『緑閃光』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。
それは私の歳が九つの時のものである。
私はその日、生まれ育った故郷を巣立つ為、早朝から街の出入り口に突っ立っていた。
私は生まれてからというもの、人一倍不運なせいで周りから人が遠のいていった。忌み嫌った人も中には居ただろう。
そのお陰で、私の心はことあるごとに木が燃え灰になっていくように、黒く廃れていった。
このままではまずいと察し、私は親元を離れ国の兵士を育成する学校への入学を両親に相談した。
父は特に何も言わず「それがやりたいことなんだな」と言い、自由にさせてくれた。母は最後まで心配し、反対こそしないものの、快く肯定もしてはもらえなかった。
けれど、私はきっと親から離れたかっただけなのかもしれない――もうこんな自分を親に見せていたくなかっただけなのかもしれない――私は――逃げたのだろうか――
育成学校は私の故郷より遠く北西に位置する。
私は国からの迎えが来たので、見送りに来た家族と野次馬に来た街の人達の方へ振り返り、一言だけ残した。
「じゃあ、行ってくるから。その内、帰るよ――立派になって」
母はぽろぽろと涙を零し、父は少し寂しげに、けれど息子の旅立ちを祈るように「頑張れ」と言った。弟は依然澄ました顔で私を見ている。
私は迎えの馬車に乗り、前だけを見つめた。
私はもう帰らないかもしれない――帰れないかもしれないと、その時何となく感じていた。
〇
夜が明け、私達は村の門の前に居た。
周りには村人が沢山集まっていて、私達の旅立ちの見送りをしに来ていた。とは言っても我々もすぐに帰ってくるので、ほんの数日村を留守にするだけである。
「どうかご無事で」とスキロスは私の手を堅く握って離さなかった。少し涙目になっている。
「大丈夫さ。すぐに戻るし、大きくなって帰ってくるよ」
そう言って、私は竜の姿へと戻ったオールに跨り、ナキの手を引っ張り彼女をオールの背中に乗せた。
「それじゃあ、行ってきます」
オールは翼を空を覆うように広げ、その体を宙に浮かべた。
高度はどんどん上がっていき厚い雲を越え、昇る日は我々を照らし出す。
私の腰に手を回しているナキは眼前に広がる雲海と森林にその目を魅せられていた。
〇
オールの背中に乗り、雲の上を泳ぐこと数時間、やがて海が見えてきた。
エメラルドグリーンに輝くその海は世界で最も美しい海洋として知られ、一般庶民から公爵家までもがバカンスを楽しんでいる。
初めて見たそれは穏やかに波が押し寄せては帰って行く。
「すごい……」
私は思わず声が漏れてしまった。
「うん、綺麗」とナキが突然言った。私は「ナキも初めて見た?」と、訊くと彼女は私の後ろで頷いた。
川よりも大きくて、湖よりも広く深い。
私達はカタラクティスの領地から数キロ離れた誰もいない砂浜に降り立ち、そこから徒歩で都を目指した。
「そのままカタラクティスのビーチに降り立てば良いものを」
「観光地のど真ん中に人を乗せた洛北竜が降りて来たら、凄腕ドラゴンライダーが観光に来たと思って皆シュール過ぎる状況にびっくりするだろうから」
しかし、地図も無く適当に雲の上を通って来たので、海を前にして南北どちらの方向へ進めばカタラクティスに辿り着くのかいまいち分からない。私は方向感覚が良くない。
私は近くにあった木の枝を拾い、真っ直ぐに立てて手を離した。すると木の枝は砂の上に倒れる――木の枝は南を向いていた。よし、こっちだ。
ここで読者諸賢に思い出してもらいたいのは私が人一倍不運な生き物であるということだ。
――私の行く道は常に失敗と誤答で満ちている。それがたとえ自分で決めようと、他人が決めようと――天が決めようと。
しばらく歩いて気づいた――この道は違う。
「ごめん。道間違えた」
「だと思った」
オールは「やはりな」という顔で私のことを見た。というか睨んだ。まるで蛇目である。ナキも口にはしなかったが、落胆しているようだった。何という失態。これはどうにか挽回して今日中にカタラクティスに辿り着かなければ、私の沽券に関わる。
