復活への布石
誤字修正いつもありがとうございます(//∇//)
前半犬養、中盤以降は毅視点。
明治13年(1880年)9月30日
おっ母が再びやってきた。
「そりゃーアンタ気ィせいてなぁ。なんぞ手伝う事もないかと。」
孫の誕生にいても立ってもおれんと、俺の親友である玄馬次郎に船を手配させ、ついでに本人を拉致って上京して来たという。
「次郎よ、なんかすまん。」
「やっちもねえ事言うでねー。兄弟の為じゃけえ。」
次郎はそう言うが、やや顔が引き攣り気味だ。
「おっ母も次郎に甘えてばっかじゃイカン。」
「アンタそんな事言うてえ、ちいとも連絡寄越さんと.....。」
嘘つけ、人の所為にすんじゃねえ。
連絡はしてるだろーが。そのお陰で臨月だって分かってんだろ。
「あなた、お母様にそんな風に仰るものではありません。」
綾さんは優しくおっかあの肩を持つ。まあ、この時代の嫁としてはそれで良いんだが。
「綾さんはえーおなごじゃねー。身体はどーもないんけえ?」
おっ母はスッカリ綾さんの後ろに周り、俺の視線から隠れようとしている。
まあワガママ言ってる自覚があるんだろう。
以前おっ母が逗留していた部屋は、金之助が寝起きしているので使えなくなっている。
少なくともひと月は滞在するだろうし、渋沢さんの奥様にお願いして近所の空き家を貸して頂くことにした。此処は親孝行すべきだな仕方ねー。
「まー来ちまったもんはしょーがあんめえ?」
次郎は大らかに言った。ウム、お前も同じところに住めよ。
「私もぜひこの機会に東京で、色々と皆様のところを回ろうと思うておったのですよ。まあ渡りに船というもので。」
なんと次郎は次郎で大原孝四郎さんを連れ出して来たのだ。
この方は改進党系の『山陽日日新聞』社主であり、俺の後援会会長でもある。
つまり党支部長と党系新聞社社主が、地元を開けてしまったいるのだ。
おっ母が孫が早く見てえだけで、俺の事業に影響が及ぶとは。
「新聞は主筆のおかげで順調に部数を伸ばしてます。改進党岡山県支部も次郎のおかげで順風満帆とあって、今回は少々長逗留しても問題ありませんよ。」
大原さんはそう言って笑った。
元朝野新聞主筆だった、広末鉄腸さんが俺の代わりに赴任してくれている。そりゃあ俺より頼りになるだろうよ。
しかし大原さんもご自身の事業だってあるのに、俺の後援会長として時間を割いてくれている。
「息子たちも頼りになりますから。」
俺の仲間運はとても良い。地元に戻らずして、選挙地盤も固めつつある。
「渋沢殿と、それから副代表と幹事長にもお会いしたいのですが、お取り継ぎいただけますかな?」
「後藤さんと藤田さんですか?」
大原さんと渋沢さんは、海外から紡績機を輸入する計画があるという。
党役員には何用で?
「いや、岡山県支部の今後の運営について、次郎と2人ご相談に上がろうと。」
「孝四郎さん、ツヨシにも先に聞かせといたほーがえーじゃろ?」
次郎も関わる問題だという。
「問題というわけでなないんです。むしろ党支部・新聞共に順調すぎるほど順調。なので暫く犬養さんにお越しいただく必要もないかなと。」
「え。」
「子供も産まれるんじゃあ。東京で活動したほーがえーじゃろ。」
2人ともニッカニカの笑顔でそう言ってくれるが、選挙もあるんだしそういうわけにも......。
「他の地域の事もある。尚更犬養さんは東京で、全体の指揮を取った方がええ。」
「ほーじゃ、ぬしゃ此処に居れ。地元の事は任せい。」
うぅー、本当に大丈夫なのか?
