朝鮮.夏至
すいません2日ほど空きました。
陰謀渦巻く新章スタートしております。
メレンドルフのロシア接近は史実では1885年くらいだったと思います。
朝鮮の官僚の皆さまは実在の人物がほとんどですが、それぞれ役職・官位は史実と異なります。
引き続き金玉均視点でお話し続きます。
光緒6年5月14日(1880年6月21日)
「定陽、玉均。メレンドレフ殿の話は他に誰が承知していのか?」
議政府の一角にある執務室。
右議政の金弘集様が朴判書と私へ質問する。
知るかそんな事!想像したくもない。
だが朴判書はしゃあしゃあと答える。
「閣下、無論このような機密に関わる事、この場にいる者以外は承知しておりません。」
あ~どうだか分かったモノではない....。
私はただ頭を下げ、発言する事を放棄している。関わり合いになりたくないのだ。
金弘集閣下は学者としても知られた頭脳明晰な方だけに、朴判書の軽率な話の進め方にはさぞやご立腹か...と思ったが、その反応は予想に反して穏やかなものだった。
「ロシアの意向が今のところ不確かである。メレンドルフ殿任せにしていては、いつまで経っても話は進むまい。定陽、君がメレンドルフ殿と一緒に、極秘に接触するのがいいだろう。」
朴判書の顔がぱっと明るくなる。
「閣下!では、ではこの件、進めさせていただいてよろしいので?」
おいおい、本当か?進めてしまうのかこの話を?
「うむ、しかしロシアは貪欲さで明らかに清国や日本を越えてくる。先ずは向こうの意向だけを探れ。口約束1つも決めてはならない。分かったか?」
そんな抑えが効くような人ではないが...これは私がついて行くしかあるまい。
出来の悪い領袖であっても、独立党としては唯一の旗頭だ。
何としても定陽を守らねば....せめて代わりの人物が見つかるまでは。
「では早速私がメレンドルフ殿と相談のうえ、具体的な日時を調整してまいります。」
私が発言すると、何故か金閣下は怪訝そうに私を見る。
「玉均、これ程の重大事、かける人数は少ないほど良い。君はこの件に関わるな。」
閣下がそう発言されると、朴判書の喜びは頂点に達したらしい。
「そうだ玉均、かような機密に君が首を突っ込むのは良くない。今日もどうしてもついて来ると言うから同席させたが、以降はこの件に口出しは無用だ!」
....どの口がそんな事を言うのか。
本当にこの方しか選択肢はなかったのだろうか?
「畏まりました。それでは私はこれで。」
私はこみ上げる怒りをなんとか抑え退席する。
ニヤけた顔でこちらを見る朴判書が途方もなく鬱陶しい。
「いや、待ちなさい玉均。」
金閣下は退出しようとする私を呼び止める。
なんだ?
「この話はくれぐれも他言無用だ。定陽、今日はこの辺でいいだろう。玉均に私から注意を与えておくから、2人で話をさせてくれるか?」
朴判書は快諾して席を立つ。
通りざま私を嘲笑するように見下して行った。
おのれ絶対代りを見つけてやる!あなたなどただの飾りよ、覚えておけ!
朴判書が退室し、執務室には私と右議政閣下の2人が残される。
「どれ、帰ったか...、玉均よ。」
「はっ!」
私は再び頭を低くする。別に好んでこの場に同席したわけではない。
上司であるあの方が、同席せよと言うからわざわざ来たまでの事。
だが政府ではこうやって、下役が上役の泥をかぶるのが日常的だ。
何と下らぬ儒教精神!反吐が出るわ!
「君がついていながら、どうしてあの男はああも脇が甘いのだ?」
「は?」
何やら風向きが違うな。取りあえず謝っとくか。
「いや...申し訳ございません...。」
「良いか玉均。いま我らが目指すは清国と日本の拮抗を利用し、我が国にとって最高の条件を両国から引き出すこと。さらに旧弊した制度を刷新するために、新しい知識を両国から学んでいくことだ。決していい考えとは言えんが、現状こうするより外に道はない。」
なんだ、分かっておられるのではないか。
「そこにロシアを引き込んで一体何の得があると言うのだ?2国だけでも一触即発であるというのに、あのような貪欲な列強が絡んできては、我が国を舞台に戦争してくれと言っているようなものではないか?」
いや、私に言われましても...。
「申し上げます。私が朴判書よりこの件伝えられましたのは、メレンドルフ殿との相談がまとまった後でございました。私としましても正に青天の霹靂と申すもので。」
情けない話だが、一応言っておかずばなるまい。
「そんな事は見ればわかる。あれは馬鹿者だ。」
それは...独立党としてはやや厳しいお言葉ですが。
「玉均よ。君たち独立党は日本のよき部分を学び、我が国に取り込もうとする考えであったはず。おまけに既に軍事面での成果も上がり、それを評価しての六曹入りであるのだ。何故いまロシアなどにかまける必要があるのか?」
いちいちご尤も。返す言葉もない。
