怒りの矛先
袁世凱の視点です。
またしても文中、差別的言葉を使っております。
ご了解の上お読みください。
高宗17年9月19日(1880年10月22日)
清国の在朝鮮公使館は、景福宮を臨む南側の高台にある。
景福宮より低い位置には造れん。コレも奴らに『誰が主人か』をわからせる為だ。
色々と面倒なもんだな。
「袁閣下、兵曹参議の金玉均が御目通りをと参っております。」
金本が辨公室に入って来る。此奴は日本公使館で働いていた5人のウチの1人だ。
その5人が揃いも揃って清国領内生まれの朝鮮族、しかも日本語に堪能という拾い物だった。しかし現地名だと何奴も此奴も『金』姓だったので、面倒だから日本名で呼んでいる。
此奴らの領袖である金村には、日本に潜入して情報を収集中だ。
髪型まで日本風にしている奴らは、こんな時に滅法便利だな。
「分かった、応接じゃなく此処へ通せ。」
大っぴらに出来ねえ話なら此処に限る。先代の公使が使っていた応接室は、建物中に聞かせてやるほど声が響く、どだだっ広い開放的な作りだからな。
青白い顔をした金玉均が入って来た。イチイチ朝鮮人の顔を覚えちゃいないが、此奴とは何度か此処で密談をしているから覚えてはいる。
「袁公使閣下のお時間を妨げ、申し訳ございません。」
「いいって事よ。オレに味方する者に、オレはいつも寛大だ。」
深々と下げた頭の、馬鹿げた冠がピクリと動く。ふん、言い方が気に入らねえのか?
「まあ顔を上げてくれ。良かったらそこに掛けて、話をしようじゃないか。」
オレは鷹揚に、窓側にある紅木の椅子と卓子を指さす。
金玉均は清国風に礼をして、さっさと椅子に腰掛けた。オレが.....そちらに行くのを待ってから腰掛けてもイイんだぜ?この野郎。
ハッキリ言って此奴は気に食わねえ。
清国に靡く事大党の向こうを張って、独立党なんて言う馬鹿げた真似をしている奴らだ。
たかが朝鮮人のクセに、大清帝国から独立しようだと?
いいだろう。あの糞ったれドイツ人の始末をつけたら、その後でお前らの事を考えてやろうじゃねえか。
「事前に申し上げていた通り、本日は証拠の品をお持ちしています。」
金玉均は卓子の上に載せた大型の封筒を、黙ってオレの方へ押して寄越す。
そういやあ此奴の姓も『金』か。
オレも黙って封を開け、中の書類を改め....キレた。
「糞が!あの糞ったれ洋鬼が!だからあんな男を寄越すなと言ったのだ!馬建忠の老ぼれめ!」
思わず呪いの言葉が口を突く。中には英語と漢文、更にロシア語らしき文字で、朝鮮政府へのロシアの援助が記されていた。
金銭と軍事的援助、オマケに国王をロシア公使館へ保護するだと?その見返りはロシア海軍への軍港の供与だと?クーデターどころか国の簒奪じゃねえか。
オレは封筒ごと書類を卓子にたたきつけ、しばらく鼻息を荒くしていた。
だが向かいに座る金の野郎は、すました顔をしているだけだった。こいつが全てを捏造している可能性はねえのか....よく考えろ、袁世凱。
オマエは前世に比べて、良く回る頭を持っているんだ。ここで考えなきゃあダメなんだ。
オレは落ち着いて考えを巡らせてみる。そしてすぐに、これが嘘だろうが真実だろうが、こうであった方がオレにとって都合がいいのだと気付く。
独立党にとっても都合がいい、だから俺のトコに来たんじゃねえか。
まあここは乗ってやるか.....しかし一手斬り込んどかねえと舐められるな。
俺は突き放すフリして乗ってやる、そんな感じの芝居を打つ。
「どこまで馬鹿ならこんな取引に署名できる?朴定陽ってのは狂人か?」
兵曹判書(大臣)の朴定陽は、掴んでいる情報じゃあ此奴の上司、しかも同じ独立党の中心人物っていう話だが.....まあここまで馬鹿だから、仲間からも見捨てられたっていう事かな。
