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それぞれの業

ようやくお話しは明治13年へ戻ります。


本日も休日の犬養家でございます。

明治13年(西暦1880年)3月21日


「先生お帰りなさいませ!お風呂の準備が出来ております!」


俺と綾さんが日曜日の散歩から帰宅すると、金之助がニコニコと出迎えてくれた。

金之助は先週から我が家の書生となって働いている。


当然昼間は本郷の学校へ通い、帰宅してから綾さんの手伝いなどをする程度だ。

誰でも出来るカンタンなお仕事です。


しかし彼のお陰で、我が家の問題が1つ解消された。

それがこれだよ。風呂焚きですよ。


さすが渋沢先生の貸家、明治初期に珍しいお風呂搭載型なのだ。

しかもゴエモンスタイルではない木桶風呂!超ウレシイ!


しかしながらコイツを沸かすのは並大抵の苦労じゃない。

井戸から水汲んできて風呂桶を満たすのも大変だし、薪割り火おこしも結構な労働だ。

仕事から帰って俺がやるのは正直しんどかったし、身重の綾さんにはとてもさせられない。


金之助が来たことで、この風呂問題が解決されたのだ!スバらしい!オマエえらい!


文豪に風呂焚きなんぞやらせていいのか、という批判は甘んじて受けよう。

だが快適さには替え難い。


「すまないな、いつもありがとう。」

俺はねぎらいの言葉をかける。

「私は先生の書生です!この程度で礼などご無用に願います!」

むふーと荒い鼻息で金之助は言う。


いやだって本当に感謝してるんだもの。いいじゃないのお礼ぐらいさ。


金之助には1円50銭の給金を渡すことにしている。

当初給料なぞ要りいませんと突っぱねていたが、こちらもそういう訳にはいかん。

児童虐待プラス労働搾取だ。どこの奴隷商人だよ。


それでもそーとー安いんで、それとは別に書籍代と文房具代を俺が出してやっている。

こっちは素直に受け取るから。


「それじゃ一風呂浴びてから授業だな。」

「ありがとうございます!」

毎日朝晩質問攻めになっているが、時間をかけて教えてやれるのは日曜位だ。


「今日は夕方に客があるから、綾を手伝ってやってくれ。」

「お客様?渋沢先生ですか?」

大家でもある渋沢さんは、お互いの家を行き来するお付き合いだ。


「いや、今日はちょっと珍しい人だ。欧州から帰ってきたばかりの人だから、オマエも何か質問があったら聞くと良い。」

今日はコワシさんが遊びに来る。会うのはおよそ一年ぶりだった。


<<<<<<<<<<<<<<<


「被った方がいいでしょうか?」

綾さんは悪戯っぽく俺に聞く。


ナニ被るかってカツラです。これはちょっと話せば長い。

綾さん元々結構なお歳になるまで、佐伯のお爺さま宅へ預けられていた。

この爺さまが自由人で、世間並みの女子(おなご)がすべき身だしなみを全く強制しなかったそうな。


なので綾さんは東京の矢野さん宅に来るまで日本髪一つ結ったことはなく、いわゆる総髪の状態だったのだ。それは男の髪型である。


これって結構大事なのだ。東京では文明開化後、髪切っちゃう人が多く出たわけだが、女性にもそんな風潮に乗っかる人が現れた。

こりゃいかんと思った明治の役人は、女性の風紀取り締まりのため断髪禁止令を公布する。

滅茶苦茶だけどそれが今の時代。


それでも頭も洗えない日本髪が嫌な綾さんは、ちょいちょい髪を短くしちゃあカツラを被って誤魔化していたそうな。まあ短くって言っても前世の俺から見れば結構長いが。


言われてみれば結婚前に矢野さん宅へ遊びに行くと、綾さんは三つ編みをグルグルまとめていたり、ポニテにしてたりと自由な髪型だった気がする。


彼女は俺が一向に平気な顔をしているので、結婚後もそのスタイルを変えていない。

でも傍から見ればこれは異常。髪切ってカツラ屋に売ってると思われてもおかしくないのだ。


「まあ今日来るのはそんな事気にしない人だから。」

コワシさんが女性の髪型くらいでどうするとも思えない。

清潔でいいねと思うくらいだろう。


いわゆる髪結いで作る日本髪は、油でがちがちに固めてテカらすもんである。

ひと月洗わなくても大丈夫。いや大丈夫じゃない。


今日の綾さんは三つ編みのグルグル仕様だ。

似合ってるし日本髪っぽいと言えなくもない。あくまで俺的には。


「そお?そーよね♪」

綾さんは嬉しそうである。うん、それでよろしい。


晩飯の支度はあり合わせで、と言っておいたが矢野家の魂が手抜きを許さぬらしい。

すでに天秤売りの魚屋からデカい鯛を調達済みだ。


出刃包丁で魚を掻っ捌く綾さんを、金之助は畏怖の表情で見つめていた。

フキの煮つけは彼がその辺で採ってきたものを、綾さんが灰汁抜きして皮をむき、じっくり炊いてある。

ウドのぬた、鳥肉と根菜の煮物、菜の花のおひたし、ゴマの香るおいなりさん。春らしい家庭料理だ。


4時ごろになって、コワシさんが人力車でやって来た。

今日はお休みの喜多さんもご一緒だ。


出迎えた金之助は喜多さんのオウツクシさにボーっとなっている。

未成年には目の毒だな。そういや最初の頃は、綾さんにもこんな反応をしていた。


「ツヨシくん久しぶり!お土産もってきましたよ!」

コワシさんは快活に玄関口で叫んでいる。

見れば手にはワインの瓶!


