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Light in the rain   作者: 因美美果
第七章――2
76/77

『転機』

まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。


※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。


この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。

それでも楽しんで頂ければ幸いです。

 エクヴォリの死後、私達は事態の終結に勤しんだ。


 ――そのつもりだったが、大体の後始末は魔国の者達が片付けてくれていた。


 エクヴォリの悪事を公開し、コイロ国民にパラミ教の見直しと新しい方針の決定をさせ、聖教会と聖騎士団を中心として新しい体制作りをする。

 パラミ教を無闇矢鱈に信じず、都合の良い神の姿を唯々諾々と受け入れない意識改革を、国民全体に行き渡らせる。


 実現は言葉で言うよりもずっと難しいことではあるが、こればかりは新しいコイロを――エクヴォリの居なくなったコイロを信じるしかない。


 聖王とエクヴォリが消え、名義上の王も実質的な王も消えた今、新しい指導者が必要である。

 その役目はティレシアスが進んで熟してくれている。


 彼女自身、ずっと信じてきた人に騙されていたことを知り、苦しみながらも自らで止めを刺し、精神的に参っているはずなのだ。

 それでも、すぐに事態の終結に協力してくれた。

 立ち直ってはいないだろうし、振り切れてもいないだろう。


 それでも、この国の為に毅然として民や騎士に訴える姿は、誰よりも王の資格を持っていた。


「感謝してくれよ」


 ニケはテレパシーを使って部下達に指示をした後、へらへらしながら言ってきた。


 感謝などお前にするわけないだろう――と思いたいが、こいつが来なければエクヴォリに苦戦して、或いはやられてしまっていたかもしれない。

 それに、お互いの都合とはいえ、エクヴォリの決定的な悪事の証拠を見つけ出し、国民に知らしめてくれた。


「……感謝はしているさ」


 素直になり切れずも本心は伝える。

 ニケは「けっ」と呆れた顔をし、コルキの方へ振り返った。


「お前が例の鳥女か」

「……何よ」

「お前、修道院に戻ってやった方が良いんじゃねえか?」


 ニケがどういうつもりでそんなことを言ったのか、その真意を分かり兼ねた。

 エクヴォリによって火をつけられてしまい、あの場所に留まった子ども達はもう……。


「あの方がガキを見殺しにすると思うか?」

「……?」


 それはどういう意味だ?

 もしかして、ニケ達が放火を阻止してくれたということか?


「いや、火はつけられた。部下からの報告じゃ、着いた時には丁度こんがり焼けてたらしい」

「……弔いに行けって意味? あの子達に合わせる顔がないわ」

「違えよ。ガキは生きてる。クレミディっつったか? あれは魔国からのスパイだ」

「は?」


 どういうことだ?

 さらに分からないんだが。


「だから、放火を見越したあの方が、事前にスパイの孤児を鳥女のとこに送り込んでたんだよ。多分、下水道から皆を連れて逃げたんじゃねえの?」


 コルキはそれを耳にし、すぐに出口を目指す。

 しかし、翼はもちろん、足も上手く動かせない状態だ。

 慌ててオールが竜となって彼女を背中に乗せ、修道院に向かった。


「……少し、二人で話して良いか?」


 私はニケに言う。

 聞きたいことが山程ある。


「ああ、答えられることなら話してやるよ」


 テラスに出ると、夜明け前の空が徐々に明るみ始めていた。

 戦いは大して時間を要しなかったはずなのに、その後の後始末に追われ、気が付けば朝もすぐそこまで来ている。


「まず、飛行船のコイロ硬貨は、僕達をここへ誘導する為に意図的に仕掛けられた罠ってことで良いんだよな?」

「ああ、その通りだ。まんまと引っかかったな」


 確かに引っかかりはしたが、それ以外に魔国の弱味を探る方法もなかった。

 今回はコルキ達を助けることができたから、悔しさは然程感じていない。


「じゃあ、二つ目――コルキのことはどこで調べたんだ?」


 私達のことはこれまでのいざこざで知っていて、動向を調査していてもおかしくはない。

 しかし、コルキに関しては何の繋がりもないはず。

 動向の把握はできないと思うが。


「そんなことねえよ。クレミディは魔国からのスパイで、あいつからは定期的に連絡を受けていたんだ」

「なら、どうしてクレミディをスパイとして送り込んだんだ?」

「それは知らねえ。あの方が鳥女を把握する必要があると判断したんだ。それ以上は聞いてねえよ」


 コルキは別に著名人ではないし、出会わなければ知り合うこともないはずだ。

 もしかして、カサルティリオはコルキと会ったことがあるのか?

