『触覚』
まだまだ未熟なので、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします。
※この作品は、少し残虐なシーンが含まれます。また少し刺激の強いシーンが含まれます。以上のことが苦手な方はご観覧をお控えください。
この作品は、私の溜め込んできた物語をひたすらに詰め込んでいます。
それでも楽しんで頂ければ幸いです。
騙されまくった者達による反撃が開始され、それぞれの役目を果たす為に分散する。
私は今、コルキの案内を受け、謁見の間を目指している。
道中は絶え間なく聖騎士達が襲いかかってくるが、一人一人を相手している暇はない。
適当に遇らいながら、とにかく前に突き進む。
「あんた達の正体は今も理解できていないけれど、とりあえず『どんな生き物にでもなれる』ってこと?」
「ああ、僕とオールとアラフがその力を持っている」
駆ける足は止めず、コルキの問いにそう答える。
「けれど、エクヴォリはあんた達の正体に気付いているのよね?」
「ああ、だから、牢を破壊したことも想定済みだろう」
「その上で、正面から受けて立つつもりってことね」
謁見の間へ徐々に近付くにつれ、聖騎士達が姿を消していく。
そうして目的地に辿り着いた頃には、付近には誰もおらず、誰も追ってきていなかった。
「途中から聖騎士達がぱたりと消えたな」
「ええ、夜間の謁見の間付近には、誰も近付かないようにエクヴォリが命じているの」
「……そうか。こっちとしては都合が良いけれど」
そして、遂に謁見の間の扉の前まで辿り着いた。
コルキは胸元のポシェットを開き、相棒のリアを外へ出す。
リアはとことこと廊下の奥へ走っていく。
この後の戦いを想像すれば、逃しておいた方が良いだろう。
無事に戻ってきた時、チーズでも持って帰ってくれていたら儲けものだ。
リアを見送り、改めて息を整えて身構える。
扉を押し開くと、聖王が鎮座する為の玉座に、エクヴォリがふてぶてしく座していた。
そう。私とコルキの役目はエクヴォリにある。
エクヴォリの私室に向かったナキとオールは、また別の強敵と相見えていることだろう。
「やはり来たか。あそこで大人しく天誅を待っていれば良いものを」
彼は頬杖を突きながらふんぞり返っている。
「良いのか、それは聖王の椅子だろう?」
「あれもまたただの飾りだよ。座しているだけの王など、責任転嫁の為の偶像に過ぎん」
コルキに教えてもらった通り、聖王が寝た後にエクヴォリはこうして玉座で寛いでいるのだと言う。
その光景を見られない為に、謁見の間周辺には誰も近付かせないようにしているのか。
私達は警戒を続け、一歩ずつ歩み寄る。
レイを引き抜き、白刃を輝かせて威嚇する。
エクヴォリもゆるりと立ち上がり、腰に佩した剣を構えた。
「二対一だが、文句は無いよな?」
「ああ、翼の動かぬ鳥人など、一にもならん」
「ふん、そうやって侮ってなさい」
広間の中で三人がそれぞれ構え、一太刀目の機会を窺う。
夜でさえ煌々と照るシャンデリアが僅かにゆらゆらと揺れていた。
〇
皆と別れ、互いに背中を見送ることもなく、私とオールは私達の為すべきことを為す。
エクヴォリは謁見の間にいるらしく、そっちはフィンとコルキに任せてある。
その間に私達がエクヴォリの私室を探る訳だけれど、勿論彼の私室が無防備に無警備なはずもない。
強敵と戦う覚悟は走りながらでも固めなければならない。
道中、聖騎士達が行手を遮るが、それも最短最小限で切り抜けなければならない。
腰には私の軟弱な腕がぎりぎり振るうことのできるサーベルを提げているけれど、あくまでも今は時間が惜しいので、得意の魔法で聖騎士達の壁を突破する。
オールは相変わらず人間の少女の姿で、格闘術で聖騎士達を薙ぎ倒していく。
「やはり数が多いな」
「うん、でも、急がないと。作戦に間に合うように」
今回の作戦――色んな画策が絡み合って忘れていたけれど、当初の『エクヴォリを失墜させられるほどの証拠を見つけ出す』という作戦は破綻していない。
今まさに実行中であり、この戦いの終結は証拠を見つけ出す私達にかかっている。
