士別三日
誤字修正ありがとうございます。
明治13年(1880年)9月20日
男子3日会わざれば.....とは言うが、この男は化けたなと感じた。
「児玉中佐、お久しゅうございます。」
「いや、頭山くんも本当にお疲れさま。」
何が変わったのかと言われれば、相変わらずの坊主頭に分厚いメガネ、細い眼という容貌は変わらない。
そう.....洋装なのは少し記憶とは違うかな?
しかしそこに漂う雰囲気は、私の記憶にある彼とは別人と言ってもいい。
「なんか随分と雰囲気が変わったね?落ち着きが出たって言うか....良い経験しているみたいだ。」
頭山くんはニヤリと笑った。
「そらーバリ苦労しましたけん。昔みたいに考えなしの行動は出来んです。変わった言うたらそげん事くらいでしょうか。」
今回朝鮮訪日使節団を案内して横浜までやってきた彼は、一足先に東京入りすると、夜にも関わらず真っ直ぐ市ヶ谷へ報告に来てくれていた。
朝鮮からの情報は近年急速に質が上がっている。そのほとんどが彼の功績によるもの、と興亜会の曽根さんからは報告が入っている。
彼の印象が変わったというのも、つまり一端の諜報員になったという事なのだ。
私は少々気分が重くなった。果たして民間人である彼のために、それは喜ぶべき事なのかどうか。
「苦労をかけるがよろしく頼む。朝鮮との協力関係は、我々の安全保障に直結する問題だ。」
私がそう言うと、坊主頭がゆっくり縦に動く。
「報告にも書きましたが、政治顧問のドイツ人がロシアへ接触しとります。」
「実に由々しき問題だが、表面化していない今の時点で、公式に問題とするのもまた悪手かな。伊藤総理には報告してあるが、李鴻章ともその件は議題としないという事だ。」
伊藤総理は既に上海入りしている。先の琉球処遇問題と朝鮮半島の件について、3日ほどの日程で会談を行う予定だ。議題が事のほか重いので、日程通りに終われるかは不明である。
この上ロシア問題は.....可能性として一致協力出来るかもしれないが、『ややこしくなるだけ』というのが外務省の見解だった。
「まあ清国が送り込んだ政治顧問が引き起こした問題ですけん、基本的にアチラさんの問題ですばい。」
「そうは言っても結果としてロシアが朝鮮を掻っ攫えば、我々としては対岸の火事と言えなくなる。」
外務省は事なかれ主義だ。列強に睨まれて条約改正が進まなくなる事を、神の怒りの如く恐れている。
ここは陸軍が絡め手を使ってでも、食い止めるべきなのかもしれない。
「無論表面化もしていなのに我々から問題提起する事は、当方の諜報能力をひけらかす様なもので意味は無いかもしれん。しかし結果として起こるかもしれない最悪の事態を考えると、両国一致してロシアの影響力を退ける、何らかの動きが必要なのだがね。」
「その件は何とかなるかもしれんと思うとります。」
うん?