幸いなことに選ぶべき道は二択だったので、間違えた方向の反対方向を進んでいけばいずれ辿り着ける。
私は竜になり二人を背に乗せた。竜とは言っても小さな翼竜――ワイバーンである。オールのような脚が四つあり、翼が生えている竜とは違い、脚は二つの前脚が翼と一体化しているものである。尤も、オールは通常の竜とは違い、鱗は金剛石よりも硬い。翼には蝙蝠の如く――人間の如く器用に動く手がついている。
「全速力で行くから振り落とされないでね」
「お前のせいだろう。快適に飛べ。けれど早く着け」
そんな無茶な。
私は聞こえないふりをして、トップスピードで飛行した。
オールとナキは悲鳴を上げているようだったが、風のせいで全く聞こえなかった。いやあ、全く聞こえなかったなあ。
〇
ワイバーンとなり飛行を続けること数十分、関門が直に見えてきたので私は人間になった。
関門は砂浜の真ん中、監視室は横に広がる密林の側に置かれており、私はそこで入国審査とパスポートを発行した。
私達が関門を潜ると赤いランプが点灯した。どうやらこれは砂浜の地中に重力感知板が引かれており、人が通るとランプが点灯するようだ。海にも同じような仕掛けが施されているのだろう。監視の目はかなり高そうだ。
中に入るとビーチで遊ぶ人々で賑わっていて、海で泳ぐ者、砂浜で城を建てる者、ビーチバレーに燃える者、様々であった。
城下町の方へ行くと石畳の道と透き通った硝子の看板が並んできた。この国の名産物は魚介類や元からあった山から採れる天然資源の他に、硝子製品がある。
ネフリのお土産に良いかもしれないな。
そんなことを考えつつ私達は宿に着いた。ビーチのすぐ近くには果てしなく続く水平線を眺められる高級ホテルもあるのだが、私は広い部屋や豪勢な接待が苦手なので、いつもの如く民宿に泊まる。大体お金も無くなってきたし。
「何故ビーチの側にあったホテルではないのだ」
オールがそんな文句を言ってきた。
「お金が無いんだよ。それにご飯もあまり合わない。民宿のご飯は良いぞ。家庭の味だ」
そう言うと、彼女は頬を膨らませ拗ねたように自分の部屋へ入って行った。
こうなるかもしれないからと思い、今回は奮発して一人一部屋にしてあげたのに。こちらの財布も寒いのだ。
とは言え、私のせいで到着が遅れてしまった訳だし、少しは彼女の我儘を聞くべきなのだろう。
部屋に入ると窓から見える景色は既に橙に染まった空と水平線で、日暮れを知らせていた。
夕食を摂りながら、明日はどこに行こうかと私は思案していた。
カタラクティスには大きな遺跡図書館や、水の神を祀った石造りの神殿や、無敵艦艇と呼ばれた戦艦の没地の記念碑、勇敢な魚人の戦士が密かに創作していた目も当てられない程恥ずかしい詩集……と、多くの文化遺産が残されていて、世界各地を見て回ることが本来の目的だったので、それには打ってつけである。
けれど、オールは依然むすっとしてご飯を口に運び続けている。
ナキはそんな様子を見て、気まずそうにお茶を飲んでいる。どうでも良いけどこのお茶美味い。
けれど、こんな状況ではご飯も美味しく食せない。やはり明日は素敵な所をチョイスして、オールの機嫌を直さなければ。正直阿ることに関しては上手じゃないが、精一杯頑張ろう。
〇
「え、海で遊ばないの?」
翌日、目を覚まし朝食を摂りつつ、昨晩必死に考えた観光プランを伝えるや否や、オールは唖然とした顔でそう言った。
「え、あ、うん、いやまあそうなるね」
そんな風に返事をすると彼女は昨日の夕食時よりもさらに頬を膨らませた。
「何故だ。ここに来たらやはり海で泳ぐものではないのか。何の為にここまで来たんだ」
オールは激昂して、テーブルを両手で叩いた。壊れるからやめてほしい。そうでなくとも周りはこちらに視線を寄せている。
もしかしてオールがカタラクティスを提案したのって、海で遊びたかったからなのか。何という身勝手な計画。見たから良くない?
