強制的始動
矢野さんは何度も言うが、結構ヒマな人である。
大蔵省統計局なんて言うと、相当忙しいんじゃない?と思うのだが、実際にやる事って少ないのだ。
今日も統計局はヒマ人がウロウロしている。
「矢野さん、ちょっとイイですか?」
「おお犬養よ!やっと帰ったか、待ってたぞ!」
矢野さんは頬杖状態から、ダッシュで入口まで走って来た。
「昨日帰ったのですが、時間も遅かったので。今日ご自宅にご挨拶しようと思うんですが。」
「ウンウン、綾も待っておるしな。それはいいんだが。」
矢野さんは辺りをはばかるように、小声になった。
「例の話はどうした?」
「は?」
「イヤ、は?じゃない。例の仲人の話だよ!」
うわ、すっげえ小物感。義兄としてどうかと思うんですが。
「もうお話しましたよ。すっげえゴネられました。」
「そうか!それでお前、私のせいになどしなかったろうな!」
有体に言って、家族になるのが不安なくらい小物ですね。
「そんなお話ではなくですね、今後の事についてちょっとお話したんです。」
「今後の?ダレの?」
緊張感ない返事が返ってくる。義兄よしっかりしてくれ。もし俺が福沢先生だったら、今頃2回は泣かされているぞ。
「矢野さんの本来の仕事である、政党立ち上げについてです。」
さすがにここまで言って、義兄の表情も変わった。
統計局は大隈卿にとって、人材集めの意味合いが強い。それはすなわち、政党設立の目的と皆認識している。
大隈卿自身の認識は、『国会なんてまだ全然先の事』だったけどね。どちらかというと福沢先生におもねって、取り敢えず人を集めた感も否めない。
しかし今となっては時間的にも『早目に動いておいてよかった』人材集めである。
まあ俺が勧誘されたのは、すぐにコキ使われるためだが。
俺たちは、人目の少ない会議室へ移動。
「そうかいよいよ....。」
「いや、いよいよじゃありませんよ矢野さん!まだ全然準備できてないらしいじゃないですか!」
俺の剣幕に押される義兄。
「イヤ、俺も勧誘とか頑張ってんだけど...」
子供かっ!
とりあえず先程の打合せ内容を伝える。
政党の方向性と党綱領の作成。
事務所設立と地方の新聞社の展開。
その必要人員と経費を、試算して報告すること。
さらに愛国社非主流との連携。
ここまでで義兄はお腹いっぱいの様子。
「ちょっと待った、犬養それは....。」
「義兄上のお仕事ですが何か?」
しばし矢野さんは無言の抗議。
でも仕方なかろうが!ホントにあなたの仕事です!義兄上!
「まあ...そうだな。少々予想を超えた速さで、物事が進んでいるようだが。」
どうやら首をフリフリ、諦めついた様子。
「しかし犬養よ!ちょっとは手伝ってくれよ!1人では到底できる気がせんのだあ!」
うーん、そのマイナス方向への自信がすごい。
「義兄上、そこはご安心ください。いくらかはお力になれると思います。」
俺もそこまで鬼ではない。
可愛い妻の兄に向かって、素手で山を削れとは言いません。
そこで俺は既に考えている事を伝える。
「俺の実家である岡山ですが...既に新聞出版の手筈を整えつつあります。出資者も見つかってますので。」
「なに?もう?」
「これにはカラクリというか、地方の事情って奴がありまして。」
俺は今の地方の情報不足と、地元投資家の焦りを説明する。
「この状況は、何処でも同じと思います。既に集まっている人材の郷里を、この手法で開拓していけば、遠からずソコソコの規模で組織作りが出来るでしょう。」
「な、なるほど〜。」
とりあえず何とかなりそうだと分かって、弛緩しまくる義兄。
「さすがだ犬養、しかしそれは...先に言ってくれ。」
先に聞いたら、今の緊張感も生まれないでしょ?
「後先変わったところで、義兄上のやられる仕事量は変わりませんから。」
再びスネた顔つきになる矢野さん。
「俺がお手伝いできるのは、俺の地元開発と党綱領作成、それに愛国社非主流との連絡ぐらいでしょうか。」
「おお、そうか!イヤそれは助かるぞ!」
そうでしょう?イイ義弟持ってシアワセですか?
