襲撃です
「え?しゅう……?」
一瞬、何を言ってるのか理解が追いつかなかった。マリーと顔を見合わせる。
ベンシードが窓からユアンに声をかけ、合図を送った。しばらくして馬車が止まり、戸が開けられる。
「お降りください」
エスコートの為に手を差し出された。
訳が分からない。何故こんな森の真ん中で降りなければならないのか。
困惑してると、外から男性の悲鳴が聞こえた。馬車は止まってるのに、森の茂みをかき分ける音が聞こえる。
ーー 本当に襲撃されているの?
「待って。襲撃されてるのに、なぜ降りるの?どう考えても外の方が危険でしょう」
「………」
正直、出たくない。外の悲鳴や喧騒が大きくなってきた。襲われるなんて生まれて初めてで、純粋に怖い。
ベンシードが身を乗り出すと、急に身体がひっくり返るような感覚がした。横抱きにされたようだ。そのまま車外へ降ろされる。
「い、いったい何なの!!説明して!!」
聞く気も無いのか、彼は無視して馬車から馬を切り離している。
背後で花瓶の割れるような音がした。振り返り、熱風に煽られる。燃え盛る炎が視界を覆った。マリーが小さく悲鳴をあげる。
炎は屋根から瞬く間に広がり、遂には馬車全体が包まれた。
足がすくむ。恐怖に支配され動けなくなり、眺める事しかできない。自分のいた空間が炎で埋め尽くされ、形を失っていく。
ベンシードは再び私を抱え上げ騎乗し、腰に差していた剣を抜いた。鞍もない不安定な馬上で、とっさに彼にしがみ付く。
木々の間から出てきたのは、お祖父様ではなく、盗賊のような風体の男達。妙に統率の取れた動きでこちらに斬りかかってきた。
私達と彼等の間にユアンが入り剣を弾く。
「ミア様を先の子爵邸までお連れする!」
ユアンがベンシードと他2人の騎士に合図した。私を守るよう3騎が囲み、襲撃者を斬り伏せながら進む。ユアン等を抜けて来た者はベンシードに返される。
間近で剣が交わり、そのたび腕に力が入ってしまう。彼の邪魔になると我慢しようとしても、思うように抑えられない。却って震えが大きくなった。
耐えられなくなって目を閉じる。すると、気づかなかった小さな音や臭いにも気づいた。速すぎる心音、誰かの悲鳴、連なる金属音、何かが斬り裂かれる音、焼け焦げる臭い……。
意識を逸らすため、ひたすら神に祈りを捧げる。
しばらくして、蹄の音が規則的になった。熱気や喧騒が遠ざかるのを感じる。
恐る恐る目を開けると、辺りは真っ暗になっていた。肩越しに後方を見やれば、遠くに赤く照らされた木々が見えた。
危機から逃れた安堵感と、マリー達を置いて来た罪悪感とが混ざる。
森を抜けてほど近くのマルポータ子爵邸へ入る。
「ご安心ください。早急に鎮圧して参ります」
ユアンはそう言い残し、子爵領の兵を連れ直ちに引き返した。
私は子爵邸正面で下ろされたけれど、すぐ膝から崩れ落ちた。足に力が入らないし、震えも止まらない。ベンシードに支えられ何とか立ち上がる。
邸内から一人の少女が出てきた。
「ミア皇女殿下。マルポータ子爵の娘、ルーシーと申します。災難でございましたね。どうぞ、まずは中へお入り下さい」
促されるも、立ってるだけで精一杯。歩き出す事もできない。
「…………皇女殿下は、足を挫かれておいでです」
足なんて挫いていない。ベンシードが助け船を出してくれたのだ。再び抱き上げられ、邸へ入る。
医師を呼ぶと言われたけれど、当然断った。おそらく怪我人が出るので、そちらを診てもらうようお願いする。
ルーシーは私を客間へ案内した後、席を外した。子爵邸への訪問予定は無かったため、子爵夫妻や令息夫妻は不在らしい。年若い彼女が全て対応している。
私をソファへ下ろし、ベンシードは扉脇へ引いた。緊急事態だからか部屋に残るらしい。扉の外にも騎士が2人控えている。室内に二人きりは問題なので、扉は少し開けてある。
窓から森が見えた。火はまだ消えていない。途端、治まりかけた鼓動がまた速くなる。呼吸も浅くなり息苦しい。
焦っても仕方ないと分かっている。ユアンを信じるしかない。落ち着かなければ。
永遠にも感じられたけれど、1時間ほどすると皆が邸へ入ってきた。
怪我人は子爵家の馬車に乗せられている。私達の馬車は、持参品を乗せたものを残し燃えてしまったようだ。
不幸中の幸いか、こちらに死者は出なかったらしい。
震えが落ち着き、立ち上がれるようになったので怪我人との面会を求めるも、医師に止められた。特に侍女達は憔悴が激しく、今は休ませる必要があるとの事だった。彼女等にも初めての経験だったろうから当然だ。
「皇女殿下も顔色が優れないご様子。今はお休みください」
立派な髭を蓄えた老医師に追い返されてしまう。せめて騎士達を労いたかった。
仕方なく部屋へ戻ると、きっちり一人分の夕食が並んでいた。急な来訪であったから、おそらくルーシー用のものを奪った形だろう。食欲は無く、あまり食べられる気がしないので申し訳ない。
できる限りは食べようと椅子に座る。
「お茶を淹れて」
言ってから、侍女も召使いもいないと気づいた。邸は怪我人の対応などで人が足りていない。必要最低限のこと以外は他を手伝ってほしいと、私が言ったのだ。
部屋には私とベンシードしかいない。これでは近衛騎士の彼に頼んだようだ。
「…………」
「あの、ごめんなさい。違うの」
茶器は食事と共に用意されていたので、慌てて自分で淹れようとする。しかし、淹れ方が分からない。マリーはどうしていたか。茶葉を湯に入れれば抽出されるはずだけれど、様々な器具があり単純では無さそうだ。
悩んでいると、横からベンシードの手が伸びてきた。意外と慣れた手つきでお茶を淹れてくれる。
今日は彼に助けられてばかりだ。最初に馬車を降りる時も、無闇に怖がらず彼の言う通りにすれば良かった。余計なタイムロスが無ければ、その分被害も抑えられたはずだ。
ため息をつくと同時、お茶を差し出された。
「ありがとう」
「………」
返事はない。もうこれが彼らしさなのだと気にしない。
カップに触れると指が冷えていた事に気づく。紅茶の香りが心を落ち着かせてくれた。少し口に含んだだけで、温もりが胸に広がる。
先ほどとは違う色のため息が出た。肩が下がる。ずっと力が入っていたらしい。もしかしたら今はじめて、張っていた気が緩んだのかも知れない。
じわじわと視界が歪む。そういえば泣き虫の自分が泣いていなかったなと、他人事のように思う。
ベンシードが下がろうとしたので、つい腕を引いてしまった。
ぼろぼろ泣きながら引き止めて、まるで慰めろと言ってるみたいだ。実際、慰めてほしいのかも知れない。
手を離したくない。我ながら皇女としてどうかと思う。
掴まれた反対の手で、背中を擦ってくれる。自然、彼の胸に納まる形となった。屈んだ体勢は楽じゃないだろうに、文句もない。
何も言わないのに甘えて、思いっきり泣かせてもらう事にする。食事用のナプキンは涙や鼻水でベトベトだ。
泣きながら、彼はこういう役回りに向いてるかも知れないなと、ぼんやり思った。