修道院で確認した聖教会の構内図によれば、エクヴォリの私室まであと僅かのところまで来ている。
しかし、エクヴォリも余程証拠には手出しされたくないのだろう――聖騎士の数は進むほどに増していく。
容赦なく襲いかかる聖騎士達の猛攻に目的地を目前に足踏みさせられている。
「ちっ、これでは埒が明かない」
苛立ちを見せたオールは竜に姿を戻し、一気に聖騎士達を蹴散らす。
「お前は先に行け。ここは私が請け負おう」
「ありがとう、オール」
私は廊下を走り抜け、螺旋階段を駆け上がる。
螺旋を昇り切り、遂に見えた二枚扉の開戸に手を伸ばす。
――伸ばしかけて、止める。
扉へ伸びる腕を引っ込め、寸前でブレーキをかける。
次の瞬間、分厚い扉が真横に切断された。
部屋の中から飛び出した直刃の剣の切先は、走り続けていた私の胴を捉えていた。
走り続けなかったからこそ、切先は私の服に切れ込みを入れるだけに留まった。
布一枚――命が繋がれた。
時間に急かされて慎重さを失っていたが、止まらなかったら腑が飛び出ていただろう。
真っ二つにされた扉は重力に負けて崩れる。
その切断面は恐ろしいほど滑らかに斬られている。
崩れた扉の先には、真っ直ぐな瞳のティレシアスが待ち構えていた。
「やはりお前だったか。悪鬼には容赦しない」
殺気を放つティレシアスに対抗し、太腿に佩用した魔法棒を取り出す。
――それも束の間、ティレシアスは剣を振り払い、魔法棒を半分に切断する。
まるでこちらが魔法棒を取り出すことを分かっていたかのように、無駄な動作など一つも見せずに斬られてしまった。
フィンに買ってもらってからずっと大切にしてきたのに、こんな序盤で呆気なく破壊されるなんて。
たとえ魔法棒が駄目になっても魔法自体は使える。
けれど、少しだけ発動に時間が掛かってしまうのと、精神的にショックを与えられてしまった。
しかし、そのくせショックを慰める時間は少しも与えてくれない。
代わりのつもりか、絶えず次の斬撃を与えてくる。
縦に振り下ろされた斬撃をぎりぎりで躱し、その隙にエクヴォリの部屋へと飛び入る。
あくまで私の任務はティレシアスを倒すことではなく、エクヴォリの悪事の決定的な証拠を見つけ出すこと。
扉の前でたじろいでいても仕方がない。
エクヴォリの私室へ滑り込むように入り、急いで立ち上がる。
背後には、すぐにティレシアスが迫ってきている。
私は腰に提げたサーベルを引き抜き、彼女の剣を受け止める。
けれど、私のひ弱な両腕では、片手で振われる彼女の一撃も止めることなど叶わなかった。
サーベルは容易く弾き飛ばされ、そのまま天井に刺さる。
もう身代わりになる得物が無くなってしまった。
オールは今も聖騎士達を食い止めてくれているというのに。
けれど、得物が無くなっても、得たものが無かったわけではない。
ティレシアスと初めて出会ってから、少しだけ気になっていた疑問が大きな確信に変わり始める。
「あなた、未来が見えるの?」
盲の彼女にこんな質問をするのは、嫌味になるかもしれない。
けれど、それは見当違いな問いではないようで、彼女の攻撃の手を止めた。
「どうして?」と、彼女は少し微笑みながら、質問を返してくる。
それは余裕や嘲りから現れる笑みとも違う――まるで何かを誇っているかのようだった。
「私は目が見えないのだ。今の景色も――過去の足跡でさえも見えないのだ。それなのに、どうしてこの先の未来が見えると?」
「魔法は奇跡みたいなことを起こせるの。神様よりも余程簡単に」
馬鹿にしたつもりはない。
それは事実だし、実際に出会った『神』だって魔法を使っていた。
神でさえ魔法に隷属する時がある。
侮蔑だというのなら、それは私達にしても同じこと。
正直、ティレシアスは私の発言に怒るかと思ったけれど、案外落ち着いていた。
いや、違う――落ち着いているんじゃない。
まるで洗脳されているみたいに、一心不乱に信じ切っている。
「これは魔法ではない。これこそ、神の御技だ。神にこそ為せる奇跡だ」
「それを人は魔法と呼ぶの」
いくら言おうと、彼女は聞く耳を持たない。
自分の信じられるものを信じて、都合が悪くなる前に思考を止めている。
