いって参ります
婚約を告げられてから5日。早くもエアラント王国へ出発する日となった。
休憩を挟みながら1ヶ月後に王国へ到着、その3日後に婚約披露、1週間後に独立式典、2日後に結婚式の予定だ。詰められたスケジュールに目眩がする。
ウェディングドレスなどは王国で用意される事となった。人並みに結婚に夢を見ていたから、自分で選べずがっかりだ。
皇城のホールで家族と幾人かの臣下から見送りを受ける。まだ婚約披露前なので、公には外交のための出国だ。盛大な送り出しはない。
「ミア、そんな顔しないで。一生会えなくなる訳じゃないわ」
そう言うのは嫁がれたキャロライン姉様。既に一児の母であるからか、小さい子供にするような優しい手つきで頭を撫でてくれる。
「ライアン様もきっと愛情深い人よ。あのアルバート様の弟君ですもの」
キャロライン姉様がハッとして俯いた。愛されていたのに、婚約破棄されたシャーロット姉様が傍にいるのだ。結婚を先延ばしにされ続けたせいで、すっかり婚期を逃してしまっている。気まずい……。
シャーロット姉様が苦笑をもらした。
「私のことは気にしなくて良い」
昔から変わらぬ凛々しい面差しで微笑んだ。私の頰に手を添え、額に口づけてくれる。
「ミア、何も心配いらないよ。きっと全て上手くいく」
お姉様も難しい立場なのに、私を気遣ってくれる。なんて人が出来ているんだろう。私は自分の事で精一杯で……不甲斐ない。私も強くならなければ。
「皇女としての役目、果たして参ります」
無理してるのが分かるのか、また苦笑されてしまった。
何か伝える事があるらしく、ユアンなど近衛騎士の元へ進まれる。シャーロット姉様は武術に長けており、よく騎士等へ指示を出しているのだ。
私はお兄様2人と抱擁を交わし、お母様にも挨拶する。
「お父様を許してあげてね。別れが辛くて顔を出せないだけなのよ」
この場にお父様はいらっしゃらない。公務が忙しいらしい。同じ皇城内にいて、見送りの時間が全く取れないなど無いだろうに。皇帝としては立派な人物であるけれど、父親としては残念な人柄なのだ。
お母様とも抱擁する。耳元で囁かれた。
「悪い話も聞きますから、道中は気をつけて」
「悪い話……ですか?」
「えぇ。王国の独立に反対していた者達が、何やら不穏な動きをしているようです」
不穏な動きとは……何だろう。独立に反対していたなら、この結婚の邪魔でもしてくるだろうか。それなら願ったり叶ったりかも知れない。
都合の良いことを考えていると、背中に回された手に力が込められた。お母様の匂いに包まれて、ふいに涙が滲んでくる。強くあろうと決意したばかりなのに、情けない。
「お母様……」
「愛してるわ、ミア。どこにいても貴女は私の娘ですからね」
落ち着かせるように背中を撫でてくれる。これが最後の抱擁かも知れない。私ももう一度、強く抱きしめた。
膝を折り礼をしてからホールを出る。
皇城の前には四頭立ての馬車が5台並んでいた。持参品や身の回り品、侍女などを乗せて準備は完了している。その周りで近衛騎士等が騎乗して待っていた。
ユアンのエスコートを受けて真ん中の馬車に乗り込む。この馬車には私と侍女のマリー、護衛1人が乗車する。同乗するのは隊長のユアンではなく、無口な新人くんのようだ。
向かいに座るマリーの顔を見て、ほっと息をつく。
「マリー、貴女が付いて来てくれて嬉しいわ」
「私がいなかったら、ミア様が何をされるか分かったものではありません」
「あら、私だってもう子供じゃないのよ」
「つい先日、裸足で雪の上を歩き回って霜焼けになったのは……どなただったでしょう」
「そんな昔のこと忘れたわ」
マリーはユアンと同期で、ずっと身の回りの世話をしてくれている。何かと粗相する私を嗜める役割でもあり、もう1人の姉のような存在だ。
私の専属侍女のうち何名かは、この出国を機に辞めてしまった。婚約者や配偶者のいる年若い者は、他国まで付いて行けないのだ。マリーの夫は近衛騎士の1人であるため、そこの問題は無かった。
馬車が走り出す。花が開き始めた庭園を抜け、見慣れた城門をくぐり、毎月通った劇場、買い付けのパティスリー、お姉様と出かけた丘陵を通り過ぎ……知らない景色になった。
「ミア様は泣き虫ですね」
マリーからハンカチを受け取り、音を立てて鼻をかむ。……あ、しまった。
微笑むマリーと目が合う。お説教スイッチを入れてしまった。
「ふふふ。ミア様ご安心ください。お勉強の時間はたっぷりありますからね」
感傷に浸る時間は終わったようだ。