竜虎同舟!勝海舟
こそっと再開(*'ω'*)
明治13年(1880年)8月23日
「これも頭山君の目覚ましい活躍に依るところだよ。」
「はあ。」
別に児玉さんを信じていないわけではないし、満たちの実行力であればある程度の結果を出すとは思っていた。
報告によると京城府の町中に日本の雑貨店を作り、貴族階級の顧客層を掴むことに成功。
一方遂にというか、ようやくドンインと連絡がついたらしく、東学組織とも協力体制を構築しつつある。
東学党は信者の一部を下人として政府組織に潜り込ませており、かなりの情報を握っているそうだ。
定期報告では、これまで公使館の伝えてきた内容とは質量共に桁の違う、正に機密級の情報が急増しているという。
俺の知らないところで、満とドンインが共同で諜報戦......すまん笑ってないワラッテナイ。
友人達の活躍はウレシイゾ、うん。
しかしあんなに目立つ2人が諜報活動とか、いかに朝鮮政府の情報管理がザルかって事だと思うが。
「頭山君もそうだが、玄洋社の諸君も現地語をかなり習得してきてるそうな。」
「はあ?」
それは流石に盛りすぎじゃなかろうか。
しかしハングルは文法的に日本語に近いから、覚え易いと前世で聞いたことがある。
イヤでも表記文字であるハングルは、まだそれほど普及してないはずだぞ。
そんな状況で語学取得とか....まあ出来ているなら良いんだけど。
今日は興亜会の新しい事務所に呼び出されている。
本格的に陸軍の情報組織として動き出した興亜会は、京橋の古い屋敷を引払い、陸軍省にほど近い市ヶ谷の真新しい煉瓦ビルに居を構えた。
もはや軍肝入りの団体であることを隠すつもりも無さそうだが、表の顔はあくまでも日清の友好団体である。
そして本日は清国公使館の方を迎えて、座談会が開催されるという事もあり、幹事兼通訳の俺が強制参加となったのだ。
興亜会立ち上げ以来一度も参加していないので、こういう時はやむを得ない。
其処に当然参加されている児玉源太郎さんから、最近の朝鮮情勢を聞いているというわけ。
「ここに来たのは初めてだよね?ツヨシ君も忙しいとは思うけど、もう少し参加してくれないと......。」
マッタク申し訳ありません。
「それにしても、袁世凱も計算違いでしたね。そのドイツ人が朝鮮側に同情的だというのは。」
力技で話題を変える。俺も政治家としてかなり成長したという事だよ。
いや話題を変えたのは児玉さんか。俺は軌道修正をしたまでだ。
絶賛活躍中の満がもたらした情報によると、傍若無人に振る舞っていた袁世凱が、様々な場面で政治顧問であるメレンドルフから説教やら妨害やらを受けているらしい。
「比較的まともな人物なんだろう。そりゃあ道理で言えば雇用主が朝鮮政府な訳だから、朝鮮側に有利になるよう努めるのが当然と言える。」
児玉さんはやや不自然に窪んだ頬を摩りながら、髭の形を気にしつつそう言う。
俺も人の事は言えないが、この人も相当痩せている方だ。
「でも清国政府から、清国のために働けと指示を受けてないんでしょうか?」
わざわざ李鴻章が日本への対抗策として、送り込んできた政治顧問だ。俺の疑問は当然だと思うけど。
「ふむ、私は思うんだけどね。」
児玉さんは真新しい応接室のソファーに腰掛けると、にやにやと白い天井を見ながらそう言った。
「清国政府の外交は、我国と同じで決して洗練されたものではない。これ迄の彼らのやり方と列強の規則は大きく違う。」
そう言って紙巻きを取り出した児玉さんは、俺にも一本勧めるとマッチで火をつける。
真白い天井に紫煙が立ち昇っていく。
「だが国際社会の中で地位を得ようと思えば、列強のやり方に合わせていくしかない。さも無ければ野蛮な国家として、世界からは孤立してその権利も認めてはもらえない訳だ。」
「他国へ政治顧問を送り込むのは、あくまでもその国の為にと言う建前が大事って事ですか。」
「清国は大国として振る舞おうとしているんだよ。だからこそ自国人ではないドイツ人を選んだし、列強の目を大いに気にしているわけだ。」
「ソレはそうでしょうけど。」
俺は不安だ。何しろ相手があの袁世凱、本国の意図なんかお構いなしの不確定要素。
「清国にも国際協調派と強硬派はいるでしょう。自国に寄与しない政治顧問に対して、反発する対外強硬派がいない訳がありません。」
「そうだね。勿論かの清国公使の動向は、十分注意が必要だ。」
児玉さんは言葉と裏腹にプッと噴き出した。
「そうは言っても飼い犬に手を噛まれるとかさ、いい気味じゃない?」