「どうもこの動き、朝鮮内部でも歓迎ばされとるわけでは無い様です。独立党がドイツ人の周辺ば嗅ぎ回っとりますけん。」
「独立党が?」
「更に独立党が清国公使と接触しとる事も、ワシらの情報源が確認しとります。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。」
私の頭は彼の話について行けなかった。
「つまり独立党がメレンドレフ政治顧問とロシアが接触した事実を掴んでいると。その上で清国公使に....。」
「ドイツ人の処理を相談しとるという事でしょう。我々としては、その後独立党が清国と誼をつなぐ様な事が無いよう、牽制していかんといけません。」
「あのさ、頭山くん。」
「何でしょう?」
「君っていける口だよね?」
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「.....というわけで緊急に赤坂会開催の運びとなったわけ。」
「ただの飲み会ですね。いつも通り。」
「いや久しぶりじゃね、ツヨシ。」
満が朝鮮訪日使節団と一緒に日本入りしているとは聞いていたが、突然使いが来て赤坂へ呼び出し食らうとは聞いていない。
「オマエ朝鮮使節団と一緒に行動してんじゃ無いのか?」
「しとったばい。釜山から長崎、福岡、広島通って、京都、大阪、名古屋、横浜までずーっと、ずーっとな。もーえーじゃろワシも疲れたけん。」
いやそーだよねおつかれさん、と児玉さんがニコニコ満を労る。
「この後は暫く引率も、犬養くんに交代してもらうわけだね。」
「要人との面談は俺の範疇外ですよ。」
彼らはこの後、慶應で国際法と経済学に関する、幾つかの特別講義を受ける事が決まっている。
その数週間、お世話係が押し付けられるのだ。
もうすぐ子供も産まれるってのに.....かくなる上はできる限り俺の役割を削ぎ落とすしか無い。
「それで金玉均が清国と接触してるってのは?」
俺は朝鮮で独立党の指導者2人と面会している。印象は極めて悪い。
「そもそもドイツ人の政治顧問と清国公使が険悪な雰囲気になっとるたい。そこにきてドイツ人がロシアと接触しとる。その件ワシ等も嗅ぎ付けたが、独立党の連中も早々に気付いとったらしい。」
ロシアが出てきたのかー。なんか史実より随分と早い参戦じゃない?
「そうこうする内に、今度は玉均と清国公使とが頻繁に接触し出した。」
「独立党が清国に鞍替えしたって事?」
「玉均は竹添公使閣下と変わらず親密にしとるし、あの態度が偽りじゃとも思えん。恐らく邪魔なドイツ人を一致協力して追い出そうっちゅう、一時的な協力じゃろ。」
まあ確かに日本との協力関係を前面に出して、勢力を伸ばしつつある独立党が、今更清国に乗り換える意味はない。
今回の施設団イコール独立党勢力と見てもいい、と興亜会の報告書にあった通りとすれば、既に右議政の金弘集も独立党側に付いているわけだし。
「犬養くんの独立党に対する評価は低かったよね。」
児玉さんはニヤニヤ笑いだ。
「独立党に限らず朝鮮の国家体制は、奴隷制度を基本にした希望の欠片も無いモノです。彼らと理解しあうこと自体相当に難しい。」
俺が嫌悪感をむき出しにして言うので、児玉さんは笑うのを止めた。
「いやいやツヨシがそう言うんももっともじゃが、今回の訪日であいつら大分変りよった。」
満がビールをうまそうに飲んで、そんな事を言った。
「朴泳孝なんぞ日本に住みたい言うとった。玉均は庶民の暮らしぶりにたまげとる。ワシに一番聞いて来るのは、庶民の生活水準と身分制度についてよ。」
ふーん、そうですか。まあ興味があるって程度なんじゃ?
俺は彼らの中にある、選民意識がそう簡単に覆るものではないと思う。ドンインをゴミ同然に言いつらった、あの悪意が忘れられなかったのだ。
「取りあえず彼らがどんな人間であるかは、日本の利益と今のところ関係ないというのが政府の判断でしょう。福沢先生も割り切っておられるので、俺がどうのこうのと言う問題じゃない。」
はい、この話はおしまい!胸糞が悪くなってきたので。
「とにかく頭山くんとしては、朝鮮国内の問題であるとして静観するのがいい、という事らしい。参謀本部としては清国と協調してでも、ロシアと朝鮮との関係を排除する手段を検討すべきでは?という声も多い。」
