外貨獲得
予算要求は次の日もまた次の日も続き、さすがに聞いているだけでは飽きて来た。
最後のヒヤリングを終えた俺は、各省のまとめを作って大隈卿へ出す...前に日本橋へ。
丸善の早矢仕さんを訪ねに行く。
本社で受付に名乗ると、応接室に通され、暫くして早矢仕さんが入ってきた。
「やあ犬養さん!久しぶりだねえ!益々ご活躍で、君の名前を聞かぬ日がない。」
俺の罪状は世に轟いているようだ。
「お恥ずかしい限りです....。」
「恥ずかしい事など何も無いだろう!明治の世に在りながら、君の活躍は戦国武者のようだよ。」
自分の仲間は爆弾魔で、戦国武者などはおりません。
「今日はお礼方々参上しました。収監中は沢山の新刊書をありがとうございます。」
「いや、礼には及ばないよ。谷中将閣下と大隈卿のご要望を受けて、ちゃんとお支払いもいただいている。レッキとした商売だからね。」
早矢仕さんはデカイ目をグリグリ動かして、面白そうに笑みを浮かべた。
「ソレにしても驚くべき人脈だ。政府の中枢が君の読書のために争ってやって来るなんて、どんな気持ちがするもんだい?」
「深くは考えない事にしてます。」
俺がそう言うと、早矢仕さんはとうとう笑い出した。
「そんな歳で政府中枢の大身を使い回すんだ。さぞや愉快だろうと思うんだが。」
その話はもうその辺で....。
「今日はお話をお聞きしたくてお邪魔したのです。」
「私の方がよほど君の話を聞いていたいが。」
そうは言うものの嬉しそうな顔で、何でも聞いてくれと言う早矢仕さん。
「実は今大蔵省に出仕してまして。」
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丸善をでた俺は、その足で横浜へ。
「運がよければ会えるだろう。」
と早矢仕さんが言っていた、貿易業を営む吉田健三さんにアポ無し直撃。
俺は運の良さに自信がある。
何しろ死んでも死ななかったのだ。これ以上運のいい奴がいるハズもない。
会社で早矢仕さんの紹介状を出すと、1時間ほども待たされたが本人にお会いする事ができた。
「コレは珍しい人が来た。」
吉田さんはどうやらご機嫌がいい時らしい。
「私も東京日日新聞の立ち上げに多少参加しててね。同業から君の名前は聞いているよ。」
それほど歳も離れてなさそうだが、恰幅の良い体型は社長!っていう雰囲気満載だ。
この人が元ジャーディン・マシソン商会横浜支店社長の吉田健三さん。
慶応年間にイギリスへ密航し、英語を勉強してきたというツワモノだ。角刈り頭に四角いがっしりした顔つきは、意志の強さを感じさせる
ジャーディン・マシソン商会では3年間で巨額の取引を作り、個人資産で自身の会社を立ち上げた、貿易商の伝説的存在だそうで。
「今日は時間がある。早矢仕さんの紹介状じゃ何ぞ聞きたい事があるって?」
「はい、実は現在大蔵省勤務でして。」
「民権運動の神がおかしな事だ。」
「更におかしな事に、各省の予算要求窓口となっております。」
「なるほど世も末とはよく言ったものだ。密航者が社長になる程度の話じゃない。」
吉田さんはガハハと笑う。
やたらと褒められるよりは、このくらいズケズケとモノを言われる方が気が楽だ。
「その仕事中にふと思ったのです。明治の世になって外国との取引が増加している。さぞや儲かっているかと思えば、開国から10年以上たった今でも、それほど儲かっている人はいない。」
ニヤリと笑う吉田さん。
そーですアナタがどうやって儲けているのか、そこが知りたいんです。
「なるほど海外からの輸入品の伸びは凄まじい。なのに輸出品は未だに茶、樟脳、米なんていう、江戸から売っている商品しか売れていません。コレはいったいどういう事でしょう?」
吉田さんはまたガハハと笑った。
素直に教えてくれるわけはない。一流の商人がどう反応するか、其処んトコを見極めたかった。
「なるほどコレは面白い。君は役人の器じゃない、商人になるべきだ。」
器じゃないってのは褒められたんでしょうかね?
持ち上げて落とすヤツですか。
「有名人に会えたご祝儀だ、私の知っている事は教えよう。まあ半分ほど私にも責任がある事だ。」
そう笑いながら眼をキョロキョロ動かす吉田さん。責任?
洗いざらい喋っているフリをしているが、全く正直者には見えません。
でもコレが商人ってヤツだね。
「例えば絹糸だ。日本には工業化されていないがそれなりの生産背景がある。」
「それそれ!絹糸は世界的に需要があるハズですよね?」
「私がジャーディン・マシソンにいた時、ヨーロッパへ大いに売り付けたものだ。しかし売れるとわかると次々におかしな奴が手を出してくる。日本人はこういう時、全く節度も良心もないから困る。」
そう...なんですか?メイドインジャパンですよ!質が悪いはずが無いでしょう?
「クズ糸を混ぜ込んだ粗悪品が大量に出回ったんだ。おかげでヨーロッパでは日本製といえば粗悪品と決まってしまった。今やどれだけ安値をつけても、買いたがる奴などいない。支那の商品は売れるが、日本製はダメだね。」
明治の日本人ってそんな感じなのかな?
イヤマテ責任とか言ってたな......この人自身が粗悪品流通に関わっていた?
「オマケに儲かっている奴がいないという、君の指摘を解説してあげよう。」
おおそう来ましたか。
「実に簡単な理由だ。日本の商品はほとんど全て、この居留地を通して輸出されているんだ。」
ほ?
