拡張主義者の宴
こちらは寒くなってきました。
中国国慶節のお休みは、海外旅行に行けない人達が国内旅行へなだれ込んだようで、各地で大騒ぎだったようです。(*´ω`)
品川弥二郎視点でお届けいたします。
明治13年(1880年)10月1日
私と黒田さんは、目白台の山県邸を訪問した。
華族令は12月に交付後、明治14年1月に施行される。従ってまだ内定段階ではあるが、山県伯爵の政界復帰を祝ういみもあり、密かに東京入りしていた狂介さん(山県)と面会となった。
黒田さんは戊申・西南の両戦争において、狂介さんと衝突する事が少なからずあったそうな。
今日の面会もあまり気乗りせぬ様子だったが、そんなもの知った事ではない。
灯りも少ない暗闇の住宅街に、黒光りする荘厳な門が出現する。
門番もおらぬ不用心な門をくぐり抜け、月明かりに浮かび上がる飛び石の上を黙々と進む。。
「不用心な事だ。」
ポツリと黒田さんが言う。
「今は無役の狂介さんを、つけ狙う者などおりませんよ。」
私がそう答えると、黒田さんはただニヤニヤと笑った。貴方もつい先頃まで無役だったでしょうに。
ようやく玄関へたどり着くと、下女が玄関先で待ち構えていた。
「奥座敷へお通しするよう申しつかっております。」
微かに京都の訛りのある女だ。京に潜伏している時に身の回りでも世話していたのだろう。
洋装の我々は靴を脱ぎ、板張りの廊下を進んで中庭を横切り、ようやく奥座敷なる主の部屋へと辿り着いた。
狂介さんは8畳ほどの部屋の隅に置かれた、座卓の前で文を書いている。
5尺7寸(約171cm)の上背を縮め精力的に書き続ける姿は、隠棲した政治家のモノではない。
我々に気付きこちらを振り向く。
特徴的な反っ歯が、容貌を田舎臭く愚鈍なモノにみせている。
確かにこの人は、眩い才能に恵まれた訳ではない。
誰に聞いても『思い当るような武功も無いのに、御一新後ナゼか重用されて来た男』という印象しか聞こえてこないだろう。
そのこと自体が彼の強さだとは誰も思わぬ。
温厚で愚鈍、それが山県有朋の強さだ。誰もがいつのまにやら取り込まれて、彼の駒の1つになってしまう。
そして面倒見のいい彼は、手駒に疑念や不快感を持たせるような事はしない。
かつて目立った反っ歯は、今や口ひげに隠されている。口数の少なさも40を越えた今は重厚な雰囲気と見える。
我々の領袖として、今担ぎ出せる人はこの人を置いて他に無い。
「狂介さん、ご無沙汰しております。」
「やあ、山県くん。久しぶりだ。」
私は部屋の入口で端座する。黒田さんは立ったままだ。
「2人ともよく来て下すった。そちらへ。」
狂介さんは中央に置いてある座布団を指してボソリとそう言い、手を鳴らして酒を持ってくるよう叫ぶ。
大して歓迎されているようにも見えないが、この人は感情を表に出さぬ人だ。
庭に面した障子は開け放たれており、行灯へ小さな虫が寄ってくる。
洋燈に慣れた目には少々暗い室内に、手際よく料理と酒が並べられた。
「先ずはご復帰、おめでとうございます。」
杯を掲げて私がそう言うと、黒田さんも無言で杯を上げた。
狂介さんは流石に嬉しそうに、頬を綻ばせて言った。
「うんうん、お2人にはすっかりお世話になってしまった。この御恩は忘れんよ。」
「なんの。我ら薩長閥には人が不足している。山県くんにまだまだ隠居などさせる余裕はないんじゃ。」
黒田さんは冗談めかしてそう言う。黒田さんには岩倉卿へも働きかけ、山県有朋の叙爵運動に大きく貢献していただいた。恩を売ろうという腹は無い、という態度には好感が持てる。
西南戦争以来ギクシャクしていた2人の関係だが、元々狂介さんは長州藩時代に薩摩との折衝役をしていた事もあり、本来薩摩藩の首領格との関係は悪くない。
「ここから我ら維新の立役者、力を合わせ日本国を盛り立てていきましょうぞ。後から出てきた民権運動家などに、美味いところを持っていかれるなど武士の恥というもの。」
狂介さんは立ち膝となって黒田さんへ手を伸ばす。黒田さんもそれに答えて、薩長2人の領袖はしっかりと握手を交わした。
「これは目出度い!近頃我らを『新薩長』などと呼ぶ輩が居るという事ですが、悪い気はしませんな。」
黒田さんも感慨深げにそう言う。
「その事ですがな、ここはさらに推し進め、『新薩長土』とは参りますまいか?」
狂介さんがふとそんな事を言い出した。
「.....それは如何なるご思慮でしょうか?」
私には見当が付かず、思ったままを口にしてしまう。
「ふむ、ワシは京都で逼塞している間、つらつらとわが身に起きた事を考え続けてきた。軍で起きた事だけではなく、その時偶然にも福島で起こった民衆蜂起の事もな。アレは明らかに示し合わせて行われた事。つまり我が敵は陸軍主流派のみにあらず、民権運動そのものだ。」
虚空を睨む狂介さんは、ゾクリとするほどの迫力があった。陸軍卿を辞任させられた頃の彼に、このような鬼気迫る気迫があったろうか?
