川開き
いつもお読みいただきありがとうございます。
久々に犬養毅視点です。
明治13年(1880年)7月11日
「先生!ひ、引いておりますう!」
金之助があたふたと糸を手繰り寄せる。
「おお!急げ!いや、急ぐな!ゆっくり確実にいけ!」
俺の指示もメッチャクチャである。
二人ともド素人の海釣りだ。俺にしても子供の頃やった事があるくらい。
以前から顔見知りの漁師に『暇があったらおいで』と言われていたので、朝からてくてく海までお散歩し、2人で初挑戦といった次第。
「ごめんください。清住の犬養ですが....。」
お言葉に甘え釣り糸と針を貸してもらい、エサは?となると『そこらでイソメでも採んな』と言われる。
「先生、イソメとは何でございましょうか?」
「うーん、知ってることは知っているが....。」
あの凶悪な多毛類だよ。
好きな人っていないでしょ。特に見た目。閲覧注意よ。
しかたないので前世の知識を頼りに、干潮の磯で採取。
「ぎゃあああ!!!なんですこの不気味な生物はあ!!」
金之助は都会っ子である。少し修行が必要だねえ。
だが勿論こいつらは俺もキモチ悪い。
麦わら帽子に綿絣の単衣。朝日に輝く海と青空。
なんだか夏休みの田舎へ迷い込んだようだ。
俺たちは漁船の係留されている桟橋から糸を垂らす。竿なんかないんですよ。
そうしていきなり冒頭のフィッシング!と相成った。
「そうそう、ゆっくり行こうゆっくり....。」
銀色に輝く小さな魚影が見えてくる。
針には反しがないので、暴れられると外れてしまうそうだ。
なんでも古くなった縫い針を曲げて作るらしい。釣り糸は高級品、支那の蛾から採れるんですと。
蛾?
「せんせ~これどうやって引き上げましょう?」
慌てるな。そこはさっきお借りしたタモ網でな......。
ゲット!お見事!綺麗なキスが釣れました!
「先生!!」
「どうだ?楽しいか?」
「はい!」
ニキビ面の金之助めっちゃ笑顔の巻。なんか夏休みのおとーさん気分である。
これまたお借りしたビクにキスを放り込む。
「せんせ~。イソメが気持ち悪いのですが....。」
再び餌の取り付けに苦労する金之助。そこは我慢せい、男は我慢だ。
「ぎゃああああ!!!!噛まれた!!!せんせいコイツ噛みつきますう!!!」
俺は思わず大声で笑ってしまった。梅雨の終わりの夏空が気持ちいい。
そうして俺たちは昼頃まで粘って釣りを続けた。
時間の経過と共に、次第に影が小さく濃くなっていく。
小さな鰈やアイナメ、ハゼなんかが面白いくらい釣れる。
だって海キレイだもんな。
干潮が進むと少し沖合の方に、沈没した船が海底に放置されているのが見えたりする。
更に沖合では小舟で何やら作業する人々。
あれって海苔の養殖かいな?
昼飯は綾さんが握ってくれたおにぎり。外でいただくと倍ウマい。
「先生、奥様はそろそろご実家にお戻りになるので?」
「うーんそうなんだけどねえ...。」
綾さんもそろそろ妊娠7カ月。安定期に入ったので、実家へ戻って出産準備に入ってもいい頃だ。
それでも今一つ乗り気でないのは、お義姉さんのれつさんに子供がいないためである。
『私が出産となれば、お義姉さまにいらぬご心労をおかけするのでは....。』
なんて言っているので、実家に戻る踏ん切りがつかない。
そーいうの気にするんだ...まあそうか。
矢野さんはすっかりその気になっているので、毎日のように俺に言ってくるけどね。
お義姉さんもそんな事気にしていないと思うのだが。
まあウチで出産となっても、渋沢さんとこの奥さんやら近所の方々やらが世話好きなんで、問題ないっちゃ問題ないが。
実家と言ってもご両親がいるわけでもないし、本人の判断に任せよう。俺はそう決めていた。
「これはどうやって食べるのでしょうか?」
今日の釣果を満足気に見ながら、金之助は嬉しそうに聞いて来る。
「そうだな。塩焼きや汁にしても美味いんだけど、ちょっと工夫して揚げ物もいいかもな。」
「天ぷらでございますか!!」
家庭では油はあまり使わないので、揚げ物を食べることは多くない。
でも以前、渋沢先生の処でかき揚げ食ったし、先生のお家に行けば鍋やら油やら都合していただけんじゃない?