ああ、頬をさすったり天井を見たり、笑うのを我慢してたのか。
段々と参謀本部の人らしくなってますねえ。いや性格悪いって意味で。
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3時から始めるという通達があったにもかかわらず、2時過ぎには多くの参加者が興亜会事務所に集まり始めたようで、応接室の外からはザワザワと声が聞こえる。
参加者は主に軍人・漢学者・新聞人・ナゾの浪人などなど。
そして本日の座談会のパネリストである、興亜会会長 長岡護良さん、副会長の渡辺洪基さんがご到着。
「おお、犬養君!やっとお会いできたな!」
長岡さんは細川家のご出身。維新前は養子としてどこぞの藩主でもあった方で、新政府に出仕後外務省へ。
最近までケンブリッジに留学されていて、今度の華族法制定後は恐らく男爵辺りになるだろうお殿様である。
陽気な性格と国際的感覚で、こういった文化的な(?)組織の看板として持って来いの方だ。
紋付でご登場だが、何家の家紋なんでしょうね?こういう知識が欠落していると、迂闊に話題には出来ないのが浅学の身の哀しさ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。」
俺は平身低頭でご挨拶。
「いやいや、お忙しいと聞いているよ。今日は参加してくれてありがとう。」
いかにもお育ちがよろしい温和な言葉。でも維新前には政変の世に血をたぎらせ、城を抜け出し江戸まで一人で乗り込んだこともあるという、無鉄砲な側面もある人だそうだ。
「聞いてると思うけど、今日は清国公使館から参賛の黄遵憲どのが参加される。」
外務省大書記官の渡辺さんが、ニコニコと俺にそう告げる。
ヘイヘイ聞いてますよ、通訳のバイトね。
「それに福沢先生と勝先生もご参加だ。お2人とも人格者だから何事もないとは思うが、福沢先生の抑えは頼んだよ。」
.....何と仰いました?
福沢先生が?そして犬猿の中と噂される勝海舟先生がご参加?
顧問の皆さんは基本参加しないって言ってませんでした?
「今日は文化人であられる黄遵憲どのがご参加だからね。中村正直先生も来られるし、漢学者の皆さんは大いに期待してご参加になる。」
まあこの時代の知識人の基礎は漢学だから....イヤそういう問題じゃない!
「全く聞いておりませんでしたが!」
「聞いたら来てくれなかったろ?」
児玉さん....裏切りましたね?許しませんよ?
俺たちがメンチを切りあう様子を、長岡さんはニコニコとご覧になっている。
悪気が100%無いところが殿様だよなホント。
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興亜会事務所は数名の事務員と曽根さんが常駐しており、俺たちが控えている応接室のほか、事務所の脇にはソコソコの大きさの会議室も併設されている。
会場を覗きに行くと、曽根さんは既に一段高くした舞台へ着席されており、俺とは目を合わせないように顔を背ける。
やりやがったなオヤジ....覚えとけよ。
扇形に配置された机の前に、パネリストたちの名前が黒々と書かれた紙が吊るされている。
俺の席は黄遵憲さんの隣ね。そしてああ、福沢先生も俺の横に座んのね、くそっ。
勝先生は反対側の遠い場所へ隔離され、会長と一緒に席が取ってある。
俺はツカツカと壇上へ進み、曽根さんを見下ろして冷たい声を放つ。
「曽根さん、謀りましたね.....。」
ボソッという俺に向かって、慌てて手をブンブンとふるオヤジ。
「そ、そうではない!そうじゃないんじゃ犬養君!決して君を盾に揉め事を回避しようなどと...。」
オイ、本音がダダ漏れしてんぞ。
「かくなる上は盾にもなりますがね。それでも先生の暴走が始まったら、俺ごときでは止められませんよ。」
俺の言葉にヒキツルスパイの親玉。
「いやまさか世間体もあるこんな場所で、先生ともあろう方が感情的になるなど....。」
「あのくらいの方になると、感情を制御したまま暴走するくらい余裕ですよ。」
いやそんなイヌカイくーんと泣きそうな曽根さんを残し、俺はふっふっふと悪く笑って再び応接室へ。
笑ってる場合じゃないな俺も。
結党以来ナンヤカヤと忙しく、正月にご挨拶して以来例の交詢社設立パーティーも欠席してしまっている。
どうやって言い訳すっか...などど考えながら応接室のドアを開ける。
「おう、ツヨシ!久しいな!」
