歴史を変える者
内務省は警察・土木・交通・郵政などの7局を束ねる、明治政府の中核となる省だ。
その組織は政府最大権力者が作り、本人によって運営されている。
言わずと知れた大久保利通卿、私の上司でもある。
私は前世において明治時代の歴史愛好家であり、大久保利通の崇拝者でもあった。
いまこうしてその偉大なカリスマと仕事を共にできるのは、無上の悦びだ。
1月にアレほど降った雪はもう跡形もなく、春の訪れが微かに感じられる。
かつての正月を旧正月と呼び、姿かたちをすっかり変えた日本。
それでもなお、旧世代の抵抗は鳴りを潜めない。
仮省舎の薄暗い廊下を歩きながら、私が嘆くのは彼らの想像力の貧困さだ。
そんな輩が反乱や民権運動を振りかざし、国力の衰退を招いているんだ。
国を愛する気持ちなど欠片も無い旧世代。
私は以前の上司であった、江藤新平を思い起こした。
司法の正義を盾に、政府内で大騒ぎを巻き起こした挙句、征韓論に敗れて佐賀で反乱を起こし死んでしまった。
自ら参加した政府が自分の理想と離れた時、もう一度戦争してリセットしようなんて、特権意識に固まったワガママでしか無い。
私は自身と彼とを比べ、どこか同じ方向へ進みつつあるのを感じていた。。
転生者として歴史を知っているのに、歴史を変えようとする自分は歴史の流れに抗う江藤新平と何ら変わりがないのか?
廊下が尽きたその場所にある、大久保卿の執務室のドアをノックする。
この建物はその主人と同じように、静謐でゆるぎない。
中から響く唸り声のような返事を待って、私はドアを開け室内へと入っていく。
「井上です、お呼びですか。」
「うむ。」
ヘビースモーカーが主の室内は、パイプの煙で白く烟っている。
煙の発生源である大久保卿の後ろ姿が、部屋の奥に微かに見える。
卿は椅子を引いて立ち上がると、応接用のソファへ掛け直し、身振りで私にも座るよう促す。
無駄な言葉は喋らない人だ。
「昨年の戦費の膨張が、国費に与えた影響が大きすぎる。」
大久保卿は唸るように言う。
かつて西郷が『大久保の低い声には気を付けろ』と言ったとか。
自分自身を押さえつけるような、機嫌の悪い悪魔のような声だった。
機嫌の悪いのは仕方ないけど、西南戦争は私に阻止できるような類のモノじゃない。文句は西郷隆盛と山県有朋に言って欲しい。
「鉄道敷設計画は見直さざるを得ない。」
「すでに民間主体の計画を盛り込んでいます。」
余りにそつなく答えるのも考え物かな?少しは苦労の跡も見せなければ。
「官費の工場も払い下げる、鉄道もくれてやる。なのに財閥のやる事は、税金逃れの収賄ばかりよ。」
言葉で人が呪い殺せそうなほど、大久保卿の放つ言葉のその密度は重い。
大概の官吏が恐怖のあまり口も聞けなくなる中で、正確な返答ができる私は重用されている。
「お怒りはごもっともです。財閥のやり方には、必ず対抗措置を取ります。」
ふーっと大きくため息を吐き、大久保卿は話を続ける。
「山県の受勲の話は聞いているな?」
「来月すぐにもと伺っていますが。」
今日は良く喋られる...コレは注意しなければ。
「各地から民権運動組織の活動が、活発化しているという報告が入っている。その内容は判で押したように『山城屋事件』の証拠書類が残されている。というものだ。」
私はウカツにもふと目を上げ、呪いの光を発する卿の眼光をまともに受けてしまった。
「5年前に収束した事件に、今更証拠品が出てきているという。井上、オマエはこの件知っておろう。」
.....危うく石になるところだ。危ない危ない。
「この件、卿にはご報告申し上げた通り、私と同じ状況の者が動いております。全ては山県卿を封じ込めるため。ひいては大久保卿の理想を達成するためです。」
卿はジッと私へ視線を送っている、ような感じだった。
まともには見れないが、視線の当たっている場所がジリジリ焼けているように感じる。
「ふん、まあ良かろう。」
殺人光線が少し弱まったようだ。
「山城屋事件をウヤムヤにしてしまったのは、西郷さんの責任だ。あの時に山県などバッサリやっておけば良かったものを。」
「卿も当時は山県卿を支持されておりました。」
「言うな、オマエが未来の話を、儂に聞かせる前の話じゃ。」
大久保卿は深めにソファへ沈み込む。
