ホメて伸ばす
明治13年(1880年)10月5日
伊藤総理が上海から戻られて翌日。
私こと井上毅は、井上馨さん大隈さんと共に首相官邸で報告を伺う。
「お疲れ様であるんである!」
大隈さんも井上外相も笑顔で総理を迎える。上海での交渉結果は事前に連絡が入っており、妥当な結果に終わった事が皆を安堵させた。
「軍事的緊張を後退させたのが、何よりの結果だ。」
総理も笑顔だ。
「李鴻章はハナから日本と構える気がなかった。あの感触を得ただけでも、今回の会談には意味がある。」
清国は暗黙のうちに朝鮮入りさせていた、数百名の陸軍部隊を撤収する事に同意。
日本へは軍事顧問を帰国させるよう働きかけて来たが『外国人の政治顧問もおり、朝鮮の近代化に不可欠』と、日本は主張した。
オマケに総理は『彼が居れば、貴殿にとっても何かと便利でしょう』と、メレンドレフと李鴻章の個人的関係にも言及。
「アレはやり過ぎじゃと陸奥に怒られた。」
ケッケッケと軽薄に総理は笑った。
陸奥宗光は駐清国日本公使として活躍中。史実だと.....確か陸奥宗光って西南戦争の後、蜂起して収監されてたような?
「日本国の情報収集能力を見せる事になりますからな。」
馨さんもそう言いながら愉快そうだ。
「少し手の内を見せてやった方がいいんである。警戒もされようが、その分抑制力になるというもんである。」
この件に関しては、陸軍参謀本部のファインプレー。
「日清両国は共同で朝鮮国の発展に貢献する。一方が軍隊の派遣を要請された場合、他方の国へ通達し共同で軍隊を派遣する.....まあこんな所でしょうね。」
私の言い方が気に障ったのか、総理は嫌そうな顔をした。
「これ以上どう譲歩させろというのか。」
「譲歩は無理でしょうが先の台湾と同じく、朝鮮は独立国である所を認めさせられなかったのは残念かと。」
3人が3人とも苦い顔になる。
「毅くん、そいつぁ無理っちゅうもんだよ。今回別段清国との戦闘に勝利したワケじゃなし、冊封関係の維持は今や清国側の最も重んじる条件だよ。」
「そうなんである。しかも我が国側には琉球で無理押しした事もあって、これ以上の譲歩を清国から引き出すのは難しいんである。」
.....しまったかな?今後確実に焦点になる問題だから、注意を促したいだけなんだが。
元勲って皆プライド高くて扱いづらい。
「例の吉田という商人が、大院君へ武器供与をしたという証文もちらつかして来たぞ。参謀本部から事前に報告がなければ、交渉に大きく影響しとったろう。」
総理はしかめ面のままである。折角上手くいった交渉が、私如きに『物足りない』と言われれば、面白くはないでしょうね。いやすいません、失敗失敗。
「吉田健三に関しては、潜伏先の香港政府へ捜索逮捕の協力要請を出していたからな。日本国政府がこれに関与していない事は明白、と突っぱねることができた。これも参謀本部のお手柄だな。」
それはツヨシくんの推測に基づいた調査ですけど。
総理が参謀本部を手放しに賞賛するので、馨さんの顔が更に苦々しくなる。
いかん何とか雰囲気を変えないと。
外務省としては今回の条約交渉が、陸軍参謀本部の功績になるのが面白くないんでしょう。
確かにこのままじゃ参謀本部の影響力が突出する。
折角山県さんの影響が及ばない様に出来たのに、参謀本部が強力になると史実通り戦争に向けて走ってしまうかもしれない。
少しツヨシくんに注意しておきますか。
「いえいえ今回の勲功はやはり、会談を決断された総理にあります。次いで事前の交渉をまとめた陸奥宗光公使、ひいては外務省の勝利ですよ。」
3人は漸く気色を和らげた。これくらい穏やかにいかないとダメなんですね、明治の男ってのは。
実に面倒くさいが誉めて伸ばさないと。
ともあれコレで朝鮮半島はちょっとの間落ち着きそうだ。この条約って史実には無いけど、上海条約とでも呼ばれる事になるのか。
「さて、総理が留守中の事をご報告するんである。」
大隈さんが諸々の資料を手渡す。
「申し合わせた通り、重要案件はお帰りを待って閣議決定する事にした。この間進めていた主な法案は、毅くんの刑法関連と、品川くんの華族令だな。」
馨さんは総理に説明をする。総理はフムフムと報告書に目を通す。
「大きな問題は無かったかな?」
総理が訊ねるのに、私は答えて言った。
「刑法の公布に関しては非常に順調でした。司法省も警保局も、大変協力的です。問題あるとすれば.....。」
「新華族であるな。山県くんが伯爵を叙爵されておるんである。」
総理は報告書から顔を上げて、我々を静かに見つめる。