そんな訳で、この後は午後いっぱい統計局で打ち合わせとなった。
やるべき事は主に、現在集まっている人員の郷里確認、すぐに取り掛れる開発地域の数、そこに投入必要な資金の洗い出し。
もちろん投資家が募れれば、初期投資はぐっと減る。
それでも新聞名や記事提供の対価として、経営に関わっていく事は可能だ。
大隈卿にはもちろん資金源がある。
それでも極力そこに頼らず、党の根幹を作っていきたいと俺は考えている。
だって政党って私物じゃないもんな。綺麗事言うようだが、出だしは原則論を通していきたい。
大隈卿は党首になっていただくとしても、彼の私物ではない事は、はっきりさせておきたいのだ。
どうやら我々は10の県で、早期の拠点設立に着手できそうだ。
その後さらに10程度の県で、事業を検討できるかも。
早ければ2年で、20箇所程度の拠点が作れそうである。
これらを重点拠点とし近隣を開拓していけば、何とか5年後の国会開設に、組織作りは間に合うのではなかろうか?
それでも希望的観測でしかないが。
矢野さんが既に何か達成したような顔になっているので、『それは甘い』ことを認識させる。
「こんなに上手く行きゃあ世話ないっすよ。」
「お前って....ホントは私を憎んでいるんじゃないか?え?綾との交際をなかなか認めなかったからさ!」
イヤ....義兄よ、これ以上人格の小ささを晒すのはやめろ。
「まずは義兄上、これからやって頂くことを申し上げます。」
「あっ、ああ、うん。」
これからは是非とも俺の手足、イヤ協力者としてご苦労いただきたい!これまで楽してたんだから!
「これから大隈卿の所まで、ご報告に上がってください。内容は只今まとめた、今後の拠点計画です。」
「えっ、今から?」
それは無理だとでも言いたげだが、それはなりません義兄上。
仕事で重視されるのは速度!精度はその後つければ良いのです。
「当然提出用の資料をご用意ください。それから大事なことがあります。」
矢野さんは打ちひしがれた様子である。
なに?もうこれ以上無理!と目線で訴えてくるが無視。
「党名ですよ。」
「えっ、ああ党名?そうか。」
「そうです党名。これはまだ議論の必要ありでしょうが、まずは大隈卿にたたきを考えて頂きましょう。」
ちゃんと考えているでしょう義兄上の事を!
大隈卿のご機嫌が良くなること間違いなし!
こんな太鼓持ちみたいな仕事、俺の趣味じゃないし。
そしてフーフー言って書類を作る義兄を後目に、俺は職場を後にした。
後は任せた!健闘は祈ろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「えーと、お義姉さん!綾さん!」
「はーい!」
2人は台所からいそいそと出てくる。
「まー!犬養さんからお義姉さんなんて!新鮮だわー!」
そう言って笑うのはもちろん、矢野さんの奥様。
「はあ....こんな日が来るなんて...。」
感無量といった感じでうっとりな綾さん。
俺が挨拶に伺うと、すぐに晩飯にするから食っていけという。
それじゃあ矢野さんがお戻りになってからと言えば、そんなものは気にすることも無いと言う。
まあ....結婚しちゃえば、俺たちもこうなるんだろうなあと思いながら、それでもウッキウキな綾さんを見て悪い気がするはずもない。
そうしてそっからが凄かった。
2人ともギアが入ったのか、作る作るどんどん作る。
かなりの量の皿で卓袱台はいっぱいとなり、まだ台所から離れぬ2人に不安を感じて、とうとう呼び出したというところだ。
「お二人共お料理はこの辺でもう....。既に4人で食べれる量を超えています。」
「まあ!本当にもうこんなに!」
「これじゃあ食べきれませんね、お義姉さま。後のものはまた明日にでも。」
冷蔵庫などないはずだが、この大量の食材を何処から....まあ考え過ぎないようにしようか。
「犬養さまがいらっしゃって、お食事作るなんて楽しくて。」
なんだろう。
リア充の皆さん今まで罵ってきてスイマセン。
恋人出来るっていいもんですね。
「召し上がってくださいな、犬養さん。私たちも頂きましょう。」
「はい、お義姉さま。」
本当に矢野さん待つ気ゼロですね。
そしてこんなに素敵な夕食、生まれて初めて食います。
「犬養さま、美味しいですか?」
「めちゃくちゃ美味しいです!綾さん!」
「まー、あんたたち。そんなやり取りこの後死ぬまで出来るんだから。」
本当に、そんな贅沢あっていいんですね。




