急展開だよ女神さま
八重樫は俺たちが高校生だった頃の流行歌を口ずさみながら、キッチンに立っていた。懐かしい曲だ。夏と共に終わった、ある女の子の恋の物語。大好きだった彼との別れ。
その八重樫の髪にはディスカウントストアで買ってきたと言う豚耳のカチューシャが着けられていた。最初はネコ。この前はウサギ。今日は豚……と、耳だけながら毎回違うものを着けると言うポリシーらしい。
どうやら、そのバリエーションの多さが、いつも同じ『衣装』を着ているレナさんや壺ちゃんに対するささやかな優越感につながっているのではないか……と言うのが俺の推測だ。
八重樫が鍋の蓋を開けると、みそ汁の匂いがふわっと部屋に広がった。味見をしてちょっと味噌を足し『よしっ』と小声で呟く。
レナさんは八重樫が持ってきた女性誌を細く可憐な指先でパラりとめくっては『ふむふむ』と感心している。
また、広告ページを真に受けて、何か怪しい商売でも思いついていなければ良いのだが……。
壺ちゃんは期待の眼差しでテーブルにつき、食事が運ばれるのを待っている。
いつの間にか定番となっていた、なごやかな土曜の朝の風景。
「ヤエガシ、機嫌がいいじゃない。何かいいことでもあったの?」
「んふふー。わかる? 壺ちゃん。出るのよォ。ボーナスが! ま、私は1年目だから寸志だけど」
「……ボーナス? スンシ?」
壺ちゃんが首をかしげた。
「ボーナス……何だかわからないけど、とても素敵な響きです!」
レナさんの瞳がキラキラと輝いく。むむう。金に吸い寄せられる天性の嗅覚か。
二人は八重樫のボーナスと寸志の説明を、食い入るように聞いていた。
そして、説明を聞き終えたレナさんは、更にギラギラと輝き出した視線を俺に向け……。
「シバさん! 私、掘り出し物を探しておきます!」
と、宣言した。
「……はは。あのぉ、お手頃なやつでお願いします……ぜひ」
和やかで悪くはないのだが……なんなんだろう、この関係。
毎週、レナさんは壺ちゃんのブラッシングと、俺にアイテムの販売に訪れる。八重樫がご飯を作りに来て、皆で仲良く食べ、しばし歓談の後にまた来週……。
むむう。やっぱり悪くはない。悪くはないのだが、レナさんを外に連れ出す隙が無い。
この前は結構いい感じの所まで行けたと思ったのに、全部リセットされている。
こんなことで、俺とレナさんがいい感じに発展する日は来るのだろうか……。
だが、たとえその時が来たとしても、時間単位でお金を取られそうな気がしてならない。
§§§
その夜。
いつものように床に敷いた布団で寝ていると、肩を揺すられて目が覚めた。
眠い目を擦る。霞む視界。
壺ちゃん、トイレに行きたいけど1人では怖いのか……そう思って身を起こした。
だが、そこに立っていたのはロブラリアだった。
窓から差し込む月明かりに軍刀の鞘が鈍く輝く。
状況が掴めずに思わずあたりを見回した。間違いない、俺の部屋だ。
気配を察知した壺ちゃんもベッドからむくりと起き上がった。
寝起きと驚きで声が出ない俺に、ロブラリアはいつもの冷たく響く声でこういった。
「レナが拉致された」
最初は何を言っているのかわからなかった。
やがて頭が回りだす。ロブラリアの視線から、切迫した事態であることが察せられた。
一気に目がさ覚める。
俺が口を開く前に、ロブラリアが続けた。
「アイテムを探しに危険地帯へと踏み込み、そこを根城としている魔物に囚われたのだ。その領域への立ち入りは我々時空警察が禁止している。あえてそこに立ち入った以上、例え何があったとしても自己責任となる。レナを救出するために時空警察の説得を試みたが、隊を動かすことはできなかった」
状況はすぐに飲み込めた。
ちょうど、日本でも似たような事件か世間を騒がせているところだ。
『アイテムを探しに』と言う所に胸が痛む。多分、俺のボーナス目当ての……いや、いや、俺の為に、掘り出し物を探しに行っていたに違いない。
前から気になっていたのに、怪しい商売から足を洗わせられなかったことが後悔となって押し寄せた。
ロブラリアは続けた。
「私一人でもレナを救助に行く。だが、敵は強力だ。力を貸して欲しいのだ」
「……お、俺に!?」
驚く俺にロブラリアは苛立たしそうに首を横に振った。
「己惚れるな、人間。そこの妖精の力を借りたいのだ」
「……壺ちゃん!?」
俺は、ベッドの上で寝ぼけ眼でふらふらしている壺ちゃんと深刻な表情のロブラリアを交互に見た。
思わず、もう一度同じ言葉が漏れた。
「壺ちゃん!?」
「そうだ。どこかで見た顔だと思ったが、そいつは四大妖精の一人【赤ノ妖精】だ。まさか封印されてこんな辺境に流れ着いているとは」
壺ちゃんはベッドの上でムスッとした顔をして黙っていた。
「人間。お前はその妖精を『名前』で縛り付けている。名前に縛られている限りそいつはお前に逆らうことはできない。お前はただ、その妖精に『レナを救え』と命令すればよい」
俺はもう一度、壺ちゃんとロブラリアを交互に見比べた。
「ただ、断っておくが、命の保証はできない」
寝起きにいきなり凄い問題を突き付けられた。
レナさんを救わなければ。と言う気持ちが逸る。
だが、命の保証はない……ロブラリアがそう言うのであれば、レナさんの救出にはかなりの危険が伴うのだろう。『危険地帯』『魔物』そんな言葉への恐怖感が身をすくませる。
それに、壺ちゃんを危険に晒すなんて……。
しかし、いま立ち上がらなければ、二度とレナさんには会えないのだろう。
「ふん。バカみたい。自業自得じゃない。無理することなんかないわよ、リョーサク。ま、アンタが行くってゆーなら、好きにすればいいけど」
「……」
壺ちゃんはそう言ってベッドにころりと寝転んだ。
この子、魔法が使えるのは知っていたが……そんなに強い妖精だったのか。
それを……俺が名前で、縛っている?
いつまでも戸惑っている俺に、ロブラリアは呆れた声でこう言った。
「わかった。所詮は通りすがりの貴様に『命をかけて英雄になれ』と、言う方が無理だった」
英雄……。
ロブラリアが誘うようにわざと響きを変えて言ったその言葉が、妙に引っかかった。
英雄。英雄。英雄的行動。
――!
いつかの、壺ちゃんの言葉が蘇った。
『生きてるうちに伝説になるような凄いことをすれば、肉体が滅んだ後に魂は神話の世界に取り込まれるのよ』
そうすれば、俺はレナさんと……。
俺の中で、何かがカチリと噛み合った。
弱気が吹き飛び、レナさんへの想いが燃え上がる。
俺は立ち上がった。
「ロブラリア。レナさんを助けに行こう」
俺は答えた。
壺ちゃんは黙ってツンと横を向いたが、思ったほど嫌な顔はしていなかった。