本的だ。当たり前だが。
丘のてっぺんに寺院らしきものがみえる。アレが恐らく東本願寺だな。
通りは砂利がしっかりと固められており、当然ながら排水も整備されている。
これならば多少の雨でも問題はなかろうと思われる造りだ。
商店や住宅は瓦葺きで、漆喰の壁が中々美しい。
とても整然とした町並みである。
多くの日本人とすれ違う中、それにつき従っている朝鮮人らしき人もチラホラいる。
「アレが奴隷だよ。日本人に買われた奴らだ。」
「居留地に奴隷がいるんですか?」
マジかかなりの衝撃だ。日本では許される事じゃない。
「むろん奴隷売買は居留地で禁止されている。それでも朝鮮人の往来は禁止じゃないし、使用人と言われてしまえば、規制できるものでもないからね。」
憤懣やるかたない表情で公使は嘆く。
「一部の商人たちだけだがね。同じ日本人として許しがたい。だが朝鮮人の主人より、日本人の方が扱いがマシだとも言う。」
それを聞いても慰めにはならない。許しがたいというのは俺も同感だった。
俺は公使館に泊めていただけるという事で、此処でドンインとは別れることになった。
『今日スグ陛下に会うコトなってる。明日ナカマつれてくる。』
ドンインは名残惜しそうに去って行った。
あんまり深く考えてなかったけど、奴隷身分であるドンインが国王に謁見するっていうのは、相当に凄い事なんじゃないだろうか。
花房さんにうかがうと、やっぱりかなりイレギュラーな事であるようだ。
「恐らく直答するようなものにはならんだろう。それに公式の場ではなく、私的な場で行われると思う。」
それでも凄い事だ。もしかしたら国王は身分制度に変革をもたらせるのでは?
しかし花房さんの評価は手厳しい。
「現国王は自身の意見を持たない、閔氏の傀儡でしかない。独立党は国王に期待しているようだが、あの男は妃に頭が上がらぬ凡夫だよ。到底身分制度を変えるような英断は出来ないよ。」
そんな訳でドンインは帰宅し、俺は今日も花房さんとお食事。
公使館にはまだ料理人もおらず、俺たちは居留地内で営業している居酒屋で一杯いただく。
港で漁業は認められており、新鮮なお魚がある!これは嬉しい。
思わぬご馳走をいただいた。
「また昔話に付き合わせてしまうね。」
花房さんは少し照れ気味に話すが、江華島の砲撃事件から通商条約締結まで、朝鮮半島との交渉ごとをほぼ1人で取り仕切っていた人の話だ。
面白くないわけがない。
大院君の西洋嫌いの酷さ、官吏たちの儒教論理の意味不明な話。
朝鮮側の対応の遅さに腹を立て、圧力かけるため軍艦を回航させたら、まんまと江華島事件が起きちゃった話。
前世の歴史授業であれば、一行で終わった話だろう。
こんなにも面白いことばかりだったら、俺も歴史が好きだったかも。
そして花房さんは一貫して朝鮮の支配階級に批判的であり、賤民階級に同情的だった。
「同じ人間として扱っていない。」
四民平等を掲げた明治政府とは、そもそも理想が違い過ぎるという。
「識字率の低さを考えるとゾッとする。そういう意味で、日本国が継続してきた教育環境というのが、いかに偉大なものだったかが分かるね。」
本当にそうだ。もし識字率の低い国で民権活動を行うとすれば、新聞や雑誌は機能しない。
以前奥多摩で行われていた、ハチローさんたちの集会の熱気を思い出した。
あの人たちは全員農民だ。それなのに新しい思想を受け止める準備ができている。
つまり韓国で日本と同じ事をやろうと思っても無理だという事だ。
福沢先生はどんな階級でもイイから多数派を握れ、とドンインに指導していたが、それは実現可能だろうか。
「君はこの居留地をどう見たかな?」
花房さんは興味深そうに俺に尋ねる。いや来たばっかだし。
