涙の女神さま
「おかわり」
壺ちゃんはそう言って子供用の茶碗を差し出した。
今日は朝から少しイライラしているようだが、あえて触れていない。
「おー、めずらしいじゃないか、おかわりなんて」
「ふんッ」
壺ちゃんは鼻を鳴らすとよそったご飯にふりかけをサッと振りかけ、カッカッカッと箸でかきこんで頬張った。なんだか小動物みたいで可愛い。
「もっとあるぞー、いっぱい食べていいんだぞー」
「あーッ! もうイライラする! なによ朝からニヤニヤして!」
「えー、そうかー?」
俺は自分の顔を鏡に映してみた。
あー、本当だー、ニヤニヤしてるー。
「なによ! 今日は女神が来るからって浮かれちゃって。いいこと? あの女神はアタシのメンテナンスにくるのよ? ア、タ、シ、の!」
そう。今日は女神さまから壺を買ってちょうど一週間。彼女が壺のメンテナンスに来る日なのだ。
また、彼女に会える。今度こそちゃんと話をする! でも、メンテナンスってなんだ? まあ、そんなことはどうでもいい。今日は準備万端。部屋も片付けてあるしシャワーも浴びた。あとは彼女が来るのを待つだけ……。
そのとき、玄関チャイムが鳴る気配。
『ピンポン!』
鳴ると同時にドアを開けた。
女神さまのブロンドと髪飾りが風に靡き、甘い匂いが俺を包んだ。白いワンピースからのぞく細い肩は、大切にしなければ壊れてしまいそうにか弱く……少し震えていた。
うなだれていた顔を上げると、その美しい瞳は、柔らかな頬は、唇は、悲しみに濡れている。
そして、彼女は堪えきれずに大粒の涙をぽとぽとと零し――。
「お客さまッ!」
そう言って俺の胸に飛び込んできた。
俺の胸元で子供のように嗚咽する彼女は、見た目の存在感よりもずっと、ずっと小さく、か弱かった。
いつまでも彼女を胸の中に抱いていたい。すべてから、彼女を護ってあげたい。優しく、優しく……ただひたすらに優しくしてあげたい。胸の奥から、そんな気持ちが沸き上がった。
だが、壺はそれを許さなかった。
「あー、うっとーしー」
壺ちゃんは女神さまの手を引いて俺から引き剥がすと床に座らせた。
そして自分はちゃっかりと来客用の座布団に座り、お茶をすする。
「で、どうしたのよ」
女神さまは上気した頬に伝わる涙を可愛らしいガーゼのハンカチで拭いながら弱々しい声で答えた。
「……誰も、買ってくれないんです」
仕入れた商品が売れない。
彼女の主力商品は某次元の『セドリーズ』と言うお店で1本50円で手に入るスタミナドリンク【深海魚脂 ハイパーV】。
それと、最終戦争が終わったばかりの、荒廃した次元で拾い集めたマジックアイテムの数々だった。派手な戦いが終わったばかりの次元には、持ち主を失った『掘り出し物』のマジックアイテムがアチコチに転がっているらしい。
壺ちゃんもそんなアイテムの1つと言うことのようだ。
「私、自信をなくしてしまいました」
俺の部屋を皮切りに、次元を渡り歩いて一週間。訪問販売をして回ったものの、売り上げは6万と900円。俺に壺が6万円で売れたあとは鳴かず飛ばずで、1本300円のスタミナドリンク……あれ? 仕入れは50円って言ってたような……が3本売れただけだった。
それにしても……この女神さま、改めて聞けば聞くほど酷い商売に手を染めている。
決して悪気がない、純心だからこその見境なさで、笑顔でレッドラインを飛び越えて何処までも行ってしまいそうで、聞いていて怖い。
そんなことを考えながらも、俺は自分が彼女に何をしてあげられるかを考えていた。
答えは出なかった。
そりゃあそうだ。
相手は女神さまなのだ。
でも、この気持ちだけは伝えておきたい。
「俺、力になります」
突然の俺の言葉に女神さまはキョトンとした顔をして、大きな青い目をパチリとまばたきさせた。
そして、一呼吸置いてからようやく俺の言葉を理解したかのように、彼女の表情がぱああっと明るくなった。
気持ちが伝わった。
幸せな気持ちが込み上げてくる。
壺ちゃんが『ふん』とそっぽを向く。
「か……」
か?
