改革者か反逆者か
朝鮮に戻りまして、頭山満視点です。
明治13年(1880年)10月20日
ワシ等が乗った船は、釜山で荷卸しをしたあと何やら保守点検ば必要じゃとなって、結局京城府にたどり着くんが随分と遅くなった。
使節団の一行はのんびりしたもんじゃったが、1人金玉均のみは落ち着かん様子で、釜山の港で苛立たしく船の修理を監視ばかりしとったもんじゃ。
『金参議、ドウシタカ?』
ワシが声をかけよると、玉均は振向かずに返事ばする。
『もう3日出発が遅れている。何故日本の港のようにキビキビと働けぬのか。』
むう.....ちょっと聴き取れんじゃった。まあイラついとるっちゅうこったい。
『急いでもシカタナイ、ゆっくり、ゆっくり。』
ワシは笑顔で玉均の背中をたたく。
すると奴はこちらをじろりと睨み、早口の朝鮮語で鋭く言った。
『トオヤマ、今回の貴君の助力には感謝しかない。それでも私は貴君の本当の目的に疑念を持っている。』
ああもう....もちっとゆっくり言えんかのう。
『ゴメン金参議、ハヤクチ難しい。』
ワシがそう言うと、気を削がれたように玉均は目をぱちくりする。
そうしてフフッと笑って今度はゆっくりと喋ってくれよる。
『全く....貴君は交渉上手だな。私も都合が悪い時に「ワカラナイ」と言う事にしよう。』
いやなんか気ぃ悪くしたんかのう。ワシホントに分からんかったんじゃが。
まあ大方ワシらの仕事が胡散臭い思うとるんじゃろ。実際メチャ胡散臭いし。
ゆっても諜報活動とまでは気付いとらんはずじゃ。精々が政府のコネばある腹黒い商人ってとこじゃろ。
まあそれでもあの男、今回の日本行きで随分と変わった。ワシに対する態度まで何やら紳士的になったようじゃ。ツヨシの話じゃ、よほど福沢先生との出会いが衝撃的だったらしい。
いい変化....じゃろ。懸念しとった日本の過激派との接触も無かったように思うし。
ワシは回想から現実に戻り、自分の店の前に立つ。
『遠山商会』は乾物・実用品・書籍なんぞを取り扱う店で、京城府の中では高級店じゃろと思う。
仕入れは興亜会ば通して、何でも三菱の親玉が提供してくれとるらしい。三菱って乾物やっとるのか?
むろん仕入れとは名ばかりで、タダで提供される商品。
ワシ等は適当な値段ば付けて売り払うんで、客が面白がって買っていきよる。それでも少し儲かったと思われると、泥棒やらヤクザ者が盗みたかりに押し寄せる。
其処を軍隊仕込みのワシ等の兵隊が、ボッコボコに叩きのめすけん、遠山の店は安全じゃと評判になった。買ったものを盗まれることなく家まで届けるんで、貴族連中の信頼を勝ち取ったちゅう訳じゃ。
別にそんな狙いがあった訳じゃなくぐーぜんなんじゃが....まあ曽根さんが大いにホメられとるようじゃし、計算通りという事にしてある。
何にしても貴族の屋敷に出入りすることで、思わぬ情報が手に入る。
更に例の変態預言者から入手できる、政府関連の情報とつなぎ合わせると、朝鮮の全体像ば見えて来よる。
半年ほどの間に此処まで来れたんは、運が良かった....だけでなくツヨシの仕込みがあったからじゃな。
「帰ったばい。」
ワシが玄関口でそう言うと、店におった店員たちが一斉に頭を下げる。
多少朝鮮語には慣れてきたが、こんな一斉に何ぞ言われても聞き取れるか。
「頭山さん、お帰んなさい。」
奥から的野半介がニコニコと出てきた。
「来とるか。」
ワシが半介にそう尋ねると、ヤツは笑顔のまま頷く。
「よくお分かりで。相変わらずキモかお人じゃ」
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「トーヤマ!キョウ帰ることはシッテイタ!」
せからしかっちゅーんじゃ。
ツヨシの紹介でなければ、こんな怪しいオッサンと付き合いを持つなどあり得んかったが。
この男、未来が見えよる。やけんワシと打合せが必要な時は勝手にやって来る。
今日も船が遅れとったのに此処に座っとるいう事は、やはり何かしら見えとるんじゃろう。
「東仁よ、やはり来とったかい。」
ふいーと大きくため息をついて、ワシは店奥の隠し部屋でどっかり座る。
10月終わりになって肌寒さを感じるが、まだ温突に火を入れるほどでもない。
尻に冷たい床の感触が伝わる。
黍茶を一口すすって、預言者はニヤリと歯の欠けた口を歪める。
