東北沸騰②
6月中旬に東京へ戻った俺は、旅塵を落とす間も惜しんで郵便報知へと向かう。
地方議会の取材であれほど人気の少なかった社内は、見違える様な熱気に包まれている。
その中に進んでいって俺は、いつもの様に大歓迎を....うけることなく沈黙に迎えられた。
「木堂先生..お帰りなさいませ。社長と主筆がお待ちになってます。」
唯一口を開いたのは、先だって俺に言付けをしに来てくれた女史だ。
「ありがとう、通してもらうよ。」
「あの!先生!」
彼女は抑え切れぬ様に言葉を続ける。
「お2人が朝から言い争っていらっしゃるのが聞こえて....皆気が気じゃないんです。」
なんの件で揉めているかはよく知っている。
途中で一報入れておいたのだ。『フクシマ、イッショクソクハツ』と。
皆の視線が俺に集まっている。
期待する様な、恐れる様な微妙な雰囲気だ。
彼らの意見もきっと一様ではない。
事実関係を報道するだけでも、かなりの検閲を受ける事になるだろう。
ましてや農民側の肩を持つ様な記事を書けば、或いは発行停止処分もあり得る。
執務室のドアをノックして、磨りガラスで仕切られた部屋に入る。
栗本先生と藤田さんが、堅いソファに腰掛け向かい合っている。
ピンと張り詰めた空気が、藤田さんが口を開いて少し緩んだ。
「ツヨシお帰り。ご苦労だった。」
相変わらずこの人は温かい。
「これを。」
俺は原稿を差し出した。
—― 福島県議会は福島県令三島通庸の暴政に対し、言論での抵抗を続けていたが、相次ぐ運動家の不合理な逮捕や議員自身への圧力に抗議するため、先頃武力蜂起に踏み切った。
県令三島が大久保利通の腹心である事は周知の事実、この一連の圧力の背後には内務省の思惑がある。県議会を設立することで民権運動家を分散させ、高額な税金を課して蜂起を煽り、地方の民権団体を弾圧するきっかけを作らせようとしたのだ。
すなわち政府は国会開設など実施しようと思っておらず、むしろ民権運動そのものを根絶やしにしようと目論んでいる。
ならばこの蜂起は政府の思うつぼであると言える。しかし福島県議会は、自身が犠牲になるのを厭わず、言論の自由を守るために立ち上がったのだ。
全ての新しい時代の政治を担おうとする者へ告ぐ、この義挙を見捨てては日本100年の計を過つ。
速やかに異議の声を上げ、福島の英雄たちを救え。 ——
俺の記事は要約するとこんな感じ。
読み終わった藤田さんは、青い顔をして栗本先生に原稿を差し出す。
先生はパラリパラリと原稿をめくり、読み終わって一言、
「号外でいくぞ。」
と言った。
カチコミだ!って言う、どこかの親分のようだ。
こういうの一回言ってみたい。
お気楽な事を考えている俺と対照的に、藤田さんは益々顔を青くする。
「先生!そんな事したら発行停止は確実ですよ!社員たちの給料も払えません!」
「やかましいわい!茂吉!オノレはいつから小役人に成り下がった!」
先生は一喝する。
この調子でケンカしてたんですね?まあケンカっていうより一方的な説教ですかね。
「この記事にある通り、内務省ひいては大久保利通が、議会設立なんぞ考えとらんのは明らかじゃ!オマケにヤツは地方議会をダシに活動家を誘き出し、難癖つけてひっ捉えようとしとる!何と汚いやり口!こんな男がのさばっておって良いんか!」
項垂れる藤田さん。
この光景よく見ますよ、ええ、違う場所ですがね。
「先生いい加減...おやめ下さい。職員たちに何と説明すれば....。」
栗本先生はイケイケである。藤田さんが手綱を取ることで、会社としてのバランスを取ってきたのだ。
こんな記事持ちこんどいて何だが、藤田さんのご苦労が伝わってくる。
「オノレはチッサクまとまっとるのう?」
容赦ねえジジイだ...パワハラはダメですよ。
「ワシの会社に発行停止食らったぐらいでシノゴノ言うヤツは居らんわい。一月ぐらいならワシが借金してでも払うてやる!分かったか!」
藤田さんは大きくため息をつくと、諦めた様に部屋を出て行った。
「ツヨシ、ワシャやり過ぎかの?」
しばらくして先生は少し気弱な感じで俺に尋ねる。
こういう所がこの人は温かい。
「先生は間違っておられません。もしお2人が号外を出されない様でしたら、俺が今の先生のセリフを言うところでした。」
そう言うと先生は大声で笑い出した。
「危ないとこじゃった。ワシも言いながらビビっておったが、ツヨシに一喝されるよりはマシじゃ。」
嘘はいけません先生。
アナタがビビってるなら俺はチビってますよ。
「ソレと先生、もう一つ特ダネです。」
「む?」
俺は手元の原稿をもう一つ取り出して見せる。
