改進党の要求
明治13年(1880年)5月24日
今日も内閣官邸で憲法取調室のお仕事です。
コワシさんが方針案の閣議審理を持ち帰って来たので、その報告が主な内容。
今日は伊藤総理もご参加である。実はこの席上、もう何度かお会いしている。
心の中で『千円札....』とニヤける段階はすでに通り過ぎた。
それに総理はあの肖像画より丸っこく、何というか情熱的な顔つきの人だ。
髪も随分と黒いし印象はだいぶ違う。
折角の機会なので、俺はさり気なく朝鮮情勢について話題をご提供。
どこまで喋って良いのか自分でも加減が分かんなくなって来てるので、世間でも話題になっている大院君のお話と、『知り合いから聞いた』政治顧問の噂をご披露する。
「犬養君は色んな情報源を持っておるな?」
総理は考え込んでいる。同じ情報が参謀本部から伝達されているハズですよね?
「朝鮮にはナゼか関わる事が多かったので。知り合いも多いんです。」
そういえばミツルの奴、ドンインの話をしていかなかったな。
まだ会ってないのかな?袁世凱に先越されてるぞ。
「清国が政治顧問を派遣するとなると.....すぐには問題も起きんだろうが、確かに話をする必要はある。」
細い目をさらに鋭くした総理の表情は、どことなくモンゴルの勇者みたいな感じ。
「昨年は朝鮮国内でも事件があったし、琉球の問題も解決したわけでは無い。両国の衝突が起きんよう、1度胸襟を開いてみる必要があるな。」
「....と、後藤さんも言ってました。」
ちゃんとお伝えしましたよ。
総理秘書官の伊東巳代治くんも俺に頷いている。
この話はこれで進行していくだろう。
「それでは先日の閣議でご指摘多かった、当取調室提出の憲法制定方針の諸問題について、ご報告いたします。」
コワシさんが資料を捲りあげながら、早口に説明し始める。
この方針案資料、段々ページ数が増えてきて、今では50枚ほどの厚さ。
皆の手元にも同じものがあるが、どの資料もビッシリと書き込みがされている。
御歳56歳のヘルマン・ロエスレル先生もご同席、当たり前だがめっちゃ外人顔だ。ひげスゴ。
我々との私的な話は英語で済ませる事が多い先生だが、会議となると決まってドイツ通辞が通訳する。
「席上最も問題視されましたのは、陛下の大権とその他機関の兼ね合いでございます。」
コワシさんピリピリしてますね。
俺なんか期限付き参加、お気楽オブザーバーなんだけど、コワシさんにしてみればコレはザ・ライフワーク、命がけの仕事。
既にこの1カ月は、鬼気迫る執念を見せていた。
まだ4年くらい時間がありますから、コワシさん。焦らずやりましょうよ。
「閣僚の皆さまがお考えである陛下の大権ですが、立法大権・国会の召集/解散権・任官大権・軍編成/統帥権・外交大権、これらは必須のモノとのご意見が多数です。」
いやーなかなか....それはフルコースですね。
「むろん国務大臣の輔弼はあるのが当然、それは国務大臣の条項で補えばよろしい。」
「しかしそれでは余りにバランスが悪い。」
金子堅太郎さんは口を差し挟む。
この人はアメリカで共和国憲法と諸外国の比較を研究してきた、この道のプロである。
「司法においてはその専門性から『陛下の名において』職務を代行する事が認められるとすれば、三権の分立は非常にぜい弱なものとなります。」
立法・行政は完全に天皇大権の下にあるとなれば、確かに司法権だけ突出してしまう。
「文面が異なるだけで、実質は同じことだが。」
総理は難しい顔で抗う。
「そう、前にも言いましたが、これは欽定憲法としてやむを得ない文面と言えます。」
ロエスレルさんが意見を述べた。
「国王の権限と三権の関係性を規定するのが主眼であり、三権の分立はまた別の問題です。総理の言われる通り、他の条文においてその矛盾を解決する事が重要です。」
金子さんも難しい顔をするが、一旦それで引き下がった。
「『大権の実行要件』を明文化する必要がある、という我々の方針は認められていますか?」
俺はそこだけが気になる。改進党の要求案の中で、これは必須項目だ。
史実の明治憲法でもある程度明記されていたことだし、問題はそれほど大きくないと思うけど。
「今回の閣議ではそこまで進まなかったんだよ。」
コワシさんは苦笑している。
「最初の天皇・皇室部分で議論百出だ。この問題はやっぱり手強いね。」
「それは当然の事と思います。」
ロエスレルさんは我々取調室の中で、優しいお父さん的存在感を放っている。