「そうは言っても僕も見てみたい場所はある訳だし」
ここで彼女の我儘を通してしまっては、今後のオールの変に幼稚な性格が固定してしまう。ここは耐えるべきか。
「ねえ、行こうよお。水着着て水かけ合ったり、砂の城作ったりしようよお」
もうほとんど泣きべそかいている。洛北竜の威厳もあったもんじゃない。一人の子ども同然である。
「大体水着なんて持っていないだろう。その恰好のままびちゃびちゃになるのか?」
「水着ならビーチの近くで借りられるらしい。だから海行こう、なあナキ」
今度はナキにまで説得しに行った。困ってしまうだろう。
「いえ、私はあまり肌を露出するのはちょっと……」
ナキはオールの必死の懇願を一刀両断した。
「いや、別に、無理に水着を着ることもないのだぞ。ほら、ビーチで西瓜割りとか」
「西瓜はどこにあるの?」
完全なる論破である。
それでも粘るオールを見て、私は深く思考の淵へと落ちていった。
果たしてオールは何故そこまでして海で遊びたいのか――娯楽の為――記憶の為――計画の為――静寂の為――
彼女は何を求めているのだろうか。私は何を求められているのだろうか。
昨日私は肝に銘じた。
――少しは彼女の我儘を聞くべきなのだろう――
洛北竜オール・ド・フレムは千年以上もの間『北の山脈』より王都を守護してきた。
そんな彼女が住処を離れ、私達と行動を共にしているのは、勿論私達の望みを叶えることなのだろうけれど、それの他に彼女もまた世界を見てみたいのかもしれない。私と同じように世界を見てみたくて――私とは違う世界を見てみたくて。
目的の合致――希望の相違――
私は忘れていた。ずっと誰もが私を避けたけれど、それでもずっと私から離れずにいてくれた人も居たのだ。
私は忘れていた。ずっとオールは千年以上もの間一人だったのだ。静寂に囲まれた枯れた火山で一人だったのだ。
今彼女がこんなにも海で遊びたがっているのは、ただただ欲求を埋めるだけの我儘なのではなく、今までの寂しさを埋める為の我儘なのだ。
彼女は今――私達に甘えているのだ。
「行こうか、海」
私がそう言うと、二人は「えっ」と口を揃えて漏らし、そのまましばらく固まった。
「とりあえず水着だっけ。どこで借りられるのか訊かなくちゃ」
「…………良いのか?」
「ああ、良いよ。行きたいんだろう? 早く準備しないと」
「……私達の水着が見たいだけとか?」
「そんな不純じゃない」
「……じゃあここは折れた方が面倒臭くないから?」
「そんな嫌な奴じゃない」
「じゃあ何で」
「その方が――君は寂しくないと思ったから」
オールは溢れる涙を出てくる側から拭ったけれど、絶え間なく涙は流れて止まらなかった。
「そんなに泣くな。時間が無くなるぞ」
「泣いてない」
「嘘をつくな。涙で川が出来そうだ」
「違う。これは、えと、尿だ」
「めちゃくちゃ汚ねえじゃん」
私はオールが泣き止むまで待ち、後に準備に取り掛かった。
「ごめんね。また勝手に決めてしまって」
私はナキに謝った。彼女が言っていた肌を露出したくないというのも嘘ではないだろうし。
「いえ、あなたが良いなら良いの。やっぱり楽しい方が良いしね」
「ありがとう。助かるよ」
私達はしばらくして、海へと向かった。
〇
海へと向かった我々は、水着のレンタルショップにて着替えを行った。
私は女性陣より早く着替えが済んでしまったので、先にビーチに出てきて適当な場所にパラソルと荷物を置いて、場所の確保をしておいた。
読者諸賢は友達の友達の親戚の息子が付き合っただの別れただのの色恋沙汰よりも興味が無いだろうと存じるが、念の為記しておく。
私の水着は、黒が中心色の半ズボンのスタンダードなタイプの海パンで、横に赤のラインが入っている。
さらにそこに濡れても大丈夫な素材でできた海水浴用のパーカーを羽織り、最後にいつもの如く白銀に光るブレスレットをつけて完成である。