再びパラリパラリやった先生は、今度はさっきの藤田さん並みに青くなる。其処に書かれているのは、陸軍改革派の綱紀改善要求及び、山県陸軍卿の辞任要求だ。
『山城屋文書』の証拠保持者として、鳥尾中将の名前がハッキリと書かれている。
「ツヨシこりゃあ....いつの話だ?」
「まだ起きていない事件ですが、今日明日には起こるでしょう。裏が取れたらこちらも号外でお願いしたいんですが。」
栗本先生は仰け反って、堅いソファに背中をぶつける。
「これは....オヌシ何だってこんな事掴んどる?」
「情報提供者がいます。」
俺は慌てる事なくそう言った。だってホントにいるもんね。
「内容に間違いは無いんだな?」
「ウラは取れてます。」
よしっ!と先生は叫び、バシッと膝を打った。
「一つ出すのも二つ出すのもおんなじじゃあ!やってやろうじゃねえか!」
栗本先生はそう言うと、号外だ!号外だ!と叫びながら、俺の原稿を持って飛び出して行った。
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その翌日、俺は報知のデスクで連絡を待っていた。
記者は皆、たすき掛けで事務所に陣取っている。自分たちで号外をばら撒くためだ。
最悪ばら撒く最中に、警官に逮捕される恐れもある。
家族に一言告げて出勤してきた者も多いそうだ。
だがつまるところ俺たちは、今日に限らずいつだって戦っているのだ。
毎日、取材するたびに、記事を書くごとに、周りの人間を傷つけもする。
そこで躊躇ったり、妥協したり、ビビったりしている。
記事を書くという覚悟。それが引き起こす影響、他人の名誉の侵害、それに対する報復。
本当に怖いのはいつの間にか加害者になる事だ。
だから警官に捕まる事が、世の中で最悪の事柄じゃない事を俺たちは知っている。
電報が届いた。『カネオクレ タロウ』
福島でハチローさんが行動を開始した合図だが....絶望的に緊張感に欠ける。
遺憾ながら同じ文がゴローさんの自宅へも届く。その後陸軍も動き始める。
この時代の電報だから、福島では既に数日前に行動が始まっているだろう。
「始まったようです。」
俺はあたふたと執務室の藤田さんへ告げる。
「そう、じゃあ行こうか。」
藤田さんはまるで、近所へ出かける様にサラリと言った。
手綱を握る側ではあるが、この人だって戦う男なのだ。
「行くぞ!」
俺たちは執務室を出ると、事務所で鉢巻き姿の仲間へ怒鳴る。
「応!」
叫んで立ち上がる仲間が、号外を握りしめ街へと飛び出した。
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「おおおい!危ないけん下がっとれえ!」
ミツルが大声で県庁入口の門番に声をかける。
警官姿の男が、3人ほど怪訝そうにこちらを見ている。
「オメエ何言い出すんだよ!」
俺が注意するが、ミツルは平気な顔だ。
俺たちは今や、お互い本名で名乗りあっている。
ツヨシが取り持ってくれた間柄だが、アイツの紹介とは思えないほど粗暴な連中が集まった。
俺が引き連れる『熊本連合隊』といい勝負だ。実際なかなか気が合う。
「いくらイケスカン県庁の職員でも、親もおりゃ子もおる人間ばい。なるべく怪我せんほうがよか。」
そう言いながら手下たちに合図する。
程なく門は、天を揺るがす様な轟音とともに、土煙で見えなくなった。
俺たちが伏せる位置にまで、爆風で土塊がパラパラと飛んでくる。
確かに....声かけといて正解だな。うん。
門に立ってたら確実に死んでいる。
轟音は暫く耳の奥で鳴り響いていたが、土煙が風に流されると共に段々と物音が聞こえるようになっていく。
「いや〜ヤッパすっきりするばい!発破はええもんじゃろう?」
「.....味方まで腰が抜けちまったがな。」
うむ、どうやら熊本連合隊よりもゲリラ要素が強いようだ。危な過ぎるぞコイツら。
俺はヒロやんと愛沢に声をかけ、後ろで平伏している農民たちにも突撃するよう叫んだ。
「お前ら行くぞ!!百姓の根性見せてやれや!」
「おおおおおおおおおおお!!!」
俺と一緒に走り出したのは、ミツルと福岡向陽社の若造たち、ソレと熊本共同隊の猛者たちだ。
百姓連中は腰が抜けて付いてこれねえな。ソレでも県庁だけなら何とかなるだろう。
この後警官隊が来るまでに、百姓たちにも立ち上がってもらわねえとな。
「ソイヤアアア!!」
また誰かが爆薬を使って、恐ろしい音が行手から上がる。
俺たちは地面に突っ伏して、爆風がおさまるのを待つ。
「ミツルてめえ!爆薬使うのもう止めさせろや!!危なくてしょうがねえだろうが!」
「いや〜すまんすまん。ミンナ昂奮しとおばい!」
誰だコイツ連れてきたのは!
