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学問のすすめ

誤字報告ありがとうございます。

悶絶するほど愚かな間違いで、毎日赤面しています。(//∇//)


朝鮮使節団の巻、続きますー



朝鮮使節団の一行は、旅館からガヤガヤと徒歩で行くこと数分、寛永寺法堂で慶應義塾講師による特別授業が行われる。


当初は三田の講堂で行われる予定だったものが、宿と日程の関係で上野寛永寺での出張講義となった。

誰が講師として派遣されるのか知らないが、よく福沢先生が了解したもんだ。


我々がガヤガヤと法堂玄関口に到着すると、若い和尚さんが出迎えてくれる。


「皆さま遥々とようこそお越しいただきました。既に先生はご到着でございます。」


どれ誰が来てるのかと40畳ほどの一室をひょいと覗いて、俺はビクリと頭を引っ込めた。

いやあ.....三田の事務方さん!今日は授業の概要説明って言ってたよね?

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ゆっくり顔を巡らせて玉均の方を見ると、使節団一同は不安そうに俺の挙動に注目している。


「おい、ツヨシ!何やってんだ入んな!」

「ハイ!!ただ今!」


そこに鎮座ましますのは福沢大先生その人。最近サプライズ登場多過ぎです。


俺は入り口からスライディング土下座で先生の前へ。


「本日は先生自らご講義でしたか。事務方はどなたか講師の方がお越しと言われてましたが。」

「そんな奴らばかりだから、事務方はなっちゃいねえってえんだ。知識を求めて海外から客人が来るってえのに、俺が出張らんでどうする。」


まあ最初の一回だけだがな、と機嫌よさげに笑う先生。

後ろで筆記係を務めるのは.....。

「竹村くんもお疲れさま。」

「本日はよろしくお願い致します。」


竹村良貞くんは、尾崎が身代わりに選んだ犠牲者である。もう1年ほども経験しているからだろう、先生の後ろに影のように張り付き、気配を消す技を覚えたようだ。


「それでは皆さま、本日講義をお願いいたします、慶応義塾の福沢諭吉先生をご紹介いたします。」


はじめのご挨拶を本日世話役の俺から。

内容が穏やかで無いのは許して欲しい。俺の所為じゃない。


俺の言葉が通辞を通し伝えられると、堂内はザワザワと朝鮮語の騒めき。

先生の名前は翻訳書などを通して、朝鮮にもある程度知られているらしい。


「現在、三田の慶応義塾でも先生ご本人からの講義は稀にしかありません。本日は得難い機会と思ってご清聴下さい。」

言い終えた俺がズバッと視線を飛ばすと、慌てて頷く通辞さん。

内容が伝わると、使節団の面々は背筋を伸ばしてそれに答える。


穏やかな笑顔でそれを見守っていた先生は、数拍置いた後ゆっくりと語り始めた。


「天は人を平等に作った、とは米国憲法の一節だ。また西洋列強の法律にはほぼすべて同じような言葉が存在する。」


そしてこれは言わずと知れた『学問のすゝめ』、明治時代のスーパーベストセラーの序文でもある。


「つまりヤツらの観念上、人は生まれながらにして貴賤上下の区別はない。ところが実際の世の中にゃあ、馬鹿や利巧、貧乏金持ちがワンサカ居る。これはナゼか?」


そう言って先生は水を一口含む。

明け放した法堂の障子の向こうは、飾り気のない素朴な庭があるばかり。

何だかひと時代前の寺子屋に紛れ込んだような錯覚を覚える。


「その理由は明白だ。学問を修めた者が賢くなり、賢くなったものが豊かになる。学問とは単に規則を学んで礼儀を知るだけのモノを呼ばず、実学たる教養を指す。実学こそが人を富ませ国を富ますのだ。」


居並ぶ朝鮮高級官僚からは物音ひとつ聞こえない。

通辞の言葉を聞き漏らすまいと、全身耳状態で集中しているのが分かる。

ビビる通辞さんは時折俺に、小声で分からなかった部分を質問してくる。


「西洋諸国にも王が支配する時代があった。そして封建制と身分制度こそが、正統な国の形と言われた時代もあったのだ。なのにナゼ、近年になって奴らは平等などと言い始めたのか?」


やはり先生の話術は上手い。入りから人を惹きつけてやまない上手さってものがある。


「それはな、その方が効率がいいからだ。」


キョトンとする朝鮮の皆さん。


「封建時代とは人がモノを考えず、唯々諾々と支配者の命令を遂行していればいい、と思われた時代だった。ところが封建社会の支配者層は常に善ではなく、時に悪であることが多い。広く世間に知恵を求め、国の歯車を規則正しく回していくためには、人が平等である必要があるのだ。これは倫理じゃねえ、効率の問題なんだ。」


激しく頷いている人もいれば、首をかしげる人もいる。

独立党という進歩的団体の中にも、人によって人権への意識は様々だ。

そして玉均は.....目を見張ってその言葉を聞いていた。


「私は明治日本の知識層が、広くこの観念を理解できるよう、新しい言葉を作っていったもんだ。まず初めに『自由・独立・平等』という言葉を作った。これあ支那の言葉には無いものだった。」


