関係決裂
青梅からスタスタと甲州街道に入り、ひたすらに東へ歩く。
道沿いは美しい川が流れ、振り向けば彼方に富士山が頭を覗かせる。
春先の多摩は美しかった。
俺とハチローさんが八王子宿に到着したのは、夕方前のことだ。
「八王子って意外に栄えてんだなあ!」
不思議そうに叫ぶ肥後男児。うるさいですよ。
「この時代は宿場町と生糸の生産地として、ここには金が流れ込んだんですよ。コワシさんも今日は、生糸産業の投資家と話をしに来るそうです。」
「オマエって実は歴史に詳しいんじゃねえの?」
「コレは転生してからの知識です。新聞読んでください。」
俺たちはコワシさんから指定のあった、比較的新しい宿屋を見つける。
「かざみ屋さん、ここですね。」
「新しい宿なんだな。」
入口に使われている木材も、まだ真新しい木目が爽やかに目に映る。宿帳で確認すると、コワシさんは未だ着いていないようだった。
「八王子って東京じゃねえの?」
「この時代は未だ神奈川県ですよ。」
部屋に落ち着いた俺達は、ハチローさんのかなりあやしい地理的知識について語り合う。
「いや東京で勉強してたこともあるんだけどな。」
4・5年東京に住んでいたらしい。
ナニも学んでないじゃないですか。
「その頃に中江兆民とかと知り合ったんだ。周りの影響もあって段々と民権運動に引き込まれた。」
中江兆民ってアレですよね。ルソー訳した人。
ハチローさんゼンゼン勉強好きには見えませんが、一応勉強してたんですね。
「この人生の実家は地方の領主でな。ガキの頃から、水呑百姓たちの救いになりたかった。民権運動ってヤツに、可能性を感じたんだろうな。」
ハチローさんの実家は、かなり大きな地主であるそうだ。
「本当にそれだけだったんだ。」
風呂に入ってくる、と言ってハチローさんは出ていった。
お互い自分の事をあまり話していないが、こういう真面目な話は照れるモノらしい。
普段は暴力的側面が目に付くだけに、テレ八郎はかなり新鮮だ。
俺が暫く一人で茶を飲んでいると、宿の下男がお客様ですと告げに来た。
チョットして廊下の軋む音が聞こえ、コワシさんが部屋に入ってくる。
「お久しぶりです!コワシさん、俺話す事が山のようにありますよ!」
俺は窓辺にもたれかかりながら、入口のコワシさんに声をかけた。
「うん、私も何処から話していいか....。ハチローさんは一緒に来なかっんですか?」
コワシさんは前回あった時より、青白い顔をしている。
忙しすぎるんだろうか。
「一緒ですよ。今風呂に行ってます。」
「ああ、それはいい。ツヨシくんも行ってきたらどうです?」
どうも落ち着かぬ様子だ。
「いえ、俺は最後で結構ですから、コワシさんお先にどうぞ。」
「そう...だな。いや後にします。」
そう言ってコワシさんは部屋の中央の座椅子に座る。
俺は茶を入れて差し出した。
「コワシさんお荷物は?」
「うん?ああ、私は八王子宿では、いつも決まった場所があるんです。内務省指定の古臭い宿がね。君たちには新しい処がいいと思って。」
ナニかがおかしかった。
ソレはかつて戦場で感じた、躊躇いの伝わる感覚。
この場から逃げ出したいと思っている空気感。
「まずいことでもありましたか?」
「え?いや、ナニモナイデスヨ?」
イヤイヤ不自然すぎですよ。
「いや、ならいいんですが。」
俺がそう言うと、ふうと息を着いたコワシさんは、微笑んで話し出した。
「いや、むしろ先にツヨシくんに言っておくべきですね。」
緊張が抜け、雰囲気が変わったようだ。
「私は今進行中の作戦、多少の方向転換が必要と思うのです。」
今度は俺が緊張する番だった。
「私たちの作戦上、決めていたことはいくつかあるが、国会開設要求に関しては、取り決めてなかったはずです。」
は?なんだソレ?
