八十八夜⓶
昨日投稿するかもと言ったな?あれは (-_-;)スイマセン
「今、議政府ば代表しとるんは、領議政の金炳始じゃ。」
ミツルはあっつあつの煮物をアフアフいって飲み込むと、朝鮮政府について喋り始める。
俺は既に聞いていることが多い。なので俺も煮物に集中する。
「僕も覚えてるよ。左議政が金允植、右議政が金弘集。キムばっかりだねあの国。」
「金氏にもいろいろおります。その辺は面倒じゃし説明ばしませんけん。」
雑な説明である。でも聞いたとしても覚えられない自信はある。
「まあその上に王族がワンサカおって、とても自由に政治を出来る状況になか。あの国じゃ政府ゆっても最終決定できるとは限らん。」
後藤さんは酒と一緒に、高価そうな切子のぐい呑みを持ってきてくれた。
ミツルは青いガラスの細かい細工に感心しながら、おいしくいただいている。
「親日派を自称しよる『独立党』は大臣にはまだおりません。」
「え、いないの?」
後藤さんは驚きの声を上げる。まあ驚きますよね。
基本的に独立党は若者の集団で、国を動かすような勢力にはまだ育っていない。
幕末で言えば、各藩の下級武士が集まりつつある段階です。
「それでも先だっての立見さんの活躍で、日本に対する期待は高かよ。特に右議政の金弘集は、かなり独立党になびいとる。」
「おお、そのレベルで関心があるなら、まだ可能性はあるよね。」
ホッと一安心、するのはまだ早いっすよ。
「その下に六曹っちゅう大臣がおるたい。こん中で兵曹の朴定陽は、ほぼ独立党ゆってもよか。その配下の参議に、ツヨシも会った金玉均がおる。」
金玉均の官位は正三位堂上、ギリで参内できる身分だそうです。
それでも30でそこまで昇進してるのって、メチャ特例であるそうな。凄いんですね。
幕末土佐で言えばさしずめ武市半平太か...でもこれは後藤さんのトラウマに触れちゃうので言いません。
「後の独立党はミンナ若い官僚よ。数はそこそこおるけど、とても議政府ば動かす力はなか。よしんば大臣クラスが独立党へ変わっていったとしても、ワンサカおる王族どもの中に食い込んでいかんと国は変わらんけん。」
「よって彼らは焦っていると。その影響を受けた花房くんも焦ってしまったわけだね。」
後藤さんはここまでは理解している。
金之助が大皿に鰈の刺身を満載して現れたので、一同から喝采が沸き起こる。
後藤さんがノリで彼に酒を飲ませようとするのを、俺は無理に押しとどめる。
日本の宝に何すんですかアンタ。
「気になるんは左議政の金允植よ。」
ミツルは話を続ける。
「清国との交渉はコイツがやっとる。どうも噂じゃあ暴動の時に大院君とも....裏でやり取りばあったちゅう話じゃ。」
「大院君はその後どうなってるの?」
後藤さんが質問。
「それそれ、それが問題ですわ。」
朝鮮政府は大院君が清国で軟禁されている事実を、先日突如明らかにした。
例の動乱があって直ぐの事だったそうで、半年以上も経った今ようやく真相を発表した事になる。
「暴動の首謀者は大院君やったと、ほいで清国公館が大院君を逮捕して清国へ連行したちゅう話ですたい。」
「うーんそれは聞いたんだけど、続報がなくってね。」
「まだ清国で軟禁中らしいですよー。」
俺は上の空で答える。
今ある最大の問題は、鰈をワサビ醤油でいただくか、酢味噌でいただくか。
「この行為はつまり、清国が有形無実となっとった冊封関係ば、復活させようちゅう試みですたい。属国に代わって宗主国が治安に乗り出したと。」
ミツルの報告に後藤さんは不満そうであった。
「しかし朝鮮軍は日本の力を借りて、十分反乱を制圧してたろう?おまけに事件が終わって半年以上も経ってから、ようやく発表ってのは何なんだ?」
「ヤツらは反乱抑えても首謀者ば取り押さえんと、なんの意味もなかち言いたいとです。発表まで時間がかかるっちゅうんは、朝鮮じゃ珍しか事じゃなかですけん。」
「人質として連れてったという可能性は?」
「ないこともなかばってん、現地人に聞いてもあの親父さん何度も反乱蜂起計画しとる問題児ばい。本音じゃ皆連れてかれてホッとしとる。」
儒教の国なのにネエ...。
だが2人のやり取りを聞いて、俺は何となく話の要点が分かった。
「つまりだ、清国は大院君が首謀者である証拠を朝鮮に突き付けたってことだよな。」
2人は俺の言葉に箸を持つ手を止める。
「そりゃオマエ...発表ばされてなかとよ。」
「それは発表されてないというより、発表できないんだろう。」
ワサビ醤油!キミに決めた!
このワサビは渋沢先生に頂いたもんだ。今しか食えん!