「買い支えてくださるのですね!」
気持ち! 伝わって! ねぇ!
「いや、そのぉ……」
「違うのですか……」
女神さまの表情が少し曇っただけで俺の胸の中にハリケーンが吹き荒れる。
くそっ、どこから説明すればいいんだろうか。
「あの、俺。お金なら少しだけなら貯めてるんですけど……そのぉ、流石に神殿を建てられるほどじゃないですし……俺にも夢があって。そのためには貯金しないといけなくて……。てゆうか、お金以外のお手伝いと言うか……あ、あなたの、心の支えにっ……!」
頑張ってそこまで言ってみたが、なんだか俺の方が怪しい宗教に勧誘してる気分になった。
そんな俺の苦悩とは裏腹に、彼女の瞳が再び輝きを取り戻してゆく……。
そして、細い腕を伸ばし、膝に置いていた俺の両手をとって、胸の前でぎゅっと握りしめた。指を少しでも動かしたら彼女の胸に触れてしまいそうな距離だ。柔らかで、繊細で、少しあたたかな彼女の感触に、体が溶けそうになった。
ワンピースの胸元が強烈に気になる……が、壺ちゃんの殺気を感じて視線を大きく逸らせた。
「お客様も夢に向かって頑張ってるんですね! 素晴らしいです!」
そう言えば、彼女も俺と同じく、夢の途中。
彼女はメジャーな女神になるという目標に向けて、地下女神として活動している真っ最中だったのだ。
次元は違えど、人と女神との差はあれど、夢を追うもの同士、通じるものが……。
「私も負けてはいられません! 頑張ります! 頑張って安いものを高く売りさばきます! そして、いつかは立派な神殿を建てて……」
……彼女の夢を諦めさせたい。
「はいはい。話が終わったんならサッサとアタシのメンテナンスをしなさいよ!」
「あの、さっきから気になっていたのですが……あなたは……」
え、気付いてないのか!
「アンタがこの男に売り付けた壺よ! じゃなくて! 壺の中に封印されてた妖精よ!」
「えー、あの壺、妖精さんが入っていたんですか? 当たりです。それ、大当たりですよ、お客さま!」
「アンタ、やっぱり知らずに売ってたのね……」
「当然です! 妖精さんが入っていると知っていたらもっと『いい値段』を付けてます!」
女神さまはメンテナンスと称して壺をササッと磨いて帰るつもりだったらしいのだが、その代わりに壺ちゃんの髪をブラッシングした。
妖精にとって、髪は魔法の源である『マナ』を吸収するためのフィルターのようなものだそうだ。
別に、シャンプーでも洗えないことはないのだが、女神のブラシで梳かすと浄化の作用によってマナの吸収力が増すらしい。
そして、女神さまはバッグから自分の水筒を取り出すと『天界の泉』から汲んできた水を壺ちゃんに飲ませた。天界の泉の水にはマナがたっぷり含まれていると言う。壺ちゃんは美味しそうにそれを飲んだ。
「ふぅー、やっと魔力が回復した。この次元、マナが薄いのよ。魔法で布団を出したら一発でマナ切れになっちゃって。一週間で半分も回復しなかったわ」
「……そう言えばこちらの次元、マナが薄いだけじゃなく、悪の気配も、正義の気配も……神の気配さえも感じませんね」
女神さまは何かを探すようにあたりを見回した。
「そーゆーの、この世界には居ないみたいよ。でも、魔王だ勇者だって騒がしい次元よりのんびり過ごせていいけれど」
「魔王も勇者も……神もいない次元……」
女神さまはそう言うと黙りこんだ。
何かを考えこんでいるようだが、嫌な予感しかしない。
そして、スクッと立ち上がり――。
「決めました、私、この次元を活動拠点としてメジャーを目指します!」
「……アンタ、いま『この世界ならライバルがいないからチョロい』って考えたでしょ」
壺ちゃんがそう言うと、女神さまはテヘヘと笑った。
どうやら図星らしい。