桜フタタビ
今日はジュタローが晴れて外務省勤務となった祝いだ。
何時もの蕎麦屋で同宿の仲間たちと飲んでいる。
「オヌシ、出世スルゾ。」
「本当か?アンタ占い師なの?」
「ダマって座ればピタリアタル。」
誰だそんな芸風仕込んだのは?
何故李東仁までここに居るのかというと、大した理由では無い。
隠密行動に飽き飽きした本人が、『日本の市井を観察する。』と称して俺のところに遊びに来るだけである。
本国人が監視してるわけでも無いしな。もはや隠密行動とは何だったかすら不明だ。
身分は一応支那商館の人間としてある。多少支那語も喋るしね。
まあ何処かへフラフラ遊びに行かれるより、目の届く所にいてくれた方が安心ではある。
しかし何故か俺のところにばかり来やがる。たまには曽根さんの所にも行け。
それよりも日本語の学習が異常にすすんでいる。
元々素質があったのだろうが、荒尾くんの教え方も良いのだろう。オカシナ芸風も身に付いてるが。
「ソレにしてもめでたい!犬養くんのおかげだよお!」
念願かなってジュタローは大喜びだ。今日は少々飲み過ぎだが、皆見逃してやっている。
「しかも直ぐにニューヨーク公使館勤務とは....。ありがたくて泣けてくる。」
そんな訳でジュタローは乾杯からずっと泣きっぱなしだ。
「タダで行かせるわけじゃない。日本の商品を売り込むために、特命勤務者として赴任するんだ。売上が悪ければ帰ってもらうぞ。」
俺は一応思い出させておく。
ニューヨーク・ロンドン・パリの公使館に、それぞれ輸出担当特命勤務者を派遣する予算を組んだ。
コレで客が掴めるなら安いものだ。
頑張って商売してこい。
「分かっているとも、必ず日本の商品を売り込んで、皆に大儲けさせてやる。」
「オヌシ、オレの言うこと聞く、モウカルゾ。」
ややこしいから話に入って来るな。
「おいジュタロー!乾杯だ!」
仲間たちから声がかかる。オイ、◯タローって言いたい、でも言えない。
「桜が美しいな。ニューヨークに行けば、しばらくこの姿も楽しめないか。」
ジュタローは少し寂しげに、でも満足そうに呟いた。
俺は大事な事を思い出していた。
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「犬養さん、貴方あんまり薄情というものじゃありませんか。」
俺は矢野さんの奥様に説教されている。コレはまあ仕方ないと言えば仕方ないか。
「申し訳ありません。言い訳は申しません。」
俺はそれ以上言わずに頭を下げた。
ソファーに座っているが、心は土下座だ。
「あの娘は貴方が放免されたと聞いてから、もういく日も貴方のことだけをお待ちしているのです。同じ役所にいながら、主人にいくら言っても役には立たず、どうしたものかと私が一人でイライラ過ごしていたところです。」
お怒りはかなりのモノだ。俺はひたすら頭を下げ続ける。
奥様が大きくため息をついたとき、奥の間から綾さんが顔を覗かせた。
「お義姉さま....もうその辺で。綾は待ちきれません。」
「綾さんダメよ!もっと虐めてやらなくては!」
ん?コレは....明治的なツンデレですか?
