第十九話 親父無双
男爵領のマインの町を出て二十五日、我々はようやく王都まで後一日のところまでたどり着いていた。
なぜこれほど長い期間が必要だったかというと、単純に男爵領から王都までが遠いことが一つ。
そして他領を訪れる度に領主や代官に挨拶をし、必ずそこで一泊以上することになるからだ。
挨拶せずに通り過ぎるのは失礼に当たるとか、歓待しないとケチだと言われるとか……とかく貴族の仕来りはめんどくさい。
距離の短い町と町の間など、スルーすれば半分未満の日数で済んだりするというのだから、どれだけの期間を無駄にしているのか解ろうというものだ。
それはさておき、今夜は見晴らしのいい丘の上での野営となる。
目指す王都は小高い山の上にある。
そのため、ここからでも少しだけ街の明かりが見えるのだから、夜でも城門には相当な明かりが灯されているのだろう。
「綺麗ですね……」
「そうですね。でも、あんなに明るくする魔道具があるなら、薪を使っている村や町にも配ってくれればいいのに、なんて思ってしまいます」
「フフ……確かに、夜も明るければ安全になるかもしれませんね」
俺が夜番の時にアウラお嬢様がやってくるのは、もう定番になった感がある。
そしてするのは、なんてことのない雑談だ。
……だがまあ、彼女の本当の目的は雑談することではないのは俺にも解る。
初対面の時に命を助けられ、弟の病を治し、学んだこともなかった魔法を使えるように指導し、自分と同年代なのに驚くほど強い。
護衛の仕事も、さも軽いことのようにこなす。
そして、誰もやったことのない魔石加工をしてみせた。
――彼女にとっては、おとぎ話のようなことばかりだっただろう。
そういうことが重なって、関心が恋心に変化しても不思議はない。
それに明日には王都に着く。
今日は最後の夜、ということだ。
セリオがデビュタントとともに婚約者を探すのと同様、アウラお嬢様も、見初めるにせよ見初められるにせよ、そういった出会いを期待されている。
彼女は間もなく成人――貴族としては結婚適齢期直前なのだ。
動くなら、もう今夜しか残されていない……そう考えている可能性は高いだろう。
実のところ、そういう雰囲気を感じることは旅の間に何度かあった。
しかし、ただの平民である俺と、貴族令嬢であるアウラでは釣り合わないのだ。
だから、何かにつけて話題を変えては、はぐらかしてきた。
でも今日はもう逃げられない、いや、逃げてはいけないだろう。
「……ソーラ様、あなた様にお伝えしたいことがございます」
「なんでしょう?」
俺の目を見つめ、腰の前で組み合わされた両手を強く握りしめるアウラ。
その体は夜目にも判るほど震えている。
じっと見つめ合うこと数分。
彼女は、ようやく口を開いた。
「私は……あなた様のことを、お慕い申し上げております」
声を震わせながらも、アウラは自分の気持を告白した。
まだ幼さが残るとはいえ、彼女はとても良い娘だ。
立場が近ければ、その想いを受け入れるのも悪くはなかっただろう。
だが――。
「とても嬉しいです。……ですが、お受けすることはできません。私は冒険者。これから世界中を旅して回るつもりです。ですから、あなたと一緒にはいられません」
アウラの想いが真っ直ぐだったから、俺も自分の気持をストレートに伝えた。
俺が冒険者になったのは、世界を旅したいから……そのために、平凡とはいえ幸せが約束されていた故郷すら後にしたのだ。
これを曲げることは出来ない。
「はい……解っております」
どうやら彼女は、俺の答えが『否』であろうことは予想していたようだ。
俺は触れなかったが、この世界の身分の違いは中々に大きな障害だし、彼女は家を捨てる気もないということだろう。
それもむべなるかな。
俺のイメージする貴族像とは全く合致しないレベルで、男爵一家はお互いに愛し合っている。
アウラは聡明だし、自分の役割も理解しているということ。
ならば、それを放棄するような選択は、たとえ一時の気の迷いが起きてもすることはあるまい。
だから、今夜、ここで俺に想いを告げたことが、最初で最後のわがままなのだ。
ならば俺も、今夜だけは彼女の行動をすべて受け止めよう。
「でも、思い出だけは、いただきとうございます」
徐々に近づき、おずおずと俺の胸に手を触れるアウラ。
数秒の後、彼女は俺の体に密着し、目を閉じて顎を上げる。
「ん……」
その行動に応え、俺は一秒にも満たぬ間だけ、アウラと唇を重ねた。
「……ありがとうございました。この事は、生涯わすれません」
羞恥と歓喜から頬を上気させ、失意と諦念に目を潤ませながら、彼女は俺から離れてゆく。
これ以後、俺達は決して触れ合うことはない。
馬車へと戻ってゆくアウラお嬢様の背中を見送り、俺は夜番の仕事へと戻った。
――さて、あと一つ、片付けなきゃいけないことが残っているが……どうなることやら。
◇
「俺は、ソーラと薪を拾いに行ってくる」
翌朝、馬車内から現れたガイス・ノマイン男爵は、そう宣言すると有無を言わせず俺の肩を掴み、遠くに見える雑木林に向かって全力で駆け出した。
『身体強化』すら使ったダッシュは爆発的な速度を生み、四キロほどの距離をわずか二分で走破、そのまま木々の間に突っ込む。
まばらに生える灌木の間を縫い、さらに数分――男爵はようやく足を止めた。
すでに、丘の上の馬車は豆粒みたいなサイズになっている。
「話は解っているな?」
「はい」
何の前置きもなく、男爵は突っ込んできた。
それは言葉だけでなく、体もであり――次の瞬間には、俺の頬に彼の拳が打ち込まれていた。
――ガァン!
まるで金属同士をぶつけたような、硬質な音が雑木林に響く。
……これほどの衝撃を受けたのは、十二歳の時にブラッドベアに攻撃されて以来だ。
あのときは本気で死にかけた。
さておき、男爵の一撃で吹き飛ばされた俺は、軽くトンボを切って着地する。
高まったレベルによって、俺の身体は金属の鎧にも匹敵する強度を持っているが、かなりのダメージだ。
さすがは、常に最前線に立って民を守ってきた男、相当にレベルが高いようだ。
「なぜ、応えてやらない!」
怒声を帯びた二発目は、腹に来た。
「あの子の何が気に入らんのだ!」
三発目はアッパー、四発目は縦に回転する俺の背に飛び蹴りが打ち込まれた。
そのまま吹き飛べば雑木林から飛び出しそうになったため、地面に手をついてブレーキをかける。
「ふぅー……」
全力で八つ当たりができたからか、男爵はゆっくりと大きく息を吐いた。
「すまんな」
「いいえ、当然の権利でしょう」
今回のことは、よくある「貴様などに娘はやらん!」という一幕の逆バージョンといったところだろう。
俺にも、何も思うところはない。
まあ、地位や生き方の違いからどうにもならないと解ってはいても、娘の恋を実らせてやりたかった、しかし娘を放り出すこともしたくない……という親心の発露なのだろう。
こんなときは、相手の親父に無双されるのも悪くはない――俺は、そう思うのだった。