通辞は先ほどからこの言葉に詰まっていたので、俺は帳面を出して鉛筆でさらさらと漢字を書いてみせた。通辞は帳面の字をちらりと見たが、むしろ鉛筆と帳面そのものに心を奪われたように見えた。


「自由とは何か?それは国から自身が干渉されない事だ。独立とは一人一人が国から一つの人格を以て扱われる事、平等とは身分出自の差が無く、人は皆等しい価値を持つって事だ。そうしてな、これは全て国が個人に対して約束しなきゃならねえ事なんだ。」


通辞は完全に破綻した。泣きそうな目で俺を見ながら、激しく首を振っている。

まーそりゃそうだ。今のハナシは半分くらい先生が作った言葉で語られている。


俺は仕方なく先生に目で合図すると、支那語で今の話を通訳した。

先生の造語はそのまま発音を支那語にする。教養として支那語を話す人たちは、そこで何となく合点がいったようだった。


『今のお話はこういう事だ。』

更に玉均が自分の言葉で皆に通訳して聞かせる。どうやら多少の予備知識があったようだ。


徐々に皆の顔に理解の色が広がってくる。先生は話を急がず、この様子をニコニコと眺めている。

そこからいくつかの質問が玉均に浴びせられたようで、彼はちょっと困った顔をした。


「そこの君、今のは質問だったろ?何が分からんのか遠慮なく言ってごらん。」

先生は玉均に対して、俺は聞いたことのない優しい言葉をかけた。


「こういう事もあろうかと、今日は用語説明の日にしようと思って来たんだ。」


恐るべき機嫌の良さである。

その後、俺と玉均と通辞は共同で先生の用語を翻訳していった。


先ず俺が支那語で訳す。その後通辞くんと玉均が検討した用語を、日本語と支那語で俺に提示し文章など作って検証する。

そこに聴衆諸君も参加してきた。支那語なら話せる者が多くいる。


期せずして法堂は、新しい朝鮮語を生み出すための大討論会場となった。

それぞれが自分なりに咀嚼した新しい言葉を、我こそが正しいと代わる代わる論証する。

3カ国の言葉が飛び交い、先生も審判として楽しそうに参加する。


「良いじゃねえか。これぞ学びだ。」


元々昼食前に終わるはずだった講義は終わりを知らず、筆記係の竹村は最早諦観した表情で庭を眺めている。世話役の若い和尚さんは、気を利かせて握り飯を差し入れてくれた。

若い朝鮮人たちは、握り飯を頬張りながらますます気焔をあげる。


俺は疲れも知らずに喋り続けた。

英語が基となる法律・経済・社会学の用語を、大天才福沢諭吉が漢字に落とした、日本の宝とも言える言葉たち。

それが海を越え、日本に文字をもたらした大陸へ逆に還っていくその様を、俺は確かに目撃していた。


通辞くんの手元には、漢字で書かれた夥しい半紙の山が築かれ、玉均は輝かんばかりの笑顔でその一枚一枚を見つめている。

基本用語がスッカリ片付く頃には、夕方を知らせる鐘が上野の山に響いていたのだった。


<<<<<<<<<<<<<<<


予定時間を越えたというレベルではない。

恐らく7時間は喋り続けたはずの先生は、上機嫌でおかえりになった。この後会食が入っているようだ。

世話役として俺は失格だろう。今日の午後の予定が全て飛んでしまったからな。

でも充実感はある。今日のこの日は、間違いなく朝鮮における学問のはじめだ。


朝鮮の若者たちは見送りもそこそこに、呆然自失とした様子で天井を見上げている。

ただ1人、金玉均は書き殴りの半紙の山を見つめ、眼に光るものを溢れさせていた。


「金参議。」

俺は玉均の横に立って声をかける。

玉均は溢れる涙の光る眼で、俺の方を見上げた。


「イヌカイさん、アリガト、アリガト。」

そう言って何度も頭を下げる姿には、彼のありったけの感謝が込められていた。


「言葉ミツカラナイ。ホント、感謝。」

「それは良かった。この後の学習に必ず役立つでしょう。」

俺は心底嬉しかった。知識への憧憬と探究心、俺と同じものを彼らの中にも見出す事が出来たから。


「明日もマダ講義ツヅク。早く帰ってコレをオボエタイ。」

そう言って再び半紙の山を笑顔で見つめる。彼らはこの後、宿に帰っても学び続けるのだ。


玉均は何やら朝鮮語で、若者たちに叫んだ。

あーとかうーとか、だるそうな声で若者たちが立ち上がる。でも皆んな笑顔だ。

俺と変わらぬほどの若者たち、きっと初めての東京でやりたい事もあるだろうが。


「旅館には夜食を部屋へ持っていくよう言いましょう。」

俺は玉均へそう伝える。


時間を取って日本の風呂も楽しんで欲しい。町へ出て賑わいを見ても欲しい。

それでも俺には分かる。今日の濃密な時間を消化するのに、まだまだ学びが必要なんだと。


「この後ナニガ学べるかタノシミ。」

玉均はそう言って涙目で笑う。

彼に対する俺のワダカマリは、少しずつ解けて消えつつあった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 人が蒙を啓く瞬間という難しい場面をうまく表現できていて素晴らしかったです。
[良い点] やっぱり近代日本の基本的な用語を作った福沢諭吉先生って本当に凄い人だったんだなって
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