 しかし、ニケもそれ以上の詳細は本当に知らないようだし、こればかりは本人に訊くしかないのだろうか。


「なら、三つ目――クレミディは何者だ?」


 彼女はただの鬼人の少女だと思っていた。

 少しシャイな子だとは思ったが、それはスパイだと悟られない為に口数を減らして感情を殺していたからなのか?


「考え過ぎだよ。あのガキはただのガキだ。身寄りのない孤児をあの方が一度引き取ったんだ。そして、任務を与えてもう一度孤児院に委託し、鳥女が引き取るように少しだけ操作した」

「……この為だけにか?」

「ああ、そうだ。別に非人道的なことはしていない。あのガキも自分の意思で任務の遂行を了承したし、事が済めば後は関与しない。必要なら里親も用意してやる、アフターケアサービス付きだぜ」


 それが正しいことなのかは分からない。

 だが、聞く限りはクレミディに何も危害を加えていないし、元々孤児だったと言うのなら、むしろ生きられる居場所を与えてあげたと言える。

 そして、彼女は火に炙られるはずだった子ども達を助け、今回の騒動において皆に恩恵さえ齎した。

 エクヴォリが修道院に火をつけるきっかけは、大元を辿ればカサルティリオのせいなのだが、丸く収まった今としては咎めるつもりもない。


「……じゃあ、この件もひとまず理解した。四つ目――エクヴォリに私達やコルキの情報を与えたのは、エクヴォリを失脚させる以上の企みは本当に無いんだな?」

「ああ、無い。最初から今の状況をゴール地点として始めたことだ」


 その言葉が嘘ではないと決めつけ、とりあえず安心する。

 ニケがわざわざ嘘を吐くような奴だとも思えないしな。


 しかし、これまでの説明を受け、カサルティリオの異常性――超人性がひたすらに引き立ってくるばかりだ。

 全てが彼の掌の上で転がされて、結局最終的に彼の思い通りになってしまっている。

 もしかして、彼もティレシアスのように予知魔法を使っているのか?


 そんな考えをふと吐露すると、ニケは鼻で笑った。


「あの方があんなちんけな魔法に頼るわけがねえだろ。エマイディオスにさえ敗れた魔法だぜ?」


 しかし、カサルティリオの予測とやらが悉く的中していることを考えると、そうでもなければ納得がいかない。

 それに、ティレシアスが見える未来は約三秒後までという制限があったから何とか攻略できたが、もしもそれ以上先の未来も見れていたら、結果は分からなかった。

 まして魔王たるカサルティリオであれば、もっと遥か遠くの未来でも――


「無理だよ」


 ――考えるだけで恐ろしい私の予測を、ニケははっきりと両断する。


「あの魔法でいくら遠い未来を予見できようと、見える景色は自分の手元に過ぎない」

「なら……その景色の限界も魔法でどうにか」

「そんなことをしなくても、あの方には分かるのさ。世界の全てが手に取るように」


 魔法を使わずとも分かる?

 私達がどう動くかも――エクヴォリがどう動くかも――コルキがどう動くかも――魔法無しにやって退けると言うのか?


「ああ、あの方ならできる。誰よりも『強い』あの方なら」

「……どうやって」

「教えるわけねえだろうが馬鹿かてめえはよお」


 まあ、確かにそうか。

 こればかりは考えるだけ無駄な気もしてきた。


 彼が恐ろしいのは、彼が何をしたって納得できてしまうところだ。

 どれだけ壮大で馬鹿げた絵空事でも、カサルティリオなら或いはできてしまうかもしれないと、本気で思えてしまうところにある。

 そう思える根拠は分からない。

 ただ、どこからか――生まれた時から刻まれた記憶のように、そう思えるのだ。


 そういえば、奇妙なことをエクヴォリが言っていたが――


「ティレシアスに予知魔法を与えたのが魔王だというのは、本当なのか?」


 ニケは頭を掻きながら、微妙な面持ちに変わる。


「それに関しては、俺も現場にはいなかったから詳しくは知らない。後からあの方から聞いたに過ぎないが、本人はそう話していた。お前、瞎の女が失明した時の話は聞いたか?」

「ああ、さっきナキから聞いたよ。大まかにだけれど」


 血を洗う鬼人の少女を見て逃げようとしたティレシアスが後ろから頭を殴られ、その時に脳に障害が残り、目を失ったという話だったが。


「それだけどな、瞎の女を襲ったのは鬼人のガキじゃねえんだとよ」


 何? そうなのか?

