ダブルブッキング
明治13年(西暦1880年)3月25日
改進党結党大会はおよそ250名の党員が集まり、無事に終了した。
詳しくは明日の朝刊を読んでほしい。
いや第1回全国大会に相応しい盛会だったんだけど、中身としてはこれまでの分科会の承認作業だから。
特に言うべきこともないんだよね。
『ご異議ございませんでしょうか?』『いぎなーし』っていうあれね。
目新しいことを強いて言えば役員が決定されたこと。
党幹事長に矢野さん、副幹事長に島田三郎さん、政策部長が藤田さんというラインナップ。
後は各地方の新聞社設立に派遣する人材が決まったことかね。
東北・北陸には慶應の人材が送り込まれた。尾崎もバッチリ入ってます。彼は宮城に赴任する。
打合せ通り田口さんは九州で、末広さんは中国地方で頑張っていただく。。
それにしてもよくそんなにお金があるもんですね。
金庫番は幹事長の矢野さんだけど、そんなにあるもんっすか?
「あるところにはある。」
そういうもんですか。
「すでに党員が3000を超えている。寄付金の額も実に充実したもんだ。」
ご満悦の義兄。まあ岩崎さんだけでそーとー頂いたそうですしねー。
地方でも政権与党の看板が効いて、有力者の参加が相次いだ事も金庫を潤した要因だ。
いよいよ改進党始動。俺は当面東京で事務職を務めることになった。
まあ子供が出来ちゃったからね。
いやいや申し訳ないやら嬉しいやら。
<<<<<<<<<<<<<<<
そうして翌日。
今日は興亜会の打合せに呼び出されている。
ここにも福沢先生が絡んでいるため、当然俺としては拒否権がない。
どれだけ影響力を伸ばしていくんだ先生。もう勘弁してほしい。
集まっていたのは曽根さん、児玉さん。そしてご無沙汰の渡辺洪基さん。
この方先ごろご昇進され、外務省の大書記官になられている。
「先ずはこの振亜社が、日清友好を目的としたものだという事を改めて御認識いただきたい。」
渡辺さんは生真面目なお人柄らしく、順序立てた喋り方をする。タテマエともいう。
まあわざわざ断りを入れるくらいだから、自分でもそうは思っていないんだろう。
「台湾出兵の際の天津条約で、伊藤卿と李鴻章の間で取り決められた日清友好推進の一環である。主な目的は両国友好の懸け橋となる、語学堪能な人材を育てることにある。」
完全にスパイ養成場だったコレの事ですよね?
俺は思わず振亜社の内部を見廻してしまう。私邸を改造して作られた教室は、古びて黴臭くあんまり快適な場所とは言えなかった。
「犬養君の協力もあって人材育成は順調だよ。そこで今回、興亜会となって拡大するにあたり、次の段階へ進むことにした。」
「清国内に拠点を作るっちゅうことじゃ。」
曽根さんは満足げだ。丸二年これに時間をかけていたのだから当然だろう。
「清国とは最近少々行き違いがあったが、そこは大国の余裕だな。当方の要求に快諾してくれたよ。」
渡辺さんは感心した風にそう言った。
あれが少々な行き違いだとしたら、大きく行き違いたくはないもんである。もう少しで開戦するとこだったでしょうに。
「当方の要求とは?」
俺についてきたミツルが質問を入れる。
こいつも関係者だからね。引き続き向陽社ごと興亜会に所属して、朝鮮情勢を探ることになっている。
「日本書籍販売の書店を、清国内に作るのです。」
応えたのはこれも久々の荒尾君。すっかりスパ...支那語人材である。
「清国内では日本語教材が少ない。そこに目を付けた渡辺さんのご発想が当たったのですよ。」
ミンナ悪い顔をしている。なんせ堂々と清国内に拠点が作れちゃうのだから。
「先ずは荒尾が先陣として行くことになっている。それから徐々に人数を増やす。」
児玉さんが頼もしそうに荒尾君を見つめる。
ハタチそこそこで責任重大な仕事だ。童顔だけど優秀だもんね君は。
「まあその話はそんなところでじゃ、興亜会の拡大目的についてじゃが。」
曽根さんは話を興亜会に戻す。
「興亜会は日本国で急速に進む西洋化に対し、アジア主義を掲げて社会へ問題提起をする。」
随分と話が大きい。
「その主たる目的はアジア諸国、特に清国との友好的共存関係の樹立にある。決して敵対関係を作るために相手の情報を得ようとするものではない。」
曽根さんはそこはきっぱりと言い、集まった皆が大きく頷いて賛意を示す。
この時代はまだこういう考え方が知識人の主流だ。
「なので拡大して清国へ友好的発信をし、交流を拡大していく。駐日清国公使の何如璋殿も顧問としてご参加いただける事になっとる。」
それはスゴイ。名実ともに日清友好組織だ。でもスパイはスパイだが。
「さらに顧問には福沢先生、勝海舟先生がご参加いただける。会長には長岡護美殿、副会長は私が勤めることになった。」
渡辺さんは容易ではない事をサラッと言った。
あの犬猿の仲を....俺が唖然としていると、まあまあ顧問なんて別に名前だけじゃと曽根さんは言う。
いやソレダケジャない。長岡護美さんって、もとどっかの藩主とかっすよね?