そこには福沢先生がいた。
「ご無沙汰して申し訳ありません。」
再び平身低頭の俺。
「まあまあ、忙しいのは何よりじゃねえか。子供ももうすぐ生まれるだろう?」
まさかのご機嫌先生でした。
どうやら興亜会の仕入れてくる情報は、逐一顧問としての先生にご報告されているらしく、『曽根は良くやっている』とご満足であるらしい。
「亜細亜が協調して列強に対抗する。こういう未来がそこまで来ている。」
あー先生それはどうでしょう。
「朝鮮の若いのも来月には来るっていうじゃねえか。楽しみだなあ。」
色々問題は山積みですが...先生が今日一日ご機嫌ならそれが最善だ、と思っちゃうところがイカンよね。
児玉さんや渡辺さんは、俺と先生が話す様子を見て安心しているようだ。
「さすが犬養くん、見事に切り抜けているようだ。」
「会の終わりまでこの調子で行ってもらいましょう。」
勝手な事をボソボソと....毎回こんな事続いたら脱会してやる。
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「清国を主軸に、亜細亜各国が一体となって列強に対抗する、このご趣旨は素晴らしいと思います。」
俺はかなり正確に、そして穏やかワードを選びつつ通訳を務めるが、言葉の端々にどうしても清国らしさがにじみ出てしまう。
やはり中華思想というのは度し難い。けれどもこの発言にも、それほど各位から反発する言葉が出てこないのは意外だ。
座談会の100名ほどの参加者の中に、この尊大ともいえる清国公使館職員の言葉に憤慨する人もない。それはつまりこの時代の知識人にとって、清国の巨大さがそれほどのモノだという共通の認識があるという事でもある。
そして発言者の黄先生にも、日本を挑発する意図などないのだ。それは極めて常識的な事なのである。
「黄先生の言われる通り、亜細亜の大国である清国が主導していかなければ、この地域の安全を守っていくことは難しい。」
福沢先生まで驚きの発言だ。
「そのためには清国も我が国同様、進んだ西洋の文化を学んでいく必要がありますな。」
ああ、それが言いたかったのですね分かります。
黄先生はそう言われて、別にムッとするでもなく穏やかに発言する。
「その通りです。清国は英国に敗れて以来、軍事面を中心に西洋技術を学びつつある。それは『中体西用』という言葉に表されています。」
『中体西用』というのは中華的価値観に正統性を認め、西洋の技術のみあれば清国は列強に対抗しうるとする、清国の西洋化運動のスローガンだ。
つまりそのくらい言い訳をしないと、西洋技術も導入できないほど儒教的価値観っていうのは厄介なワケ。
「太平天国の乱を『中体西用』の下で治めた、清国の柔軟な思考は素晴らしいですな。」
発言されたのは大河内輝声先生だ。この方もどっかの藩主であった人で、また漢学者としても高名なひとでもある。
「我が国もそうあるべきなのです。近年一部の者が過剰な西洋化を声高に叫び、井上馨などは西洋踊りを女子にさせて酒を飲もうなどとぬかす。我国には固有のシキタリがあり、西洋からは技術のみ取り入れれば良いのです!」
会場からは賛同の声が相次いで湧き起る。変革が起きるときって反発も起きる、そういう事なんですよね。
いち早く技術革新に着手した日本でも、こういう問題が発生している。
「ふむ、大学者たる黄先生のお言葉ですが、そこは少々異論がございます。」
出たよ。皆の者、福沢先生のお言葉を聞け!
「例えば只今、東京ではコレラが蔓延しております。これを元から断とうとなれば、薬だけ飲めばいいというモノではない。」
ビシリと言葉を投げつけ、福沢先生は平然と話し続ける。
「市民の衛正常識を変えていかねばなりません。生水は飲まず、身の回りを清潔に保ち、栄養ある食生活をおくる。治水や上下水道を整備する必要もありましょう。そうなってくれば生活様式そのものを変革する必要がある。『中体西用』などと生温い事を言っていては、この変革が起こせません。」
初めてピクリと黄先生の眉が動く。
「我が国は西洋技術の効果を最大限活かすべく、暦を変え、時の読み方を変え、税制・通貨・法制・人権のあらゆる面で変革を成しました。後生大事に儒教的価値観を守る『中体西用』でこれが実現できますかな?」
ザックリ切り込む先生。あのー、少しは通訳する俺の身になって下さい。
するとちょっと驚いたことに、離れた向こうの席で大きく頷く人が....勝海舟先生じゃないですか?