 確かに、ティレシアスは後ろから殴られたのだから、殴られた相手は見えていなかっただろうが、だとしたら誰が?


「俺もよく知らねえけど、鬼人のガキを追っていた奴が、その場に居合わせた瞎を口封じに殺そうとしたって話らしい。そこをあの方が助けて、瞎は失明だけで済んだってわけだ」


 ティレシアスの最後の光景にそんな続きがあったとは。

 だとすると、この話はティレシアスに後で教えてあげた方が良いだろう。

 これから、コイロは亜人も受け入れていく流れに変わっていくだろうし、それを先導するのはティレシアスだ。

 彼女の亜人嫌いを形成した過去の真実を伝えれば、心根の部分から意識を変えていけるかもしれない。


「ああ、ちなみにだけど、実際に瞎を殴った奴も鬼人だぜ」

「…………」


 それでも、真実は伝えなければ。

 これ以上、彼女に都合の良いことだけを見せるのは、彼女にとっても不本意だろう。


 しかし、そうなると今度はその鬼人の少女が謎めいてくる。

 血を洗っていたり、追手がいたり――カサルティリオが助けに入ったのも偶然か、それとも――


「それについては、言えねえよ」

「……何だよ、それってつまり――」

「お前、フォスに会ったんだってな」

「え、ああ」


 鬼人の少女については、もう話してくれそうにない。

 これは一旦置いておくしかないな。もやもやする。


「あいつ、言っていたぜ。しつこかったって」

「……だって、敵だし」

「あいつはそうは思ってないらしいがな」


 どの口が言うんだ。


「そういえば、ネオンでのあの襲撃はどういうつもりだ?」

「それも言わない」

「『神』との関係は?」

「それも言わない」


 これ以上は何も話したがらないな。

 聞き出せるのは、これくらいか。

 まあ、今回の事件の諸々は知ることができた。

 敵として何かしてくることもなかったし、こちらも疲れ切っている。

 こいつに一矢報いるのは、また別の機会にしよう。


「もう日も昇るな」

「……撤収か?」

「ああ、じゃあな」


 彼はテラスの手摺りに立ち、一歩踏み出して飛び降りる。

 落ちた先を覗くと、既にニケの姿はどこにもなかった。


 本当に、嵐のように過ぎ去っていく。

 謎の解けた部分もあったが、謎を新たに残していった部分もあった。

 しかし、今回は――認めたくないが――助けられたのだろう。


 さて、私もコルキのところへ合流しよう。

 ニケの言葉の真偽も確認しなければ。



   〇   



 私達がコルキとオールと合流した時、既に朝が街を包み込んでいた。


 昨夜まで子ども達といた修道院は跡形もなく焼け落ち、すぐ横でコルキと子ども達が抱き締め合って泣いている。


 既に皆、人間の皮を脱ぎ、本当の姿を現していた。

 角があろうと翼があろうと生きられる国に変わった――その事実を体現していた。


 ニケの言った通り、クレミディがいち早く放火に気付いたお陰で、子ども達は下水路へ続く出口から逃げ出せた。

 下水路まで火が届くことはなく、事態が終結するまでそこで待機していたそうだ。


 魔国の者達が修道院を包囲していた聖騎士達を退け、鎮火後、無事に子ども達が保護された。


「ごめんなさい」


 クレミディは泣きじゃくりながら、何度もそう言った。

 彼女はこの修道院に引き取られた時も『ありがとう』や『ごめんなさい』ばかり言っていたそうだ。

 今思えば、スパイとしての苦しみの表れだったのだろう。


 コルキはクレミディを責めることなど決してせず、ただ抱き寄せて頭を撫でた。


「ありがとうね、クレミディ。皆を助けてくれて、ありがとう。あなたが居てくれて本当に良かった」


 クレミディは首を横に振りながら「違う」と、さらに泣き声を上げる。

 それでも、コルキも子ども達も彼女に笑いかける。