興奮するとダイナマイト投げるって、ゲームキャラかよ!
「そらお前ら〜!!後は野となれ山となれたい!!」
「いやそうじゃねえ!!ちゃんと指示出せや!」
向陽社の暴れ者達は、木刀を引っさげて突撃を始める。
警備の警官達はとっくに逃げ出し既に姿もなく、中には数十名の職員がいるだけだ。
歓声と怒号が飛び交い、土煙が舞い上がる。
後ろからようやく立ち直った農民達が、手に鍬を持って恐る恐るついてきた。
こうして福島県庁は....わずか数時間のうちに制圧されてしまった。
「なんじゃ...物足りんこっちゃねえ。西南戦争とは大違いじゃ。」
ミツルはぶつくさと文句を言う。
イヤ....死人が出てねえのは奇跡だろコレ.......。
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「大書記官どの!大書記官どの!」
執務室の扉が激しくたたかれ、私は書類から眼を離した。
私は自分の執務にあてる時間を、他人に邪魔されるのが好きじゃな無い。
もちろん立場上そうも言ってられないのだけど。
扉の開けると警保局の書記官が、ソワソワと慌てた様子で立っていた。
「何用だ?」
「執務中申し訳ございません!局長がすぐにも大書記官へお知らせせよと.....」
通常のことでは無いらしい。
私は彼を執務室へ通し、事情を聞こうと座らせる。
「すぐにも警保局へ....いえ....大久保卿へご報告を!」
この男はダメだなと採点する。
警官は秩序を重んじる者でなくてはならない。
ただ正義を愛するだけでは、警官たる資格はない。
重要なのは危機に際して秩序を重視できるかどうか、ソレが全て。
「何をするかは私が判断する。状況を報告せよっ!」
男はたちまち自分の失態に気付いたらしく、直立不動となって報告を始めた。
「はっ!申し上げます!!三浦梧楼陸軍中将はじめ陸軍将校20名が、太政大臣三条卿へ軍の綱紀改革建白書を提出されました!」
え?ナンだって?
「ソレは....受理されているのか?」
「はっ!三条卿はご受理されましたが、将軍以下20名は既に拘束されており....。」
「受理しただと!!馬鹿な!!」
何てことするんだ!コレだから公家は政治に関わらせるなって言うのに!
「直ぐに大久保卿へ報告する!お前は直ぐに警保局長を連れて参れ!!」
「はっ!しかし...局長は既に三条卿のもとへ....。」
「今すぐ呼び戻せこの愚か者が!!!」
書記官は転がるように部屋から出て行った。
勘弁してくれ....人の苦労も知らないで!
私は再びデスクに腰掛ける。
落ち着け....落ち着け。
コレはツヨシくんの作戦がまだ生きていたということだ。となれば綱紀改革だけでなく、国会開設の意見書も出されているはずだが、その報告は無かった。
作戦を変更したのか?ソレともこの後出すつもりか?
まさか正面から提出して来るとは....オマケに受け取るなよ!!バカか!今上陛下にお見せするつもりか!
まあいい。山県卿を封じ込めるだけなら、願ったり叶ったりだ。
将軍たちは拘束されてるっていうし、この後どうにでも口は封じれるだろう。
民権運動組織の弱体化も進めている。
当初は軍と民権運動の両面作戦だったけど、ツヨシくんがこの後どう動いても、国会開設の目はない。
だってその準備のために作られた県議会が、全然役に立っていないんだからね。
県レベルで出来ぬものは、国レベルでも出来ない。
近くそう結論づけ、凍結するから。
私は自分を落ち着けると、重い腰を上げて大久保卿への報告を考えた。
やれやれだ。
コレに比べれば民権運動家など、子供相手のようなもんだよ。




