革命家の妄想
明治13年(1880年)10月25日
陳情。ソレは地方の叫び。
仲間の活躍により暫し岡山へ帰る必要のなくなった俺は、改進党総務長という謎ポストを得た。
仕事に変化があった訳ではない。無論給料も変わらん。
ひたすら当地方支部との連絡業務が主な仕事だ。だが其処に地方からの陳情が増えて来た。
何つっても俺たちはまだ議員ですらない。陳情なんてまだ早い、と思うじゃない?
しかし俺たちの党総裁は、副首相と言っても過言ではない超大物政治家だ。オマケに副総裁は閣内調整を一手に引き受ける在野の実力者。
地方支部の皆様が、俺たちに期待するのも当然なのだ。それに地方勢力を伸ばす時に、政府与党である事を思いっきり利用しているし。
そんな訳で今日も幹事長の藤田さんと、新潟支部の切々とした陳情を受けているところである。
「和釘の生産で食っとった職人が多かったんですが、昨今の洋釘流行りで仕事を失う者が増えてるのです。」
訴えているのは、新潟支部副部長の関矢さん。戊辰は新政府軍に従軍、西南戦争にも参戦した数えで37歳の壮漢である。短く刈り込んだヘアスタイルと、屈強そうな顔の造りは正に退役軍人。
退役後、故郷に戻って南魚沼郡長として働いていたが、地方自治体長への俺の勧誘にまんまとハマり、改進党の旗揚げに参加してくれた人だ。
そしてどうやらその業界の顔役らしき人たちが3名。
「三条には刃物、燕には銅製品の技術があります。この産業を政府支援で伸ばして行く事が出来んでしょうか?」
陳情というと、札束が飛び交いウッヘッヘ的な想像をしてしまう人が多かろう。
何を隠そう俺もそーだった。
しかし実際に陳情を受ける側になってみて、その重さに初めて気づく。
陳情する側は『俺たちの話なんか誰も聞いてくれん』という、心理的なハードルを乗り越える努力をしている。更にこの交通手段の限られた時代に、藁をも掴む思いで物理的ハードルをも越えてきている。
その願いは深刻かつ真摯だ。
私欲に塗れ、濡れ手に粟でウッヘッへな人など存在していない。
兎に角地方の窮状を救いたい、そんな思いに突き動かされ、改進党の看板を頼って来る。
「お話はよく分かりました。」
藤田さんも真剣な表情で応える。
「大隈も地方の産業振興には、大いに力を注いでおります。次年度予算で何処までやれるか、必ず議題に挙げておきます。」
「あ、ありがとうござます。よろしく、よろしくお願い申し上げます〜!」
同行してきた地方の顔役たちが、一斉に平身低頭する。
「イヤイヤ、頭を上げてください。まだ何かお手伝いできた訳ではない。」
藤田さんはやや焦ってそう言う。確かに今の状態では何処まで我々の希望を通せるか、見通しが効かない状況だ。
って言うのもさ、よくよく内閣の役職を見ると、内務省の品川、文部省の森有礼、農商務省の黒田、逓信省の松方正義と。
内政関連ぜんぶ新薩長派じゃんか!誰だよこんな人事やっちゃった奴!こらソーリ反省しろ!