「あたしもずっとあなた達を騙していたの。身を汚すことでしかあなた達を助けられなかったの。ごめんね、許してね」


 私達はただ見ているだけだった。

 見ているだけで良いんだ。

 間違いなく、彼女達は家族なのだ。


「お姉ちゃん、クレミディ、ありがとう」


 キトロンも涙混じりに何度も礼を言う。

 彼女も子ども達の長女として、長年耐え続けてきたのだ。

 そして、信じていたコルキの思いもよらない姿を目の当たりにし、相当なショックを受けたはずだ。


 キトロンだけじゃない。

 子ども達全員がそれぞれの苦しみを抱え、今日まで耐えてきた。

 知らずに受け取った苦しみを、彼らは捨てずに今日まで生きてきた。


 聖教会内にはまだ亜人を嫌う人間もいるが、彼らがいつか亜人を受け入れてくれることを願うしかない。

 エクヴォリがいたお陰で甘い汁を啜っていた者もいるだろうし、聖王がいたお陰で楽をできていた者もいるだろう。

 しかし、楽できないと嘆く声を聞き届けてやる者もいない。


 彼らが抱える苦しみは、あくまでも今までのツケなのだ。

 コルキや子ども達の苦しみに比べたら、笑い飛ばすのも容易いだろう。


 だからこそ、報われてほしかった人達が報われて良かった。


 その日はティレシアスが聖教会内の客室を用意してくれて、全員でそこに泊まった。

 子ども達はふかふかのベッドに興奮して、遅くまで夜更かしをした。

 コルキも困り果てたような顔で、幸せそうに微笑んでいた。


 私も子ども達との最後の夜に悲しくなったり、それでも皆の綻んだ顔が嬉しかったり、色んな思いが胸の中で騒めいた。

 眠るのが惜しいくらい、幸せな夜だった。



   〇   



 私は夢を見た。正確に言えば、昔の思い出である。


 それは私の歳が十三の時のものである。


 私はその日、音楽室で女生徒を待っていた。


 彼女にピアノを教わり、彼女に戦いを教え、互いに高め合う日々を重ねていく日々だ。


 彼女と出会ってから、半年が経とうとしている。

 彼女の教え方はとても上手で、私はめきめきと成長することができた。

 反対に、私の教え方は極めて下手で、彼女はなかなか成果が出ずにいた。


 彼女は私のピアノを聴く度に「先輩は才能の塊です」と、笑って褒めてくれる。

 彼女は自身が失敗する度に「私はセンスが無くて困りますね」と、笑って自虐する。


 私はどうにかしてやりたいと、必死に教え方を考えた。

 けれど、どんなに手を替え品を替え、色んな風に教えてみるが、どれも芳しい結果は得られなかった。


「先輩は悪くないです。私が不甲斐ないせいなんです」


 哀しく笑う彼女を見る度に、私は彼女を抱き締めたくなる。

 ふとした時に垣間見える彼女の落ちた眉を見る度に、「君は強くならなくたって良い」と、思わず言いそうになってしまう。

 それでも、自分の頬を叩いて気を引き締める彼女を見る度に、彼女に慰めなど言ってはならないとすぐに思い直す。


 私が想像でしか計れない苦しみなど、彼女が抱える本当の痛みに及ぶはずがない。

 時間はこれからいくらでもある。

 何としてでも、彼女の願いを叶えてやるんだ。

 私が弱気になる資格などないのだから。


 その日は、下級クラスは学校の敷地外での訓練だと、女生徒が話してくれた。

 山林部での実技訓練で、普段の訓練よりもハードなものが多い。

 女生徒も下級クラスなので、頑張ってほしい。

 少しでも特訓の成果が顕れていると良いが。


 戻ってくるのは、夕方頃だと言う。

 普段は放課後に会う約束はしていないのだが、今日は彼女が会おうと言い出した。

 訓練で疲れているだろうと言ったのだが、成果を報告したいと、言って聞かなかった。

 私も訓練で疲れているが、彼女の熱意を冷ましたくない。


 しかし、夕日の沈んだ音楽室でピアノを弾いて待つが、なかなか女生徒が現れない。

 やはり疲れて寮へ戻ったのか、或いはまだ帰っていないのか。

