尽くすことを教えた洋館
「私もあなたぐらいの年の時、人に尽くして感謝を伝えるってことは知らなかったけど、知ろうとしたのよ、どうやってその能力を身に付けるか、そしたら自然となるようになるわ」
「そうだぞ、何しろここらの地域のむらの人々は、助け合いながら生きている。お前みたいな奴はみたことないぞ。」
両親は彼に言った。
月に届きそうなぐらい高いところに家はでた。そこから「うるせえ!」と叫び
彼は家を飛び出した。
手伝いもせずに遊び呆けている彼の態度に怒った両親が、彼を呼び出して説教したため、彼はとうとう嫌になって飛び出したのだ。
しかしながら、彼を泊めさせる家などは近くにはない。なにしろ、そこは山間部の奥深く、コンビニエンスストアに行くのにも何kmもかかる。だが、彼は飛び出した。
それはなぜかと言うと彼はある噂を聞いていたからだ。それは友達から休み時間に聞いた噂だった。
「そういや、ここら辺の山間部には昔から奇妙なことが言い伝えられているらしい」
友達が神妙な面持ちでひっそりと、体を微弱に揺らしながら言った。
「なんだよそれ」
と、彼は内心馬鹿にするように返した。
だが、余りにも真面目な顔で友達が伝えてくるため、聞かずにはいられぬほど惹き付けられた。
「ここら辺には、ある、らしいぜ?」
「何がだよ」
「誰からも知られていない建物がよ」
「誰からもって、誰かに知られているからその噂があるんだろ」
彼は鋭い指摘を友達にした。
友達は、彼に話を邪魔されたため面倒臭くなって話すのをやめてしまった。
「おい」
という頃には遠くに行ってしまった。
彼はその噂がとても気になっていた。
何しろこんな山間部だ、そんな物があるはずがないという気持ちと、一度は見てみたいという気持ちが交錯していたからだ。
そんなこともあってか、彼は親が嫌になった、という理由とともに、建物を見たい、ということで家を飛び出した。その時、両親はあまり、家出を心配していなかった。
勿論そのはずだ、何しろここは山奥で先程も言ったように泊まる家などないはずだから。
そんな予想を裏切って、彼は、彼の服と髪の毛が靡くような風の吹く夜に、その建物見たさに飛び出していったのだ。
彼は歩き続けた、獣道を。次第に草が足を引きずり下ろしてきた。めげなかった。あの家から出たい、そして建物を見たい。その一心で歩き続けた彼は、ふと気付くと大きな、大きな、草の禿げている一本道を見つけた。
不審に思った。明らかにこの先は何かが違う。雲の流れは早くなり、草木の擦れ合う音が静まっていた夜を騒がせた。
彼は心を決めた。
「行こう」
そう声を発し前へ前へと歩いた。
それはそれは、思わず腰が抜ける様な立派な洋館だった。しかし立派であったがとても暗かった。何かを訴えかけているような、そんな気がした。
彼は雨で少し滑りやすくなった階段を上り、ドアに目をやった。彼の家にはないドアの形だった。
少し彼は動揺した。怖かったからだ。森を歩いている時はまだよかった。が、しかし、いざ洋館を目にしてみると、余りにも立派で心が揺れたからだ。しかし、彼は洋館に入った。余りにも服を靡かせたため、彼の心まで冷たくさせたからだ。
「失礼します」
鈍い音が洋館の中に響き渡る。
中は少し明るかった。通路にある火がある程度、中を明るくしていたからだ。だが、その建物の暗い雰囲気は彼の心をも暗くさせた。先程までの気持ちを翻すように。火に引き込まれていくように彼は洋館の奥に入っていった。ある程度まで行くと、いかにも何かがありそうな、誰かがいそうなドアを見つけた。またもや鈍い音が響き渡る。低い音だ。その音はこだま返しのように彼の耳に何度も何度も聞かせた。それと同時に彼は見た。足を。
足と言っても象のように太い足ではない。
細い華奢な足だった。躊躇う事もせず彼は中に入った。彼の見た通り、その足は、少年の足だった。彼は驚いた。ここに何故少年が居るのか。とても謎だった。
「あの、きみは誰だ?」
彼は慎重に聞いた。
「言えない。けど困ってるんだ」
彼はその言葉にこう言った。
「何に困っているんだ?」
「それは、この洋館には働くものがいないことなんだ。」
予想外の答えだった。彼の予想では、この少年はここの洋館に迷い込んだものだと思っていた。それが、働く者がいないという言葉から、この少年は洋館に住んでいるのだなと感じ驚かずに入られなかった。彼は、ふと疑問に思った。食糧の事が、である。
