幼馴染の勇者とイチャイチャしたいので、魔王引退してもいいですか?
魔王になって3年。リーティスはこの瞬間を待ち望んでいた。
何代も続く因縁に決着をつけられる、この瞬間を。
「魔王! あなたの野望はここで砕かせていただきます!」
玉座の間の扉が開き、聞こえてきたのは若い女の声。部屋が薄暗いため顔までは見えないが、おそらく年齢は自分と大差ないだろう。
「ふはははは! よくぞここまでたどり着いたな勇者よ! 褒めてやろう!」
玉座から立ち上がり、鏡の間で何度も練習した言葉を口にする。――よし、決まった。
「城に居た配下どもはどうした。お前一人に片づけられるほど脆弱な奴らではないはずだが」
「仲間たちが足止めしています。私を先に行かせるために」
「ほほう。勇者の仲間とはいえ、所詮はただの人間。いいのか? 貴様が私を相手にしているうちに、全滅してるやもしれんぞ?」
「……ならば貴方を迅速に倒すまで、です!」
そう言うや否や、勇者は腰に差していた剣を抜く。鈍い輝きを放つその剣は、確か人間の王国に伝わる秘宝だったはずだ。
如何なる魔法も「斬る」ことができるというその剣には、歴代の魔王もずいぶん手を焼かされたと聞いている。
(まあ、そんなの俺の敵じゃないけどな)
勢いよくこちらに迫ってくる勇者を見ながら、リーティスは心の中でにやりと笑う。
歴代最年少で魔王に即位することになったリーティスは、先代までと異なり、魔法だけでなく体術にも秀でている。
若い娘である勇者と斬りあい、殴り合いになったとしても、負ける気は微塵もしなかった。
剣を下段に構え間合いを詰めてくる勇者を見て、ふっと笑う。
「よかろう。そなたの相手、十八代魔王リーティス・アルシエルが務めようではないか!」
普段より低い声色を作り、威厳たっぷりに纏っていた装束を床に投げ捨てる。
切りつけてこようとする勇者に対し、強力な魔法をぶち込んでやろうと詠唱を始め――
「へ? リティ?」
勇者はぽかんとした顔で、リーティスの愛称を呼んでくる。幼少期に、一部の人にしか呼ばれたことがない愛称で。
リーティスも思わず詠唱を止め、勇者を見つめる。間合いが詰められたことでようやく顔が見えたが、今度の勇者は中々の美少女らしい。
腰まで届くほどのプラチナの髪に、桜色の唇。透き通るような白い肌が、それらをより魅力的にみせていた。すらりと伸びた手足に、ほっそりとした腰回り。
女性らしい発育は同世代に比べ遅れているのかもしれないが、それでもプレートアーマーが付けられた胸部の盛り上がり具合は、確かに「それ」が存在することを示していた。
……って、ちょっと待て。
「お前もしかして……レイリアか?」
「はい! ああ、やっぱりリティでした!」
目を見開いた勇者――いや、レイリアは手にしていた剣を放り捨て、こちらにひしっと抱きついてくる。今投げ捨てたのって秘宝だよね? いいの?
「リティ! また会えて嬉しいです!」
「あ、ああ。俺も嬉しいけど……」
抱きとめた彼女がうりうりとリーティスの胸に頬擦りしてくるので、その後の言葉を継げない。すなわち、「俺たち魔王と勇者だぞ? どうしてこうなった?」と。
「こんな形でまた会えるなんて……!」
幸せそうなレイリアを見ていると、引き剥がそうなんて気にはなれない。
勇者による魔王への抱擁は、戦いの音が聞こえないのを不審に思ったそれぞれの部下と仲間たちが駆けつけるまで、十分以上にわたって続いたのだった。
*
「つまり、魔王様と勇者は幼馴染だったと言うことですな?」
「ま、まあそういうことになる、な」
じろりとこちらを睨んでくる側近、スカーの鋭い眼差しに思わずたじろぐ。
スカーは先代より魔王に仕えている有能な人物で、リーティスとしても内政の大部分を任せるほど信頼を置いている男なのだが、自他共に厳しいことで王宮内には名が知られている。
それにしても、今日の彼の機嫌は非常に悪い。出会ってから今までで、一番悪いかもしれない。
自分たちが勇者の仲間と死闘を繰り広げている最中、上司のリーティスが敵であるはずの勇者と抱き合っているのを目撃したから、というのも大きな理由ではあるだろう。
ただ、それ以上に。
「リティ? リティは昔みたいに私のことを愛称で呼んでくれないんですか?」
「いや、レイリア。何度も言ったけど、俺は魔王でお前は勇者だから……」
「そんなの些細な問題です! 久しぶりに会った幼馴染と仲良くお話しすることの、一体どこが悪いのですか?」
リーティスの隣に座るレイリアは、きょとんと小首を傾げる。あー、うん。全く悪くないんですよ。「勇者と魔王」という関係を抜きにしたらだけどなあ! ほら、スカーの目つきがますます厳しくなってるって!