「つまり横浜・神戸やその他の居留地に点在する外国商館を通してだね。だって日本人のほとんどが、外国の客先なんぞ知らんのだからしょうがない。」
ああ、つまり、外国商館が全て握っちゃってると。
そーか居留地貿易ってヤツ。すげー昔学校で習ったわ。
「いわゆる居留地貿易という奴だ。外国商館は大儲けだよ。」
「つまり吉田さんご自身は、海外の客先を持っていると。」
俺がそう切り込むと、再びニヤリ。
「当たり前だよ。商品をいくら作ろうが、売る相手がいなけりゃ商売にならん。中間業者が入れば利益は薄くなる。」
それがアナタの成功の理由ですか。
先ずは外国商館で働き販路を知る。そうして独立して販路を掻っさらう....そうかジャーディン・マシソン在社時に個人の資本を手にしたっつう事は、背任行為に近い事をしたのかもな。
この人結構やばいヤツだなぁ。敵もかなり多そうだ。
「君が気付いた以上、競争が激しくなるわけだな。」
「そうかもしれません。それでも先行者である吉田さんの優位は揺がないでしょう。」
ニヤッと笑う吉田さん。しかし「言うは易く」、実行には途方も無い努力を必要とする。
やれる物ならやってみろという、余裕の笑いでもあるだろう。
「それじゃ後発に甘んじていただけるわけだ。」
「いや、それじゃ面白くありません。」
正直者では無いにしろ、随分とヒントを貰えた。
ヒントというよりオマエには無理だと言いたかったのかな。
俺は吉田さんにニヤリ返しで頷き返した。やってやろうじゃないの。
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翌日、俺は工部省へ。
中上川さんはまだ工部省で引継ぎの真っ最中だったので、お時間をいただく事に。
俺が小部屋で待っていると、中上川さんと一緒に何やら偉そうなお方が.....。
「犬養くん、コチラが山尾工部大輔殿だ。」
出たよ次官クラス。
いきなりそんな偉い人に会わなくてもいいんすよ!
「君が犬養くんかい!予算握っとると聞いたよ。よろしく頼む!」
そんなもん握っちゃあおりません。
まいったなぁ、今日は内情を探る程度にしようと思って来てるのだが。
「日本の未来は工業にかかっておるんでありますよ。今回の予算は何とか通してもらいたい!」
次官クラスから直訴される。断りにくいよねコレは。
「計画は拝見いたしました。さすがは海外で勉強された山尾工部大輔殿、国の基礎となる工業への思いに感じ入りました。」
ウムウムやってくれる2人。
「ご計画は遠大かつ詳細に渡り、多大なる予算が必要となる事、十分に理解できております。」
更に激しく首を振る2人。
「しかしながら日本国には今そのような巨額の歳入はなく、ない袖は振れぬのが道理。」
ピタリと止まる首振り。
「では何か....君はその重要性を理解しながら、銭は出せんと言うのか!造船、製鉄、鉱山開発!全て国の礎となるからこそ....。」
「いや、出せぬモノは出せませぬ。」
ここまで新人の一担当に言われる事も無いのだろう。
いや俺だって今日はこんな話するつもりじゃなかったけどね。アンタが悪いよ、中上川さん。
「な、な、な....。」
2人で赤くなっている。ここで一言。
「しかし無いモノは稼げばよろしい。それも世の道理というモノです。」
「ナニ?」
脱力する2人。
「工部省は確かに優れた技術の導入を進めていくお立場。しかしそれだけでは国は栄えていきません。海外へ売れるものを作る。それもまた工部省のお役目ではありませんか。」
「それは....やがてこの技術が。」
「確かに10年20年先には、この技術も身を結びましょう。しかしそこまで国の民は保ちません。技術残って国滅ぶでは、民も浮かばれますまい。」
「ぬぬぬ...。」
だから喧嘩売りにきたんじゃありませんって。
「絹糸を海外に売り込みませんか?」
「ナニ絹糸?」
「軽工業だって立派な工業ですよ。オマケに生産背景も従事者も揃っている。」
それを聞いた山尾さん、フンと鼻で笑って言う。
「君は我が国の絹糸産業の程度を知らんのだ。かつてヨーロッパではな....。」
「粗悪品と蔑まれ、誰も買わぬのは知っております。」
腰を砕かれ再びヌヌヌの山尾さん。
「だったらそのような戯言を....。」
「品質は改善できます。」
俺は再び腰砕きの合いの手を入れる。
「紡績技術者を海外から招聘しましょう。我が国の紡績の問題点を洗い出し、研究所を作って商品研究をいたします。コレならば数年で海外に売り込む商品が、国内でも造れるようになるはず。」
「しかし犬養くん、一度着いた悪い評判はナカナカ消えるモノではない。」
中上川さんも疑問を呈する。
「なので今度はヨーロッパには行きません。アメリカへ持っていくのです。」
「アメリカへ.......。」
2人は同時に声に出す。巨大な未知の市場だ。そこでは評判に傷が付いていまい。
「外務省と協力して、アメリカ公使館で商品展示会を行います。客先へ直接接触し、品質の高い商品を廉価で卸すのです。誰も文句は言いますまい。」
2人は唖然として声もない。
「軽工業こそ外貨獲得の突破口に、ひいては建国100年の計の礎となります。是非!お考えいただけませんか!」
地味で苦しい作業になる。それでも得るモノは大きい。
山尾さんは天井を見つめて黙り込んでしまった。
今日はこんなつもりじゃなかった....まあ話が早くなったからいいか。
急がば回れですよ工部大輔どの!
富岡製糸場は1872年に既にできてます。
それでも輸出品として生糸が伸びるのは大正期に入ってからなんですね。
いかに日本製品の評判が悪かったかが窺えます。




