壺ちゃんと女神さま
薄暗い診察室。
俺は白髪頭の医者に先週の出来事を語っていた。
『いきなり訪ねてきて……すごい美人だったんです』
『ふむふむ。すごい、美人、ですね……』
医者は机に向かってメモを取りながら俺の話を聞いていた。
『――どうぞ、続けてください』
『はい……最初は勧誘とか霊感商法だろうとは思ったんです。でも、気が付いたら彼女を部屋に……』
『なるほど。部屋にねぇ……』
医者は少し間を置いた。
『で、やましい気持ちは、あったのですか?』
俺は口ごもった。
医者はメモを取る手を止め、椅子をクルリと回転させてこちらを向く。
そして、俺の目をじっと見つめる。
『……』
『四波さん……やましい気持ち。あったんですね?』
ぐっと顔を近づけてきた。
『はい。そりゃあ、少しは……。でも、先生! 本当に好きになってしまったんです! 一目惚れだったんです!』
『はっはっは。若いっていいですなぁ』
医師は笑いながら再び椅子をクルリと回転させて机に向き直った。
『で……壺、ですか』
『はい、中から子供が。名前を付けろと言うので……壺娘と名付けました。壺ちゃん、って呼んでいます』
『……ふむ。わかりました』
医者はそう言うとカルテに俺には読めない字で何かを書き、シュッと丸く囲った。
『ではお薬を出しておきましょう。それからお仕事、少し忙しいようですね。診断書を書きますからちょっとお休みした方が……』
『先生! 本当なんです!』
『ちょっと! アンタなにアタシたちのことをバラしてるのよ!』
いつの間にか、俺の横に壺ちゃんが立っていた。
『ピンポン!』
と、玄関チャイムが響く。
『あらあら、喧嘩はいけませんよ』
ドアを開けキラキラと輝くオーラに包まれた女神さまが現れた。
足は床から30センチほど浮いている。
『なによ! このヘンタイ壺マニア!』
『四波さん、この【イルカの絵画】、今ならたったの8万円なんです!』
『はっはっは。若いって、いいですなぁ』
3人が俺に迫る。
『触り方がいやらしいのよ!』
『四波さん、私、知りませんでした。腎臓って売れるんですね! この【巨大な壺】、今ならたったの200万円なんです!』
『はっはっは。はっはっは』
「うあぁぁぁ!」
――っと、ここで悪夢から目が覚めた。
寝惚けた目をこする。
なんだか天井の距離感がおかしい。
家具の配置も……変だ。
そうか。
俺、床で寝てるんだった。
上体を起こしてベッドを見ると、『壺ちゃん』は魔法で出した高級そうな寝具に包まれてスヤスヤと眠っていた。
彼女にベッドを追い出され、床に布団を敷いて寝るようになってから、もうすぐ1週間が経とうとしていた……。
§§§
『ポン!!』
突然、風船が爆ぜるような音と共に白煙が上がり、壺の中から彼女が現れた。
「ちょっとアンタ、さっきから触り方がやらしいのよ! この、ヘンタイ壺マニア!」
背格好は女子小学生……だが、淡い紫色の髪と赤い瞳。
赤いドレスと大きなリボンの……幽霊!?
「ふ、ふぇ!」
その時まで『驚くとおしっこをちびる』と言う感覚がイマイチわからなかったのだが、ちょっとだけわかった。ちょっとだけ。
部屋の隅まで後ずさり恐れおののく俺を見て調子に乗ったのか、彼女はイタズラっぽくニヤリと笑うと、俺をもっと怖がらせようとして――。
「おーばーけー、たべちゃうぞー」
――と、幼稚園児でも怖がりそうもない、むしろキャッキャと喜びそうな、それはそれは可愛らしい脅かしかたをしてきた。
おかげでようやく、俺は一気に自分のペースを取り戻すことができた。
自分のほっぺをつねる代わりに壺から出てきた彼女のほっぺをつまんでみた。
やわらかい。よく伸びる。
頭をなでなでして、そのまま体中あちこちなでなでしてみた。
多少キャーキャーいって抵抗するが、このリアルな手触り。
夢や幻ではないようだ。
と、なると……。
「君は……だれ?」
§§§
彼女の話をかんたんにまとめると、彼女は『異世界から来た妖精さん』らしい。
壷の中に封じ込められ、とある異世界に放置されていたところを、女神に拾われたらしい。
何故、壺に封印されたのか。
彼女はその記憶を失っていた。
異世界。妖精。
もはや『玄関ベルが鳴る前の気配が何となくわかる』なんて話を不思議がっている場合ではない。
まるで理解が追いつかない。
しかし、妄想や幻ではない。
それは、目の前に確実に存在しているのだ。
手触りもいいし、ちょっと甘い匂いもする。
ちょこんと座って煎餅を齧りながらお茶を啜っている。
壺から出てきた妖精さんが。
「あの、じゃあ、君を連れてきたあの女の人は……」
「あんたバカ? さっきから言ってるじゃない『女神』だって」
幼女にバカと言われてしゅんとなった。
いや、ちょっと待て!
「こっちの世界じゃそんな話を信じる方がバカなんだよ!」
異世界。妖精。女神。
くそぅ、聞けば聞いただけファンタジーが現実になってゆく。
こんな話が、本当にあるなんて……。
でも、可愛いから許す。
「あの女神さまのことは、何か知らないのか?」
「別に何も。アタシ、たまたま拾われただけだし」
「で、君のことはなんて呼べばいいのかな?」
「はぁ? あんたバカ? 本当に何も知らないのね。封印から解放された妖精に名前を付けるのは封印から解いた者の仕事よ? 義務よ? マナーよ? エチケットよ? サッサと付けなさいよ」
再びまくし立てられた。
流石にイラッときた俺はベタな名前を即答した。
「それじゃ、壺娘」
いい加減なネーミングに怒ったのか、彼女の頬がカッと赤く染まる。
「……ば、バカのわりにはセンスあるじゃない。ちょっとだけ見直してあげる」
気に入ってる!
こうして、壺娘――壺ちゃんは俺の部屋に住み着くこととなったのだ。
そして――。
「壺ちゃん、壺の中に戻れるなら壺の中で寝てくれよ」
「イヤよ。絶対にイヤ。アンタ壺のことをいやらしい目で舐め回すように見たり触ったりするヘンタイ壺マニアじゃない! 壺には戻らないわ。私がここで寝るからリョーサクは床で寝なさい!」
――俺はベッドを追い出されたのだ。