もちろん、彼は家もある。家族もいる。そのため彼が食べるだけの食糧はある。
しかし彼は無いのだ。この山間での洋館に、食糧などあるはずがない。この少年は何者なんだ。彼はそう思った。が、しかし それを少年に聞く事が出来なかった。何かがそれを阻んだ。奇妙さだろうか、ともあれ彼はこう答えた。
「働く者が、いない、と?」
「ああ。働く者がいない」
少年は繰り返して言った。
彼はこう尋ねた。
「この暗い洋館で一体、何を働くというんだ?」
最もだった。確かにこの洋館は、傍から見れば洋館である。しかし、少年が一人しかいないこの洋館に何をすることがあろうか。
「沢山、あるよ、そんなの。
窓拭き、廊下の床掃除。
便所便器の清掃に
付近の草の刈る仕事
食糧調達に諸調査」
「仕事というのは、与えられたものをこなすだけじゃないんだ。自分で見つけるものなんだよ。君もこの年だから分かるでしょ?勉強も与えられたものをこなすだけじゃつまらない。自分でやりたいことを決めるんだ。」
そう少年は答えた。
彼は、この言葉に動かされた。普段から何も仕事という仕事をしていなかったせいだろうか。いやそれも学生であった為仕方が無いという事もある。だが彼は動かされた。少年に心を掴まれたかのように。
「分かった。俺がお前を手伝う。なんでもやってやる。」
飛び出す前の彼であったらこんな言葉も出ないだろう。しかし出た、いや出させた。
「じゃあ、まずは窓拭きだ。」
早速彼は仕事に取り掛かった。
人の為に働いたことも、人に尽くすこともない、そんな彼は一生懸命に働いた。
「窓拭きはそんなんじゃダメだ。」
少年からの指摘が何度も飛んだ。
ムラがあった。どんなに繊細に手を動かそうとも必ずムラがある。しかし、見たところによるとこの少年はいとも簡単に窓を拭くではないか。
「あっ?!」
彼は絶句した。
吹かれた後には、なんのムラもなかった。
彼の心は魔法をかけられたように駆け回った。
「こんなふうに窓拭きはやるんだよ」
しかしいくら真似しても到底叶わなかった。
「次は草刈りだ。」
と少年はいった。
その後も彼は熱心に働いた。だが、少年の手際の良さは並大抵のそれを超えていた。
彼は思った。抜かしたい。少年を抜かして驚かせたい。尊敬されたい。感謝されたい。
そう感じた彼は、毎日必死に仕事をこなした。手際は少年には及ばずとも、既に通常の人間の三倍はあろうかというものだった。
少年は驚いた。彼の上達は並外れたものだった。
何ヶ月働いたか、彼が流した汗水は湖の水量にも匹敵するだろう、と思わせるような働きぶりだった。
「今日も窓拭きからだ。」
「はい。」
彼は既に手慣れていた。にも関わらず初心は忘れずとても、とても丁寧だった。
彼が気づいた頃には既に、少年の手際を超えていた。何ヶ月、いや何年も経過していたのかもしれない。
「きみはもうここにいる必要はない。」
少年は突然彼に告げた。
彼は驚いた、こんなにも必死に仕事をこなした。何もここにいる必要が無いとはどういうことか。彼は何度も反論した。しかし彼はその洋館から追い出された。その夜はとても星が輝いていた。時に流星が、彼の頭上を横切った。そんな奇麗な景色をみても、行く所もない彼は家に戻ることにした。
彼は何年も働いていたはずだ。
家に戻るとどうか、それは全く変わらなかった。変わったものといえば「彼」という存在そのものだろうか。
「やっぱり、早かったわね。」
母はそう、呟いた。
彼は何を言っているのかよくわからなかった。だが、程なくして気がついた彼は涙を流した。水で靴が浸された。その重みが床を重く刺激した。
「これは、変わっていない。」
彼はそう思った。
「何言ってんのよ、家出して頭でも打ったのかしら、早くお入り。」
母は当然の如く何も知らないようだった。
そう、時間はほとんど変わっていなかったのだ。しかし今、彼は変わっている。
彼の心だ。その奉仕をする心は今までとは変わっていた。
「もしかしたら、あの少年は私を変えさせるために。」
彼はそう思った。
だとすれば先程の突然の少年による彼の追放も筋が通る。つまりは、他人に尽くすことを彼は十分に知った。そのため、もうあそこで働くことは出来なかった。いやする必要が無いと言った方が正しい。ともあれあの洋館は彼の心に深く刻まれた。
その刻まれた深い奉仕心は、彼の心をも明るくさせた。
その洋館は彼の父親も、母親もそうさせたように、人を成長させるものであった。