「更にはこの後国会が開設となって、民権運動家どもは国政参加の機会を持つ。ところがワシに与えられておるのは、貴族院の一議席のみだ。」
「狂介さん、焦らずともやがて我々が力を得れば、黒田さんが首相となって貴方を大臣に登用する事も....。」
私は思わず慰めの言葉を口にするも、狂介さんの眼光に捉えられて言葉を継げなくなる。
「埒も無い事を。弥二郎、オヌシが駆けずり回って票集めをした結果が、この前の保安条例廃案ではないか。出来もせぬ事をほざいて黒田さんに恥をかかせるだけよ。口を慎め。」
狂介さんは怒鳴り声をあげる事も無く、静かに私を詰る。
「う....。」
私は抗弁することも出来ず顔を伏せた。
「山県くん、品川君は実に良くやってくれた。彼を責めるのは酷というモノじゃ。」
黒田さんは手酌でぐびぐびと酒を飲み続けながら、気のない様子で私の擁護を試みる。
「まあ聞いてください、黒田さん。京都に蟄居しながら私は思った。奴らの戦い方は汚く卑怯であり、我らの弱点を突いて世間的信用を失墜させるというもの。やられてみてワシは思った。」
カツリと膳に杯を置いて、新長州閥の首領は言う。
「奴らを同じ目に合わせてやろう。同じ手法を使ってな。」
普段茫洋とした顔は復讐に燃える羅刹のように、細い目を鋭く光らせて狂介さんは続ける。
「新聞による世論形成、政党による国会運営。その全てを模倣して奴らを逆に追い詰める。ワシはそうやって戦おうと思う。」
「政党を?山県くんは政党を作ろうというのか?」
黒田さんは思わず大声を上げる。
「馬鹿げておる!ナゼ我らが民権運動などやらねばならぬ!いまキミはその口で、平民の国政参加を嘆いたところではないか!」
山県さんは....再び虚空を睨んでいる。その顔には不気味な薄ら笑いが浮かんでいた。
「わざわざ作る必要などないのです。黒田さん、ワシが『薩長土』と申した意味を、今一度お考えいただきたい。」
まさか....。
「板垣退助....。」
「なんじゃと!!」
私がその名を口にすると、黒田さんはこちらを向いて驚き叫ぶ。
「あのような男が信用できるか!大臣の職をちらつかせば、すぐに敵にもなる男じゃ!」
「それ故こちらにもなびき易い。」
狂介さんは笑ったままだ。しかし....その手は果たして実現可能か?
「狂介さん。私も黒田さんと同じく、板垣と我らが巧くいくとは思えません。」
私が率直にそう言うと、狂介さんはギロリと私を睨み付ける。
私は怯まず直言を続ける。
「彼は確かに民権運動とは言いながら、民衆ではなく不平士族のために国を動かそうとしています。それでも所詮は民権運動家、我々と意見が会うとは思えません。」
ふーっと大きく息をつき、狂介さんはゆっくりと含めるように話を続ける。
「いいか弥二郎、政党などという中身のないモノに、全て意見が合う事など有りはしないのだ。あの憎むべき河野や宮崎の自由党を見てみよ。あるいは板垣の愛国党を見てみよ。口を開けば意見が異なる者どもの寄せ集めだ。」
狂介さんの言葉に黒田さんは頷く。2人とも政党を嫌悪する事、親の仇の如く甚だしい。
「奴らに我ら御一新元勲の様な、赤誠などは有りもせぬ。愛国党とはこの後に控える国会において、愚民の政治参加などを防ぐことを目標とすれば、一致協力出来るはずだ。」
それは....そうなのかもしれないが。
「更に言えば征韓論よ。板垣は明治6年のゴタゴタで政界を去った。その時の怨念を忘れてはおるまい。」
バクリと鮎の身を口に入れつつ、狂介さんは古い話を持ち出して来た。
「ワシ等が板垣と共闘できるとすれば、それは日本国の拡大路線だ。朝鮮半島を、台湾を日本の勢力区域とする。西欧列強がやっていることがナゼ日本では出来ぬというのだ?」
うん、うんと黒田さんは激しく頷く。そうだ、其処においては一致するだろう。
「国境線と利益線という考え方が存在する。これは独逸人などが提唱する国防の考え方だ。」
「利益線?ですか?」
私は寡聞にして聞いたことが無い。
「国家の存亡に関わる利益を守る事は、即ち国防と同等の意義を持つのだ。国家は利益線を防衛する権利を持つ。朝鮮半島と台湾を含む海域こそが、今の日本国には利益線と言えるのだ。板垣は必ず我が考えに同意するだろう。」
黒田さんは今や興奮していた。
「正におっしゃる通り!この黒田清隆、山県くんの説には深く共感する!恐らくは板垣も乗って来よう。新薩長土連合の始まりじゃ!」
私は興奮を通り越し感動すらしていた。京都に逼塞しながらも、この方は遠く世界を見ておられたのだ。
「我らは御一新の精神に基づき、強い国家を実現する。富国強兵とは西洋列強におべっかを使うものにあらず。奴等と対抗し、亜細亜において盟主となりうる国家を作るのだ。それこそが御一新の精神である。」
見事だ、期待以上だった。
狂介さんは苦渋の時を越え、飛躍のための思案を練っていたのだ。
憎むべき民権運動家のやり口を奪い、同じ土俵でこれを下そうと策を巡らせてきた。
2年に及ぶ苦渋の時間を経て、ついにここから反撃が始まるのだ。
我らはこの夜、したたかに酔った。
そうして確かに新薩長土の、日本帝国覇権の夢を見たのだ。
ついに書いてしまった山県有朋....
悪役なのに人柄が余り見えてこない、没個性の不思議な人です。(-_-;)