「そうおっしゃらずに!何卒よしなに!」
ソファーに座ってなければ土下座してたなこの人たち。
「我々は地方経済の発展を、最重要課題として取り組んでおります。結果をお約束できる訳ではありませんが、党役員結束して取り組みますので。」
なんて当たり障りないことを言う俺。
この後も具体的に地方での取組みなんかを紹介し、今後の手順など言質を取られ、関矢さんにご納得いただくまでには2時間ほどの時間と労力が必要だった。陳情疲れる〜。
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「疲れますよねこれ。」
「.......仕方ないさ、政治家として生きるのであればコレぐらい。」
そう言う藤田さんの眼も疲れに濁っている。
なんて言うか、彼らがドンだけ困ってるのかを具体的かつツブサに語られ、身売りや口減らしなんかを暗に仄めかされる。気持ちが暗くなるのも無理はない。
「苦境に立って縋り付いてくる人たちの話が、夢と希望に溢れている訳がない。こんな人たちの為にこそ、我々の仕事がある。」
己に言い聞かせるようにそう言う藤田さん。
「まだツヨシがいてくれて助かるよ。朝鮮の使節団がいた時には、私が1人で対応したからね。」
「あっちも色々と宿題が残りましたがね。」
朝鮮独立党との連携は、約束を取り交わしたもののまだ始まってもいない。先ずは留学生の受け入れからだ。
「頭山君は随分と活躍しているみたいじゃない?我々の宿題には手を貸してくれるかもね。」
ソレはナイショです。スパイとして興亜会裏所属の活動をする満の事は、改進党の中では公には出来ない。
「意外に商才があったみたいです。」
俺が堂々とスッとぼけてみせたので、藤田さんはふふっと笑った。
まあ商売に支障の無い範囲な手を貸してくれるだろう。
「あのー、もうお一方下でお待ちなんじゃが、お通ししてええじゃろか?」
手伝いのオバちゃんが、事務所の扉から顔を出してそう告げる。
「あれ?今日は新潟で終わりじゃなかったっけ?」
「確かそのはずですが。」
訝しむ藤田さんと俺を見て、ほいじゃあお帰りいただきましょうかとオバちゃん。
「いや、時間はあるし、お通しして下さい。名前と要件は聞きました?」
藤田さんは疲れを振り切って姿勢を正すと、オバちゃんに聞き返す。
「へえ、何でも自由党の大井が来たと告げて欲しいと。」
「大井?」
「ああ。」
俺は知っている。自由党のニヒルスター、大井憲太郎さんだ。
「大井憲太郎ね。ツヨシは面識あったんだ。」
藤田さんも名前くらいは知っている。旧愛国社では急進派として知名度も高かった人だ。
俺は朝鮮帰りの船の中で、ばったり会って金を貸した仲である。
「自由党の結成時には加入していなかったと思うんだが。」
「後からまた加入したんですかね?」
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おかしな人が来たものだ。改進党に入党したいって話じゃないのは確かだけど。
事務所に入ってきた大井さんは、いつものボサボサ頭に無精髭、黒紬の着流し姿に懐手で応接のソファーに腰掛ける。
30代後半のはずだけど文学者風イケメンの効果か、20代と言われても違和感がない。
大井さんは藤田さんに向けて気さくに挨拶をすると、俺にも懐から手を出してヨッと言った。
「随分とご無沙汰だったねえ、犬養君。確か朝鮮から帰る船の上で出っくわしたんだっけ。」
ええ、お金返して下さい。
「俺もあの後随分と苦労してねえ。今はまた自由党で世話になっているんだよ。」
ハラリと額にかかる髪を手で掻き上げる。その仕草がいちいち何ともうざ....文学青年的だ。
「お久しぶりです。本日はまたどんなご用件で?」
歓迎してもらえるとは思っていないだろうし、少々事務的な対応になるのは仕方ない。
「うん、実はね、改進党が来日中の朝鮮使節団と会談したって聞いてね。昔の誼で彼らに紹介してもらえないだろうかと思ってお邪魔した。」
随分と虫のいいハナシだが、こういう虫のいいお願い事に慣れ切った人だ。
そもそも誼なんかねーじゃん。
「ご紹介って....自由党が彼らと接触してどうするんです?」
藤田さんの疑問は当然である。確かに国民から圧倒的な人気を得ている自由党だが、政府への繋がりは極めて薄い。
今の段階で独立党側がメリットを感じる集団ではないし、自由党側にしても朝鮮への党方針を明らかにしていなかったと思うけど。
「藤田さんとはこれまであまりお話しする機会が無かったですね。自由党じゃなく、俺個人が彼らと協力して革命を起こさなければならない。俺は自由主義革命の信奉者で、今まさに朝鮮国が必要とする男です。」
「は?」
いや藤田さん、この人こういう人なんです。負けちゃいけません。
「つまりですね、清国の圧力に虐げられ日本国政府の弱腰に嘆く朝鮮の人民に、俺は革命をもたらせる男なんですよ。既に援助者たちからも、資金提供を確約いただいてます。そして朝鮮独立党の面々と、因循姑息な事大党を打ち破り、共和国革命を成し遂げる計画を遂行したい!」
フフッと笑うニヒル大井。
唖然とする藤田幹事長は、ぐりんと俺の顔を見てコイツは何なんだと、声に出てますよ幹事長!