「まだ何も見てませんので、感想も特には。」
「いや私の話を聞いた感想でも、船の中で見聞きした事もあるだろう?これまでのところどう思ったか、ってだけの話だよ。」
どうも何か言わなきゃいけないようだ。この人外交官だけあって、爽やかな見かけによらず押しが強い。
しかもイジワル慶應ボーイだから、何かイジワルな事を考えてるのかもしれない。
どーしても聞きたいなら言うけどね。でも耳あたりのイイ言葉は言えないよ。
「いくつか思ったことはありますが.....先ずは今のお話にもありました、儒教論理、支配階級、奴隷、教育などについて思うことです。」
「フム、どんな事を?」
「結論から言ってこの国を変えるのは、容易なことではない。」
花房さんの顔が曇る。
「だが朝鮮にも変化が見えるよ。我々への独立党の接触もその一つだ。」
だが俺は簡単にこれを否定する。
居酒屋の開け放たれた窓から、磯の香りが漂ってくる。
波の音が遠くに聴こえる。日本にも朝鮮にも、等しく波は打ち寄せるのだ。
「国の半分が良民と賤民とに分断されている国で、さらに良民は儒教派と開化派に分けられ、今また開化派は事大党と独立党に分断されつつある。それほどの少数派には国を変える力はありません。」
ムッと花房公使は言葉に詰まる。そこを俺はたたみかける。
「儒教派は大院君の政権下で日本へ喧嘩を売ってくる始末だし、事大党は清国派なので我々と協力的な関係にはなりようがない。我々は最小勢力の独立党と付き合っていくしかないでしょう。」
花房さんは黙って俺の話を聞いている。
「彼らが取ることの出来る道は限られている。1つは相手の派閥から仲間を引き入れること、もう1つは民衆の支持を受ける、更には外国政府の支援を受けること。」
「1つめはかなり難しい。儒教思想の徹底ぶり、日本への反発、指導者の不在。欠落要素が多過ぎる。」
花房公使は言う。
「2つめも限りなく不可能です。文字すら理解せぬ民衆に、民権思想など理解できるはずもない。統制の取れない一揆が起きる程度でしょう。」
俺も続けて言う。一揆はホントに起きまくるよね。
「残るは外国の支援、つまり日本政府がどれだけ関わるかか....。」
「福沢先生はそれだけでは無理だとおっしゃってます。国内に多数派支持層のない改革など不可能だと。なのでこの国の変革は困難、というのが俺の今のところの見方です。」
フーッとため息の花房さん。
猪口を置いてしばらく天井を見上げている。
「私がこの国に関わってもう10年の時間が経つ。」
公使はため息とともに吐きだすように言った。
「どれだけすくっても水が澱んだ沼のようだ。他人を尊重する意思というものがない、社会へ貢献せねばならぬという責任感もない。あるのはただ自分の欲望のみ。」
この人は朝鮮という国を批判する。その支配体制や倫理観のなさや、いろいろな事を問題視している。
それでもまだこの国に対して、この人なりの愛情を感じているのだと思った。
救ってやりたいと思う純粋な気持ちを、無碍に扱われて10年にもなるのにだ。
「この国はついにダメなのか?人が人らしく生きる国にはなれんのだろうか?」
花房さんは両手で顔を顔を覆った。
俺には10年の歳月を嘲笑する気にはなれない。
「幕末の討幕には15年かかり、明治維新は未だ緒についたばかりです。教育の比較的進んだ日本であってもそうなのに、朝鮮で改革が10年で済むと思うのは、いささか傲慢であると思います。」
俺は敢えて挑発的に言う。
「恐らく50年100年の時間をかけて、彼らはようやく変われると思うのです。焦ってはいけません。」
花房公使は言葉も無くして俺を見る。その目にはただ無力感が浮かんでいる。
部屋にはただ波の音が響いていた。




