「なろう系ファンタジー」と「外国文学児童書系ファンタジー」の類似性、「ライトノベル系ファンタジー」との違いについて
「小説家になろう」に会員登録して、まずはジャンル別日間ランキング上位の作品の中から気になったものを読みました。
その後ある程度して累計ランキングにも手を出すようになりました。
今まで読んだ「なろう系ファンタジー」の長編作品(完結済)は、まだ2作品です。
しかし、2作品目を読み終えた今気付くことがありました。
それは、「外国文学児童書系ファンタジー」と「ライトノベル系ファンタジー」そして「なろう系ファンタジー」の関連性についてです。
まずは、読んだことがないものがあるという方のためにそれぞれのジャンルを軽く説明しようと思います。
大体わかるかな、と思う方は飛ばして結構です。
・「外国文学児童書系ファンタジー」
代表的なものを挙げれば、ハ〇ポタなどですね。対象年齢層は小中学生〜向けで(もちろんそれ以上でも楽しく読むことができます)、僕もそれくらいの時期にドハマりしたジャンルです。
このジャンルの特徴を大まかに説明すると、「巻数はそれほど多くならない」、「最後の最後、『終わり』までの物語をきちんと描く(二次創作の余地が少ないとも言います)」、「作中で流れる時間が長い」「キャラクターよりは物語性を重視する」、などでしょうか。もちろん、「外国文学系ファンタジー」などという乱暴なまとめ方をしてしまっているので、これに当てはまらない作品もたくさんあるでしょうが、それは専門の方にお任せしようと思います。
これらの小説は、作品全体で「1つの出来事」を描いているものの割合が多いです。ハリ〇タも全体としては「名前を呼んではいけないあの人」との戦いを描いていますよね(読んだことがない方がいたらごめんなさい)。
そしてこれは日本と海外の価値観の違いかもしれませんが、僕としては意外と残酷なものが多いイメージを抱いています。「死ぬときは死ぬ」が一番顕著です。
これくらいで、次に参りましょうか。
・「ライトノベル系ファンタジー」
「小説家になろう」の作品を読んでいる方々には、割と親しみのあるジャンルだと思います。
対象年齢層は、中高生〜くらいでしょうか。この辺になると「淡い恋」だけでなくがっつりお色気やサービスシーンが入ってくるのも特徴でしょう。
こちらの特徴を挙げていくと、「キャラクター性を重視したものが多い」、「エピソード1つ1つは短く、それが連なっていくので作品群全体としては多くなる」、「文体が砕けていて現代日本の読者に受け入れられやすい」、などだと思います。
さらに作中で経過する時間が短い関係で、キャラが肉体的に成長しません。主人公の年齢層は主に高校生です。また、そうなると描くのが難しいという理由からか純粋な異世界ファンタジーものは少ないですね。現代ファンタジーの独壇場、といった感じでしょうか。
もちろん外国文学ファンタジーに比べたら、という観点が入ってしまうので、別にライトノベル系がキャラクター性を重視するあまりストーリーをないがしろにしている、ということが言いたいのではありません。
さて、次です。
・「なろう系ファンタジー」
これを最後に回したのには理由があります。少ないながらに僕が読んできたなろう系のファンタジー作品は、先に挙げた2つのジャンルのちょうど間を取ったくらいのものが多いのです。
「ストーリーには最後まで統一性があり(全体としてのエピソードは1まとまりで)」、「作中で経過する時間は長く」、「キャラクター性を立てつつもストーリーも練られていて」、「文体は柔らかい」という感じですね。
それから年齢層に関してですが、媒体がネットであるということや、ちょっとした時間に読みやすいということから、先に書いたものよりも高いような印象を受けています(蛇足ですがお下劣なジョークも多いです)。
これらの特徴を踏まえて、僕が感じたこととその考察です。
「小説家になろう」の作品を読み始める前、僕はなろう作品とライトノベルはさして変わらないだろうと思っていました。しかし実際はかなり違いました。さらに小中学生時代にハマった外国文学ファンタジーの雰囲気を感じて、懐かしく、そして嬉しくなりました。
何故、この環境のかけ離れた2つのジャンルに類似性があるのでしょうか。
僕は、「読者にとっての小説の最小単位」にヒントがあると考えています。
どうしてこれが大事なのかというと、話の構成に大きく関わってくるからです。
最小単位が「1話」であるなろうの小説に対して、ライトノベルの最小単位は「1巻」です。
ライトノベルは、この「1巻」で話を完結させなければいけません。未回収の伏線があったり、次の巻へのあからさまな「つ・づ・く」はご法度です。人気シリーズの後半ならまだしも、新作の第1巻などでは特に「やってはいけないこと」です(お兄様、ごめんなさい)。
この辺は「本を売る」ための暗黙の了解であり、金銭的なしがらみですね。日本の編集業界は厳しいです。
しかし、なろう小説は「売る」必要はありません。また「1巻」という「ある程度の文量の、確実に一段落させなければいけないまとまり」はありません。おかげで、ライトノベルよりも大きなスパンで物語を組み立てることができます。そして主題となる大きな事件1つだけで、物語が終わってしまうものが多いです。
また、多くの長編は連載形式のため、最終的に膨大な量になっても連載中は手を出しやすい、というのも物語が長くなる理由としてあるのかもしれません。
外国文学ファンタジーは、ライトノベルとは違って「1巻」という区切りをさほど大事にしている感じはしないので、構成が似てくる原因はそこかな、と思います。海外の人は金銭にがめつくないんでしょうかね。
冗談はさておき、媒体の形式によって物語とはこれほどまでに変わってしまうのです。「よりたくさんの人に読んでもらえる(売れる)ように」、とそれぞれの媒体で工夫を凝らした結果なのでしょうか。
ここまでつらつらと書いてきたことがどんな役に立つのかと言われるとちょっと困ってしまうのですが、このような傾向に気を配って読めば自分の好きな作品を探すのが少しだけ楽しくなるのではないかと思います。
もしかしたら、自分で小説の構成を考えるときにもちょっと使える考え方かもしれませんね。
文学とは時代により変化していくものですが、「小説家になろうという媒体」による小説の変化はとても面白いです。これからもたくさんの作者さんが――誰でも作者になれる、というのもネット媒体の強みですね――、新しい風を吹き込んでくれると思うと僕はとても楽しみです。
僕も負けてられないんですけどね。
最後に、ここまで読んでいただいてありがとうございました。このエッセイで、貴方に新しい発見をもたらせたら嬉しいです。