土用の背広
明治13年(1880年)7月19日
土用の丑である。となればうなぎ.....。
俺と藤田さんは田原町の『大江戸』でランチ中。藤田さんのゴチだ。
「おみやげ買って帰ろうか....。」
綾さんはうなぎが大好物である。妊娠中って食べても大丈夫なのかな?
悩んだ挙句にかば焼きを3つ包んでもらう事にした。
店内は土用という事もあって、お客さんでごった返している。早めに頼んどかないと、いつまでも待たされそうだ。
「奥さんは順調かい?」
藤田さんは2児の父である。
「お陰様で。子供もお腹けったりするようになりました。」
ハタから見れば俺は顔が緩んで、さぞしまりのない事だろう。
こーなると男の子?女の子?ってな話になり、綾さんは『絶対男の子です!』と言って譲らない。
時代が時代だから俺は何にも言わないんだど、女の子もいーよなーと密かに思っている。
でも元気に生まれてくれればどっちでも。
この時代コレラの流行なんかもあって、成人までに亡くなってしまう子供の数はすごく多い。
ところで俺たちが何で浅草でメシ食ってるのかというと、実は大した事ではない。
『ツヨシその背広いいよねー。』とあんまり藤田さんがしつこいので、俺の知ってる仕立て屋をご紹介することになったのだ。
今日たまたま永田町で用のなかった俺は、ウナギにつられて浅草案内。
仕事中っすけどいいんでしょーか?
「仕立ても良さそうだけど、その裏地なしの設計がいいよね。」
藤田さんは改進党のファッションリーダーでもある。
この時代まず誰も着ていない俺の上着を見て、どーしても欲しくなったんだそうな。
いや洋装自体まだ珍しいんですがね。
大体総裏の上下なんて真夏に着てらんねえし。暑さで気が狂いそうになる。
それでも改進党スタイルを貫く党員たちは、汗だくでも意地になって着てるのだ。
少々付き合いきれない。俺はズルする。
「これ意外と難しいんだそうです。裏地で隠せない分、布を断ち切った部分にいちいち生地かぶせてミシンかけてるんで。」
そんなもん縫えねえよ!と言う仕立て屋さんを説得し、無理やり縫わせてしまった。
勿論仕立て代は言い値で払ったし、大原さんから送っていただいた生地の余りは差し上げている。
「大原さんの処の生地?それって....。」
「はい、綿生地です。」
コットンでスーツなんぞこの時代は少ないはず。
白銅色の生地は爽やかな肌触りで、見た目にも涼しげだ。
「何と....そんなのもアリなのか?」
「アリでしょう。」
汗やらアイロンやらで変色しちゃう危険性はあるけど。
「なあ....その生地余ってないかな?」
えー藤田さんとカブるんですかー。いやっすー。
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浅草の町で今話題なのは、最近会社申請が許可された『馬車鉄道』だ。
新橋駅を通って浅草広小路あたりまで、軌道線路の上を走る馬車を開通させる計画だという。
現在東京府内では許可なく馬車を走らすことが禁じられており、人力車が基本。郊外に出ると辻馬車なんかが利用できる。
これが開通すれば結構便利....と思いつつ、海外へ行った事のある皆様に話を聞くと、『馬糞がエライ事になる』と皆さま口をそろえて警告する。
そーか夏なんか大変っすよね。臭いが。
その辺り対策が必要なんでしょうけど...車の登場ってまだまだ先だよなあ。
俺と藤田さんがそんな事を話しながら、暑い中てくてく歩く事15分ほど。
浅草橋のほど近い『浅草テエラア』に到着する。
ご主人の村井さんは、横浜で15年仕立てをやって来たベテランさん。でもまだ30代。
元々ご実家のあった浅草橋で、去年自分の店を開業した。
なんで俺が知り合いかといえば、横浜のラーメン屋で知り合ったのさ。
「生地の仕入れがバカになんねえからさ、元手がかかって大変よぉ。」
いつも愚痴っているが、腕は確かで客の入りも上々である。
この時代は仮縫いやって合わせて修正、最後にもう一度確認するので、1着作るのに最低でも3回来店が必要。
東京住まいのお客さんは横浜まで行くのが苦痛、モチロン上得意にはお宅まで伺うサービスもしていたが、そうなると今度は店番が大変、とあって村井さんの東京進出はWIN-WINだったそーな。
『浅草テエラア』は深い茶色の木の格子に、ガラスをはめ込んだシャレオツなたたずまい。
外から店内の作業風景が見え、おやっと思わす仕掛けである。
「村井さんコンチワ!お客さん紹介するよ。」
カランカランとドアに取り付けられたベルが鳴り、中の店員さん達がこちらを振り返る。
「ああっ!犬養さん来たよぉ...。ちょっとっ!」
店主の村井さんがそう言うなり手招きする。ナニいま舌打ちしたか?なんか問題?