「金参議よ、お前さんは独立党などというけしからん徒党を率いている。宗主国たる大清帝国の威光をも恐れぬ、前代未聞の反逆者だ。そのお前さんがなぜ、大清帝国の公使たるオレに、手を差し伸べるような真似をする?」
オレはデカイ目を更に大きく見開き、視線で呪いを掛けるが如く朝鮮人を睨みつけるが、この病人のような男は平気な顔をしてうそぶいた。
「貴方さまも、あのドイツ人には相当に手こずっておられる様子。私共は朴判書の売国的な行いに、キツく制裁を加えたい。双方の利益になる申し出と考えております。」
青っ白い優男ながら、智慧の回る奴のようだな。
オレを使って政敵とロシアを出し抜こうっていう悪知恵を、これだけ抜け抜けと言い放つ度胸も悪くない。
「金参議、お前さん中々面白い男だな。」
胸糞悪いが気に入った。
「どうだ、オレと組まねえか?能無し揃いの朝廷政治家より、お前さんの方が役に立ちそうだ。オレの役に立つ限り、お前さんに朝鮮を呉れてやる。」
少し考えりゃあそんな訳ゃあねえと分かる。だが馬鹿ならこの手の話には飛びついて来る。
勿論オレが嘘をついたって事になるが、この程度の嘘に乗って来るなら、そいつの馬鹿さが底なしだってだけの事だ。例えここで俺に騙されなくても、いずれ他の奴に騙されてくたばる事になるだろ?
ところがこの野郎はオレの美味そうな罠を見ても、犬の餌ほどの興味も示さなかった。
「公使閣下、何やら誤解があるようなのですが。」
まるでさっきの誘惑なぞ聞こえませんでしたというように、此奴は平然と話をすり替える。
「私ども独立党は、決して大清帝国を蔑ろにしようというのではありません。この百何十年もの間、事実上無いも同然となっていた冊封関係を、外国がやって来たからと突然宗主国的振る舞いをする。そんな貴国に対して、其れは少々無理があるのでは、と申し上げているだけなのです。」
頭の回る野郎だ、ムカつくぜ。
事実関係が見えてる奴は厄介だ。俺が今朝鮮で、こんなに傍若無人に振る舞っているのは、その無いも同然の冊封関係を、あたかも脈々と続いていたかのように錯覚させるためだ。
嘘も百回言えば真実になる。だが事実関係を見失なわない奴は、百回目の嘘すら見破る力がある。
「大清帝国とは無論これまで通り、兄と弟としての関係を続けて行きたいのです。しかし、内政・外交において、朝鮮は独立した国家であり、閣下がモノのように誰ぞに呉れてやる、と言い得るものではありません。」
「金参議、よーく分かったぜ。」
オレは腹が立ってそれ以上聞いてられなかった。何を言いやがるこの野郎!お前らなんぞ大清帝国に帰依する、ちっぽけな動物のようなもんだろうが!
オレには良く分かったんだ。此奴は頭が切れすぎる。生かしておくと邪魔になるってな。
「お前さんたちの考え方はよく分かった。書類はこちらで使ってやろう。そしてさっきの話はもう二度と無い。お前さんが泣き喚いて後悔しようともな。」
オレは立ち上がる。再び先程以上の怒りが込み上げて来る。さっさと消えねえとその面に風穴ぶち開けるぞ!
「失せろ!そのツラ二度と見たくねえ!」
オレが喋り終わらぬうちに、金玉均はさっさと席を立ち一礼すると、スタコラと逃げて行きやがった。
「この薄汚え朝鮮人が!舐めるんじゃねえぞ!オレを舐めるんじゃねえ!」
オレは窓の外をさっさと帰って行く金玉均に、あらゆる差別語で罵り叫んだ。
「俺に盾突こうっていうのか!大清帝国へ弓引こうって?面白れえじゃねえか!どこまでやれるか、一度試してみるんだな!お前もお前の仲間どもも、惨めに這いつくばらせた後、豚みてえに殺してやるぜ!」
オレは頭がぼうっとなるほど、喉がカラカラになるほど叫び続けた。前世でくたばった瞬間にも、これ程怒りを感じた事は無かった。
公使館にはオレの呪いの声が響き渡り、職員達も下男下女たちも物音ひとつたてなかった。
景福宮へ歩み去っていく奴の足音のみがスタスタと通りに響き、オレは怒りの衝動に任せて数時間、部屋の中の全てを粉々にしていった。