菜種梅雨
ご無沙汰しました。
長期にわたり更新滞ってしまい、申し訳ありません。
明日から職場復帰します。
更新も頑張ります!٩( 'ω' )و
三田の福沢家に戻った日は、雨が降ったり止んだりの夕方だった。
4日ほど留守にしていた事もあって、お子様たちの歓迎は熱烈。なかなか終わってくれない。
特にお俊ちゃんはしがみつき状態。夕食が終わっても俺から離れようとしなかった。
仕方ないのでお風呂に入るまでは、おさん・おふさお姉ちゃんたちとお話ししてあげる事に。
ようやく奥様に引き剥がされるように、お俊ちゃんはお風呂へ連れていかれ、俺は先生と晩酌を付き合う事になった。なんとも世話焼ける親子だ。
「政府が少々おかしな方向に動いているな。」
「おかしいですか。」
先生はムッツリと呟きながら、珍しく日本酒を飲んでいる。
窓の外は、霧のような雨が降り続いている。
「うむ、どうやら政治集会の取り締まりを強めるために、集会条例の強化に動くらしい。」
「あ~やはりそうですか。」
「心当たりでもあったのか。」
先生はギロリと俺をにらんで言う。
機嫌は悪そうだが、原因はどうやら俺じゃなく政府の動向にあるようだ。
「はい、先日取材をした政治集会で感じましたが、取締り対象を演説内容と公務妨害に限定していると、民権運動団体の勢力を削ぐことはできません。政府が民権運動を本気で潰そうとするなら、集会参加者を逮捕する方向に進むだろうと思っていました。」
「なるほど、政府内で国会設立否定の勢力が台頭しているのか。山県への叙勲は先送りとなったらしいが、それに対する腹いせか?」
ハチローさんたちののキャンペーンが激しさを増し、今や山県卿といえば『収賄』というイメージが固定した。大手新聞社は全てを公開していないが、口伝えで噂は広まっている。
受勲延期も明らかにこの影響だろう。
また先生は機嫌悪そうな顔に戻った。
俺が土産で買ってきた青梅村の漬物は、ウマイウマイと食べてはいるが。
「俺が聞いた限りじゃあ、大隈、伊藤は議会肯定派だ。色々反対の動きはあろうが、この2人が推進する限りなんとかなるだろう。」
先生は政府への無関心を貫いている。
しかしその態度は自身の不参加に限定されていて、政治そのものを軽視している訳じゃない。
むしろあらゆるコネクションを通して、自身の理想を政治的に実現しようと全力を尽くしている。
この時代の頭脳としての責任を果たそうと、常に暗躍....いや活躍しておられるのだ。
当然情報量は当代随一だろう。俺だって先生の情報源の一部なわけだし。
「聞いた話では大久保卿が、反対派の最大の後盾であるようです。」
「そのようだな。まあ元老たちは多かれ少なかれ反対だろうが。」
漬物をチビりと食べ、日本酒をまたチビりと飲む。
俺は日本茶でお付き合い。
「大久保の存在はデカい。他人にも厳しく、自身も犠牲を厭わぬ見事な男だ。」
「....そうなんですね。」
この人が政府の人間を褒めることは滅多にない。
ここのところ俺の中で急速に悪者化した大久保卿だが、人の評価ってそんな単純なものではないからな。
「だが厳しすぎる。あの男の下で出来る国に、一般市民が伸びやかに過ごせるゆとりはあるまい。」
それは嫌ですね。
「征韓論派を追い込んだのも、木戸とあの男だ。ここまでの日本には必要な人物だったがな....。」
ウーン、征韓論自体は先生も反対なのでは?戦争お嫌いですよね?
いやそれでも後に、朝鮮の改革派を支援するんだっけ....ここは余計な事を言わないのが正解。
そして先生は腕を組み、かなり長い時間考え事を続けたが、ふと顔を上げて俺に言う。
「ツヨシお前...大隈のところで働くか?」
「はい?」
思考の飛躍に追いつけず、俺はヘンな声を出してしまった。
「大蔵卿のところですか...。矢野さんが既に行っておられますよね?」
「うむ。実は矢野を通してお前にも打診が来ていた。」
マジですか?イヤこれ以上時間ありませんが.....。
「日本がまともに国体を改革できるか、この10年ばかりが勝負どころだが、俺が見るにその鍵を握るは大久保・伊藤・大隈そして山県。」
そこで山県卿も出てきますか。
「伊藤は慎重な男だ。保守的に過ぎるが道も外れないだろうが...。大隈卿はお調子者よ。抑えをつける必要があった。」
「矢野さんが抑えになりますでしょう。」
俺が言うのにフンと鼻を鳴らして、先生は言う。
「矢野は秀才だ。大隈を抑えよと言えば抑えるだろう。だがそれだけでは新しい時代は作れん。」
「時代を作るのは政治家でしょう。」
「そうじゃねえ。時代は気持ちを持っているヤツが作るんだ。政治家だろうが庶民だろうがな。」
矢野さんに気持ちが足りないって事だろうか。
「お前が大隈卿の下で働くべきかどうかは俺にも分からん。ただしお前に出来るかどうかって話なら、そいつは簡単だ。」
福沢先生の表情は不機嫌なまま、それでも俺を見て無理に笑ったようだった。
「新しい時代を作る。気持ちの面じゃあ、とにかくお前ほどの適任者はいないだろうよ。」
先生はそう言ってまた仏頂面に戻った。
それって...ほめてますよね?しかもこれまで聞いたことないレベルで?
つまり矢野さんは大隈卿の暴走を抑えるべく、先生に送り込まれた人。これから送り込もうとする俺は、大隈卿を動かす役目...かな?
