そばにいてください
柔らかい春の陽射しに目を覚ます。
肌触りの良い布団が心地よく、起き上がりたくない。一方、お腹はぐぅと空腹を訴えた。
「ミア様。お目覚めですか?」
毎朝と同じ声を聞いて、一拍、慌てて身を起こす。
「マリー!! あなた、もう大丈夫なの?」
「ふふふ。ミア様を一人にはいたしませんよ」
目元に優しく触れられた。きっと腫れてるだろう。化粧も流れた酷い顔かも知れない。昨日は泣き疲れて、結局食事も摂らずに寝てしまった。ベッドへ潜った記憶さえ無い。
マリーの左手には包帯が巻かれていた。あの時馬車を降りるのが遅れたせいで、火傷をしたのかも知れない。
「大した怪我ではありませんよ。ミア様のせいでもありません」
視線から察したのか、心を読んだかのように声をかけられた。
部屋を見渡すと他にも侍女が3人おり、近衛騎士はいなかった。おそらく部屋の外に待機してるのだろう。日常が戻ったようだ。
まずは湯浴みをと促されるまま入浴し、見覚えのないドレスに袖を通した。お気に入りのドレス達は燃えてしまったのだろう、既製品だ。少し身体に合っていない。胸元に余裕が………いや、考えるのはやめよう。
朝食を終えるとユアンが入室してきた。昨日の襲撃者について報告があるという。内容に問題があるのか、人払いをする。
こういった報告を受ける経験は少ないので、身構えてしまう。
「捕らえた者達は盗賊を装っていましたが、不自然な点が多く取り調べを行いました」
「盗賊が積み荷や人質を燃やす訳ないものね」
「仰る通りです。動きも訓練されたものでした。取り調べではエアラント王国の者であると証言が一致し、所持品にも王国兵を示す紋章がありました」
卓上に王国兵の紋章が入った手袋が置かれる。
「エアラント王国の?本当なら大問題じゃない」
「はい。しかし証言も物証も、簡単に得られ過ぎています」
エアラント王国の仕業に見せかけたい者がいるという事か。
「騎士団本隊に報告し調査を続行いたします。現段階ではこの件は内密に」
出発前の母の言葉を思い出す。独立反対派が不穏な動きをしていると仰っていた。これの首謀者が彼等なら、私は自国民に殺されかけたという事だ。
いまは平和な世の中と、そう思っていた。私が知らなかっただけか、貴族社会には大分膿が溜まってるようだ。
続けて今後の予定を聞いた。スケジュールに余裕が無いため、馬車の手配を急ぎ、本日午後には子爵邸を出発、昨日宿泊予定だった伯爵邸へ向かうという。足りない物は宿泊先で順次補充するらしい。
報告が終わってからは、帰宅した子爵夫妻への挨拶、怪我人への見舞い、騎士や邸の者への労いなどを行い、すぐ昼になった。
そういえば今日はベンシードを見かけていない。いま私が無事でいられるのは彼による所が大きい。襲われて昨日の今日なのだ。他にも護衛はいるけれど、頼りにしていた者が見えないと少し不安になる。私の心模様を映すように、空が曇って暗くなってきた。
昼食後、ユアンに彼の事を聞いた。馬車の引き受けと荷の積み入れを行なっているらしい。
特にする事も無く、どうせすぐ出発だからと早めに外へ出る。べつにベンシードの顔を見て安心したいからではない。よく考えたら、昨日あれだけ醜態を晒しておいて、どんな顔で会えば良いかも分からない。会いたくなんてない。本当に。絶対。
邸の前には既に馬車が並んでいた。積み入れも終わってるようだ。
傍には果たしてベンシードの姿があったけれど、隣に意外な人物もいた。子爵令嬢のルーシーだ。頰を上気させて彼に何か語りかけている。
なるほど。ベンシードはあの若さで近衛騎士に選ばれている。三男で爵位を継がない事を気にしなければ、子爵令嬢の結婚相手としては悪くない。焦げ茶の髪とヘーゼルの瞳は平凡で特徴の無い顔だけれど、裏返せば地味に整った顔とも言える。
でも……あんな無口無愛想がモテるのは、今ひとつ納得できない。
眺めていると、ルーシーと目があった。
「あら、ミア皇女殿下。もう出立のお時間でしょうか」
「いえ……少し外の空気を吸いに早く出ただけよ」
「そうですね。あまり部屋にいては息がつまる事もございましょう」
人好きのする笑顔を向けられる。彼女は年齢のわりに随分しっかりしている。良い妻になりそうだ。器量も良い。胸元も………いや、とにかくベンシードには勿体ない。
「あ、カイン様とは少しお話をしていただけですわ」
ルーシーの言葉でベンシードの名がカインであったと思い出す。ずっと思い出せなかった事を思い出せてスッキリ……とはならず、どうも心が晴れない。
「彼は相当な無口ですから、あまり会話にならなかったのでは?」
「いえいえ、とても有意義な時間を過ごせました」
彼女の頬が再び赤らみ、嬉しそうに微笑んだ。
ベンシードも男という事か。ルーシーのような女性とは話も弾むらしい。
………皇女の話は無視するくせに!面白くない!