「勇者様ぁ! 今すぐここから脱出しましょうよぉ」
「そうだ! きっと魔王たちは俺たちが油断したところを襲ってくるに違いない!」
離れたところで控えていたレイリアの仲間たちが武器を片手に警告するも、レイリアは「大丈夫ですよー」と全く気にした様子がない。
そう。とりあえずカオス極まれたりな状況を解決すべく、リーティスは攻め込んできたレイリアたちと一時休戦状態をとっていた。
双方武器を収めて応接間に場所を移したまでは良かったのだが、出会って以来ずっとレイリアがこの調子なので、話し合いらしいことは全然できていない。
「リティ?」とこちらを上目遣いに見上げてくるレイリアは、リーティスの記憶(といっても、当時は8歳ぐらいだったから10年以上も前の話だが)にあるよりずっと綺麗で可愛らしい。一男として、心を動かされてしまうのは必然だった。
(周りの奴らさえ居なければいろいろ話ができるんだが……そうだ!)
なあレイリア、と声をかける。
「はい、なんでしょう!」
「久しぶりに会えたんだし、積る話もあるだろ? せっかくだから、二人で色々と話さないか?」
「リティと二人で……は、はい! もちろんです!」
嬉しそうに二つ返事で承諾する。敵ながら、もうちょい警戒心を持とうぜと思わなくもない。
「な、なにを考えているんだ魔王!」
「魔王様! いくら御身と言えども危険過ぎますぞ!」
互いの部下や仲間からは大反対の声が上がる。予想通りの反応だ。
(うーん、あんまり暴君っぽいのは得意じゃないんだが)
とはいえ、やると決めたからには仕方がない。
「お前ら、誰に向かって口聞いてるんだ?」
瞬間、途方もない威圧感が場を支配する。さすがに、部下の中でも最強クラスのスカーは顔をしかめた程度だったが、若い奴らや勇者の仲間たちは襲い来るプレッシャーに耐えきれず床に這いつくばっている。
レイリアはけろりとした顔でソファに腰かけているが、彼女は威圧の対象に含めないよう調整してあるからだ。
ふぅ、とリーティスが息を吐くと、場を満たしていた圧が霧散した。呼吸を思いだしたかのように咳き込んでいる奴らに、精一杯の威厳を持って語り掛ける。
「俺は魔王だ。魔人族の国で最も力を持つから王の座に就いた。……お前たちは、そのことを十分に理解しているな?」
そう言って倒れ伏す部下の方に視線をやると、彼らは「も、申し訳ございません!」と一様に謝罪の言葉を述べる。
一方の勇者の仲間たちも、今ので彼我の戦力差を悟ったようだ。渋々と、「勇者様ぁ、くれぐれもお気をつけてぇ……」「俺たちはキャンプの方に戻ってるから、何かあったらすぐ知らせてくれよな!」と声をかけ、城を後にした。
別に城内で待っていて貰っても構わなかったのだが、彼らも落ち着かないだろう。
「ふぅ……ようやく二人になれたな」
「ふふ。さっきのリティ、とっても魔王様みたいでしたよ」
「いや、みたいも何も俺は魔王なんだけど……」
思えば、レイリアは昔から天然の気があった。変わらないな、と自然に笑みが浮かぶ。
「にしても、レイリアが」
「リア」
「……リアが勇者になってるとは思わなかったよ」
妙な気迫を感じ、思わず昔使っていた愛称で呼んでしまう。
満足げに頷いたレイリアは、悪戯っぽい表情を浮かべた。
「それを言うならリティだって。魔王がリティだって知っていたら、剣じゃなくて美味しいお菓子を持って遊びにきましたよ」
「お前の仲間たちが絶対許さないからな、それ」
真顔で指摘すると、レイリアは「それもそうですね」と言って可笑しそうに笑う。
リーティスとレイリアは、幼少期に同じ児童保護施設で育った。そこには種族を問わず多くの「捨て子」が預けられており、皆自分の出自にこだわることなく交友関係を築いていた。そこで二人は出会い、数年の間一緒に遊び、過ごしてきた。