「待たせたな」
その時、後ろから私を呼びかける声が飛んできた。
私が振り返るとそこには自らの水着を誇示するかのように仁王立ちするオールと、その後ろでオールの陰に隠れるように赤面で竦んだ状態のナキが立っていた。
「水着を選ぶのでかなり手間取ってしまってな。何せナキがこれも駄目あれも駄目というものだから。やっと選んでも中々着てくれないし、着たら着たで今度は出てくれないし」
オールの水着は彼女にしては可愛らしい淡いピンク色の、前から見るとワンピースのような感じだけれど、いわゆるモノキニというタイプの水着で後ろは普通のビキニのような見た目なので、本人曰くそのギャップに萌えるのだという。
ただ、その本人の容姿が少し子どもに寄っているので、女の子が大人っぽい水着を着てみた感じが否めない。まあ可愛らしいことには変わりないので良いだろう。
「どうしたのだ、フィン。まさか私のこの果実のような瑞々しい肌に見惚れてしまったのか。確かにそれは致し方ないが、鼻血を出したりでもして海を赤く染めてみろ。その時は私が海ごとお前を焼き尽くすぞ」
「お前の炎で余計に赤くなるじゃねえか」
そして、ナキの水着はというと、胸元がかなりはっきりと拝めるホルターネックの白地に薄紫色のフリルのビキニで、真っ白なナキの肌と重なり目が潰れる程の眩しさと破壊力を持ち合わせており、その上この世の至高にして私の嗜好である長い美脚を、腰に巻きつけた水色の薄地のパレオにより一定の安定と醸し出される清楚さを推進している。例の漆黒のブレスレットも忘れずに身につけている。
さらにナキに関して言えば、スリーサイズはさすがに知らないけれど、その豊満な――けれど清潔感溢れる胸元、美しいまでの括れを有するすらりとした腰や腹回り、千里より見たとしても明らかな柔らかく締まった尻のライン、そこから長く伸びる程に細くなっていく美脚と、元々の容姿が良いので、途轍もなく良いのでもう何て言うか何着たって似合っちゃいそうだよねありがとうございます。
私がナキの水着姿をまじまじと眺めていると「……変じゃない……?」と上目遣いで訊いてきた。こんなにも自然で愛くるしい上目遣いが存在するだろうか。最高ですな。
私は平常心を保ち、あくまでも紳士的な態度のまま「変じゃないよ、似合っている。とても綺麗だ」と答えた。
オールが私の顔をじっと見る。
「鼻血出てるぞ」
「えっ嘘」
私の鼻血が止まった後、早速海へと駆けだした。砂浜は日に焼かれて鉄板のように熱くなっているが、波打ち際まで来ればこちらの勝手である。
「冷たっ」とオールは小さな悲鳴を上げ、無邪気に笑って見せた。
「ひゃっ」とナキも透き通る水の冷たさに驚いている。
「もう少し深い所に行ってみようよ」
「じゃあ、どっちが先に沖まで行けるか競争だ」
オールはそう言うなり、早速波に乗って泳いで行った。
私も続いて行くが、今度は寄る波に阻まれ、中々進めない。くそう。
必死こいて波を掻き分け、引き潮に乗ろうと勢いをつけた途端、私の腕を掴むものが居た。私はバランスを崩し、私の腕を掴んでいた者ごとうつ伏せに倒れてしまう。
塩辛い海水から顔を上げると、私の背中にはナキが倒れていた。彼女の胸がいつもよりダイレクトに伝わってくる。大きい。柔らかい。そして気持ち良い。最高にして最大の三段活用。
「どうしたの?」
私が訊くとナキは怯えた顔で首を振った。
「私、泳げないの」
……何て言うか、ナキってヒロインとしては完璧だよな。まあ泳げないのは結構厳しい現実だけれど。
「だから、あんまり遠くに行っちゃ嫌」
彼女は言いながら、私の腕を決して離してはいなかった。
オールが戻ってきて事情を話すと「じゃあ泳げるようになれば良い」とさも当たり前のように言った。
