おぼえてますか、シバさん その3
次元の扉はセドの貧民街を望む小高い丘へとつながっていた。
のどかな天界とうってかわって低く垂れこめた暗雲と灰色の街並み。風はどこか生臭く、肌にまとわりつくような湿気を帯びていた。
眼下に続く貧民街の先には、荒野を隔てて巨大な城が霞んで見える。
超魔王の手により陥落したセド城である。
先ほどまで痛快な笑みを浮かべていたシバの頬が引き締まる。金銀財宝の詰まったリュックを乱暴に降ろすと周囲の岩が浮き上がるのではないかと言うほどの地響きがした。どれだけのお宝が詰まっているのだろうか。シバはセド城を睨んだままどかりと地べたに腰を下ろした。
エートはシバの傍らで岩の上に腰かけ、風に薄紫色の髪をそよがせている。シバと同様、獰猛でサディスティックな表情は不敵の笑顔は消え、無表情で城を眺めていた。
ひと呼吸のち。
次元の扉をくぐってレナが現れる。
「ぬあっ!」
シバとエートは想定外の事態に飛び上がって驚き身構えた。
まさか、あの規則に厳しい次元警察が禁を破って追ってきたのかと思ったのだ。
そして、次元の扉から現れたのがあの『お嬢ちゃん』であることに気づくと二人は更にギョッとする。
一方のレナは……両手を広げ華麗にくるりとターンした。澄んだ瞳がキラキラと輝く。なにしろ修学旅行以来の異世界。嬉しくて仕方ないのだ。
唖然とするシバとエートを差し置いて、レナはキョロキョロとあたりを見回すと、貧民街の先、地平線の彼方に霞む巨大な城の影をみつけて『わあぁ!』と歓喜の声を上げる。
そして雑誌をパラパラとめくり、見開きの写真をシバとエートへ突き付けた。
「これ! この写真! ここから撮った写真ですよね! 絶対そう!」
気圧されて言われるがままに雑誌を覗き込むシバとエート。うーん、言われてみると確かにそうかもしれない。
レナは引き続き雑誌をパラパラとめくり、あちこちの風景を見比べてキャーキャーと騒ぐ。
次の瞬間、雑誌が真っ赤な炎を上げた。
「キャッ!」
燃え盛る雑誌を手放すレナ。
火を放ったのはもちろんエートだ。
「シバぁ、この女神食ってもいいか? 女神を食うと長生きするっていうからな」
事態を把握出来ずにキョトンとしているレナにエートがじわりと詰め寄る。
エートがニヤリと笑うとその口が急に耳元まで裂け、牙がむき出しになった。
「ぬあー! 食わせろー!」
「ギ、ギャー!」
レナは悲鳴をあげながら腰を抜かす。
……と、そのあまりの驚きっぷりに思わずシバとエートが噴き出した。
「あッはははは!」
「はははは。エート、お前って人をからかうときはいつも『食べちゃうぞ』なのな」
二人の笑顔にからかわれたと気付き、レナの頬がぷっと膨れる。
「酷いです!」
「はははは。悪い悪い。でもな、お嬢ちゃん。今のぐらいで驚いてるようじゃセドじゃ生きていけないぜ」
「ほんと。アンタ、どうするつもりなのよ。可愛い顔して、超魔王にでも捕まったら怖いや痛いじゃ済まないわよ」
笑いながらも本気で心配しているらしい二人に、レナは不敵の笑顔で答える。
「大丈夫です。私、シバさんについていきますから」
「はぁ?」
「私を人質として使ったんですから、その分は働いてもらいます! 私のことを守ってください」
自信満々に言い放つレナに、シバとエートの表情が一瞬固まり、また、笑い始めた。
全然に相手にされていない。
レナの頬が更にむくれ上がった。
何か言い返してやりたくて仕方ない。
だが、シバはぴしゃりと言った。
「今すぐ帰れ」
「嫌です」
「何が狙いか知らないが、死に急ぐことはあるまい。考えなおせ、女神『ちゃん』よぉ」
シバの冷たい視線。
むむむむむ!
生まれながらの優等生、世間が認める人気者。それを鼻にかけたことはないけれど、チヤホヤされるのがデフォなこの女神さま。冷たくされるのに慣れていない。
「死に急いでなんかいましぇん!」
思わず、怒ると呂律が回らなくなる癖が出た。
気が付いてハッと口元をおさえる。
「シバさんこしょ……シバさんこそ、運命神さまの宝物庫から盗みを働くなんて、最低れしゅ! 運命神さまの怒りを買ったらもう神話の中で永遠に生きることも、転生することだってできないんれしゅからねッ!」
そのあとに『ま、女神の私なら運命神さまに口をきいてあげなくもないんだけど』と言う無言のプレッシャーをかけた、つもり。
なんだか女子小学生の『先生に言いつけてやるんだからねッ』的な迫力のなさ、格好の悪さ。
「神話? 転生? そんなもの最初から願い下げだ」
シバの吐き捨てるようなセリフ。
神話、転生。
それは、人間なら誰しも欲しがっているも絶対的なものだと、レナは思っていた。
「……永遠の命、いらないのですか?」
「いらん」
人間の、かなり痛いところを突いたつもりだった。
その反応に、驚きのあまりポカンとする。
レナの、シバへの好奇心が再び燃え上がる。
だが、それとは裏腹にシバはレナへの興味を失ってゆくように見えた。
シバは眼下に広がる貧民街を指さしてこう言った。
「見ろよ、女神ちゃん。じきにここはこの世界の最終戦争の決戦の場となる」
「この……町が?」
「そうだ。いま、超勇者軍はこの町の真ん中に陣取っている。超魔王にハメられたんだ」
雑誌には出ていなかった情報だ。
レナは目をこらしたが超勇者軍の陣地は見当たらない。
「八方塞がりさ。打って出ようにも周囲には超魔王軍がひしめいている。町民を非難させている余裕はない」
「そんな……」
「すぐに戦いが始まる。超魔王は町民を盾にして戦うつもりだろう。人質なんて可愛いもんじゃない。奴らは文字通り、盾に生きた子供や老人を縛り付けて戦うんだ。悲惨な戦いになるだろう」
レナはシバが淡々と語る恐ろしい戦場を想像し、早くも目に涙を浮かべていた。
シバはそれを待っていたかのように意地悪く笑うと、リュックに詰め込まれた宝の中から1本の杖を取り出した。
「そこでコイツだ」
「それは! 運命神さまの転移の杖!」
「今日からこれは俺のもんだ。大盗賊シバ様が、コイツを使って超魔王の目の前で町の人間をごっそりと盗んじまおう、ってわけさ」
レナの目が輝く。
「俺がやりたいのはそう言うスカッとすることだ。永遠? 転生? そんなものはいらん」
「やっぱり、シバさんいいひとじゃないですか」
シバが空を見上げてニヤリと笑った。
「いいかい、女神ちゃん。『いい人間』てゆうのは盗んだり人質を取ったりしない人間のことを言うんだ」
「そんなことありません。シバさんはいいひとです」
「ははは。いいね、あんたいい女神になれると思うよ」
シバが初めて、レナの目をぐっと見つめる。
なんて力強い目なのだろう。レナはそう思った。
「でかいヤマだ、人手が欲しい。だが、命の保証はない。一緒に来るかい?」
レナは二呼吸シバに見とれたのち、笑顔で頷く。
エートはやれやれと小さな溜め息をついた。




