おぼえてますか、シバさん その5
広場の中央に立つ、超魔王。
その前で今にも倒れそうに膝をつく、超勇者。
そして二者を取り囲む死屍累々。
超魔王が物のように使い捨てた人質の亡骸が広場を埋め尽くしている。
この戦いだけでいったいどれだけの犠牲が出たのだろうか。
超勇者は超魔王の卑劣な攻撃にどれだけ耐えねばならなかったのだろうか。
だが、超勇者の眼差しはすでに虚ろだ。
屈強な超勇者もついに力尽きようとしている。
全体の戦局とは裏腹に、頂上決戦を制したのは超魔王のようだ。
そして、シバも……。
「……エート」
爆風から自分をかばったシバの体を、今はレナが支えていた。
深くえぐられたシバの背から流れ落ちた血が、足元に水溜をつくった。
エートはシバに視線を向けようとせず、背を向けたまま答えた。
「シバ、お前の声が小さくなっているぞ」
名前により妖精を支配する力が、主の命と共に失われようとしている。
世界四強に数えられる【赤ノ妖精】を繋ぎとめるだけの力は、もうシバには残されていないのだ。
「ぐぉぉぉぉ!」
悲痛な叫びが響いた。
広場の中央では異様な光景が繰り広げられていた。
ひざまずき、天を見上げ大きく口を開く超勇者。
その口の中へ、霧のように溶けだした超魔王の体が入り込んでゆく。
超魔王は実体のない幽鬼。いま、超勇者を依り代としようとしているのだ。
「エート……あいつを、倒せ……そして、女神……守れ」
エートはつまらなそうに言い放った。
「だから、最初から全部ぶっ壊しておけばよかったんだよ、シバ! 勇者とか魔王とか人質とか、面倒くさいことにこだわるからこんなことになるんだ!」
そして赤い炎を噴き上げる剣を手に、まるで野原でも散歩するかのように無防備に超魔王へと近づく。
「シバ、あんたの声はもうアタシには届かない」
エートはまるで独り言のようにそう言った。
シバの眼差しはすでに焦点を失っている。
「主であるアンタが死ねば、アタシはまた全てを忘れて壺に封印される。悲しい定めさ」
そうしている間に、超勇者の体は完全に超魔王に乗っ取られた。禍々しい気配に屈強な体躯を兼ね備えた妖魔がそこに居た。これこそが、のちに勇者崩れと呼ばれる存在。その実態は超勇者を依り代とした超魔王だったのだ。
勇者崩れは漆黒の剣を抜き放ちエートへと斬りかかる。
だが――。
「オマエ程度の小悪党、こっちは数えきれないぐらい見てきてんだよ。何が『超』だ雑魚。お前などソレジャの足元にも及ばねぇ」
エートは超魔王の連撃を軽くいなす。
「残念だが時間切れだ、シバ。コイツを倒している時間も、女神を守っている時間もない」
シバからの反応はなかった。
エートの体が炎をあげる。
その体は炎に包まれながら徐々にひび割れていった。
「冥途の土産だ。次に封印から解かれたときに、コイツだけはアタシが倒すって、印をつけておくよ」
そう言うと、エートは炎の剣を勇者崩れに向けて投げつけた。
剣は一直線に飛び、勇者崩れの胸を貫く。
勇者崩れは異様な叫び声を上げながら胸から剣を抜こうとするが、抜くことができない。
しばしもがく。だが、勇者崩れにとっては致命傷とはならないようだ。
炎の剣に貫かれたままの勇者崩れが再びエートへ襲い掛かる。
エートの体はすでに炎をあげながら風化し始めていた。
「女神、守ってやれなくてすまなかった……ッて、えー!?」
エートの脇をブロンドを振り乱して駆け抜ける、鮮血に染まった白いワンピース、青い瞳、細い腕。
その手には【転移の杖】が握られていた。
レナは叫んだ。
「次元の彼方へ、吹っ飛ぶのれしゅ!!」
勇者崩れにとっても、エートにとっても想定外の伏兵。
レナが振り下ろした【転移の杖】が勇者崩れへ突き刺さった。
勇者崩れの体が光を放ち、そして、その体はどこへともなく消えて行った……【転移の杖】と共に。
息を切らすレナに、エートが呆れたようにつぶやく。
「アンタ、ほんとにおもしろい女神だよ」
エートの体は更に激しく燃え上がる。
「楽しかったよシバ。アンタの記憶がきえてゆく……」
エートの体は完全に崩れ去り、激しい炎の渦となって天空高く舞い上がる。
そして、どこへともなく消えて行った。
レナは既に絶命しているシバへ駆け寄った。
そして、大きく息を吸い込み、天へ向かって叫んだ。
「運命神さま!!」
その目に、迷いはない。
「運命神さま!! どうか、この者の魂をお救いください!!」
静まり返った広場に、遠くで繰り広げられている戦闘の音が響いた。
「運命神さま!!」
レナの目の前に、ふっと、眩しく輝く光球が現れる。
辺りにはまるで時間が止まったような静寂が訪れた。
「この者の魂に、どうか転生の機会を!」
宝物庫から【転生の杖】を奪ったシバが、運命神の怒りを買っていることは重々承知だ。
そして、このような望みには恐ろしい対価が求められることも。
しばらく後に、運命神は答えた。
「一つ。この者の過去を許せと言うのであれば、お前から過去を奪おう。お前はこの者に関する記憶をすべて失うのだ」
レナの心はねじ切れそうに痛んだ。
だが、その目は力を失っていない。
シバを救うことができるのだ。
レナは目に涙を溜めながら小さく頷いた。
「もう一つ。この者に未来を与えよと言うのであれば、お前から未来を奪おう。愛の女神となる運命を捨て、地下へ堕ち、金の為に生きるのだ」
レナの目から涙が溢れた。
記憶を失い、地下へ堕ち、金の為に生きる。
自分が自分でなくなる。それが、何よりも恐ろしかった。
だが、涙をこぼしながらも視線は決して運命神から逸らさなかった。
レナは頷いた。
運命神は対価と引き換えにレナの望みを叶えた。
§§§
気を失ったレナを見つけ出し助け起こしたのは、勇気を振り絞って次元の扉を開いてやってきたロブラリアであった。
血まみれで倒れているレナを発見したロブラリアは卒倒しそうになったが、レナが無事であることを知るとひとしきり泣いて喜んだ。
だが、レナと話が合わない。レナは、自分が何故ここに来ているのか、ここで何があったのか、すべてを忘れていた。
何か、記憶を失うほど強烈な、よほどのことがあったに違いない。
もう二度と、この可憐な幼なじみを危険な目には合わせないと、ロブラリアは決意を固める。
ロブラリアは、まだふらふらとしているレナに肩を貸しながら、天界への次元の扉をくぐった。
レナは最後にもういちど、広場を振り返る。レナの視界の端に映るシバの骸は既に、累々たる死体の中のほんの一体にしか見えなかった。
二人の女神が消えた広場に争いの音だけが響く。
正義と悪。
この戦いでそれぞれ将を失ったセドの終末戦争は、その後長期にわたり混迷を極めた。
やがて人々も怪物も疲弊し、共に絶滅への道を辿ることとなる。
結局、セドの生き残りはレナにより安全な世界へと転移された数百人の貧民たちのみであった。
かくしてセドは誰も住まない荒廃した世界へとなる。
その廃城にセドリーズを名乗る悪党どもが住み着くのは、その遥か後のことであった。