「簡単に言うがな、できないことをできるようにするなんてのは、至極大変なことなんだぞ」
オールはそれでも「でも泳げるようになる以外私が楽しむ方法がない」と、依然変わらず言って退けた。
「…………」
「私も泳げるようになりたい……から、二人に手伝って欲しい……」
「無論、引き受けよう」
「まあナキがそう言うなら、吝かではないけれど」
こうして私とオールによる水泳講座が始まった。
〇
生まれてこの方、ただでさえ自分も何かを卒なく熟せたことなんてなかったので、勿論人に物を教えることだって経験してこなかった。
ナキに泳ぎ方を教授するにあたり、まずは生徒のことを知ることから始めよう。
「ナキはどの位まで泳げるの?」
「顔を水に浸けるのも正直怖い」
「…………」
状況は思ったよりも深刻である。
となれば、そこから練習あるのみである。
その後も、数々の課題を熟し、昼前になった頃のことである。
ほとんど進展していなかった。
顔を水には浸けれた。
泳いでいる時に何とか沈まないようにはなった――その際、何度も溺れかけナキは私の腕の中に入り込み、爆発しような幸福感に包まれた。
ばた足やら蹴伸びやらの泳ぎ方の練習を一通り――その際、あり得ないくらい進まず、私とオールで水を掻いてちょっとずつ進めたのは内緒である。
そして、それ以降ナキの泳ぎは上手くならなかった。
こればっかりはどうしようもない。恐らくナキは運動にはどうやっても向いていないらしい。魔法に長け、体よりも脳を鍛えてきた彼女にとって、それは当然の現実であり、残酷な現実でもあった。
私は時間を見計らって「そろそろご飯にしようか」と言った。
ナキは海から上がりながら「やっぱり私には無理なのかな」と言った。不思議なのは大して落ち込んでいる風でもなかったことである。
「そういうこともあるかもしれない」
私がそう言うと彼女は困ったように苦笑した。濡れた髪の毛と群青の瞳が混じり合って、どことなく色気を放っている。
その俯いた横顔に私は言う。
「けれど、皆苦手なものなんて山が腐る程あるものだろうし、かく言う私もパズルが苦手でね。弟によく馬鹿にされては拗ねていた。今も苦手なのは変わらないけれど。そうだ、オールは何か苦手なものってあるの?」
「そうだな……誰かに、甘えること」
「嘘吐け」
今朝から甘えてばかりだろうが。
「まあ、こんなことを言って、慰めになるか、気休めになるか、はたまた励みになるかは分からないけれど……皆得意なものだってあるんだ。苦手なものとは違って残念だけれど、一つや二つ得意なものがあるんだよ。君が魔法に長けているように」
キラが力に長けているように――コクヤが弓に長けているように――カルマが全てに長けているように――
「とにかく今はお腹を膨らまそう。ナキは何が食べたい?」
「……何でも」
「そっか」
どうやら彼女は泣いているらしかった。
ビーチのすぐ近くには『海の家』なるものがあり、そこでは飲食の販売、席の提供、水着や必要品の貸出など、あらゆるサービスがが設置されている。食事のメニューもやたらと豊富で、何か熱い食べ物が多かった。
「とりあえず何にしようか」
我々が昼食を選んでいると、突如として現れた者が居た。その輩共の一人はあろうことかナキの神域たる肩に腕を回し、一人は許し難いことにオールの高尚たる腕に腕を組ませ、残りの二人は私の周りを囲った。
――要はナンパである。
その男の集団は人間の者である為、ここの地元の者ではなく女性を誑かしに来た観光客のようだが。リゾート地かつ美女を連れていると必ずと言って良い程このような事態に遭遇し兼ねない。折角の観光が全く台無しである。
「何か食べたい物があるなら、俺らが奢るけど。どう、一緒に俺らと遊ばない?」