児玉さんは声を潜めてそう言った。
「いや、俺も満の意見に賛成です。」
俺が即座にそう言ったので、児玉さんはフームと考え込む。
「ロシアが朝鮮にちょっかいを出してきたのは、現在清国との間で発生している蒙古での揉め事がらみと解釈するのが妥当でしょう。本命はあくまで蒙古で、朝鮮は陽動と思います。」
軍事的な圧力を朝鮮にかけられないので、政治的に揺さぶっている程度、と見なすのが正しい。
「其処に対して第3国の日本が軍事圧力をかけるのは、いささか筋の通らない話です。」
「犬養くんが外務官僚に見えてきたよ。」
「満がほっといて問題なし、と言っている訳です。児玉さんも現場の判断を信頼して下さい。」
満の努力は皆が称賛するほどである。
半年も経たぬうちにこれだけの成果を上げた友人を、完全に信頼できると俺も考えている。
俺の言葉に児玉さんはゆっくり頷いた。
「清国のケツは清国に拭かせろ、か。」
「児玉さんが大陸浪人に見えてきました。」
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明治13年9月23日
朝鮮使節団の逗留先である上野の旅館において、俺は久々に独立党の面々と再会した。
上野公園からほど近いこの旅館は、これから数週間貸し切りとなって警備体制が布かれている。
「イヌカイさん、ひさしぶりデス。」
相変わらずシュッとした顔の金玉均が、代表者として俺に相対する。
「金参議、お久しぶりです。日本滞在をお楽しみいただいてるようで何よりです。」
俺は礼儀正しく挨拶した。
「ホントに楽しんでマス。驚く事タクサンね。」
「参議は工場見学より庶民の暮らしに興味があると、頭山から聞いています。」
俺がそう言うのに玉均は大きく頷き同意する。
「日本は豊かだとカンジマス。ソレは大きな工場ジャナイ。人の暮らしからデス。」
ふと虚空を見つめて玉均は感に堪えぬという表情を見せる。
「人が人にケイイはらう。それこそ儒学のオシエ思いマス。わたしのクニは何かマチガエた。」
確かにこの男は変わり始めている。ミツルが言っていた通り。
しかしこの男は、あくまでも儒学の教えをベースに、自分の国がその解釈を間違えていると考えている。頭はいいけど、儒教に囚われているのは変わらないな。
俺がその事をストレートに伝えると、玉均はハッとしたようだった。
「アナタ頭いい。ワタシ今ハジメテ自分の考え気付く。」
自国の制度批判をしたつもりが、儒教思想を擁護している。その事に気が付いたならば、まだ見込みはあると言えるかな。
「私は初めてあなたと会った時、不快な気持ちになったのです。」
こうなったら直球勝負だ。どんどん投げ込んだる。
「私の友人である李東仁を、人間として扱わずに鞭打ちにした。その事を許すことが出来ませんでした。」
そう言って相手の目を見据えた。
玉均は静かに俺の目を見返している。其処に込められた俺の嫌悪感を、正確には理解していないだろう。
旅館の一階にある休憩所の素朴な椅子に2人腰かけ、俺たちは暫くそうしていた。
ガラスをはめ込んだ今風な窓からは、秋の朝日に照らされるイチョウの葉が、色付いてきたのが美しく目に映る。
遠くからは威勢のいい男たちの声が聞こえる。上野公園で進められている建設作業場で働く男たちだろう。
日本では職人階級にも相応の敬意が払われる。彼らの人生は豊かなモノではないかもしれないが、誰かから一方的な搾取を受けるようなモノにはならない。
それこそが国の豊かさの源であり、強さの土台になる。
「イヌカイさんの言うコト、ワタシまだ全部ワカラナイ。」
何も分かんねえのか少しは分かってんのか?しかし其処はツッコまずにおこう。
玉均は気弱く微笑んだ。その顔は俺に詫びているようでもあった。
「デモこの後ベンキョウ、少しでもワカルヨウにガンバル。」
俺は頷いた。俺の批判的な言葉に抗弁せず、自分のこれからの努力だけを語った。
この男を少し許すことが出来る。俺はそう思った。
2階からワラワラと人が降りてくる。使節団の面々が集合しつつあった。
今日は使節団代表の2人と井上外務大臣の会談が予定されている。それ以外の人は特別講義の初日だ。
「それじゃ、行きましょうか。」
俺は玉均を誘って立ち上がる。
彼らは変わった、と満は言った。俺はその変化を見届けようと思う。