「泣き虫だったリアが人間の国では『勇者様』なんて言われてると思うと、なんだか不思議な感じだな」
「もうっ、昔のことは言わないでください」
拗ねたようにリーティスの頬をつついてくるが、そんなところも昔と全然変わらない。
ふいに頬をつついていた指が、リーティスの唇にそっと触れた。
「リ、リティ。あのときの約束、覚えてくれてますか?」
不安そうに尋ねるレイリアの頬は、なぜだか朱く染まっている。
「あのとき?」
「ほ、ほら……その、リティが里親に引き取られるときに……」
言われてハッと思いだす。
8歳を過ぎたころ、遠い親戚を名乗る男性によってリーティスは施設から引き取られた。その後は紆余曲折あって今に至るわけだが、施設を離れるときにレイリアと一つ約束をしたのだ。
『おおきくなってまたあえたら、そのときはおよめさんにしてくれますか?』
分かれの間際レイリアが、涙声でにつっかえつっかえになりながら伝えてきたのは、そんな子供らしい愛の告白だった。
そして、リーティスもまた『おう、いいぜ! 約束だ!』と答えた……ような気がする。
頬を上気させてこちらを見つめてくるレイリアを直視できず、微妙に視線を逸らしつ返事をする。
「あー、なんとなく覚えているような、覚えていないような……」
「……っ!」
「う、嘘です! 覚えてます! パーフェクトに思いだしました!」
覚えていないと言いかけた瞬間涙目になったレイリアを慌てて宥める。そこに魔王らしい威厳は皆無だった。
言い直すと安堵したように肩を撫でおろし、そのままリーティスの方にもたれかかってくる。
「私、昔からリティのこと大好きだったんですよ」
「……」
「みんなに上手く馴染めず、いつも一人で泣いてばかりいた私を気にかけてくれたの、リティだけでしたもん」
「……そんなこともあったな」
右半身にあたたかなレイリアの体温を感じ、落ち着かなくなりながらもなんとか言葉を返す。
「リティが居なくなって、すっごく寂しくて。一人でも強くならなきゃって、勉強も運動も頑張ってたんです。そうしたら、ある資産家の方が私の努力に目をつけてくださって、その方の支援のおかげで……その、気がついたら勇者に選ばれてました」
「それは……いくらなんでも頑張りすぎだろ」
「偉くなったら、他の国とのつながりもできます。そうしたら、いつかリティと再会できるかもって思うと……」
レイリアは恥ずかしそうにそう言うと、きゅっとリーティスの右腕にしがみついてくる。
(リア、そんなに俺のことを……)
あけすけに語られた彼女の想いにますます心臓の鼓動が早くなる。
リーティスも、時折小さい頃の友人は元気にやっているだろうか、と思いを馳せていたが、レイリアはあくまでそのうちの一人でしかなかった。正直なことを言うと、彼女が気づいていなければ玉座の間での戦いで始末していただろう。
ただ、これだけ想い続けてきてくれた少女の気持ちを軽んじることは、自分にはできそうにない。
「リア、俺は……」
「分かっています。リティは魔王で私は勇者。私がどれだけ想っていても、叶うはずはないって」
まさに言おうとしたことを先に言われ、押し黙る。そんなリーティスの様子を見て、レイリアは寂しそうに笑った。
「私が勇者になってなければ、別の結果になってたんでしょうか」
「リア……」
「ですから、リティ。もうちょっとだけ。他の人がいない今だけは、私の勝手を許してくださいね」
そう言って、再びぎゅっとリーティスの右腕を抱きしめる。鎧を脱いでいるため柔らかな感触が刺激を与えてくるが、不思議といやらしい気分にはならなかった。
沈黙が応接間を満たす。隣に顔を向ければ、少し潤んだ目でこちらを見上げるレイリアと目があった。何かを懇願するように目を閉じるレイリアに、自然とリーティスの顔は近づいて――