ナキに触れた男がそう口を開いて言った。ナキはぎょっとして身動きが取れなくなってしまった。顔を頻りに俯かせ、非常に怯えている。
「ほら言ってごらん。何が欲しいの?」とオールに触れている男が問うたが、オールはこれに応じず、そして動じず男の腕を払った。
「触るな、汚い。お前もその毛深い腕を少女から離せ」
オールはあくまでいつもと変わらず強気を見せたが、男衆の反応は如何にも手応えがなかった。彼らは周りも憚らず大声で笑った。何となく私も一緒に笑ってみると、即座に睨まれた。あら、すいません。
「違うだろ。まだ分からないの? これは命令なの。もしかして君ナンパされたことない? 俺らと遊べって命令しているの。でないと、君らのこの連れが痛い目見るよ」
そう言うと、私を囲んでいた男の一人が私の口を覆い、もう一人の男が周りに見えない角度で私の腹に拳を決めた。おお、痛い。
ともかくここは人気が多いし、こんな所で暴れてしまっては悪目立ちするだけである。仮に叫びまくり助けを呼んでも、結局我々も事情聴取なんかを受ける羽目になり、折角の観光が最終的には台無しである。私には八年間鍛えた武術があるのだ。であれば、ここは――
「場所の移動を提案します」
私の立案は阿呆全開の男衆へ難なく通り、場所は人気の全くない岩場へとやって来た。
「へへへ、ここならお前らを好き放題嬲ることも簡単だな」
そう言った男は未だにナキの肩に腕を回している。さっさと離さんかい。
「さあて、まずはどっちからで遊ぼうかなあ」
喧しい奴め、それが貴様の最後の言葉だ。苦しみと共に眠れ。
私は不意打ちでナキに触っているけしからん男の顔面に軽く回し蹴りを喰らわした。肩に回してばかりいやがって。一生回すのが怖くなるくらい回し蹴りしてやる(?)。
とはいえ、初手の軽めの一発でK,Oだったらしく、煌めく海に勢いよく吹っ飛んで行った後、うつ伏せで浮かんできた。
「な……お前」
周りが驚いている内に今度は先程私を殴った男にすかさずやり返しのパンチを入れてやった。正直さっき受けたパンチは大して痛くはなかったが、まあしょうがないよね。倍返しってあるじゃん。
殴りつけられた男も遠くに吹っ飛び、そのまま気絶してしまった。
「くそ、何なんだよこいつめちゃくちゃ強いじゃねえか」
震えながら男共は振り返って逃げようとしたが、一人の男にオールは顔の高さまで跳び、ボレーキックを喰らわした。その男もその場に崩れ落ちてダウン。
「こ、こいつもかよ……」
制裁を受けていない最後の一人は竦んでそこに座り込んでしまった。足が震えて失禁までしている。こうなると今度は触ることに対し気が引けてきた。
仕方がないので、私は「二度とこんなことをするな。あと、そのまま海入るなよ、汚いから」とだけ言い残し、ナキとオールの肩を掴んで抱き寄せてその場を去った。
人気の多いビーチまで戻ってきた頃、私は両腕に抱えた二人を解放した。
「格好良かったぞ」
「そっちこそ」
私は解放したばかりのナキを再度介抱し、存在を確かめるように彼女の肌の温もりを感じた。海と潮風で少し冷えている。
「……ごめん。嫌だったよね」
「うん。でも、助けてくれるって分かっていたし、その通り助けてくれたし。ありがとう」
その時、彼女のお腹から大きな振動と音が伝わってきた。
「お腹空いたね。ご飯食べようか」
私達は改めて海の家へ向かった。
〇
私達は海の家にて昼食を摂り、パラソルの下で三人並んで休んだ後、再度海へ向かった。
因みに、私達が食べたメニューだが、私はラーメン、ナキは炒飯、オールはカレーライス、食後のデザートに皆でかき氷も食した。どれも美味であったが、かき氷はゆっくり食べる物だとあの時身を以て知った。
食後に海の家で『浮き輪』なる物を見つけたので、借りてみた。それを使うとナキも海で泳ぎやすくなると知れたのも収穫である。