 もしかしたらそもそも来るかもと、待ち続けてみるも、寮内に戻る門限も迫ってきている。


 書き置きをピアノの上に残し、仕方なく音楽室を出る。


 校舎から寮へ向かっていると、門の前で教官や幾人かの生徒が集まっていた。

 もうすぐ門限だというのに、こんなに人がたむろしているとは。


 とはいえ、私には然程関係ない。

 構うことなく、横を通り過ぎる。


 すると、向かいからまた別の生徒達がやってきて、人集りへ向かっていく。

 彼らは何やら物見珍しさに誘われてやってきたようだった。


「下級クラスで死人が出たって本当?」

「らしいぞ。女子が崖から転落したんだって。確か――」


 その後に聞こえてきた彼女の名に、立ち尽くしてしまった。

 頭の中がぐちゃぐちゃになり、足が勝手に先程の人集りに向かい出す。


 群がる人を無理矢理掻き分け、囲われた中心に飛び出す。

 人の壁で隠されていたその場所には、担架に寝そべる細い死体が白布をかけられていた。


 例の教官と養護教諭が死体の前に膝を突いている。

 何もせず、ただ黙って、膝を突いている。

 その光景があまりにも雄弁に事実を物語っていた。


 私は思わず死体の顔を覆う面布に手を伸ばす。

 教官は私の手首を掴み「アイオーニオン」と、私を見遣る。

 睨んではいなかった。

 いつもの教官よりも、少しだけ優しい瞳をしていた。


 教官は私と女生徒の関係を知っていた。

 だから、粗相をしかけた私を叱りもせず、名を呼んで諭してくれたのだろう。


「あの子ですか?」


 私は教官に訊ねる。


「ああ」


 彼は低くそう答えた。


 その言葉一つで、頭の中で飛び交っていた全部がどこかへ消えてしまった。


 崖を上る訓練中、女生徒は手を滑らせて落下した。


 崖上りの際は、命綱を装着し、崖下には安全用ネットを張り、さらに教官が待機している。


 しかし、彼女が手を滑らせた時、緩んでいた命綱の留め具が一つ外れ、彼女の体は上下に反転してしまった。

 命綱に宙ぶらりんとなった彼女は、反転した際に岩肌に頭を強く打ちつけた。

 その時にはまだ命があったそうだが、頭蓋骨にも罅が入り、出血も酷かった。

 反転して頭が下に来ていたことも失血を早めたのだろう。

 綱にぶら下がったままの彼女を地上に下ろした時、既に彼女は亡くなっていた。


 教官はその時の状況を丁寧に話してくれたが、私はぼんやりと聞いているだけで、頭の中では自分の声だけが響き続けていた。


 どうしたら彼女は死ななかったのだろう。


 私が下手に戦い方など教えなければ良かったのかな。

 やっぱり彼女にピアノを教わらなければ良かったのかな。

 いじめられている彼女などに構わなければ良かったのかな。

 そもそも私がピアノなど弾いていなければ良かったのかな。


 彼女が手を滑らせたせい?

 命綱の留め具が外れたせい?

 その場にいながら、彼女を助けられなかった教官のせい?


 どうしたら良い――どうしたら良かった?

 どうしていたって、こうなるしかなかったのか?


 私は何を悔んでいるのだろう。

 彼女が死んだこと?

 彼女を失ったこと?


 私は彼女に死なないでほしかったのではなく、彼女が死んで悲しみたくなかっただけではないのか?

 私が関わってしまったことが――彼女に与えた何かが――私が彼女を死なせたようで、後ろめたいだけではないのか?


 分からない。

 何を悔やめば、私は納得できるんだ?

 何を惜しめば、彼女を弔えるんだ?


 ――そんなことはどうでも良いんだ。

 どうしたって、彼女にはもう会えないんだ。


 泣けば君は喜ぶか?

 笑えば君は安らぐか?

 聞いておいたら良かったかな――なんて、思いたくなかったな。


 どうして君は兵士になろうとしたんだ?

 どうして君は強くなりたかったんだ?