「新鮮な魚が食べれるっていうから、フランスで買った白ワインを。」

ゴチになります!


綾さんもお勝手から出てきてご挨拶。

「いや~可愛らしい奥さん貰って!もうお子さんまで!おめでたい尽くしだねー。」

「綾さんハジメマシテ~!いやん可愛らしい~!その御髪(おぐし)ステキ~!」


喜多さんのテンションも高い。コワシさんと二入でお出かけってのも嬉しいんだろうね。


初対面なのだが女子2人は完全にトモダチ化している。

手を取りあってキャアキャア奥へ入って行った。


「ウチで働いてくれてる書生です。」

俺はコワシさんに金之助を紹介する。

「やあ、初めまして井上です。え、金?...金...之助くん?」


表情が強張ったまま、コワシさんはゆっくり俺の方を見た。その辺はまあ後で説明すっから。

来客に喜ぶ子供らしさを見せ、金之助はパタパタと土産を持って奥へと走っていく。


「欧州出張お疲れさまでした。土産まで送っていただいて、ありがとうございました。」

「いや、それより....金之助って....。」


だから後で説明すっから!!


<<<<<<<<<<<<<<<


ワインを茶碗でいただくのもマタヨシ。


食事の席は金之助も同席させている。話題はもちろんコワシさんのヨーロッパ視察話。

これならば多少踏み込んだ話をしていても、妻たちにドン引きされる恐れはない。


俺の方も積もる話はあったものの、謀略話はお食事にふさわしくない。


「いかに欧州が進んでいると言っても、刺身の味が分からんような奴ではね。」

コワシさんはそう言って、うまそうに鯛の刺身を食べている。


綾さんは妊娠中なので自分用には焼いた切り身を準備していた。


「井上先生は欧州には学ぶべきものはないと思われますか?」

金之助は嵐のような質問を浴びせかけ、コワシさんはニコニコとそれに答えてくれている。


「まさか、学ぶことだらけだよ。特に工業化は国力に直結する課題です。交通・生活設備・治水に法整備・医学。いくら上げても尽きることはありません。」

金之助はメシを掻っ込みながらメチャ頷いて聞いている。

綾さんと喜多さんはその様子を見てケラケラと笑っている。


「しかし精神的に言えば、欧米列強の汚さもまた目につく視察でした。特に行程中立ち寄ったシンガポール・香港・インドなどの地域ではね。」


「弱肉強食が掟ですからね。」

俺はワインをちびちびいただく。この体は初めて飲むアルコールに極めて弱い。


「つまり学ぶべきでない部分もたくさんあるという事だよ。木堂先生はそのへん実に心得た方です。金之助くんは大いに先生から学びなさい。」

「はいっ!ありがとうございます!」


ちょっと痘痕(あばた)の多い彼の顔を、コワシさんは眩しそうに見ている。


食事が終わって金之助は自室へ下がった。

今日の復習をするためである。


妻たちは後片付けとガールズトークの時間。


我々はいよいよ転生者の時間である。

「あのねえ...もはや歴史を変えるなとは言いませんけど、夏目漱石が書生ってのはどーなんです?」

「いえ別に俺が無理やり連れてきたんじゃありませんよ?」


俺は金之助との出会いを説明する。


「まあそんな訳で、四方丸く治まってますから。」

「でもねえ...文化人にはあまり影響与えないでくださいねー。」

かなり批判がましく俺を見るコワシさん。俺、人助けのツモリなんですがこれでも。


「ともあれ一年間お疲れさま。そーとー危ない橋渡ってますね。」

コワシさんは笑顔に戻って古傷をイジって来る。

欧州で性格悪くなってませんか?