「日本の皇室は世界的にも珍しいほどの長期にわたり、存続しつづけてきました。しかもそのほとんどの期間において、国土を統治してこなかった。この極めて珍しい状況に、相応しい憲法を作ろうとすれば、他国の模倣をするだけでは十分でありません。」
おとーさーん!分かってるよねえ...。
いわゆるお雇い外国人の中にも『スパイかオマエ?』みたいな人がいるが、この人はアタリだ。
「どうせ統治していなかったんですから、天皇なんて今まで通りお飾りでいいと思うんですけどね。」
金子さんはデンジャラスな性格をしている。
この部屋では誰も問題視しないが(むしろ総理が思い切ったことを言えと....)、表でこんなこと言えば不敬罪なんて言われてもおかしくない。
そもそも陛下をテンノウとか呼ぶこと自体ヤバい。
「それはロエスレル先生の仰る、この国の特性に鑑みて相応しいとは言えない。」
コワシさんは動じることなく、金子さんの意見を切り捨てる。
「大政奉還の意義を否定することにもなりかねん。検討する事も出来んよ。」
金子さんはアメリカンな感じに肩をすくめる。
「改進党としてはその『実行要件』を重視しているっていう事だね。」
総理がにこやかに確認してくる。
「そうです。むしろ大権なんて好きなだけ書いていただいて結構、重要なのは『国務大臣が輔弼する』ことや、『国会が上奏する』事を、大権実行の必要条件としていただくこと。」
もちろん軍事統帥権にもな!忘れてもらっちゃ困りますよ。
憲法は史実だと『軍人勅諭』の後にできたそーな。軍人勅諭が先だったから、統帥権は国務大臣の輔弼に含まれない!なんていう論法がまかり通っていたのが史実であるらしい。
「それは実際に統治を進めていくうえで、むしろ陛下にとって必要なことだと思います。大権を議論されるときに、同時に閣僚たちの理解を深めていくべきだと思いますが。」
巳代治くんがカシコそーに発言。いい子だねえキミは。
「其処は私に任せてほしい。」
コワシさんはやはり神経質にまくしたてる。
「必ずその線でまとめて見せる。ただし今の状態で閣僚たちにそこまでを求めてしまうと、大権がさらに膨らむ可能性もある。」
俺的にはもっと書いてもらってもゼンゼンいいんですけどね。
何なら専売大権とかギャンブル大権とかね。実施にあたって公論に委ねてもらえばいいの。
「そしてもう一つ、『国務大臣の文民条項』これが譲れない線です。」
俺がこれを言うたびに、皆こまったちゃんを見るような目で俺を見る。
「君のいう事はもっともだと私も思う。しかし今は約束できん。」
総理はいつもの答えで明言を避ける。
『軍務大臣現役武官制』というナゾ根拠の制度も、後年軍部独走を招いた制度だった...ようだ。
『文民』とは軍人じゃない!ということ。
いわゆるシビリアンコントロールってやつさ。
でもでもー、さっき言った史実の『軍人勅諭』にも、『軍人の政治不干渉』は明記されてますぅー。
コワシさんからききましたぁー。
「そして何度も繰り返し恐縮ですが、『将来の普通選挙実現を目指す』という文言、お忘れないようお願いします。」
金子さんはニヤニヤ笑って俺にサムアップする。とにかくアメリカンな人なのだ。
仏頂面の総理と笑顔のロエスレルおとーさんも対照的だ。
「犬養さん、改進党のご要望は良く分かっています。」
コワシさんはここでは非常に事務的な態度で話をする。でも実際には俺と口裏合わせている。
つまり俺がここに呼ばれているのは、コワシさんの策略でもある。
自分で主張するのがヤバイ案件は、全て俺に言わせてるのだ。
改進党としても保守党の意義が世間に示せるので文句ない。
『国会運営協力』を人質にとって、党の意見を憲法に反映させたんである!とか大隈さんが泣いて喜ぶ。
「総理が言われる通り、すべてのご要求にお応えできるかはお約束出来ません。それでも取調室の方針案として閣議に諮っていくことだけは、間違いなく実行していきます。」
「それで結構です。」
ここは出来レースさ!この要求が満額回答されるとは思っていない。
それでも伊藤博文にこの話を通しておくことは、この後きっとプラスになるはず。
俺もコワシさんもそう読んでいる。
「この取調室に与党政党を参加させるという考えは、、実に素晴らしかったですな。」
ロエスレルおとーさんは何度も頷いている。
「私はもう後悔してますがな。」
渋面の伊藤総理はご冗談がキツイ。いや本気なのかな?
この後長い時間をかけて、文面の調整と追加条項の検討を進めていく。
内閣・国会・選挙の条項はまだまだこれからだ。
憲法制定方針案が固まるまで、今年一杯はかかりそうである。