鰈の身の弾力と旨み、そして日本酒とのハーモニーを堪能する俺を、ミツルがドツいてくる。
「言いっぱなしで気になるんじゃ!最後まで説明せんか!」
「いや待て、僕にも分かったぞ!吉田君か!」
後藤さんが俺とオナジ結論にたどり着いたようだ。
「つまり清国側は最初から、吉田君と大院君を結びつけてた訳だから....証拠を作っとこうと思えばいくらでも出来たわけだ。」
「そりゃつまり...武器提供に日本が絡んだっちゅう証拠かいの?」
ミツルが急に心配そうに質問する。
「詳細が発表されてない事と半年っていう時間が、朝鮮側の迷いを感じさせるよな。」
俺が酢味噌と醤油で迷うよーなもんだよ!決めらんねえんだよ!
「清国と日本と、どちらを利用すればいいのかって事だろ。それで結局今のところ、どちらとも上手くやっていこうとなったんじゃない?だから証拠については発表できない。スゴク朝鮮っぽいよね。」
そこは小国の哀れさ。
今回垣間見た日本軍の精鋭さと巨大な清国との間に挟まり、どちらにも舵を切れない切実な理由がある。
「今のところ日本の進める軍事協力は、立見君の信頼もあってうまくいっているからな。日本は切れんだろうよ。」
後藤さんは相変わらず超楽観主義。
「そりゃ軍関係の役職が独立党で占められたんも、日本との関係性ば考えられての事です。」
ミツルも同調して楽観的。
だが果たしてそうかな?俺がヤツならそれだけじゃ引き下がらない。
「つまり大院君が逮捕拘束されたのには、朝鮮も納得できる何か証拠があった。清国はそれにより日本を排除は出来なかったが、朝鮮への影響力を強めることが出来ていたと。」
俺は刺身をいただきながら、ここまでのまとめ。
「従って清国が大院君を連れてって終わり、って考えるのはアマイ。何か日本へ対抗できる措置を、朝鮮側に呑ませているかもしれません。」
ミツルは大きく唸る。
「うーん、だとすれば噂に過ぎんのじゃが....政治顧問を招聘するっちゅうウワサがある。」
「ナニ!行かないよ!僕行かないから!」
すっかり政治顧問恐怖症となった後藤さんは、全身で赴任を拒否。
落ち着いてください。
「ホントに噂話でしかないけんね!」
ずいぶん引っ張るね。何があったのさ。
「ウチの社員が仕入れた情報の中に、ドイツ人が政府に雇用される計画があるいう話があったんじゃ。」
ドイツ人?それはまた....。
「朝鮮はまだ西洋列強と国交を結んでいないよね?」
俺にもその位の知識はある。
「いやあり得るな...。清国が日本側も飲みやすいように、西洋人を顧問に派遣してくるってのは。」
後藤さんがぐい呑みを持ったまま、何か心当たりあるんですか?
「北京は既に何人かの外国人顧問を受け入れている。これは日本も同じだよね?そこから人を朝鮮に派遣するっていうのはあり得るんじゃないかな?」
あーなるほど。外務省のロエスレルさんとかシーボルトさんとか。
「そうだとすると随分慎重ですよね?役に立ちますかそんな人?」
「清国もそれだけ慎重にならざるを得ないって事だ。ロシアとフランスとの揉め事に加え、日本とも事を構えられない台所事情もある。」
「それでも朝鮮ば守りたい。それほど清国には大事な場所って事たい。」
ミツルも本格的に情報収集に取り組み、興亜会のサポートを受けていることで清国情勢を理解している。
なんせ琉球や台湾とは地理的条件が違い過ぎる。
朝鮮半島を押さえられれば、山東・遼寧半島を越えて直隷(天津)まではあっという間。
そこから北京は目と鼻の先だ。
「そうか...あの噂話と清国が結びつくと。そうなれば日本の軍事顧問に対抗して、政治顧問の席を確保できるちゅうわけたい。」
後藤さんは深く考え込んでいた。
「どうかしましたか?」
俺は後藤さんへ話しかける。
「うん、日本と清国との衝突は避けられんモノなのかな?どうも双方の理解に誤差のようなものがあるよう思うんだが....。」
理解の誤差?なんですそれ?
「つまりだな....日本としては、地理的要所の朝鮮半島がロシアや列強に支配される前に、軍事的に強化され親日的な存在になって欲しい...だな?」
そーですね。
「清国としては冊封体制の維持...メンツと国防的安全のためって事だ。」
へいへい。おっしゃるとーりで。
「現状お互いに領土的野心は持っていない。この理解に誤差があるように思う。大久保さんが李鴻章と会談したのはもう随分と前の事だが、伊藤さんが早急に会談すべきじゃないかな?」
そうか。そんな考え方をするのが政治家の仕事だ。
裏で謀略を弄すればするほど、表が傷んでしまっては元も子もない。
八十八夜の遅霜は、作物に水を撒いて対策するという。
それじゃ凍って逆効果でしょと思いきや、散水しつつけることで温度が0℃に保てるそうな。
霜には水を。問題あるときには会話を。これは国内だろうが国外だろうが同じ道理だ。
俺とミツルは頷きあう。
裏からばっかりじゃなく、表の外交こそ必要だ。ここらで一度リセットが必要って事っすね。
月曜に渡辺さん辺りに相談しよう。あ、首相秘書官の伊東巳代治さんも既に仕事仲間だ。
最近なんか周辺の人材インフレが凄まじい。おれはただの事務担当なんだけどね。