八重樫がきたよ女神さま
リズミカルにまな板を叩く包丁。
煮たった鍋の蓋が鳴る音と味噌の香り。
油をまとった野菜がフライパンで踊る。
「……お前、本当に八重樫か? あの、奇怪なお菓子ばかり作っていた八重樫なのか?」
「ふふふん。私だって花嫁修業ぐらいしてるんだから」
パソコン音痴だった八重樫がうちの会社に入ってきたときには驚いたが、マトモな料理を作っている姿にはさらに驚いた。
なにしろ高校当時の八重樫と言えば、口に入れる事さえ躊躇われるような奇っ怪な外見と、見た目を裏切らないド派手な味がする菓子の作り手だったのだ。
だが、恐る恐る横から見ている限り、素材も調味料の分量もマトモだ。これなら不味い訳がない。旨そうな匂いが部屋のなかに立ち込めた。
そして見る見る間に野菜炒め、ベーコンエッグ、タコさんウィンナー、トマトサラダ、みそ汁が完成してテーブルへ並べられてゆく。
あらためて見ると……誰でも作れそうなシンプルなものばかりな気がするが。そこは、まあ。
「いっただきまーす!」
ひととおり出来上がったところで俺たちはテーブルを囲んだ。
ひとくち目。俺はベーコンエッグのベーコンを箸で切り取って、恐る恐る口の中へと放り込んだ。
「味、どう?」
八重樫が心配そうにのぞきこむ。
「――凄いぞ八重樫! ベーコンがッ! ベーコンがちゃんとベーコンの味をしてるッ!」
「ちょっとヤエガシ、アタシの肉だけ焦げてるじゃないのよ!」
壺ちゃんが皿のベーコンを箸でちょんちょんとつついて不満そうに言った。
「ふふふ。いいから食べてごらん、壺ちゃん」
「こんなものを? カリ……! カリカリカリカリカリカリ!」
カリカリベーコンだ。
壺ちゃんが凄い勢いでごはんをたいらげてゆく。
「八重樫さん、お料理お上手です」
「たははッ! いやッ! それほどでもッ!」
レナさんにも誉められて、八重樫が嬉しそうにニコニコと笑う。
4人の笑顔が部屋に溢れた。
ここまでは良かった。
「美味しいわ、ヤエガシ。毎週、いや毎日でも料理をしに来なさい!」
「いやいやッ! それじゃあ押し掛け女房みたいじゃ…………って、え!? 壺ちゃん、そんなにいつも、ここに来てるの!?」
そこで八重樫はハッと気がついた。
俺も同時に気がついた。
「壺ちゃん。そのお茶碗、自分のお茶碗よね……箸も……」
八重樫とレナさんは間に合わせの紙皿と割り箸だが、壺ちゃんは自分専用の子供用お茶碗と箸のセットを使っている。
八重樫の視線がスッとベッドに流れた。
ベッドの上の豪華な寝具。色柄はどうみても女性向けだった。ベッドの脇には俺の布団が畳まれている。
血の気が引いた八重樫の顔がくるりと俺を向いた。
壺ちゃんは『アタシ知~らないっ』と言う感じでご飯を頬張った。
レナさんは何が起きているかまったく理解していないようだ。
「あの、その……壺ちゃんは日本のアニメに憧れて単身でアメリカから渡ってきたんだよぉ。それで、行く宛もなく困っていたところを俺が……」
「……」
能面のように無表情になった八重樫の視線が、ギラリとレナさんに向けられる。
「いや、いや、レナさんはたまに壺ちゃんに会いに来るだけで、同居なんてしてないから!」
「……」
くそぅ。いくら八重樫でもさすがにこれでは誤魔化せないか……。
「なんーだ! 壺ちゃんと一緒に住んでるなら最初からそう言ってくれれば良かったのに! はははは! 勘違いしちゃった!」
通った!
「あー、喉かわいちゃった。ねぇ、何か飲み物ない」
八重樫が冷蔵庫を開ける。
小さな冷蔵庫にひしめく【精力絶倫! 特濃深海魚脂 ハイパーV】。
「……四波君。これは」
「し、仕事! 仕事用!」
「あ、それ私の……!」
爽やか笑顔のレナさんから、ナチュラルな問題発言が炸裂した。
「それ1本で朝まで頑張れるんですよ!」
殴ったお詫びに来た筈の八重樫が、『ばかッ!』と言ってその日2発目のパンチを俺に食らわせた。