「はぁい、減点3ですねぇ~。勇者様の処刑をはじめまぁす」
どこか気の抜けた声が部屋の入口から聞こえてくる。そこに居たのは――
「ローレッタ!? あなた、皆と一緒にキャンプに戻ったのではなかったのですか?」
レイリアの仲間の一人らしい、人間族の少女だった。「勇者様ぁ」と情けない声で彼女の身を案じていたのは、リーティスも覚えている。
「だってぇ、勇者様が魔王とぉ…………ふざけたことしてっからだろこのクソがぁ!」
ローレッタと呼ばれた少女はいきなり眉を吊り上げて激高し、手に隠し持っていたナイフをレイリアに向けて投擲してくる。
とっさのことで反応が追い付かないレイリアの額を目掛け、一直線に飛んできたナイフはそのまま――リーティスの拳によって振り払われた。
「リティ!?」
「あらぁ? 魔王が勇者様を守るなんてぇ、意味がわからないんですけどぉ」
元の間延びした声に戻ったローレッタが、へらへらと笑いながら別のナイフを取り出す。
「おい、お前。人間族同士の戦いに口を出すつもりはなかったが、俺の城で暴れるとはいい度胸だな」
さりげなくレイリアを庇うように前に出る。
「私もねぇ? 最初は黙ってみているだけのつもりだってんですよぉ。魔王も、さすがに幼馴染をいきなりぶっ殺すことはないだろうと思って、保険のつもりでぇ」
でもぉ、と言ったローレッタは、構えたナイフを上に頬り投げる。リーティスの気がそちらに逸れた一瞬をついて、猛スピードで間合いを詰めてきた。
「このクソ女は三回も『勇者』を軽んじやがったんだよぉ!」
もう一方の手に握ったナイフで、リーティスの背後で立ち尽くすレイリアを狙って容赦なく斬撃を振るう。
「勇者様の責務を『些末』って言い! 勇者様になったことを後悔し! あまつさえ! 魔王とキスをしようと!」
言いながらも、ナイフを持つ腕は止まらない。レイリアの心臓、頸動脈といった急所を、的確に切り裂こうと振るってくる。
それらの攻撃を捌きながら、リーティスは迷っていた。
(どうする、どうすればいい?)
ローレッタを始末すること自体は容易い。勇者側の人間である以上、リーティスにとっても敵であることは間違いないのだ。
だが、レイリアがどう思うかは別の話だ。
ローレッタの渾身の刺突を躱し、腹に一発拳を叩き込む。衝撃を食らって彼女が吹っ飛ばされたその隙に、とレイリアの手を引いた。
「リア! ひとまず場所を移すぞ!」
「……」
「リア?」
立ち尽くしたまま、レイリアは動こうとしない。それどころか、リーティスが掴んだ手を、そっと振りほどいた。
「リティ、ありがとう。最期にリティに会えて、ほんとうに嬉しかったです」
「おいリア、一体何を……」
「『勇者』はね、他の種族よりか弱い人間族のために神が与えてくれた特別な資格なんです。私が生きている限り、次の勇者は生まれない。そして、私はもう、魔王と戦うことができません……」
魔王を倒すことが唯一の使命なのに、とレイリアは寂しげに笑う。
「ローレッタの言う通り、『勇者』は軽んじていいものじゃないんです。だから、次の勇者に資格を譲るために、命を絶たなくてはいけません」
「その通りだクソ女ぁ!」
ふらつきながら、ローレッタが近寄ってくる。かなり強めに殴ったのにもう動けるとは、よっぽど頑丈らしい。
「おいどけよ魔王。それともなんだ、昔の友人だからって勇者を助けんのか?」
「リティ、ごめんなさい。巻き込んでしまって。でも、これは私たち人間族の問題ですから」
リーティスの前に出たレイリアは武器を握ることなく、ローレッタの前に身を晒す。
「覚悟はいいかよ、元勇者様ぁ?」
「……ええ」
目を閉じたレイリアは震える手を体の前で握り合わせ、最期のときを待つ。
(俺は、どうすればいい?)
