第六十四話 決意無双
いちど大聖堂を出た俺は、エルフの族長・テデュームを伴い、以前使った船で獣人族の首都・ウルベに飛んだ。
各族長たちに事の次第を報告するためだ。
そして報告の後、それなりの人数を数度に分けて神聖ヴァダリス教国の教都へと運び、彼ら戦士たちに教都に入るものがいないように城門を警備してもらう。
ユウナの決断を待つ間に、他の国が侵攻してくることを考慮しての措置だ。
距離的なものから考えると、最も近い国――プロープ王国からでも一週間ほどはかかるだろうが、もし教皇の呼び出しが各国に届いてから即座に動いていたら今日明日中に到着しても不思議はない。
ただ、教国の周辺六国は、そのさらに隣国によって占領されている。
プロープ王国を占領したアンテ王国が、占領地を放置してまで教国に攻め入るかは未知数だ。
とはいえ、なんの対策もしていなければ、勇者召喚の魔法陣を押さえられてしまう可能性もある。
それだけは避けねばならない。
実のところ、大霊連合の族長たちは、俺達の報告を聞いて「魔法陣は破壊すべき」という結論を出した。
教国が切り札とまでした物なのだから、当然といえば当然だ。
はてさて、ユウナはどういう決断をするのか……。
◇
マーフィーの法則というやつだろうか――起きてほしくないことは起きるもので、数日後、アンテ王国の軍が教都へとやってきた。
その要求は、当然ながら「教国は我が国が抑えたから、すぐに立ち去れ」というもの。
だが、今のところ強引に押し入ろうとはしてこないようだ。
おそらくは教国を二度に渡って、それも十倍の戦力差を物ともせず撃退した大霊連合を警戒しているのだろう。
正直、教国の騎士たちはかなり強かったので、並の軍では太刀打ちできなかったと思う。
そのことから考えれば、アンテ軍が千程度では、大霊連合の勝利は揺るぎない。
とはいえ、あまり長く押し問答していれば暴発する者も出てくるだろう。
要するに、時間の猶予は、もうあまり残っていないということだ。
「……」
大聖堂近くの宿の一階、食堂になっているそこで、俺、ユウナ、ミスティの三人は無言でテーブルに着いていた。
ここまでは門前での騒動は聞こえてこないが、一日に何度か現状報告にやってくる連合の戦士たちによって、ユウナは徐々に顔色をなくしている。
なにしろ彼女の帰還の可能性は、今のところ勇者召喚の魔法陣しかない。
しかし、このまま残しておけば、ほぼ確実に悲劇を招くことになる。
畢竟、ユウナが日本に帰ることを諦めるか否か、という二択になるのだ。
彼女はまだ十五歳――日本には家族、友人が多く待っているだろう。
諦めるなら自分の縁の全てを失い、諦めなければ多くの血が流れる――そんな決断をさせざるを得ないのは心苦しいが……問答無用で諦めさせるのも無情すぎる。
事情を知っている者は、誰もがそんな風に頭を悩ませていた。
もちろん俺もだ。
――とりあえず冷めてしまったお茶を淹れなおすか、というとき、一人の獣人が駆け込んできた。
「衝突が発生した! アンテ軍は強引に突破するつもりだ!」
それは最悪の報告だった。
功を焦ったか、それとも勇者召喚を手に入れることを優先したか……なんにせよ、いよいよ猶予はなくなってしまったな……。
「どう守っているんだ?」
「大盾隊が門前で耐えている状況だ」
ミスティの問いに獣人が答える。
なかなか無茶なことをしているな……。
しかし、耐えているということは、こちらからは手を出していないということか。
門の幅からして、二十人も並んでいれば、ほとんどの攻撃はシャットアウトできるだろう。
しかし、常に『障壁』の魔法を張り続けると考えれば、交代しながらでも一時間か二時間程度しか保つまい。
つまり、それがタイムリミットということになる。
さすがに、ここでのんびりしているわけにはいかないな。
「ミスティ、ユウナ、俺は謁見の間に向かう」
二人にそう言い、俺は席を立った。
すると彼女たちも、俺の後に続き立ち上がる。
「私も行くぞ」
「わ、私も……」
ミスティは決然と、ユウナは迷いを含みながらも同行を申し出る。
俺は一つ頷き、二人を伴って足早に大聖堂へと向かった。
魔法陣を破壊するにせよ、しないにせよ、用意はしておかねばならない。
◇
大聖堂には百人ほどの連合戦士たちが詰めていた。
大盾隊も二十人ほどが残っている。
これなら街の門と合わせて、三時間近くは持ちこたえられるか。
謁見の間は床材である大理石が全て剥がされ、その下にある巨大な一枚岩――おそらく魔法で作られたものだろう――がむき出しになっている。
その岩の表面には勇者召喚の魔法陣が描かれ、魔石で引かれたと思しき線が淡く発光していた。