俺の所為じゃありませんし。
「あの....俺たちは一応与党として、現内閣に協力する立場なんですが.....。」
「もちろん知っているとも!立場は違えど仲間として応援しているよ、どんどんやり給え!」
遠回りにお断りしようとしたら、テロリストに励まされたでござる。
「いえ、ですからね、他国政府への反逆行為に手を貸そうという方を、ご紹介するわけにはいきませんで...。」
やや直接的にそう言う俺を、大井さんはそんな小さな事きにすんなよ、と笑い飛ばす。
「大策士と言われた犬養君らしくもないじゃないか!俺は漢として君を見込んで、こうして頼み事をしている。」
大井さんは自分の世界から出てこない。これは...面倒な人だ。
「革命という正義が行われる前に、反逆行為なんていうちっぽけな価値観は意味を持たない。そして亜細亜における自由主義革命は...朝鮮半島において、この.....大井憲太郎が始めるんだ。」
なんか感極まって涙ぐんでますが。藤田さんは俺の顔を凝視したままドン引いている。
「いや、まあですね、今のところ朝鮮独立党の皆さまはね、革命蜂起とゆー方向には進んでおられないので......。」
「馬鹿だなあ犬養君。そういう蒙昧さを啓蒙してやることこそ、革命の闘士たる者の役目じゃないか。そしてこの役目は、この大井憲太郎こそが身を投じるに相応しい仕事だ。」
そんなキリッと言われても.....ええ、政府与党の事務所で、革命語るの止めてもらえます?俺たち立場的にはこの人取り押さえなきゃいけないんじゃない?
「大井さん、どうも勘違いをなさっているようなので、ハッキリ言わせていただきます。」
俺は意を決して直球を投げることにした。ソフトな物言いではこの人の『大井ワールド』を突き崩せないらしい。
「我々改進党は政府と協力して、朝鮮独立党を支援する方針を固めています。それは国際協調主義に基づいた支援であり、革命幇助なんていう物騒な計画は断じて許されません。むしろこの場でアナタを通報しなければいけない立場です。」
この言葉は理解されたようだ。その証拠に大井さんの青白い文学青年スマイルは消え失せ、神話級の腰抜けでも見るような、全顔面で侮りを表現するような表情を見せたから。
「......なんて事だ。郵便報知の伝説的記者も、資本主義の罠に篭絡されたとは....。」
そうして俺たち2人を嘲るようにフンと鼻で笑い飛ばし、サッと立ち上がると挨拶も無しに出て行こうとした。全く勝手な人だ。
「そうそう、大井さん1つ言い忘れてましたが。」
俺がそう言うと、大井さんはピタリと扉の前で立ち止まる。
しかしこちらを振り返ることはせず、背中で俺の言葉を待った。
「朝鮮使節団、もう帰りましたよ。」
「え?」
思わすこっちを向いた大井さん。
その表情を見て、藤田さんは吹き出した。
「そ、それを先に言え!卑怯者め!」
大井さんは真っ赤な顔でそう言い捨てると、足早に会談を駆け下りていった。
ひとしきり笑っていた俺たちだったが、俺はふと気になって藤田さんへ言う。
「援助者が見つかったって言ってましたね?何者なんでしょう?」
「よせよせ、あんな狂人相手にしていたら、時間がいくらあっても足りんよ。どうせ口から出まかせに決まっている。」
如何にもそんな感じだったので、俺たちはそれ以上この話を深追いしなかった。
いつの時代にも、ああいう手合いはいるもんだ。