八重樫の逆襲だよ女神さま
八重樫が押し掛けてきた、翌々日の月曜日。
居酒屋の片隅で八重樫と二人。
もろきゅうの小皿を挟み、俺の前にはビール。八重樫の前にはカシスオレンジ。
店内には渋い演歌が流れていた。
気まずさをいつまでも引きずりたくない。
そう思って誘い出してはみたものの、さてと、どう切り出したものか。
あまり刺激をしたくはない。
だって、また殴られそうだし。
しばしの沈黙のあとに、俺はポツリと切り出した。
「八重樫、お前なぁ……」
その一言だけで、八重樫は身構えるようにぴくりと身をよじった。
八重樫の視線は会社を出てから今の今まで、俺を避けて斜め下に向けられている。
殴られたことは大きな気持ちで許しつつ、お前の頭の中は一体全体どうなっているのかと、少し事情を聞き出そうと思ったのだが……。
「八重樫、いい加減少しは……」
「本当のことを言って」
言葉を遮ぎられ、今度はこっちがぴくりとした。
「……え?」
えーと……本当のことは……言えない。
八重樫に対する罪悪感が一挙に蒸し返した。
これでは殴られても仕方な……いやいや、そんなことはない。
「だから。壺ちゃんは身寄りもないし行く宛もないんだって……」
「それはわかったわよ。女神コスの、レナってひと。あの人も泊まりに来てるの?」
今日初めて俺に向けられた八重樫の視線には、何だかギラリとした迫力があった。
まるで尋問されてるようだ。
いつものカラッとした元気さは微塵も感じられない。
重々しい口調に気圧される。
「レナさんは……毎週土曜日に。午前中だけ。壺ちゃんに会いに」
「毎週!?」
一瞬キッと俺を睨み、すぐに視線を逸らせた。
「……そんなの、知らなかった」
そりゃあ、いちいちプライベートの事なんか教え合ってないだろ。
そう言いかけたのだが……。
「四波君がコスプレマニアだったなんて」
は!? コスプレ!? マニア!?
……あ、そうか。
反論しようと思ったが、土曜日にでっち上げた設定を思い出した。
レナさんや壺ちゃんとはコスプレ経由で知り合ったことになっていた。
反論したくて仕方がないのだが……いま反論すると話が更にややこしくなる。くそう、コスプレマニアであることを認めるしかないか。
「四波君って、パソコンとか詳しくて、プログラムも書けて……でも、オタクっぽくないから……(ごにょごにょ)……だったのに」
うむ、八重樫よ。それが正しい俺の姿だ。
アニメやコスプレといったオタク文化に何の偏見はない。どういう訳か、コンピュータ業務にはそっち方面が好きな奴が多いのは事実だが、俺としては特別好きでもないし嫌いでもない。
「……なのに、四波君がコスプレ女の追っかけをやってたなんて!」
「追っかけてねーよ!」
流石に否定した。
「追っかけなくても泊まらせてる方が尚更よ、な・お・さ・ら!」
「ぐぐ……」
「何よ! 毎週土曜日って!」
八重樫がパンとテーブルを叩いた。
「あのぉ……もつ煮ぃ、お待たせシャシタァ……」
ふと周りを見回すと居酒屋中の視線が俺たちに向けられていてビクッとなった。
八重樫がギロリと見返すと皆の視線が空中へパッと散る。
「本当なんでしょうね?」
「……な、何が?」
「あの……女神コスの人と……変なことになってないって」
「なってない」
いや……6万円で壺を買う関係って変な関係なんじゃ……。
「いま、ちょっと変なことになってる感じの顔をした」
超能力者か、お前は!
「嘘つき。バレバレよ!」
いや、だから、ちょっと待て。
いつの間に、なんで痴話げんかみたいになっている?
何だか俺が浮気を問い詰められているみたいじゃないか。
たとえ俺とレナさんが付き合っていたとしても、八重樫には関係ないだろ。
だが……それを言い出すと何故かまた殴られそうな気配がする。
くそう、踏んだり蹴ったりだが、とりあえずこう言う時は言いたい事を言わせておいた方がよさそうだ。
「ふん!」
八重樫は何も言わない俺に鼻を鳴らすと、もつ煮にパララっと一味を振り、鉢を口元へ寄せてガババっと頬張った。
「あのぉ……シシャモぉ、お待たせシャシタァ……」
そして、店員からシシャモの皿をひったくると一匹つまんでワイルドに頭から噛るった。
そしてカシスオレンジをぐっと煽り、グラスをテーブルにカタッと置いて手の甲で口を拭う。
酒は強くない筈だ。顔が赤い。
「私の方が……ずつと四波君のこと見守ってきたんだからっ!」
「……え? え?」
見守るって、何の話だよ……。
「パッと出の、あんなコスプレ女になんか負けないんだから!」
そう言うと八重樫は俺のビールを奪い一気に飲み干した。
そして、スイッチが切れたようにパタリと酔い潰れた。早っ! 酒、弱っ!
八重樫よ……レナさんに対して何を張り合っているのかわからんが、とりあえずそう言うところが負けてるのだ。気づけ。
俺は酔っ払った八重樫を家まで送った。
久しぶりに顔を合わせた八重樫のお母さんは。
「あら、四波君。なんで送ってくるのよ」
と言って意味ありげに笑った。
§§§
『ピンポン!』
壺ちゃんのブラッシングをしていたレナさんの手が止まった。
玄関のドアを開けると、そこには八重樫が立っていた。
「この前のお詫びに。またご飯を作りにきました」
八重樫がそう言うと条件反射的に壺ちゃんの口からよだれがしたたる。
この妖精さん、すっかりカリカリベーコンの虜になってしまったようだ。
「入るね」
八重樫は部屋に入るとバッグの中に手を入れてゴソゴソと何かを取り出し、それを頭につける。猫耳が付いたカチューシャだ。
「わたし、コスプレとかは無理だから、これで!」
八重樫は少し得意げに、少し恥ずかしそうに笑った。
なんだか、よく似合う……てゆうかコイツ、コスプレでレナさんと張り合っていたのか?
そして猫耳の同僚、俺の元クラスメイト、高校時代の想い出が詰まった彼女は、スッとキッチンに立ち、楽しそうに食事の準備を始めた。
この中で一番普通で、一番ワケがわからない女。八重樫木綿子。何だか、その後ろ姿がいつもとは少し違って見えた。
妙に、気になると言うか。少し胸が騒ぐと言うか。
この気持ちは……なんと呼べばよいのだろうか。