「だがおかしな事がある。各地で騒いでおる民権運動組織の活動家たちが、山県の引責辞任とともに国会開設を要求しておるらしい。」
私は再びギクリとする。
あの時そんな話はしていないでしょ?あくまでも国会が開設されてしまった時に、国会操作の方法として2人を取り込む算段をつけただけの事。
「....それは.....民権運動家の何時もの主張でございましょう。」
だがそうで無さそうな事はもう分かっている。
大久保卿が無駄話のために私を呼び出すことなどない。何か情報を掴んでおられるんだ。
「政府に汚職の監視が務まらぬならば、国会を開設して予算を監視せよ、という主張だ。筋は通っているな。オカシイのは日本全国で同じ主張がされている事よ。奴らにそのような組織力があったとはな。」
嫌な予感がした。
「至急誰が動いているのか調べてみます。」
私は急いでこの場を離れようとする。
「オマエと同じ境遇の.....オマエの仲間が仕込んだのではないか?山城屋の件と併せてなあ?」
大久保卿には我々転生者について全てを話した。彼は全て知っているべきと私は判断したのだ。
彼が生き延びていれば、その後の日本の混乱は激減するだろう。
日本は無駄な体力を消耗せず、強い国へ生まれ変わることが出来る。私は自身が井上毅であると知ったとき、そして史実通り大久保卿の部下となったときに、大きな夢を見た。
大久保利通が生き残る日本の未来。それは恐るべき魅力を持って、私の眼前に広がる楽園だった。
その実現のためになら、私の持つすべての情報を彼に与えるのに、何の躊躇があるだろう。
「そのような報告は受けておりません。民権活動家の中に、組織をまとめている者がおるのでしょう。」
「板垣が?後藤が?中江が?アイツらにその様な才は無いわ!!!」
いや.....こっわい。
「私からは国会開設を進める事など、一切指示しておりません。かの者たちは私と違って、歴史などには興味もなく、私の指示以外のことなど思いつく事もありません。ご安心ください。」
「既に日本中で民権論者どもが、国会開設の機運を高めておる!オノレが安心せよと言ったところで、誰が安心できると言うのか!!!」
こ、こわすぎる.....体が動かない。
「オノレには何度も何度も申ておいたはずじゃ!!!ワシは暫く国会開設などに時間を割く暇はない!!!皇室と政府の一体化を進め、強力な統帥権を備えた立憲君主制への移行が可能になるまで!陛下が良識を備えた良き君主となるまで!こっかいなどは作らん!!忘れておるなら思い出せ!!たわけが!!」
一言も口をきけず、罵声を叩きつけられる。
口で人を殺す、最強の政治家。私でなければ耐えられるものじゃない。
いや.....そんな余裕はないんだけど。
「か、閣下、と、と、とにかく私がしりゃべてまひりますのれ、しばしお待ちお....」
「ふん、下がれ。」
下がれと言われて、突然呪いは解ける。
すぐさま後ろを向き、ドアの外へ。
叩きつける様にドアを閉め、その場で座り込んだ。
他の部屋から恐る恐る顔を出していた職員たちが、一斉に部屋へ引っ込んだ。
ふん、君達では無理だろうよ。
大久保卿の圧力にコレだけ耐えるのは。
重い体をどうにか引き起こし、私はヨロヨロと部屋へと戻った。
一体どちらがこんな真似を?
あの2人に私の指示を超えて、全国の活動家をまとめ上げれる事など出来るはずがない。
彼らにはこちらの必要に応じて動いてもらわなければ、仲間でいる意味もない。
私は再び薄暗い廊下を、執務室へと戻って行く。
前回彼らと打合せをしていて、突如ひらめいた作戦。
竹橋事件を契機に山県卿を封じ込め、大隈卿を政府に残して14年政変は起こさない。
そうなると国会開設の詔も発せられる事はなく、大久保卿の希望通りに事が進むはずだ。
史実のタイミングで国会が出来たとして、発生する出来事は全て国の発展を妨げる事ばかり。
大久保卿が暗殺されず生き延びれば、無駄なく日本は発展して行くんだ。
歴史を改変しよう。
偉大な国を作るんだ。
そのためには、民権論者を操る事ができる、私の存在こそ鍵となる。
それまであの方のプレッシャーに耐えられればだけど。
ソロソロ彼らと会うべきだな....私は少々焦っていたが、それでも混乱してはいなかった。
中々思うようには動いてくれないものだ。それでもまだ事態は手の内にある。