やがて口を開いたが口調はあくまで落ち着いたものだった。
「狂介さんは御一新のおり、政府軍の中心として活躍された。資格は十分であり、むしろ叙爵されなければ問題となるだろう。」
心穏やかでは無いでしょうが。説明がなくとも黒田ー品川ラインの勢力増につながる事は明らかだ。
「この先恐らく国会運営の場では、何らかの障害になる事もあるだろう。しかし....国会運営とはそういうものだ。波風なく順風満帆とはいかんよ。」
「そこで一案ございます。」
私は3人の元勲へ提案する。ここらで新薩長派を削っときましょう。
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「官有物払い下げ?」
後藤さんは熱い蕎麦を啜りつつ、俺に聞き返してくる。
秋の訪れと共に銀杏並木の葉も色付き始めたが、日中はまだ日差しの強い日もある季節。
俺と後藤さんは、昼飯に近所の蕎麦屋でとろろ蕎麦を楽しむ。
午後の1時を過ぎた時間でも、蕎麦屋は満員の盛況ぶりだった。
人足や車夫が慌ただしく蕎麦を喰って、入れ替わり外へ駆け出して行く。
「はい。これまで多くは内務省が民間の会社へ、鉄道用地や工場などを売却しておりましたが、何の規制も無かったために不正の温床となってました。そこを法律で縛ろうというモノです。」
「なるほどね。政府高官や豪商たちへの不満が高まっているし、規則作りは必要だ。」
後藤さんは店の小女にネギをもっとくれと言い、手近にあった唐辛子を振りかける。
「僕はなんと言ってもうどんが好きなんだけどね。でも蕎麦ってのも偶にはいいもんだ。」
東京には美味いうどんが無い。そんな事を言いながら、もう2杯目をするすると食べている。
俺は断然蕎麦派なんですけど。
「でもコレがかなりの陰険な手なんですよ~。楽しみですね~。」
俺の言葉に不思議そうな顔をする後藤さん。
「陰険なの?」
「極めつけに陰険です。さすがコワシさん。」
納得いかないお顔の後藤さん。
「官有物の民間払い下げなんて、特に目新しい事でもないだろ?其処にルールを決めるっていう至極真っ当な法律の、一体どこが陰険なんだい?」
分かんないかな?んっふ~?
「それはですね~、この法案が特定個人を狙い撃ちしているからなんです。」
「特定個人?」
俺たちしか知り得ない事実がこれから起こる。それが明治14年政変の発端となった疑獄事件。
「この後すぐに払い下げとなる官有物と言えば、分かりますか?」
「政府が公表している物かい?チョット記憶にないけれど。」
俺もコワシさんから知らせが来るまで、全く忘れてましたけどね。
遥か昔、いや未来に学校の授業でちょっとだけ出てきたのを、コワシさんの書状でやっと思い出した。
「蝦夷地開拓が一段落して、すべての施設が民間へ払い下げになります。」
うん?って顔の後藤さん。
「最後の北海道開拓長官は?ご記憶ですか?」
「いやそりゃあ...ブフッ!ああ、な、なるほど。」
蕎麦を掻っ込んでる後藤さんは、変なところに蕎麦を吸い込んだらしく、苦しそうにむせ込んだ。
ゲホゲホやっていると、小女が茶を持ってきてくれる。
「ゴホッ、やあ、ありがとう。うーん、なるほどそりゃあ性格が悪い。」
「ですよねー。」
北海道開拓使官有物払い下げ事件。教科書にも載ってる明治の疑獄事件だ。
当事者は前開拓長官、黒田清隆その人である。
「それにしてもねー。法律が制定されてしまえば、黒田くんも流石に気を付けるんじゃない?」
「そー思います?」
「うーん....いや、引っかかるな。彼なら簡単に。」
そう、あの人は絶対に引っかかるだろう。
俺は面識ないが、人から聞いた彼の性格を考えれば、法律なんてどうとでもなると思っている人だ。
酔って大砲ぶっぱなすような人なんですから。
「だからこそコワシさんの陰険さが光るんです。黒田さんが引っかかればその後は....。」
「その後は?」
「我々が派手に新聞沙汰にしちゃうわけです♪」
「君たち性格悪いよね。」
何と言われようがこの手はかなり効くはずだ。
史実では大隈さんが自分の新聞で書きたて、憲法で対立していた伊藤総理に排除されて明治14年政変となるが、この時代においては2人が近い関係なのでその危険も少ない。
大体不正を暴いた方が政権から追い出されるってどーゆ―ことだよ。
「場合によっては自由党系の新聞にもリークして...フッフッフ。」
「段々黒田さんが不憫になって来た。」
甘やかしちゃあイカンのです。
政治家は叩かれてこそ伸びるもんですよ。