蒸し甘藷
明治13年(1880年)10月10日
この日、俺と藤田さん後藤さんの3人は、改進党本部で朝鮮使節団代表と面会する。
「犬養よ、私も参加するがな。」
俺の義兄である矢野さんも、郵便報知の取材名目で参加をねじ込んでくる。
「いい記事書いて下さいよ。」
藤田さんは揶揄うようにそう言った。
「任せておけ。私はやはり文筆活動が性に合っている。政治の陰湿なやり取りは、如何しても性に合わん。」
矢野さんは主筆として中々の評判を得ており、当初より改進党活動への参加が減ってきた。
性に合わないか.....政治活動が陰湿かどうかは別にして、裏表ない性格の義兄は確かに向いていないのかもしれない。
「小説を書いているんですって?綾から聞いてますよ。」
俺はそう言って矢野さんの近況を皆にチクる。
「ぬっ、う、うむ。綾は何処から....そうか、れつから聞いたのか。」
矢野さんの奥様であるれつ様は、2日とおかず産後間もない綾さんの面倒を見に来てくれている。
おっ母も渋沢さんの奥様もいるので、手伝いは要らないっちゃ要らないのだが、皆で集まってくっちゃべるのが楽しいらしいので。
綾さんも楽しそうだし結構な事だ。
「矢野くんが小説ねえ。是非読ませてもらおう。」
後藤さんはニコニコしてそう言う。既に伯爵となる事が決定しているが、相変わらず人当たりが良いカジュアルな性格だ。
「いえ後藤さん、少年向けの冒険小説の様なものでして、その、士大夫がお読みになる様なものでは.....。」
それは聞いていなかった。冒険小説?矢野さんそんなご趣味が?
「ジュール・ベルヌの様な奇想天外な小説が書きたいのです。その...。」
赤い顔をして弁明する義兄に、藤田さんは優しく声をかける。
「其れは素晴らしい。本邦にもいよいよ本格冒険小説の登場ですな。」
「凄くいいと思います。子供たちに夢や冒険心を与えるモノが、この国には少ないですから。」
そう言えば俺が韓国へ行った時に、羨ましそうにしていた。
ジュール・ベルヌなんて言うからには、世界中を股にかける冒険物語だろう。
この義兄の違う面を見た気がした。いつもボケキャラなのに、今日はなんかカッコいいっすよ。
「ところで本題だけど。」
藤田さんが雰囲気をぶった斬る。
「午後から満が金弘集氏、朴永孝氏と金玉均氏を連れてきます。2時ごろと言っていたので、午前中に打合せを済ませておきましょう。」
俺は藤田さんの言葉を受けてそう説明した。まあご挨拶のみで終わる、儀礼的訪問である。
「少し踏み込んだ提携話をしても良いかと思っているんだけど。」
出たよ後藤さん爆弾発言。
「踏み込んで...とはどの様な事で?」
藤田幹事長はジト目で後藤さんを牽制。
「そうだねえ。相互訪問の定例化とか?友好団体設立とか?」
「時期尚早でしょう。」
と矢野さん。
「私もそう思います。独立党は未だ実力も未知数だ。」
幹事長も呼応してそう言った。
「実力が未知数なのは、選挙も終わっていない我々も同じだよ。」
後藤さんが笑顔でそう言うと、2人ともウムムと頷かざるを得ない。
「わざわざ来てくれるんだし、何かしら土産話を持たせたい。矢野くんにしても良い記事書きやすいだろ?」
「そりゃあそうですが.......。」
「金弘集氏は政府においても、右議政という要職についておられます。こちらからの提案に簡単には乗ってこれないでしょう。」
俺が状況を説明する。後藤さんも素直に頷き聴いてくれている。
「何れにしても朝鮮との関係において、我々としては独立党とお付き合いする以外手が無いのですから、こちらから申し込むのは悪い手では無いと思います。」
「先方が受けるかどうかはまた別って事だな。」
藤田さんも仕方なくそう言う。
「例え立場上お断りになったとしても、我々を好意的に思われるでしょう。無駄にはならないと思います。」
「それじゃ決まりだね。」
後藤さんがそう言って、後の2人は微妙な顔をしたが反対はしなかった。
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昼メシは矢野さん差し入れのサツマイモを、掃除手伝いのオバちゃんが蒸してくれた。
茶を飲みながら事務所でガツガツ食う。転生前に食べてたものより、やや味が薄く水っぽいがメッチャ旨い。
胸焼けしそうだな.....牛乳かせめてバターでも欲しいところ。
「後藤さん......もう伯爵なんっすから、そんなもの食べちゃダメでしょ?」
「馬鹿な事を言うもんじゃない。伯爵がイモ食ってはいかんと法律で決めるつもりか?」
そーゆー事は言ってませんが。
改進党会議室はイモの匂いで満ち、完全に農村の寄り合いと化した。
「イヤー旨いよね。秋の味覚という感じだ。」
藤田さんもご機嫌である。
「そーでしょうそーでしょう。唐イモは薩摩が有名ですがな、私の実家近隣にも沢山農家がありまして。」
義兄は皮ごと食べる派の様で、紫色に輝くサツマイモを皮ごとモリモリと食べる。
サツマイモを唐イモって言うんですね。
「朋友来たり 会議 討論 蒸し甘薯」
後藤さんが上機嫌で一句詠んだ。何ですかそれ。
「甘薯とは唐イモの事さ。江戸時代にはそう呼んでたんだ。」
「甘薯先生なんて人も居りましたね。」
藤田さんも話題に乗ってくる。こーゆー話は俺無理だわ。不参加。
「青木昆陽という享保年間の学者だ。享保の大飢饉の折に、伊予松山が不思議なほど犠牲者が少ない事に気づき、唐イモの存在を全国に広めたお方だよ。」
へー。
「今や食卓に必ず上る唐イモも、本邦へ来て僅か100年程なんですなあ。」
義兄はモリモリ食べながら、話についてくる。
「京では洒落た菓子がありましてね、揚げたイモをみたらし団子の如く、甘辛いタレで合えるのです。旨いものでしたよ。」
大学芋っすね。そー言えば食べてないな。
「イヤ私も面白い食べ方を知ってましてね。川越で唐イモの羊羹を食った事があります。アレも中々の風味でした。」
川越のイモヨーカンです。ああ、なんか食べたくなってきた。
この時代にもうその辺りの庶民の味があったんだね。
その時、階段をどすどすと上がってくる音が聞こえ、オバちゃんが再び蒸しイモを持って登場.....と思いきや。
何人の足音よコレ?ドンだけイモ蒸したの?