「やっぱりハイライトは朝鮮の件だけど、私の知らない事で重要なことはあります?」

よし来た。ビビってくれ。

「袁世凱が転生者?それホント?」

あれ...もっと驚くかと思ったのに。


「ほかの国にも当然いるとは思ってました。しかしそんな超キーパーソンが出てきちゃうとは。」

コワシさんはそう言いながらも、俺が驚いたほどには動揺してない。


「いやね、私はこの旅の途中で思ったんですが。」

伊藤卿との船旅の中で、彼から学ぶことはとても大きかったという。

歴史強者のコワシさんにとって、『伊藤博文は優柔不断な男』程度の評価だったのが、180度変わってしまったらしい。


「そして思ったんです。私の知っている歴史の中身も、所詮誰かの書き物に過ぎず、本当の評価なんて実際会ってみるまで分かったもんじゃないなと。」


コワシさんは茶碗にワインを追加する。

益子の素焼き茶碗の中では、白ワインの黄色味もほとんど色を失ってしまう。


「おまけに歴史はすでに変化が始まっている。ここでモノをいうのは前世の歴史知識じゃありません。正しい状況認識と判断。そして組織を率いる力ですね。」


コワシさん的には、伊藤卿はそれを備えたリーダーだって事かな。


「だからこの先どんだけ転生者が溢れ出ても、それほど気に病むような事じゃないかなと思うんです。」


確かに産業技術すべてを塗り替えるようなスーパー科学者でも転生しない限り、どこかの国が世界征服を達成しちゃうことも無さそうだ。


「伊藤さんは内閣を組閣するそうですね?」

「そう、来月早い段階で発表になります。大筋は元老たちに承認されてますよ。」


「俺たちの与党構想は、伊藤卿にどう受け止められましたか?」

そこが一番気になるところだ。

「大隈さんとはその話で毎日大盛り上がりですよ。『改進党が議席を取れんかったらどうしようかの?』って、最近その冗談がお気に入りです。」


一切冗談に聞こえないが、まあ悪意はないんでしょうね。

取りあえず受け入れてもらえそうで一安心。


「これを公式に決定するのはいつになりますか?」

「そこは伊藤・大隈両名にお任せしようと思います。内閣設立後のタイミングがいいんじゃないかと個人的には思うけど。」


早すぎてもいけないかもしれないが、あまり遅いのも政党の活動に支障が出る。

大隈さんと相談することにしよう。


「ツヨシくんの著書が評判良いよね!伊藤卿が気に入っちゃって、ウチの職員はミンナ読まされてるよ。」

やっぱりあれってホントなんだ。


「俺1人で書いたわけじゃないんです。福沢先生やいろんな方にアドバイス貰ってましたし。」

「いやいや、ご謙遜だね。」


コワシさんは茶碗を寄せてきて、俺と乾杯する仕草をした。


「手紙にも書きましたけど、列強が日本国の試みを注視しています。日本がこれほど注目を集めたことは、初めてといっていい。この国会設立は失敗できません。」


俺にも良く分かっていた。


「だから井上馨さんが、華族制度の設立を急いだり鹿鳴館構想を出してきたりするんですが、この世界の伊藤卿は突っぱねてますね。国の印象を上げたければ国会が全てだと。」


へ~。本当に何か、俺たちの知っている伊藤博文とは違う人みたい。


「伊藤卿も転生者で、中身が史実と変わってるのかも?」


笑えません。


おお、それで思い出した。ドンインのリンネについての話。

コワシさんとはまだ話し合ってなかったな。


「それは....そうか、そういう考えもあり得るって事ですね。」

さっきより驚いてる。変わってるよねこの人も。


「そうなると我々は輪廻を逆にしてしまうほどの、とても大きい業を背負っている、呪われた転生者ってとこでしょうか。」

もんのすごいネガティブに言えば、そうなるかもしれません。


「ハチローさんはポジティブに受け止めてましたよ。やり直す機会が与えられたんだって。」

コワシさんは大きく頷く。


「そうですね。宮崎さんは強い。」

コワシさんは笑顔になった。アナタだって十分強い人です。俺はそう思った。


「私は思い当たる節がありますね。やっぱり憲法の内容に後悔があったのだと思います。」

コワシさんはかみしめるようにそう言った。

「統帥権、普通選挙、陸海軍大臣の現役武官制。その辺りの議論をもっと出来ればよかった。それが悔やみきれない後悔になっていただろうと....まあそれだけじゃないかもしれませんが。」


うーんそうなんですね。何のことやら良く分かりませんが。


「じゃあ俺もあるんでしょうね。悔やみきれぬ何か。」


するとコワシさんは笑い声をたてて、ぱしりと膝を叩く。

「ツヨシくんは明らかにあるでしょ!『話せばわかる』ですよ。」


それって死ぬ前の一言ですよね?そーか、まあそーかも知れないけど。

俺が死んで日本は戦争へ突き進むわけだ。それを止められなかったのが俺の業?


改めてやだなー。俺の人生。


誤字脱字報告いつもありがとうございます。


非常に助かっておりますm(__)m

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― 新着の感想 ―
[良い点] 久々登場のコワシさんとの語らい……滅茶苦茶中身が濃かったです! 二人の口を通して語られる伊藤卿も実に興味深い……爵位や鹿鳴館社交やる気無しって、マジで転生者(-о‐)? 生き生きと風呂…
[気になる点] 家族制度の設立=>華族では?
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