「さらに参加者として由利公正殿、大鳥圭介殿、大河内輝声殿、中村正直殿....。」
いやいやいや!ちょっと!なにその豪華メンバー!
五か条のご誓文起草者、戊辰戦争の幕府方リーダー、もとどっかの藩主2号、知識人界の超大物!
「随分....集まりましたな。」
児玉さんも聞いてなかったらしく、その顔触れに圧倒されている。
「もちろん皆様お忙しい名士ばかり。毎回の会合にご参加いただけるとは限りません。」
渡辺さんは児玉さんに、念を押すようにそう返した。
「それでも我々の主張を裏付けしていただける、こういった名士の方々の存在は大きいんじゃ。」
曽根さん大満足である。。
「そんでの、犬養君にに今日来てもらったのは他でもない。」
突然話が振られてきて何のこっちゃと思ったが、やはり俺にもなんかさせるツモリっすね。
「ワシと一緒に幹事になってもらいたい。この通り!」
幹事...それってメンドクサイやつですか?飲み会とかだと大概パシリですが。
「基本的に名前だけの職だよ。犬養君が改進党を立ち上げたばかりで、忙しいのは十分知っている。それでもこの会の趣旨は、改進党のモノと大きく変わらないし、ここであえる人材はきっと政党活動にもいい影響を与ええると思う。」
児玉さんは冷静にそういうが、福沢先生が絡んでる時点で(以下省略)。
それにしてもアジア主義ねえ...。
今聞いた限りでは侵略主義の片鱗もないけれど、20世紀生まれだった俺には何となく物騒な響きだ。
改進党も国家防衛は積極的だが、帝国主義に走る日本国には何としてもブレーキをかけたい。
この組織はどっちに進んでいくんだろう?
だが影響力は大きそうだし、内部にいることが開戦論を抑制する手段になるかもしれない。
「毎回参加とはいきませんが、そういう条件でよろしければ。」
「勿論それでいい。」
渡辺さんが笑顔で快諾した。
「ワシも参加してよかろうか?」
ミツルが遠慮がちに申し出る。
「当然参加してもらうつもりだよ。」
児玉さんはミツルの肩をたたく。
「頭山君及び向揚社の面々には、とても感謝しきれないほど活躍してもらっている。是非この会でも協力してもらいたい。」
「まあワシも普段は朝鮮におりますけん、参加ば出来ん事が多かでしょうが。」
ミツルは普段と違って随分と控えめだ。まあ上司の前みたいなもんだしな。
「それからワシ等ナマエば改めましたけん。今後は『玄洋社』っちゅう名前で呼んでください。」
ああ、ここで変わるのか。
俺は知識に無かったが、日本の国粋主義の象徴とも言われる...らしい玄洋社の誕生。
彼らは今後国会議員や元老たちにまでコネクションを持ち、昭和に至るまでの政界への影響力を作り上げていく...らしい。
俺はコイツと一緒に孫文やら金玉均を助けるって、コワシさんが言ってたな。
俺は前回あまり金玉均にいい印象がなかったけど、この後慶應義塾が組織的に彼らを援けるんだもんねえ。
まあヨロシクな。
「ところでその興亜会、第1回の予定はもう決まってるんですか?」
「おお、4月1日を予定しとる。」
一週間後じゃないっすか!しかもその日はエイプリルフール!
じゃなくて....。
「それ福沢先生もご欠席でしょ?」
「そうだったな。何かあるのかね?」
渡辺さんはお気楽な声でそう言った。
「その日は交詢社の設立パーティーです。」
ギクリと渡辺・曽根両名の動きが止まる。
「交詢社?何だいそれ?」
児玉さんが無邪気に質問する。あの二人に聞いた方がいいんじゃないっすかね?
「交詢社とは....福沢先生が実業界社交倶楽部の設立を目指し....3年前からご準備されておったものだ...。」
続く重苦しい沈黙。やがて曽根さんは我慢できず叫び出す。
「渡辺!なんちゅう事じゃ!オマエ忘れとったろが!!」
「そ、曽根さんこそ私の所為にせんでくれ!大体アンタが手配遅れたのが悪いんじゃないか!」
「ワシが?!ワシが何を遅らしたと言うんか!!オマエ最も忘れちゃいかん日をだな...。」
「ま~た人のせいにする!!どーしてアンタはいつもそーやって....。」
醜いなすりあいが延々続き、児玉さんはあきれ顔である。
「日程重なったくらいで...何をそんなに慌てているのかな?」
俺はため息を一つ。
「在京の卒業生には参加するよう声が掛かってましたんで。」
まあ分かんないでしょうね。関係ない方にはこの重圧は。
「福沢一家の鉄の掟では、先生のお誘いを断るなんてあり得ないのです。ましてや忘れていることなど...。」
終わったな。二人とも。
「朝鮮に逃亡とかどうじゃ?」
余計なこと言うんじゃねえミツル。