いくつもの円と幾何学模様、そして謎の文字によって構成されたそれは、悪神にもたらされたとは思えないほど美しい。
こういった儀式魔法に最も詳しいエルフの族長テデュームによって写しが作られているが、素材や大きさ、ちょっとした角度の違いなどで機能しなくなる可能性が高いという。
つまり、ここで使うことしかできないであろう、ということだ。
そして、解析している余裕はない。
「……」
ユウナは、物憂げな表情で魔法陣を見つめている。
――彼女の中では、どうするべきか葛藤があるのだろう。
俺とミスティは脇に控え、彼女の決断を待つことにした。
◇
二時間して街の正門が抜かれたと報告があった。
幸い、魔力を消耗しきって後退せざるを得なくなっただけで、死傷者は出ていないらしい。
しかし、こうなると最後の砦である大聖堂前の門だけが頼りだ。
そして残りの猶予は約一時間。
――いよいよ、タイムリミットが近づいてきた。
鬨の声が近づいてくる。
金属同士のぶつかる、あるいは魔法の炸裂する音が聞こえてきた。
礼拝堂の中は広い空間なので、人のいない今、外の音が反響し、室内で増幅されたかのようにハッキリと聞こえる。
大霊連合の戦士たちは、相手を傷つけぬように耐えているのだろう。
まともに戦えば殲滅できるだろうが、後に遺恨を残さないために、そしてユウナに考える時間を与えるために、時間を稼いでいるのだ。
「ぅ……」
ユウナが苦悶の声を漏らす。
皆が自分のために耐えていると、彼女も理解している。
だからこそ、苦悩は深まっているのだろう。
そうして一時間ほど、ついに「退け!」という声が聞こえてきた。
――間もなく、礼拝堂にアンテ軍が雪崩込んでくるはずだ。
雄叫びが、どんどん近づいてくる。
――礼拝堂の扉が、力任せに開かれる音が響いた。
「破壊して!」
ついにユウナの口から宣言がなされた。
彼女は自分が帰れなくなるよりも、多くの人が傷つく可能性を低くすることを選択したのだ。
「解った。『時空結界』……『結合崩壊』!」
謁見の間につながる廊下になだれ込もうとした兵士たちが、時空の壁にぶつかって前進を止められた。
その間に、俺は謁見の間全体に魔法を発動する。
分子の結合を破壊され、魔法陣の描かれた一枚岩が塵となって崩れてゆく。
痕跡すら残らぬよう、俺は『結合崩壊』を地下へ地下へと押し込む。
玉座も砕け散り、大きな穴の空いた地下空間へ落下していった。
崩壊は謁見の間周辺の土台にまで及んだらしく、壁に亀裂が走り始める。
その破壊は礼拝堂にまで届き、アンテ軍の兵たちは慌てて後退を始めた。
俺たちの頭上にも徐々に瓦礫が落ちてきているが、『時空結界』があるから何の影響もない。
「うぅ……あぁあ……」
ガラガラと建物の崩れる音が続く中、ユウナの慟哭が響いた。
彼女の目には、この崩壊の様子が己の帰る道が砕かれる様に見えているのかもしれない。
――ガラーン、ガラーン、ガラーン。
鐘楼から落下した大聖堂の鐘が鳴り響く。
それは、教国に関わる一連の事件の終結を告げているかのようだった。
◇
大聖堂の完全崩壊を見届け、俺達はそそくさとその場を後にした。
もうもうと立ち上る粉塵のおかげで、誰にも見咎められることなく脱出できたのは僥倖だった。
それから大霊連合の戦士たちとも合流し、我々は教都を離れた。
もともと勇者召喚の魔法陣だけが目的だったので、それを破壊した今、もうここには何の用もないからね。
後のことはアンテ王国がどうするかで変わってくるだろうが、大霊連合も、俺も国のことに関わる気はない。
まだ、しばらくは教国周辺でゴタゴタが続くのだろうと予想するのみだ。
目下、最大の問題はユウナの身の振り方。
元日本人としては同郷の誼で助けてやりたいところだが、あいにく俺は男なので女性に対するケアとかできるとは思えない。
ただ、何をして生きるにしても、身の安全を守れる程度の力は必要だろう。
召喚当初に比べて弱体化しているから、もうちょっと武器の扱いとかにも慣れておいてもらいたいところだ。
「私、冒険者やる」
獣人族の街・ウルベで数日過ごし、落ち着いた様子のユウナに、何かやりたいことがあるかを聞いてみたところ、帰ってきたのはこの答えだった。
ということで、遺跡の街へ移動し、冒険者ギルドで登録、彼女は入門冒険者となった。
ちなみに、ミスティがユウナを心配してついてきてくれているから、いろいろと女性ならではのことなどを任せられて助かっている。
空元気かもしれないが、ギルドカードを手にしてはしゃぐユウナの姿は、少しは前向きになれたのかな、と安心させられた。
――本当は辛いだろうけど、笑えるというのは本当に強い女の子なんだと思う。
まさしく無双の強さだよ……。