滔々と福沢先生の持論が続き、通訳する俺と漢学者が一様に冷や汗をダラダラ流す中、勝先生はウンウンとただ頷きニコニコとさえしているじゃありませんか。
何というか、仲悪いんですよね?この2人?
座談会はこうして黄遵憲どのがフルボッコされるという、友好団体にあるまじき状況の中終了となった。
長岡さんと渡辺さんは、頭を抱えて机の一部と化している。
勝先生と福沢先生を衝突させない、俺の任務は成功したわけだが.....。
うむ、これに懲りて迂闊に福沢先生を招聘しない事だな。
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「いやーウメエ!やっぱこれだよな!」
先生は漸くありつけたビールにご満悦である。
主宰者側が軒並み頭痛により全滅したため、打上げ的な会は執り行われず、俺と先生は赤坂まで歩いて『赤坂会』をいつも開く立ち飲み屋に飛び込んだのだった。
「なかなかいい店じゃねえか。」
気取った西洋料理も好きな先生だが、基本的にこういった庶民的な場所も嫌いではない。
「勝先生は何もご発言無かったですね。」
機嫌がいいのに任せて、少し切り込んでみる。先生は怒ったりすることも無く無造作に言った。
「勝さんは道理を分かった人だ。余程ひどい議論でもなければ、ご自身で発言する事は無いのさ。」
あれ?意外と嫌いじゃないのかも?
そしてつまり勝先生も、福沢先生がボロカス言ってた『中体西用』批判に同じ意見っていう事なのかな。
「先生しかし...今日は清国に容赦なく行きましたね。」
俺は笑ってビールをお注ぎする。こうやって2人で飲んだりするのは久しぶりで、ちょっと嬉しい。
「いやそうだな。清国の役人には刺激が強すぎたか。」
先生も大笑いでビールをグビリと傾ける。
「『中体西用』ねえ。まあ全部が全部デタラメって訳でもないんだがな。」
そう言うと漬物をパクパクと口に運ぶ。塩分は気を付けてくださいよ。
「その国固有の文化ってのは重要だ。そんなものは子供にだって分かる事だよ。だがモノを学ぶときには頭を垂れて教えを乞うのが一番大事だ。譲れねえものが前提にある学問なんて、何の効果も出やしないもんだよ。」
数々の決まり事やご法度を蹴散らしながら学問を続けた、時代の革新者ならではの言葉だ。
しかし頭を垂れた事なんかあんのか?俺の疑問は言葉には出来ない。
「清国は世界に隠れもない大国だ。英国に敗れたとはいえ、仏国・露国ともに簒奪を狙ってはいるものの、容易に手出しが出来ずにいる。それでもあの調子じゃあ西洋化なんぞ遠い話だな。」
「清国内はこの後どう動きましょうか?」
俺はシンプルに質問をぶつけてみる。
「少しはテメエで考えろ、馬鹿野郎。」
ご機嫌な時はお叱りも随分と軽やかなものだ。俺が少し考えていると、先生は再び口を開く。
「中国にも朝鮮にも言えることだが...日本がたどった改革の道を、両国が歩めるかどうかがこの先の課題だ。日本も政府が交代せざるを得なかった。両国ともそうなるしか道はあるまい。」
先生がビールを飲みつつ、ゆっくりとその脳裏に閃く事象を言葉に変えていく。
「日本はその後押しが出来る。願わくば新たな国の担い手が、親日本的な政府であることが望ましいわけだが....。」
俺はじっと先生の言葉を聞いていた。この言葉が後に時と場所を得て輝き出す事を、俺は経験から学んできたのだ。
「この後日本自身が如何に正気を保っていられるかが肝だ。」
「へ?」
何を言い出すのかと思えば、カギとなるのは他国ではなく自分自身だと。
「恐らく清国・朝鮮の現政府による近代化は頓挫し、日本の軍事・経済は飛躍的に成長する。その時に日本には2つの国が、カモネギみてえに見えるだろうな。政治家はともかく、日本国民はどう変わる?」
先生は自身に問いかけるようにそう言う。
今先生が注目するのは、各国政府ではなくその国民であるのだろうか?
俺は何となく、先生の中にこれまでと違う何かを見た気がした。
注)清国公使が駐留したのは、史実で確認できるのが1884年からです。
また長岡護美氏はこの時期恐らくヨーロッパ駐在員だったと思います。
細かいところは勝手に改変しております。ご容赦くださいm(_ _)m