「申し上げます。朴判事は最近になって我ら独立党へ与力頂ける事になった、いわば新入の党員です。我らの掲げる理想を十分ご理解いただけていない面もございます。」
「なんでまたあんな男を引き込んだ?」
「.....ほかに適当な人材もおりませず....。」
官僚とは概ね事なかれ主義だ。少々極端な理想を掲げる我々に、同調頂ける高級官僚は数少ない。
というよりほぼいないのが現状なのだ。
若い構成員ばかりでは政府高官を務められず、結局国を動かすことも出来ない。
あの方だって悪いところばかりではない。
そう思っていたのだが。汗が流れ落ちる。
窓は開け放たれているが、今日は馬鹿に夜風も蒸し暑い。
金閣下の言われる通り、人を選び間違えたのだ。
選択肢がなかったとはいえ。
「とにかく君はこの話に関わるな。」
「はっ!」
「そしてこの話は潰してしまえ。」
「は?」
思わず顔を上げる。
謹直堅実な右議政の顔が不気味に歪んでいる。
「あのような愚か者は切り捨てよ。後は君が判書を務めればいい。」
「いや、しかし、私のような若輩では。」
まだ数えで31歳の私が大臣職になど!それこそ嫉妬を一身に浴びて足を引っ張られるのがオチだ。
「我々は旧弊を廃し、新しい国を作っていかなければならん。日本には30代の大臣など珍しくもないと言うじゃないか?ならば我々がそうして何が悪いと言うのだ。」
噂にたがわず冷静にモノを考える方だ。
私は少し落ち着きを取り戻した。
「しかしそうなれば私は誹謗中傷の的となりましょう。」
すると金閣下は驚くべきことを口にする。
「心配は無用だ。今後独立党はこの金弘集が後ろ盾になる。」
なんと....?
「聞こえたか?玉均。今後は私が君たちの庇護者となる。存分に活躍してもらいたい。」
それは...この方が我らに価値を見出したという事か?それとも思想に共鳴したという事か?
ただ利用したいだけとも考えられる。若手官僚の多くが、我々の同士となっているからな。
「1つお伺いいたします。」
私は腹を括った。ここまで言われたのだから、確認せずにはおられなかった。
「なにかね?」
「右議政閣下におかれましては、何故我ら独立党を庇護しようとのお考えに至られたのでしょうか?」
まっすぐに金閣下を見つめてそう尋ねた。答え次第ではこちらの打つ手も変わってくる。
「先ほどから言っている通りさ。」
閣下はややくだけたモノの言い様になる。
「旧弊打破、新制度の導入こそがこの国に望まれる事だ。だが清国に頼るもの達には、かの国が旧弊を打破しているように見えるのだろうか?私には到底そうは思えぬ。」
心に希望が灯った。この方は分かっているのだ。
「改革は進めねばならない。独立党が反政府に走らぬ限り、私は君たちを庇護しよう。」
「はっ!!」
途轍もない好機だ。だが....。
「先ほどのお話ですが、朴判書を切り捨てるとは...。」
「君たちの領袖としてあまりにも不適当だ。このロシアの企みごと切って捨ててしまえ。」
随分と乱暴な話である。そんな事が可能なのか?またしても汗が噴き出してくる。
「どうしたらよいのか分からんようだな、玉均。」
右議政閣下は穏やかに私へ問いかける。
全くもって見当もつかない。
「申し訳ございません。非才へご指導賜りますれば...。」
「ふっふっふ。さすがに君の歳では、こういった方面に頭は回らんか。」
またしても顔を歪ませ、暗い笑いを浮かべる金閣下。
「メレンドルフ殿から持ち込まれたロシアとの企み、朴定陽に任せて進めさせる。」
「進めてはマズくありませんか。」
酷く熱い。いやな汗が止まらぬ。
「あの男以外に関わるものはいない。君はどうにかして、定陽とメレンドルフ殿とが交わした書簡を入手せよ。証拠になるものなら何でもよい。」
「それは....機会はあると思いますが。」
額の汗を官服の袖で拭う。赤い官服は従三位より上の官位を表すものだ。
初めて袖を通す赤い官服、その色がべったりとついたようないやな感触が額に残る。
「かの仁は清国から派遣されておるのに、清国公使と仲がよろしくない。」
袁世凱殿か...まさか彼に?
「玉均、君はかの清国公使と接触しなさい。ロシアとの企ての証拠を彼に提示すれば、メレンドルフ殿も朝鮮にはおれぬようになるだろう。当然定陽もクビだ。ロシアは当面朝鮮には手を出してこぬようになる。」
清国公使を利用して?それは..その考えは危険ではないか?
「これで問題も解決し、清国公使へも恩を売ることが出来る。政治とはこのように進めるものだよ。」
「はっ!」
やるしかない。この国を変え、儒教の悪しき風習を廃し、未来ある国を作るために。
私は執務室を辞し、仲間たちへ連絡を急いだ。
官服は既に水を浴びたように、汗に濡れて斑な模様がついていた。
金玉均は後に日本へ亡命後、李鴻章(の部下だったかな?)との会談を行うため、出かけた先の上海で暗殺されてます。
清国とも連絡手段があったわけですよね。あたりまえですが。
袁世凱と金玉均の間にやり取りがあった、という仮説で書いてみました。