 そういう話もしておけば良かったよ。

 どうだって良いことなのに、今はそれがとても知りたい。

 君の声で聞きたい。


 君と連弾する約束もまだ果たせていないよ。

 私は叶える気でいたんだ。

 君が結んだ約束じゃないか。


 どうして破るんだよ。



   〇   



 明くる日の朝、私達はコイロを発った。


 見送りには、コルキとティレシアス、聖騎士達が来てくれた。


「子ども達にもよろしく言っておいて」

「ええ、ごめんなさいね。全然起きないから」


 子ども達も昨日の騒動が相当堪えたのだろう。

 せっかくの上等なベッドなのだから、ぐっすりと寝かしてあげていた方が良い。


「ティレシアス、頑張って」

「ああ、世話になったな……ありがとう」


 彼女は私達に頭を下げ、それに続くように聖騎士達も膝を突いて敬礼する。


 オールの背に皆が乗り終え、あとは私だけである。

「それじゃあ」と、別れの手を小さく振り背中を見せると「アイオーニオン」とコルキに呼び止められた。


「子ども達とは、別れることにしたの」

「――え」


 振り返った先の彼女の瞳は、少し潤んでいた。


 てっきりこれからはずっと子ども達と生きるのだと思っていた。

 というか、その為に今まで頑張ってきたんじゃないのか?


「ううん。あたしはあの子達が本当の姿で生きていける世の中にしたかっただけ」

「……けれど、あの子達には君が必要だろう」


 そう言うと、コルキは強がるように気丈に笑う。


「あたしじゃ、あの子達にちゃんとした大人のなり方を教えてやれないわ」


 そんなこと分からない。

 豊かさに育てられた子どもが、悪意を学ぶことだってある。

 


「それにさ、せっかくこの国も変わったんだし、良い里親だって見つかるでしょう」

「……子ども達の気持ちは?」

「……また会えるから、大丈夫よ」


 彼女の言葉は私の問いへの答えではなかった――

 私もそれ以上問い詰めるようなことはしない。


 その代わりの問いとして、もう一つ訊ねる。


「君はどうするんだ? まさか盗みを続けるわけじゃないだろう」

「……分からない。盗みはもうしないと思うけれど、正直それ以外に生きていく術が見当たらない」

「だったら、僕らの村へ来なよ」


 彼女はとても驚いた顔をしていた。

 何故か、私も少し驚いた。

 迷いもなくすんなりと言葉が出たことに、自分でも戸惑ってしまったのだ。


「……迷惑もかけるわよ」

「こっちのセリフだよ」

「何であんたのセリフなのよ」


 確かに。


「僕らは因縁が多くてさ、こっち側に来たら何かと巻き込まれることもあると思うんだ。だから、覚悟はしといてもらおうと思って」

「……別に、今更安全に生きられるとは思っていないわ」


 こうして知り合ってしまった今、もしかしたらコルキも魔国や『神』に目を付けられるかもしれない。

 ならば、いっそのこと一緒に行動していた方が良いと思った。


 もちろん危険なことは増えるだろうし、危険に首を突っ込むこともあるだろうから、断ってくれて全然構わない。

 けれど、私はコルキが居てくれたら、これからの旅で起こるだろう困難を前にした時、助けになってくれると勝手に思っている。

 もちろんこちらから誘う以上、万が一も起こさせないつもりでいる。


「……嬉しいよ。言っておくけれど、あたしを誘っても力になれないかもしれないわよ」

「ああ、何だって良いよ」


 彼女は先程までの勇ましい笑みを隠し、俯いてしまった。


「先に僕らの村で待っている。場所と行き方はここに記した。君は君のするべきことをしっかりと終えてから、ゆっくり来てよ」

「……うん、アイオーニオンも待ってて」

「ああ、今度来た時は『フィン』で良いさ」

「ええ、ありがとう」


 彼女は私からネフリの場所が書かれた紙を受け取り、その紙に涙を落とした。

 読めなくならないようにしてくれよ。


「それじゃあ」


 オールの背に乗り、俯いたままのコルキを見遣る。

 ティレシアスと聖騎士達は未だに敬礼を崩さない。


 オールの羽ばたきに風を受け、地上の皆があっという間に小さくなっていく。

 魔国への手がかりも途絶え、ナキの幸せへ前進できたわけでもないけれど、代わりに幸せにできた人達がいた。

 幸せを終わらせた人達もいた。


 振り返って目にしたナキの顔は、日を浴びて少し眩しそうに微笑んでいる。

 寄り道だとしても良い。

 無駄足ではなかった。


 皆が待つ村で、新しい仲間を待ち侘びよう。

 

次回にご期待ください。


本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。

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