「....そうでしたっけ?」
「そうとですとも。ソレにこのペースは少し早急すぎます。本来は一度集まって、会議しようと言っていたはずです。」
そうだったかもしれない。
でもソレがなんだって言うんだ?遅かれ早かれ、ソコには到達しなきゃあいけないでしょうに?
「でも国会はいずれ開設されるべきですよね?」
「それはそうかも知れません。だが今は困ります、あまりにも早すぎる。」
「イヤでも.....。」
彼が何を言っているのか分からない。
「山県卿を封じ込めるのに、国会開設要求は必要ないでしょう?史実で国会が開始された時でも、国政は混乱し、日本の成長には何ら貢献がなかった。」
コワシさんは湯呑みをごとりと置いて言った。
「ここでその開設を早めれば、混乱に拍車がかかるだけです。山県卿の問題と国会は切り分け、民権運動家たちに要求を撤回させましょう。」
「悪いがソレは出来ねえ相談です。」
いつの間にかハチローさんが入口に立って、こちらの話を聞いていた。
「俺たち熊本共同体の者達が、どれほど犠牲をはらったのか少し考えて貰えますか。」
ハチローさんは見るからに怒っていた。真っ赤である。赤ハチローである。
「一体なんだその理屈は?多数の合議制になれば、多少の混乱が起きるのは当たり前の話でしょう。アンタがた政府の偉いさんは、上が決めたことをやるだけだから、そりゃあ混乱は起こらねえよ。」
部屋の中央に進んで、ドカリとコワシさんの向かいに座る。
「その代わり大間違いを起こすじゃねえか!戦争とかよ!」
コワシさんは目を逸らさない。
「その通りです。愚かな元老、愚かな国会、甲乙付け難く無用の存在です。」
ハチローさんの眼は、憎悪でギラついている。
「やっぱり....君の暴走だったんですね、ハチローさん。」
「いや、それは違います。国会開設要求は俺の入れ知恵でした。」
俺が言うとコワシさんはおや、という表情をした。
「そうですかー、ツヨシくんのね。まあだからって状況は変わらないですがね。」
「そうだな、状況は変わらねえ。」
ハチローさんが唸る。
「そもそもアンタと手を結ぶってのも、目的が一緒ならってのが前提だ。いくら同じ転生者であろうが、民権運動を妨げるやつァ俺達の敵だ。」
「いや、そんな...ハチローさん。」
俺はそう窘める。同じ未来から来ている俺たち、同じ価値観で生きていた俺たちが、なんで協力し合えないはずがあるのか。
「ふむ、ブレないお考えだけは立派です。しかしそれも歴史を理解していないから、未来から来ようが正しい方向が見えぬだけです。」
このままでは目的も達成できぬまま、俺達の協力は終わる。
「コワシさん、俺にも理解できません。国会開設を目指さないなら、あなたの理想って何なんですか?」
コワシさんは表情を変えない。
1番最初に出会った時の、俺たちを見て嬉しさの余り泣き出した、あの人と同じ人なのに。
「私は日本を無キズのまま、強く偉大な国に育てたい。」
ハチローさんはケッと吐き捨てる。
「日本史上最大の政治家である、大久保利通が存命ならば可能な事です。私は彼を補佐しつつ、歴史を改変する。」
「国会を作らないつもりかよ。」
「当初は国会を作らないなど無理だと思っていましたよ。」
コワシさんは余裕がある。既に権力の側にいる余裕が。
「今ならできるって事ですか?この状況で、開設要求を弾き返せると?」
「出来るわけねえよ!ツヨシ、そいつはヤケクソになっているだけだ。」
コワシさんはゆっくり立ち上がる。
「なる様にしかならないでしょうね。2人と協力出来ないのは本当に残念です....。」
「少なくとも連絡は取り合いましょう、コワシさん。俺達はたった3人の仲間じゃないですか。」
コワシさんは俺の方へ振り向く。
「紅葉館へ連絡下さい。必要な時にね。」
こうして俺達の協力関係は、呆気なく終わりを迎えたのだ。




