憂鬱です
「ミア、お前の結婚相手が決まった」
はしたなくも口が開いてしまった。
久しぶりに玉座の間に呼ばれ来てみれば、突然なにを言われたのか。
玉座にはアルメリア皇国の皇帝ジェームスが座している。
普段は偉そうに踏ん反り返っているのに、今は申し訳なさそうに背を丸めて、全く威厳がない。私と同じ金髪と透き通った翠の瞳だけが、不釣り合いに輝いていていた。
「相手はエアラント王国の第二王子ライアンだ。美しく聡明な男だぞ」
後ろめたいのだろう。私の機嫌を少しでも取るため、苦笑いを浮かべながら良い相手だと主張している。
「お待ちください皇帝陛下。いえ、お父様。つい先日も仰ってましたよね、第三皇女の私は結婚相手を自由に決めて良いと。お父様がお相手を用意する事は無いと!」
頰を膨らませ、抗議する!これでは全く話が違う!
もちろん皇女である私が、例えば平民と結婚することは叶わない。けれど一定の範囲内なら自由に決めて良いと言われていた。だから夜会にも積極的に参加して、相手を探していたのだ。
「それに、エアラント王国へはお姉様が嫁がれるのではなかったのですか」
エアラント王国は、アルメリア皇国従属国の1つ。その王太子と第一皇女シャーロット姉様とは、幼い頃に婚約していたはず。最近は皇国から独立するとかで、結婚が延び延びになっていたけれど。
お父様が視線を逸らして答える。
「シャーロットの婚約は破棄された」
「えっ…」
耳を疑った。とても仲睦まじい二人だったからだ。
いつもは少し男勝りなシャーロット姉様が、婚約者の話になると乙女の顔をする。お相手のアルバート王太子様も遠路はるばる何度も会いに来て、会えない間は頻繁に花や手紙を送っていた。
婚約が破棄されたとは、どういう事なのか。
「エアラント王国が間もなく独立する事は知っているな。皇国の第一皇女が独立国の将来の王妃となる事に、王国内で反発が起きたようだ」
「そんな……」
お父様も不本意なのだろう、苦虫を噛んだような顔をしている。平素ならそんな反発、きっとお父様が黙らせた。けれど、独立する国に干渉は憚られる。
「第二皇女のキャロラインは既婚だ。だからミア、お前に頼みたい。独立が平和的に為され、今後も友好関係を継続する証の結婚だ」
つまり、断れないと。
「独立に合わせて婚約披露と結婚式を行う。あまり猶予はない。用意ができ次第、エアラント王国へ向かってほしい」
お父様が侍従に合図をして、玉座の間の扉が開かれる。話は終わりという事だ。
ついていけない。いや、頭で理解はしている。でも気持ちがついていかない。急に他国へ嫁ぐ事になるなんて。
扉の向こうから私の近衛騎士等が姿を見せる。隊長であるユアンにエスコートされ、玉座の間を後にした。
上の空で廊下を歩く。なんだか、いつもより絨毯がフワフワして歩きにくい。
本当に、この国を出て行かなければならないの?さっきのは悪い夢でしょう?
「……お気を確かに」
ユアンが困ったように微笑んだ。ひと回り以上年上で、物心つく前から護衛である彼は、いつも私の心に寄り添ってくれる。
ミルクティー色の波うつ髪に青いつぶらな瞳、童顔で垂れた目元はどこか犬っころを思い出させる。大きなレトリバーに慰められてるようで、少しだけ詰めていた息をはいた。
「ありがとう。少し驚いただけよ」
「無理もありません。突然のお話です」
「本当に。寝耳に水どころか、コンポタージュ入れられて熱くて飛び起きた感じよ」
「……それは少し驚くじゃ済まないのでは」
玉座の間を出た足で庭園まで来た。隅にある私が整えさせた一角は、人工池を中心に自然を模して野花などを植えている。
風が頰をなでる。冬の名残を感じる風が私を落ち着かせていった。花々が楚々と咲き、春の始まりを告げている。
「少し、一人になりたいわ」
「かしこまりました」
池に近寄り、しゃがみこんだ。水面を覗くと、我ながら可愛らしい顔が映る。夜会で並べられる賞賛も、三分の一くらいは本心だろう。三分の二は下心を隠すための方便だ。
小石を放る。一瞬で顔が歪んで崩れた。小石の沈んでいく先は見えない。行きつく先は……どんな所なんだろう。
水が静まるとまた小石を放る。
ぽちゃん…… ぽちゃん……
「……はぁ」
ダメだ。どうしてもため息が出る。
この国に生まれて17年、他国へ嫁ぐなんて考えたことが無い。
皇女であるから可能性は常にあった。けれど、国内外の情勢は安定していたし、三女という事もあり、現実味はまるでなかった。
エアラント王国は馬車で1ヶ月ほどの距離だ。一度嫁げば簡単には帰って来られないだろう。家族とだってなかなか会えなくなる。
視界が滲み、涙が溢れた。
末っ子として甘やかされた自覚がある。一人でやっていけるのだろうか。
お母様、お姉様……お兄様…………………………あ、お父様も。
30回ほどため息をついて、手近な小石も無くなった。涙を拭って頭を振る。頰をパチンっと叩いた。
決まったものは仕方ない。相手の王子も評判の良い人だ。ユアンや侍女のマリーも付いて来てくれるだろう。一人じゃない。気持ちを切り替えよう。
情けない姿を見せている。座り込んでドレスも汚してしまった。
一人になりたいと言っても、本当に一人になれるわけではない。護衛が少し離れた所に数人、すぐ近くにも一人残っている。
配慮だろう、傍らに立つのは特別無口な新人くんだ。特徴のない顔をして、表情もない。まるで空気のよう。
顔には出てなくとも、新人くんには気まずい思いをさせてるかも知れない。大人びて見えても、確か私の1つ下だったと思う。フォローしておこう。
努めて明るく話しかける。
「エアラント王国、どんな所かしらね」
「…………」
反応がない。手慰みに野花を一輪摘んだ。
「ライアン王子もどんな方かしら。貴方なにか知ってる?」
「…………」
全く反応がない。表情に動きもない。
あれ、まさか立ったまま寝てる?皇女の護衛中に?
「無視しないでちょうだい。もしかして寝てるの?」
「…………」
頰を膨らませて尋ねれば、初めて目が合った。しかし私が座ってる事もあり、無表情で見下ろされて居心地が悪い。
頭を下げられた。
「申し訳ありません。独り言かと思いました」
「なっ!!花に話しかけてるとでも思ったの?!」
「…………」
また返事がない。また無表情で見下ろされる。空気に話しかけた私が悪いのか。
「……はぁ」
31回目のため息が出た。
ミア専属の近衛騎士は10名ほどです。
交代しながら、平時でも常に3名前後は側にいます。