「だってお義姉さま!綾はとてもうれしいのです!言ったでしょう?犬養さまは桜が咲く頃必ずいらっしゃるって!だっていつもそうなんですもの!」
ヤバイ、可愛い。俺の心の防御全崩壊。完全に惚れ直した。
「ヤレヤレ、私ばかり苦労して意地悪しているのに、貴方ときたら意気地が無いったらありゃしない。」
奥様はそれでもにこりと笑って、俺に向き直った。
「さて、犬養さんよろしくて?」
「は、ハイ!」
「綾はもう数えで19、この年まで幾つも縁談がありながら、貴方だけをお待ち申し上げているのです。そろそろ貴方の覚悟をお見せいただけますか?」
にっこり笑った笑顔がコワイ。でも言葉はストンと入ってきた。
「分かりました。綾さん。」
「はい、はい!」
綾さんは奥様の横に来てちょこんと座る。
「俺は桜が咲くと、綾さんを思い出します。」
もう2年前の話だ。今の俺は新橋で、初めて綾さんに出逢った。
「それは戦争の取材から帰ってきた日、綾さんに再会してからずっと。あの日桜色を着た綾さんが、頭から離れないんです。」
「はい......。」
「綾さんは俺にとって春そのものです。どうか俺の嫁さんになって、幾年も一緒に春を迎えてくれませんか。」
「はい......。」
綾さんは泣いていた。
俺が綾さんを泣かすのはコレが最後だと決めた。
必ず幸せに....言おうとして俺は奥様にクッションでぶっ叩かれた。
「この色男!ニクいこと言うわ!もう、早く2人で庭でもみてらっしゃい!」
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しばらくお庭で親密な時間を過ごした後、俺は矢野家を失礼して、そのまま大蔵省へ行く事にした。
予算編成が終わって、暫しの休暇をいただいている最中ではあるが、こうとなっては一刻も早く矢野さんへ話を認めていただかなくてはならん。
矢野さんは統計局勤務。実は結構お暇な部門でもある。
すぐに本人は捕まった。
「休暇中にどうした?」
矢野さんは明らかに警戒している。どうやら彼にも予知能力が備わっているのか。
「本日は綾さんのことで、お話にうかがいました。」
それ来るぞ!いつものやつ!アヤはやらーん!とか....あれ?
矢野さんはいつものヤツをやらず、背筋を伸ばして俺を見据えるように座り直した。
「聞こう。」
うわ....想定外だ。スッゴイ喋りにくい。
「先ほど御自宅に伺い、綾さんへ結婚を申し込んでまいりました。」
「綾は承知したか?」
「はい。その足ですぐ参りました。どうか私と綾さんの...。」
「よろしく頼む!」
イヤまだ終わってませんが....。良いんですか?
「この数年、綾が縁談を断るたびに、こうならなければ一体どうしようかと肝を冷やしていた。ヤレヤレ、犬養は今や世間の注目を浴び続ける人間となり、縁談など掃いて捨てるほどあろう?」
矢野さんはそう言って頭を下げる。
「よく心変わりせず、綾の事を思い続けてくれた!ありがとう!」
縁談なんていただく暇すらなかったが。
それでも勘違いしてくれる人、想いを受け止めてくれる人、横から叱ってくれる人。
この人達が新しい俺の家族だ。
「やめてください矢野さん。コチラこそありがとうございます!」
矢野さんは薄めの頭をふと上げると、堰を切ったように喋り出した。
「さて!そんじゃあ式はいつにするか?私の家はすでに東京へ越しており、まあ大分で式を上げることもないだろうが、親戚一同がそれを許さんかも.....。そうだ犬養は岡山だったな?地元で式をあげるだろうから、そん時に足を伸ばして大分まで行くか!なあに新婚の旅行と思えば楽しいもんだろう?」
矢野さんの話は止まるところを知らず、結納の話、仲人は福沢先生以外にあり得ないという話、私が結婚した時はな....などと、時が経つのも忘れて話し続ける。
いつもは矢野さんの無駄話など切り捨てるが、今日はさすがに黙って聞いておく事にした。
しばらくの間は許嫁として、早ければ秋にでも....イヤやはり春がいいか...止まらんなコレは。
だが俺は話を聞きながら、新たな問題を認識していた。
そう、俺って実家に帰ってないじゃんか!
コレはいかん、何処かで顔を出さねば....。
まさか結納当日に、初めておっ母に会いましたなんてわけに行くか!
俺は矢野さんの話を右から左へ聞き流し、この先のスケジュールを脳内で反芻していた。