「よし、そろそろ戻ろうか!」
「はい!」
俺たちは漁師さんへ少々心付けを渡してお礼を言い、意気揚々と磯を後にした。
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帰りの足でそのまま渋沢先生のご自宅へ。
御在宅だった先生へあつかましくお願いすると、そんな事なら魚をウチに置いて行けと言う。
「夕方に皆でウチにおいで。唐揚げにして一杯やろうじゃねえか。」
今日はたまたま隅田川の川開きであるという。渋沢さんは『両国川』と言い張るが。
「ウチの二階から花火がチラッと見えるぜ。」
おお!それはもしや隅田川花火大会!なーるほど、川開きの見世物だったんですね。
ウチに戻って仔細を綾さんへ報告。
「いいですね!そんなに長い時間でなければ是非!」
この時代、花火なんてそうそう見れるものではない。
ご馳走になってばかりじゃいけないのでは?という綾さん。
「大丈夫じゃない?なんせ魚はウチから持って行ったものだし。」
俺がそう答えると、金之助も釣りの様子を詳しく綾さんへ報告する。
イソメの話を面白がって聞く綾さん。
きっと綾さんは平気だろう。虫やらゴキさんやらは素手で退治してしまう人だし。
そんなこんなで夜。
俺たちは風呂を済ませ、浴衣に着替えて渋沢家をご訪問。
かなりお腹が大きくなってきた綾さん。
サポーターとか存在しないこの時代では、サラシを巻いてお腹を支えるんです。
俺も後ろ側からお手伝い、いやいや前は見てません見てませんよ。
渋沢家の玄関口でご挨拶すると、奥様の千代さんにお出迎えいただきました。
「今日は大勢で押しかけまして、申し訳ございません。」
俺より先に綾さんが挨拶しちゃう。
日ごろから何かにつけ、お世話になったりおすそ分けしたりの仲だ。
「いーのよいーのよ!ゼンゼン!美味しそうなお魚たくさんいただいちゃったし!」
確かに40匹以上獲れていたはず。
お子さんが3人いらっしゃるが、それでも楽勝でしょう。
2階の座敷で食事の準備が出来ている。
渋沢家の長男、篤二君は金之助より少し年上で、これも普段から仲のいい友人というか兄貴のよう。
2人とも芸術系雰囲気を持っているし、話がとにかく合うらしい。
「こっち向いて座んな。そのうち花火が見えっから。」
俺よりも小柄な渋沢先生、ちょこちょこと動き回って綾さんに気を遣ってくれる。
美味そうな魚が並んでいる。
少し大きめの真鯛とアイナメは塩焼きに。
小ぶりの鰈やハゼは天ぷらじゃなく唐揚げになって運ばれてきた。
ほくほくの白身とカリッとした歯触りがすんばらしい!骨まで食えるわコレ!
渋沢先生と俺はビールで昇天しそうになった。
「美味しいです!これは美味しいですう!」
綾さんもそーとー気に入ったようだ。奥様から作り方を熱心に聞いている。
「油の扱いが危ないから、出産後にしなさいね。」
千代さんは優しく綾さんに注意する。俺がそんな事させませんよ。ええ。
「どうでえ憲法の塩梅は?藩閥のお歴々から茶々が入っているそうじゃねえか?」
こちらは親父同士で仕事の話。
「茶々って言わずに閣議と言ってください。」
渋沢先生はとにかく生粋の江戸っ子という感じだ。
そーだなあんなんでも閣僚には違えねえと、嬉しそうに笑いながらビールを流し込んでいる。
「それでも噂になっているぞ。藩閥側が議会の権限そぎ落とそうとしてるっていうじゃねえか。」
「そんな事させませんよ。井上毅って人は筋の通った人ですから。」
スジ通り過ぎて敵になるとかなりヤバイ。
福島事件の時は危うく民権運動が壊滅するところだったからな。
「どのあたりで落ち着くんだね。国会の権限は。」
「そうですね...衆議院の予算優先審議、政府案への協賛権、請願の審議権、法律提案権あたりでしょうか。」
意外と多いと思ったのだろう。渋沢先生は目を大きく見開いた。
「その協賛権ってえのは何だい?」
「はい。国家行為に同意を与えて、その行為を有効にする権限です。特に立法に関しては国会の協賛がなければ無効です。」
「ほおー、大分踏み込んでるねえ。よくそんな条項を呑ませたもんだ。」
渋沢先生は感心する事しきり。
「まだ通ったわけじゃありませんよ。これからです。」
「勝算はあんのかい?」
俺は一度ビールを口にする。ウマし。渋沢先生は団扇をパタパタとさせている。
「どうやら藩閥の最大の目標は華族制度の改正です。自分たちが華族に列する事がまず大事。そこから貴族院を押さえて、衆議院を牽制したいという狙いのようです。そこのところを譲ってしまえば....。」
「けっ、馬鹿な野郎どもだ!お殿様になりてえってか!」
渋沢先生はそう吐き捨てて、またビールを流し込んだ。
でも先生、アナタも確か男爵とかになっちゃうんですよ。先の話ですが。
その時北の空が明るくなり、遠くに光の花が咲いた。
「ああ!アナタ見てください!花火が!ほらあそこに!」
綾さん大はしゃぎである。
「おお本当だ!綺麗なもんだねえ!」
本当にキレイだ。同じ火薬なのに武器のように人の命を奪わず、人を楽しませるためにある。
「いやーいいもんだろ?どうだい、日本に生まれて良かったじゃねえか?」
渋沢先生はそう言って笑った。
明かりの少ない漆黒の夜空に、平和の光が大輪の花を咲かせている。
清住から花火は見えたか?は検証しておりません。
心の眼で見てください。(*ノωノ)