せっかく再会を果たした幼馴染が、今まさに殺されようとしている。
でも、彼女は勇者だ。本来、魔王に仇なす存在だ。魔王が助ける道理はない。
「じゃあ、逝きなぁ!」
手負いとは思えないほど、鋭い突き。狙いは――レイリアの喉元。ローレッタは、レイリアを確実に仕留めようとしている。
あと数メートル、時間にしてあと1秒足らずでレイリアの命が絶たれるというそのとき。
『おおきくなってまたあえたら、そのときはおよめさんにしてくれますか?』
透き通るようなその声が、確かに聞こえた。そして、当時の記憶が蘇って――
「はぁっ!」
考えるより先に手が動いた。目の前に立つレイリアの腰をつかみ、後ろに引く。一瞬出来た隙を見逃さず、先ほどより強力な打撃を最小限の動きでローレッタの腹に叩き込んだ。
「ぐぶぇっ」
血を吐きながら突き飛ばされたローレッタは、そのまま壁に激突しピクリとも動かなくなる。死んではないと思うが、しばらくはまともに立つこともできないだろう。
ふぅ、と安堵のため息をついた途端、後ろから体当たりを受けた。
「リ、リア!?」
「な、なんで……どうして、助けたんですか? 私は、死ななきゃ、ダメなのに……」
抱き着かれたまま背中を殴打される。といっても、ぽこぽこと小突かれている程度で、リーティスにダメージは一切ない。
「私は、私は勇者失格だから」
「じゃあ、勇者を辞めろ」
「……! で、ですから、勇者は死なない限り」
「その代わり、俺も魔王を辞める」
「……え?」
殴る手が止まり、言っている意味が分からないと言った様子で見上げてくる。
そんなレイリアの髪を手で撫で、リーティスはゆっくりと言葉を紡いだ。
「リア、俺の『およめさん』になってくれ」
「……!」
「勇者とか魔王とか、関係ない。俺は、リアが欲しい」
偽らない気持ちをゆっくりと、しかしはっきりと伝える。
(もう二度と、手放したくない)
レイリアが今にも殺されるという段になって、はじめて思い出したことがある。
当時、親族を名乗る男に引き取られた後のリーティスの生活は、惨憺たるものだった。食事も満足に用意されず、言われた仕事が完遂できなければ意識が飛ぶまで殴られる日々。
そんなリーティスを支えてくれたのが、『およめさんにしてくれますか?』というレイリアの言葉だったのだ。
彼女と結婚するのであれば、強くならなければならない。彼女を幸せにするためには、こんなところで這いつくばっていてはダメだ。
いつか彼女に再会することだけを想って、リーティスは辛い日々を生き抜いていた。
(魔王としての業務に忙殺される中で、そんな大事なことを忘れるなんてな)
自分の阿呆さにため息がでる。
突然のプロポーズにあたふたしていたレイリアは、はっと我に返ったようだ。
「リ、リティが魔王を辞めたら、この国の人たちは……」
「んー? スカーも居るし、事務仕事はなんとかなるだろ。戦争も、勇者さえいなければ俺要らないし」
結局のところ、勇者とは対魔王用の切り札であり、その逆も然りなのだ。
そんなことよりも、リーティスには気になることが一つあった。
「リア、返事は?」
「は、はひ!」
「うん、いい返事だ。……じゃなくて、プロポーズの返事だよ」
忘れていたわけではなかろう。ゆでダコのように顔を真っ赤にしたレイリアは、もごもごと口の中で何かを呟く。
「……ん……か?」
「ん?」
「わ、私なんかで、本当にいいんですか?」
「リアがいいんだ」
そう言って、リーティスの方からレイリアを抱きしめる。最初は戸惑っていた彼女も、こちらの背中にぎゅっと手を回してきた。「……よ、宜しくお願い致します」と小さな声で呟く可愛らしい彼女が、この瞬間から自分の妻だと思うとなんだか変な気分になる。
(課題は山積みだけどな……)
「勇者を辞める」「魔王を辞める」というのが口で言うほど簡単じゃないことくらい、リーティスも分かっている。でも、今この時だけは自分たちの幸せを何よりも優先していたかった。
そんなことを考えながら、腕の中で幸せそうに目を閉じるレイリアを眺める。
「リティ、どうしました?」
ふにゃんとした笑みを返してきた彼女の口元に狙いを定め、リーティスは「今度こそ邪魔は入らないように」と願いつつ、ゆっくり顔を近づけていった。
*
「魔王様?」
数時間後、物音がしないのを不審に思ったスカーは応接間を訪れていた。
そこで彼が見つけたのは、たった数行の書き置きだ。
『幼馴染の勇者とイチャイチャしたいので、魔王引退してもいいですか? というか引退させてもらうわ。あとはよろしく』
「は、はあ……?」
魔王に仕えて40年。どうも今代の魔王はとんでもないことをやらかしたらしい、とスカーは理解する。
その後魔王の城は未曾有の大パニックに陥ったのだが、書き置きを残した当人は知らん顔で新妻とイチャイチャしていたとか。それはまた別の話である。
後日談とか書きたい欲もあるけど、またしばらく『捨て猫』の方の執筆に勤しんでます。イチャイチャ成分足らんかった?ごめんね。ご要望とかあれば感想にぜひぜひ。ブクマと評価は執筆のモチベーションになりますので、そちらもぜひぜひお願い致します。