怪しい女神さま
霊験あらたかな壺。8万円。
ま、最初からそんな話だろうとは思っていたんだけどね。
たとえそうだったとしても、セールスの話はハイハイと聞き流し、彼女の可愛さを堪能しつつ、久しぶりに人間らしい会話をして、そのぉ……なんとか連絡先の交換さえできれば……。
そんな、下心みがあった。
だが、なんだろう……。
この、現実を直視するよりも、見え透いている嘘に騙された方が幸せになれそうな、『ごっこ遊び』のような感覚に包まれる。
俺はもう一度、壺を手に満面のほほえみを浮かべる彼女をまじまじと見つめた。
くっそー、やっぱり可愛い!
メチャクチャ可愛い!
彼女に近付く為なら、騙されたつもりで壺の1つぐらい…………いやいやいや。危ない危ない。
「あのう、これ、バイトでやってるんでしょうか?」
なんとか自分のペースを取り戻そうとして、俺は話をそらせた。
彼女は突然の質問にキョトンとした顔をして、長いまつげをしばたたかせる。
ちょっと図々しい質問だったかも知れない。
そして、彼女は恥ずかしそうに視線をそらせるとポツリと答えた。
「はい。お恥ずかしながら……」
「ごめんなさい。立ち入ったことを聞いちゃって……」
思いもよらぬ沈んだレスポンスが返ってきた。
しまった。触れてはいけない所だったか。
「いえ、悪いのは私です。やっぱり、女神なのに訪問販売なんて……おかしいですよね」
「あ、あー……。女神の格好は似合ってます……いきなりだったんでびっくりしましたけど」
この子、いま『『女神なのに』』って言った。
そして、とまどう俺を置き去りにして、彼女は自分語りモードに突入した。
「いま、女神業界も飽和状態と言いますか……ほら、昨今の転生ブームで次元も女神もやたらと増えたじゃないですか。ちょっと奇跡が起こせる、ちょっと可愛い、ちょっと露出が多いぐらいじゃ全然食べて行けないんです。そりゃあ、こんな時代だって売れる子は売れます。当たれば大きいですし。でも私みたいなB級『地下女神』なんて信者ゼロが基本で、一桁だっていい方。三桁なんてちょっとした有名神気どりなんですよ。そりゃあ、続ければ伸びるんだなって実感はありますけど、時々ふと現実に戻って……ゴールはどれだけ遠いんだろうって、ため息がでちゃうんです。そうやって地道に積み重ねている間にも新しい子がどんどん出てきて、最近じゃ投稿サイトにまで…………ぶつぶつ」
部屋の空気が急に辛気臭くドロドロしてきた。
女神業界。
食ってゆく。
地下女神。
信者。
これは、噂に聞いた事がある『どんなに可愛くても関わってはいけない』パターンの子では……。
そんなことを考えていると、彼女はガバッとテーブルの上に乗り出してきた。
思わず『ひっ』と情けない声が出る。
反射的に、たるんだワンピースの胸元へ走ろうとする視線を全力で捩じ伏せた……が抗い切れなかった。
チラッ。
ぶ、ぶらじゃーをしていない!
ぶわっと全身に汗がにじむ。
「でもある日、私、気付いたんです! あっちの世界で安く手にはいるものをこっちの世界で高く売れば割りといいお金になるってことに!」
うわ……。
気持ちと共に汗がすっと引いた。
「それを元手に異世界巡業。最初は神話のちょい役でもいいんです。ゆくゆくは立派な神殿を立てて、そこを拠点にして活動すれば信者の数もうなぎ登りに……」
そう言うと、彼女は明後日の方向を見つめて瞳をキラキラと輝かせた。
『女神さま』の美人オーラが剥がれ落ちる音がきこえる。
玄関をあけた瞬間から『やられっぱなし』だった俺にようやく理性が戻ってきた。
攻守交代だ。
「いりません」
ぴしゃりと言うと、彼女の表情が固まった。
「だいたいそんな壺が8万円って。それに今の話、正直ちょっと引きました。アイドルならまだしも『地下女神』ってなんですか。お互い大人なんですからもう少しまともな――」
「い、いま……」
俺の話をさえぎり、彼女が苦しげに声を絞りだした。
「い、今なら定価8万円のところ、春のキャンペーンでなんと6万円に!」
俺は黙って彼女を見つめた。
「お願いします! 今月、今月厳しいんです!」
なんだろう。
悪いのは甲斐性なしのダメ男な俺の方なんじゃないかと言う気持ちになってくる。
ぐずぐずの涙目ですがりつく彼女に、俺は根負けしそうになった。
彼女とは、こんな形ではなく、他愛のない、普通の会話をしたい。
もし、この壺さえ買えばその願いが叶うと言うなら、騙されてもいいと思い始めている自分がいた。
俺は負けそうな自分の心を押し殺し、目の前に突き出された壺を横にのけた。
「いいですか。だから、もう少しまともな話を――」
「……わかりました」
そう言って彼女は声のトーンを落とした。
「いまなら、貴方にだけ……特別なサービスを」
「だから、値段とかサービスじゃ……………………さ、サービス?」
サービス、プレイ、検索。
そのとき、故意か偶然か、彼女の白いワンピースの肩紐がはらりと肩からずり落ちた。
脳内検索処理が緊急停止して、先ほど『偶然』目に飛び込んできた画像が脳内にクッキリと甦る。
今までとは違う、妖艶さを伴った美の化身のようなオーラが彼女を包んだ。
「さ、サービス……サービスって……な、なにかなぁ。一応、聞いておこうかなぁ……」
俺の思考が一挙にいけない方向へと走り出す。
「いまなら、無料サポート!」
無料、サポート、プレイ、検索。
接続エラー。
だめだ、頭がフリーズしている。
てゆうか、さっきから検索ワードに『プレイ』を入れるな、俺!
「毎週、私が壺のメンテナンスをしにまいります」
「……毎週?」
「はい、毎週毎週、誠心誠意、メンテナンスさせていただきます!」
彼女が再び、テーブルの上へぐっと乗り出して可憐な顔を近づけてきた。
チラッ。
俺の理性が折れる音が聞こえた。