ガチャリと扉が開いて、オバちゃんが顔を出す。
「もし.....頭山さんがお客様連れでお見えよ。」
「え?」
一同驚いて声の方を振り向く。
彼女は何か悪いことをした様にたじろぐ。
「あ、あら.....マズかった?お約束があるって言われたから.......。」
「ツヨシ!ちょっくら早かったばってん、時間が空いたけん来てしもうた!」
チョー笑顔でそう言った満は、イモだらけの会議室を視界に入れて固まる。
続いて部屋へ入ってきたナマズ髭の朝鮮紳士も、会議室の惨状に言葉を失った様子。
ご案内.....しちゃったんですね。韓国政府右議政を。
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『ウム、これは美味いモノだ。』
と多分言ったんだと思う。朝鮮語は相変わらず分からんが笑顔だし。
右議政の金弘集さん、お歳は50手前ってとこだろうか、ワシワシとサツマイモを召し上がる。
開き直った我々が『ご一緒に如何か?』とお誘いしたところ、金弘集閣下は『趣なり』と笑顔で即答されて、恐らく史上初の2か国イモ会談となった。
中々出来る事じゃない。人間の大きさを見せるパフォーマンスだとしてもだ。
『丁度お昼時じゃし、いいところに着いたモンじゃ。』
とでも言ってるんだろう、満がイモを真ん中でへし折り、皮も剥かずにかぶりついている。
オマエが言うんじゃねえ、少し反省しろ。
「ハヤク来てスイマセン。イタダキマス。」
朴泳孝くんは、イモの昼食を余り歓迎している様子はないが、それでも礼儀正しく食べている。
「イヌカイさん、食べナガラ話そう。」
玉均とはこの半月ほどですっかり打ち解けていた。とにかく彼自身が言っている事だが、モノの考え方が来日前と今とで、数世紀ほどに相当する変化があったそうな。
「福沢センセイ、偉大なヒト。」
慶応講師陣の講義は大いに参考になったらしいが、最も影響が大きかったのはやはり先生の講義であったようだ。
「ワタシ、一度帰ってマタ来る。イヌカイさん、ワタシ慶応でベンキョウしたい。」
「マジか.....。」
留学生って事になるんでしょうか?留学に来る外国人って、本邦初なんじゃないの?
「恐らく先生は喜んでお迎えになるでしょう。ご帰国までに相談しておきます。」
「カタジケナイ。」
「借款のご相談でしたか....。」
後藤さんは金弘集さんと通訳を交えてお話し中。イモを握って話す姿は、国家レベルの会談に見えない。
『外務大臣とはお会いしましたが、《我が所轄する処に非ず》と逃げられました。』
金弘集さんは気にする風でも無く、面白げにそう言った。こんなイモ会談にもユーモアで臨む人だし、懐の深い人である。
『わが国には鉱山資源も有りながら、道路や鉄道が未整備のため開発すらままならない。日本国が手を差し伸べて下されば、我々にも内地を開放する準備がある。』
彼は淡々とその事を伝えた。もの欲しそうにせず借金の話をするのは難しいもんだ。
少なくともこの人はその程度の品格があった。
「なるほど我が党の総裁は、国家の大蔵大臣でもある。しかし総裁個人の判断で、そのような国家的事業は進められますまい。」
後藤さんも得意の大風呂敷を出さず、さすがに慎重な対応だ。
「だが門前払いとはされませんでしょう。先ずはお受け取りしてその金額が妥当であるかどうか、貴国にその準備ありやなしやを内閣が検討するのが筋というモノ。」
『それは有り難い。遥々日本国までやって来た甲斐があった。』
朝鮮の3人はホッとした様子だ。井上馨さんが受け取りもしなかった事もあり、書状を後藤さんへお渡しできたことが、かなり嬉しかったようだ。
あくまで受け取り内閣に伝えるだけです。分かってますよね、なら結構です。
その後両党は下準備も無しに、改進党と朝鮮独立党の共同宣言を採択してしまった。
・両党は朝鮮が清国の冊封を受けぬ、独立した主権国家であることを確認する
・両党は互いに協力し、日朝友誼の発展を目指す
・先進の文化を取り入れ国の発展に寄与するため、人材交流を盛んにする
結構踏み込んだ三行の文言を決めるのに、両党の頭脳が数時間呻吟する事態となった。
しかし2人の代表は和やかに歓談を続け、後藤さんは白扇に先ほどのイモの句を書いて贈呈した。
これに大いに気を良くした右議政閣下は晩餐に我々を招待し、両党は友好を深めたのだった。
俺は子供が生まれたばかりでもあり、辞退したが。
全てうまくいく雰囲気が出来上がっていた。まあ少なくともこの時点では。