「問題も何もアンタ....例の裏無しジャケッツよ!」
コレ?
俺は着用している上着の前立てをつまんで持ち上げる。
「そーだよコレだよアンタ!これを仮本縫いしてた期間に、いろんな人が見て気に入っちゃってさあ!今ウチはこれのオーダーでテンテコマイよ!」
ソンナコト言われましても....。
「何しろこれぁ手間が半端じゃねえからさぁ!ウチでも縫える奴ったら二人だけだ!買ってった人がいろんなとこで自慢するから、新しモン好きが押し寄せやがってよお!いやテーヘンなんだぁ!」
そう言って向井さんはカッカッカと笑う。
何だよ結局売れてて楽しいって話ですか。いーじゃないですか売れてんなら。
「お、そんで今日はご紹介?嬉しいねえ!はじめやして!村井宗吉と申しやす!今日はどんなご要望で?」
「ああ、いや、初めまして。藤田茂吉です。」
藤田さんは言いにくそうに挨拶する。
「あのー、私もその、裏地ないヤツを頼もうと思いまして....。」
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午後は本部でせっせと事務仕事。
バイト君たちも役に立つんだけど、どうも書状は俺が書かないといかんらしい。
それは転生したとき直ぐに気付いたことだが俺って達筆!
だから地方支部の皆さまは俺の書状が欲しいらしい。なんで?連絡事項なんか誰が書いたって同じじゃん?
それでも支部長にお会いするたびに『書状は是非、木堂先生直筆で』を繰り返されると、他の人に書かせる事に罪悪感を覚えるようになる。
しーかたがないからおてがみかーいた♪っつーコト。地方支部は大事だしねえ...。
「あっついんである!イヤーあっついんである!」
「おお、犬養君おつかれさま!」
総裁・副総裁揃い踏みである。
大隈総裁は日ごろ財務省で勤務、後藤さんは党代表として集会などに参加している事が多い。
「お2人そろって珍しいですね。」
「いやいや今日はアレだよ。伊藤さんとお話ししてきたんだよ。」
ああ、そーでした。政府与党会談ってとこですかね。自分で設定したスケジュールだった(てへぺろ)。
「李鴻章との会談が決定したそうだ。。秋には上海へ行くって言ってたよ。」
「さすが素早いですね。」
でもやっぱ伊藤さんが行かなきゃだめかー。相互訪問っていう考え方も清国には無いよね。たぶん。
「それから朝鮮の修信使来日が決定した。これも9月頃だね。」
「黒田さんが江華島事件の折に派遣された返礼であるな。こんな簡単なことに4年もかかったんである。」
まあまあ、其処は朝鮮の内情を知っていれば何となく理解できる。
そんな事に4年もかかる国情なのだ。
「近年の関係回復によるところが大きいんじゃないですか?」
花房さんの努力と立見さんの実力が効いているんでしょう。
清国の動きは不気味だけど、一歩ずつ前進してると思いたい。
「それで誰が来日するんでしょう?」
使者のランクは大事な問題だ。
「右議政の金弘集が来るんだって。これは中々期待できそうだね。」
おお!ミツルの報告にもあった金弘集!
最近では独立党に同情的だそうだし、そうなると従者として独立党の人が何人か来るかも?
これは福沢先生にもお伝えしておこう。
「今日の主な議題は集会・新聞条例に関する事だったんである。」
大隈さんはそう言ったが、ご機嫌は良さそうなので悪い話ではなかったのだろう。
「品川君にも困ったもんである。だが伊藤総理と吾輩は大反対、閣僚も半数以上は反対を表明しておる。」
谷陸軍大臣は欧州視察へ行ってしまっているが、それでも藩閥派には対応できる状態らしい。
「政党には生命線とも言える問題ですからね。」
「うむ、何としても阻止せねばならんのである。」
「伊藤総理が確約してくれている。改正はないだろうが。」
後藤さんは不満そうである。
「現行法でも解釈によっては、厳しい取り締まりが可能だ。伊藤さんには届け出済みの政党に対しては、取り締まりの緩和を要求してきた。」
藩閥大嫌いのお2人の共闘、史実には無かったパワーが政党側にある。
ものすごい安心感。
むしろ藩閥側の方が押されている感じ?
「ところでさっきからスゴイいい匂いがするんだけど...もしかしてウナギ?」
「おお!今日は土用であるな!」
あげません、ゼッタイ。