「ブジニ終わってヨカッタ。トーヤマの二ホン行きはヤハリ吉ダ。」
思えばワシが積極的にこの件に関わったのも、コイツの助言があったからじゃ。
「ワシが行っとらなんだらマズかったんじゃろ?」
「ソウ、メチャマズ。」
何がマズかったんかは説明がない。それでもこのキモい顔を近付けて『オマエ日本イケ』と迫られれば、何処でも行っちゃるばいとなろう。
「コレデ揉め事のタネ、1つ消エタ。後はロシア。」
「おお、その件どうなっとる?」
訪日中に頭から離れんじゃった心配事の1つ。
「使節団がイナカッタ間、兵曹の朴判書はドイツジンとロシア公使館通ってイタ。ハナシ進んデル。」
コイツらの東学っちゅう宗教団体、何でも念仏で不死身になるっちゅう教義らしいが、下級役人や軍人が結構な数信者になっとる。
其処から入る情報は、驚くほど重要で正確じゃった。
「やっぱりあの判書の独走だったちゅう事ばい。独立党の主要な人物がほぼいなくなって、自由気ままにロシアと話が進めれると。」
東仁はワシの話に頷いて、この後の事を話し出す。
「独立党にトッテモあのドイツジン邪魔ね。朴定陽に暴走サセテ、ドッチモ排除するツモリ。」
「それはメレンドルフが嫌いな袁世凱にとっても、上手い話っちゅう訳じゃ。朝鮮人のやり方は陰湿よ。」
そうは言ったが朝鮮の様な弱国にとって、外国の圧力ば使いながら政治を進めるのは昔ながらの事。
「それで、この後どうなる?」
当初は全く信じていなかったこの男の予言も、此処までハズレ無しとなれば何となく頼りにしてしまうもんじゃ。
「トーヤマ、オレノ予言信じる。メズラシイ。」
東仁はキモ顔を歪めてぐはぐはと笑う。
「デモこのアト、少しミエニクイ。戦争のキケン減った。デモ清国アキラメナイ。」
東仁がニヤ付かんと真面目な顔をした。
「清国は日本と戦争ば望んじょると?」
「イケン1つじゃナイ。北京ハ望まナクテモ、戦争シタイ奴イル。」
李鴻章は先日、伊藤総理と会談したばかり。露国仏国との揉め事に手を焼き、日本とは事を構えんと言う姿勢じゃったらしい。
「袁世凱が戦争したがっとるのか....そりゃあオマエさんの見立てか、情報か?」
「ドッチモ。コノ前の戦い、袁世凱が仕組んダコト。奴ハとにかく、日本ト戦争シタイ。」
まーそーじゃったの。それにしても厄介な男よ。
若くして公使ば務めるほど優秀なくせに、なぜ清国政府の意図に反して動くのか。
それとも....表面的に清国は戦争回避の姿勢を見せとるだけで、実際には日本と戦うつもりなのか?
「玉均マタ日本へ留学スル、とてもイイ考え。新軍は日本ガ押サエル、東学はオレが押サエル、玉均朝鮮からハナレル。これで朝鮮の戦争起キナイ。朝鮮の戦争起キナイ、日本清国戦争起キナイ。」
コイツの見るところ、日本が清国と戦うとしたら、朝鮮の内戦に介入する以外ありえんちう事たい。
ロシアへの内通が取り除かれれば、内戦勃発の原因は今んとこ新軍のクーデターか東学党の蜂起くらいしか無いちゅうワケじゃな。
「それにしてもオンシ、玉均には厳しかね。アレはそげん戦争好きな男やと?」
ワシがそう言うのに、東仁は難しい顔で応える。
「アノ男は騒乱の宿命モッテイル。ウマく現レレバ改革者、悪くスレバ反逆者ニナル。」
「騒乱の宿命のう.....ワシにもそんなのがあるんか?」
「オマエは爆弾魔。」
「黙らんかい。」
店のモンが気を利かせて、熱燗とスルメを持って入ってきた。
東仁は嬉しそうに『サケ、サケ』とはしゃぐ。今や東学の教祖をより名高い『預言者』がコイツだとは、店のモンも誰1人気が付いとらん。
「この後が見えにくいとか言うとったな。」
東仁は熱燗を口にして笑顔ば見せとったが、少し真面目な顔に戻る。
「範囲ヒロスギル。3つの国がソレゾレ、陰陽の複雑ナ気デ乱れ、突然の出会イデ左右サレル。」
「玉均の良か出会いは、日本にあるっちゅう事ね?」
「ワルイ出会いハ避けるコトガ出来タ。多分ダイジョブ....ダガ。」
スルメくちゃくちゃ噛むのを止めんかい。何言っとるか分からんばい。
「コノ先アマリ良くミエナイ......モシカシテ、オレニ何か起こるノかもシレナイ。」
「止さんかい、オンシに何ぞあったらワシが黙っとらんけん。」
ワシと東仁は猪口ば合わせて乾杯する。
寒気に冷え込む身体の中に、熱く香しい酒の流れが感じられた。