『浮き輪』の構造や仕組みは簡単で、ビニールで出来たドーナツ型の物で、真ん中に人が一人入れるくらいのスペースがある。空気を出し入れする為の穴があり、そこから空気を入れることで、水の上でも浮かぶことが容易くなるという代物だ。これは非常に便利で、ナキも喜んでいた。借りてみて本当に良かった。
その後も海で水をかけ合うなり、砂浜で城塞を建設するなり、大変楽しくて幸せな時間を過ごした。
気がつけば、もう夕暮れだった。
二人は綺麗な貝殻を集め、ネフリのお土産にすると言うので、頻りに砂浜に張りつき貝殻を必死に集めては小瓶に詰めている。
「もう暗くなってきた。そろそろ宿に戻ろう」
私がそう伝えると、二人は残念そうな顔でこちらを見つめた。うっ、可愛い。
「もう少し……駄目か?」
「夕食の時間もあるから」
彼女らは少し不服そうだった。瓶の中の貝殻はかなり集まっている。村人一人一つあるんじゃないか。
「それに明日もあるんだ。明日また今日より綺麗なのを見つけよう」
そう言うと、今度は明日を待ち侘びるが如く笑みが二つ零れた。
二人はお土産の入った小瓶を大事そうに抱え、私の元へ駆け寄ってきた。
「今日のご飯は何だろうな」とオールは楽しげに笑う。心の底から今日という日が幸せだというような――心の底から明日も楽しくなると願うような笑顔だった。
ビーチから出るという時に、ふとナキが海の方へ振り返り「すごい……」と感嘆の声を漏らした。
釣られて私達も振り返ると、そこには水平線に浮かぶ煌々と赤く染まった夕日が浮かんでいた。
「綺麗だな……」
「ああ、でももうすぐ沈んでしまう」
オールはそんな風に寂しそうに暮れる夕日を眺めていた。
――その時である。
沈みゆく夕日が赤い色から一変――鮮やかな緑へと変わり水平線の向こうへ消えていった。
「今のは――」
Green flash。緑閃光とも呼ばれる太陽が日暮れの瞬間に緑色に変化する現象のことを言う。
そもそも夕日というのは、光が大気中の粒子で分散される為、光の波長が長い色のもの程伝わりやすくなる。故に、波長の長い赤の色が夕日の色として我々に見え、波長の短い青や紫はほぼ見えない。
しかし、空気がとても澄んでいる所だとごく稀に、赤よりも波長の短い緑の光が伝わってくることがある。
それこそが夕日が緑に染まる現象――グリーンフラッシュの正体。
「これを見た者は幸せになると言われているんだ」
日は既に落ち、辺りは私達を呑み込むくらいの深い紺色に包まれていたけれど、私の目には未だに緑に光った閃光が離れずに居た。
「こんなにも楽しかった日に、最後こんなものまで拝めるとは。……やはりお前達と一緒に来て良かった。乾いた火山灰が舞うあの枯れた山では、絶対に一生見れなかっただろうな」
「ありがとう」とオールは私達の方へ向き直り改まって言った。
「……僕もオールがここに来ようって言って、海で遊ぼうって言ってくれて嬉しかったよ。でなければ、先の光景は僕の中で一生知識の中の現象に過ぎなかった。こちらこそありがとう」
私もオールの赤い目を――夕日に照らされた笑顔を見て礼を言った。
「私も! ……ありがとう。本当に今日は楽しかった。明日も幸せって思ったら、何だかどきどきしてきた。ありがとう」
ナキは今まで聞いた中で一番強い声で――一番沁みる言葉を言ってくれた。
刹那の夕日がくれた、赤く煌めく敬愛と緑に輝く謝愛と紺に染まった優愛を私達はこれからも忘れない。
この時貰った幸せを不運な私は明日に期待する。
――希望はしても期待はしない。
いつからかそんなことを考えるようになっていた。そう考えるしか耐えられなくなっていた。
思えば、私はこの時初めて幸福を希求した。
次回にご期待ください。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。