「あら私、皆様の出発前にお渡ししたい物がございました。取りに行って参りますわ。少々失礼いたします」
急ぎながらも優雅な足取りで邸へと戻っていく。ルーシーが立ち去ったからか、ベンシードも仕事に戻ろうとする。
「カ、カイン!」
つい呼び止めてしまった。名前を呼んだのも初めてだ。何だか落ち着かない。
「はい」
返事をされるも、何も用は無い。
「あの…えっと……今日は良い天気ね?」
天気の話なんてしてしまった。しかも昼から曇っている!太陽が隠れているから少し肌寒いくらいだ!
「………」
「晴れも良いけど作物は雨が無ければ育たないし、その雨を蓄えた雲が覆う曇りは素晴らしい天気と言えるわね?」
私は何を言ってるんだ。冷や汗が止まらない。
「………」
カインは黙って仕事に戻った。近衛騎士の馬を引きに行ったようだ。
ルーシーが戻ってくる。
「ミア皇女殿下!こちら、オススメの匂い袋ですの。眠れない夜などにお使いくださいませ」
「あ、ありがとう」
「……カイン様と何かございましたか?」
「いいえ、何も無かったわ」
何も無かったことにしたい。
「ふふふ」
私が少し変なのは、マリーから見ればいつもの事かも知れないけれど。
そう、ずっとマリーが後ろに控えていたのだ。恥ずかしい!
ベルが鳴らされる。出発の時間となったようだ。他の者達も邸から出てきた。
見送りに来た子爵夫妻とルーシーと挨拶を交わし、ユアンのエスコートで馬車に乗り込む。
そのままユアンも車内に入ってきたので驚いた。
そういえば、配置変更をお願いしたのだった。しかし、指示を出す立場の隊長が車内で良いのだろうか。
「ユアンは隊長でしょう。同乗してくれるのは嬉しいけれど、良いのかしら」
「既に実感されてるかと思いますが、皇城内などと異なり道中は危険が多いです。ミア様の最も近くで警護する者には、一定の力量が求められます」
騎士の身長で選ばれてた訳ではなかったのか。ユアンは長身な方だ。私の我儘で隊長を車内に押し込めるのは、なんだか申し訳ない。
馬車が動き出した。窓から相変わらず無表情なカインの姿が見える。
窓を向いたまま、口を開いた。
「昨日お願いした配置変更の件、撤回するわ」
カインは寝ていなかった。むしろ、襲撃には誰より早く気づいたと言える。彼の代わりが隊長のユアンになってしまう程度に、仕事は出来るのだ。
ルーシーとは会話できて私を無視するのは若干引っかかるけれど、我慢できないでもない。
ユアンとマリーが子供に対するように笑う。
「かしこまりました。では、明日から配置を戻させていただきます」
べつにカインにそばにいて欲しい訳じゃない。本当に。絶対!!