まあ確かにあと5年間、ずっと岡山に閉じこもるわけにはいかないが。
「お申し出はありがたいです。後ほど後藤さんと藤田さんにご相談してみましょう。」
朝鮮使節団のお世話も一段落し、明日には党本部へ出勤しようと思っていた。
ついでに2人に同行してもらおう。
その日2人は渋沢さんのお宅に呼ばれ、遅くまで料理と仕事の話で盛り上がったようだ。
俺は当然綾さんと金之助とで、おっ母との久々の再会を楽しんだ。
「先生の御母堂様でいらっしゃいますか!」
「まーめんこい子じゃねー。」
おっ母はいたく金之助をお気に入りだった。あんま撫で回すなよ、文豪を。
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「後藤くん、午後からの採決は問題ないんであるな?」
大隈さんが改進党副代表へ、もう何度目かの確認をする。
私たち3人は官邸の一室で、最後の票読をしているところだ。
後藤さんは閣僚ではないが、最近この人は大隈さんに不足する『根回し』部分を担当することが多く、ついに閣僚間の根回しまで代行することになっている。
「大丈夫ですって!井上馨さん、山田さん、従道さんに田中光顕くん。これだけで4票です。更に毅くんはこうして此処にいてくれるし、大隈さんが入って6票。問題ないでしょ?」
今日は午後から閣議が開かれる。
伊藤総理は上海へ行ってしまわれたので、本日は欠席となっている。
なんで今日の議題はそれほど重要なものではない。既に審議済みの法案を決議するだけの内容だ。
しかし、いわゆる新薩長派との兼ね合いある『保安条例』の否決をしなければならない。
コレはちょっとした揉め事にもつながりかねず、大隈さんが神経を尖らせていた。
陸軍大臣の谷さんも欧州視察中であり、有効票は10票。
6票抑えた側の勝ちとなるが、コレは単純に一法案の採決では済まない。
内閣がこれだけ対立したのは、この法案が初めてのことであり、この採決いかんによって主流派が決定するという、極めて大きな意味を持つ。
憲法がまだ制定されてないこの時点で、総理大臣は閣僚の任免権を持っていない。
この上多数派を握られては、新薩長派に政治を握られてしまう。
総理自身と谷陸軍相を含めず、このメンバーでも多数派をとって相手の心を折る必要があった。
「フム、ギリギリなんとかなりそうである。」
大隈さんは安堵の色を見せるが、交渉に当たった後藤さんは閣議の場に参加出来ないので、下駄を履くまで分からない。
「今日彼らの法案を挫いておく事は、今後の主導権争いにとても重要です。」
私は思うところを述べる。大隈さんも後藤さんもこちらを見て大きく頷いた。
「我らの中心である伊藤総理を欠いても、新薩長派が法案一つ通せない事を、現実として見せつけるのです。藩閥政治の悪習をいつまでも残してはならない。」
「ウム、毅くんの言う通りなんである。それにしても我輩、多数派工作が不得手なのは.....。」
「それは私も同じです。後藤先生には感謝しかありません。」
伊藤総理を支える我々は、出身地もバラバラで社交上手な人も少ない。
総理自らは非常に明るく闊達な方だが、まさか多忙の身でで票集めをするわけにもいかず、顔の広い後藤さんにお世話になった。
「いやいや、大した事もしてないから。」
サラリと言って、恩着せがましさを顔にも出さない後藤さん。
こういう人だったんだなぁ。ツクヅク歴史の本ってのは、人の事を伝えてくれないもんだ。
「それじゃ、我々2人は閣議に向かうんである。」
「僕は一先ず党本部へ戻ります。」
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「それでは採決に進ませていただきます。只今の『保安条例』に対してご賛成の皆様、挙手をお願いいたします。」
内閣書記長官の田中光顕さんがよく通る声でそう促すと、後藤さんの予言通り4本の手が上がるのみだった。
「なっ、コレは?」
黒田さんが短く言って、品川内相の方をキッと睨む。
「ウーム.....。」
品川さんは井上外相を見つめていたが、外相は目を合わせずニヤついていた。
意外と意地の悪い人だ。
「ありがとうございます。ご賛成4票、ご反対6票!よって本法案は否決といたします。」
「待て待て!これだけの時間審議を重ね、修正を受け入れた法案が否決だと?おかしいではないか!」
黒田さんが堪らず叫び出し、品川さんはその横で俯いており表情は見えない。
「黒田さん、もう内閣でのお仕事はご理解願えたと思うんであるが。如何なる法案もこのように採決を取り、公に決定していくんである。」
総理代行の大隈さんが極めて優しくそう宥めたので、黒田さんは黙るしかなかった。
ご自身も言われた通り、大隈さんはこういう政治的な多数派工作が出来る人ではないし、私も人望のなさは内閣随一と言っていい。いや胸張って言うことでもないけど。
つまり黒田ー品川ラインは大いに油断してたって事です。
いやいやどーです。我々も寝技ぐらい出来るんですよ。人任せだけど。
「続きまして、華族令法案の最終審議に入りたいと思います。皆さまお手元の資料をご覧下さい。」
田中さんの声を待たず、閣僚たちは一斉に資料をめくっていく。
これまでの審議経過と修正事項が簡潔にまとめられて分かりやすい。サスガ田中さんって感じ。
叙爵者一覧は既にご退任された岩倉卿が、最後のお勤めとして各方面を調整していただいたものである。内閣は岩倉卿に白紙委任していたので、このリストは事後承認となる。
突然、品川さんが私の方をチラッと見た。
何ですか?私が見返すと、品川さんは目を逸らさずにニヤリと笑って、再び資料に目を落とす。
この資料に何かあるの?
私は大隈さんをチラ見すると、憮然とした表情で井上馨さんと小声トークする姿が目にとまった。
やはり2人ともリストを見ている。なんだろう?
何しろ旧公家と大名家を入れて、500名に及ぶリストだ。そんな簡単に見終わるような物じゃない。
だが問題があるとすれば、維新の元勲に与えられた新華族の部分だよなと気付く。
パラパラとリストをめくって、その名は目に飛び込んできた。
ーー そういう事ですか......。
私は顔を上げる。
其処には勝ち誇る品川さんの顔があった。
ーー 私がこの叙爵で何か不利益を受けると思ってる?
しかし直ぐに思い直す。この叙爵は復活の一段階に過ぎないのだと。
少なくともこのリストに名を残した者は、自動的に貴族院議員の資格を持った事になる。
おそらくこれを皮切りに、次々と復権への布石を打ってくるだろう。それは新薩長派に取って大きな一手になるはずだ。
私は改めてリストに目を落とす。
其処には維新の元勲、山県有朋の名が伯爵に列せられていた。
ーー やはり簡単には消えてくれませんね。
側から見れば、私はさぞウンザリした顔をしていた事だろう。