4名の政治家のうち、大隈卿に最も可能性を感じているからこそ、自分の思う方向へ動かしたいのだろう。矢野さんと俺はブレーキとアクセルってことだ。
俺はお茶を少し啜って、先生の言葉を時間に落とし込んでみる。
大隈卿の下で働くことは、フルタイムの仕事となるだろう。
他のことは全て、慶應での勉強も含めて全て諦めなければならない。
「そのお話しお引き受けするとなれば、片手間仕事では済みそうにありません。今やっている事全てを放棄しての仕事となりましょう。大隈卿にその価値ありやなしや、是非お会いして決めたいと思いますが.....。」
俺がこう言うと、先生はようやくニヤリと笑った。
「大隈重信を値踏みして決めるか。いいだろう。」
こんな風にして、この日は雨が降りっぱなしだった。
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翌日も雨は降り続く。
俺は午前中の授業をそこそこに、ゴローさんに電報を打った。
直接の連絡はなるべく避けるため差出人は『備中人』であり、文面には要件を何も告げずに期日だけがいくつか書いてある。
返信はゴローさんの都合いい期日を選んで送られてくる、はずだ。
午後は振亜社で支那語の授業。
過酷なカリキュラムの結果、生徒は当初から半減してしまった。
曽根さんは泣き顔で俺に苦情を訴える。
折からの雨で着物はすっかり濡れて、何かもう威厳も何もあったもんでない。
流石は土下座侍。
「犬養どのお!コレではワシが軍のお偉方に顔向け出来ぬ!」
「大丈夫ですよ曽根さん。むしろ不適格者が炙り出されたとお考え下さい。」
俺は全く平気である。
軍派遣の人に関しては流石に脱落者は少ないし、残った人たちはかなり優秀だ。
まあジャーナリスト目線でいえばだが。
「いやそうは言われても....ワシにも立場と言うものが...。」
残念ながらアナタの立場があった場面を見たことはない。
生まれながらの土下座サムライなのだ!諦めろ!
「犬養先生!本日もよろしくお願い致します!」
荒尾くんが元気に挨拶する。彼もこの数週間で驚くほど能力を高めた1人だ。
「先生、一つお伺いしたいのですが。」
何だ?横浜のラーメン屋に何か問題でもあったか?
もしくは君への報酬が、俺のラーメン代金として消化されているのがバレた?
「我ら陸軍士官学校では、卒業生と在校生の交流の場として、月曜会という勉強会を開催しております。」
荒尾くん小声で俺に説明する。イヤまた仕事?もう無理だって。
「この月曜会の場で、是非先生のご高説を賜りたく....。」
「イヤそれは無理。」
あまりにも即断したので、荒尾くんは驚いている。
「何と言っても時間が取れないし!オマケに皆さんの御要望にお応えするほど、俺は中国情勢に詳しくもないし!もっと適任の方がいらっしゃるでしょ。」
俺全否定。
荒尾くんはムキになって力説する。
「決してそのような事は!小官はコチラで学ぶようになり、他では身につかぬ多くを学びました。犬養先生の支那語と情報は正に天下第一人のそれでございます!」
いや嬉しいけどもう何も予定に入らない。
ココを継続していけるかどうかも不確定なんだから。
「勉強会として一度お越しいただければ良いのです。当然お礼はご用意いたします。」
「いや謝礼の問題じゃなくて.....。」
「是非お願いいたします!我らには正しい知識が余りにも不足しており...。」
「そこは今後、君たち勉強した者が補っていけばいい事で....。」
「何とかお願いいたします!次回は谷・三浦両中将もご参加いただく大事な会で.....。」
「おまえいまなんつった?」
荒尾くんがドサクサに紛れて聞き捨てならん事を口走った。
俺の剣幕に驚いているが、驚いたのは俺の方だ。
「あ、あの、いやコレはしたり。少々おしゃべりが過ぎまして...。」
「イイから教えなさい。」
脅しスカしながら聞き出すこと数十分。
つまりこーゆー事らしい。
①月曜会とは陸軍のエリート若手会であり、現状の陸軍支配体制に不満を持つ『反主流派』
②近年主流派に不満を持つ者が増え、陸軍内でもかなりの影響力を持っている。
③現在話題となっている『山城屋文書』を上層部に追求していく立場。
④同じく現体制に批判的な谷さん三浦さんは、月曜会の支持を集めている。
「犬養先生!もうこの辺で!コレは陸軍内部の事情でありまして....。」
「ハイハイ、そりゃそうだよね。俺は何と言っても新聞記者だし、これ記事にしたら無事じゃ済まない人も出るだろー。」
荒尾くんはマッサオになって黙り込む。いかんイジメてる場合ではない。
「安心しなさい。別に誰にも言わないから。」
「ホントですか〜?」
あの3人は順調に勢力拡大を果たしているらしい。ここは一つ、早めに打合わせをしなければね。
「月曜会についてはよく分かったよ。講義が出来るか時間検討してみるから。」
「イヤ...何故かもうどうでもイイよーな気分です。」
荒尾青年は顔色が優れないままである。
だが彼の話した内容は、谷さん達によって俺に伝わるはずだった情報を、たまたま先に知ることになっただけだシンパイスンナ、と心の中で言っておく。
しかしなるほど、陸軍内にも反主流の流れがあるんだ。そして俺が送り込まれようとしている大隈卿も、史実で言ったら政府内では反主流だ。
俺の中で徐々にではあるが、コワシさんへの対抗方法が見えつつあった。
春の命を支える雨が、音を立てずに降り続く。