恐らく私の言葉は彼女の前では意味を成さない。
「けれど、何故悪鬼などにそれを気付ける? まして、その正体に」
「だって、あなたは目が見えないのに、あまりに見え過ぎている」
目が見えないのに、完璧に空間を把握した動き――さらにはこちらの動きの数手先まで読んでいるかのような剣戟。
あれは人の業ではない。
必ず、それ以上の力がそこに関わっている。
「そうか……見え過ぎるというのも考えものだな」
そう言うと、すぐに勇ましい笑みに切り替わり、余裕綽々の表情で応える。
「しかし、気付かれたところで、構わない。お前はもう手遅れだ。私の前では全てお見通しなのだから」
ティレシアスはくすくすと笑う。
それを不気味に思いながら、もう一つ問いを投げかける。
「……どこで手に入れたの?」
「この力をか?」
「ええ」
彼女がいつから盲なのか――いつから未来が見えるのか――それは知る由もないけれど、彼女自身が手に入れたもののようには思えない。
神を信じ切る彼女が真面に答えてくれるかは分からないけれど、聞かないわけにはいられない。
それが唯一の突破口にもなり得るのだから。
「これはエクヴォリ様によって授かった力だ。あのお方はあらゆる神の力を現世に映し出すことができる。この力はその賜物だ」
「…………」
要は、エクヴォリによってかけられた魔法であるということ。
となると、その力を解くには術者であるエクヴォリにしかできない。
エクヴォリの相手はフィンとコルキがしているけれど、向こうの決着を待つのは得策ではない。
そうなれば、彼女の予知とも呼ぶべき力を今ここで――私の力だけで打ち破らなければならない。
もう少し実態が分かれば、対処のしようもあるのだけれど、今のところ彼女がこちらの行動を読めるということしか分かっていない。
なるべく情報を引き出さないと――
「気は済んだか? 行くぞ」
しかし、ティレシアスはこちらの思惑を読んだかのように攻撃を再開する。
もしかして、心の中まで見透せられるの?
「『もしかして、心の中まで見透せられるの?』とか思ってそうな顔をしているのだろうけれど、それはできないとだけ言っておこう。そんな分かりやすく時間稼ぎをされても、悪鬼にやれる時間など持ち合わせていないだけだ」
それだけ言うと、さらに剣戟を早める。
私はそれを可能な限り動きをずらして予知を避けるが、私の運動神経ではそれもたかが知れている。
すぐに追い詰められ、遂に窓際まで後退させられる。
窓硝子に体を押しつけ、眉間の先に寸止めされたティレシアスの剣先が立ちはだかる。
彼女は微笑みもせず、淡々と最後の言葉を発した。
「早くも王手だ」
正直、情けないほど彼女の相手になれなかった。
ろくに足掻きもできず、足掻くことすら読まれ封じ込まれる。
そうして絶体絶命に追いやられ、こうしてチェックメイトを受けている。
悔しさすら湧いてこない。
焦りすら湧いてこない。
それが今だけは、生きる為の――何よりの希望だった。
「本当はもっと嫌味を言ってやるつもりだったんだがな」
「言い足らないなら、聞くけれど」
彼女は一層剣先を近づけ、刃の冷たさが肌に触れる。
もう少しだけ時間を稼げられたら良いのだけれど。
何かないか――彼女の気を引く何か――
「……随分と、私のことが嫌いなんだね」
私が何とか絞り出した方法は、彼女の怨念じみた憎しみを利用することだった。
彼女が言い損ねた嫌味を引き出して自ら受け入れることだった。
「お前のことが嫌いなのは確かだが、お前だけを嫌いな理由など無いよ」
「……どういうこと?」
そして、彼女は少し笑う。
眉間に皺を寄せながら、憎しみを隠そうともせず、怒りの笑みを表す。
「私は亜人が嫌いだが、それ以上に鬼人が大嫌いなんだ。私の光を奪った悪鬼が――最後の景色に映る鬼の形相が」
鬼人が大嫌い――確かに、私だけを嫌っているわけじゃないんだな。
けれど、それなら私だけが憎しみを受け止める義理もないはずなのに。
まあ、何でも良いや。
いつだって、そうだった。
犠牲だなんて、誰かの都合で生まれるんだ。
関係ない人も、関係ある人も。
「『申し訳ない』とは思わない。お前の声が時々似るんだ。あの鬼の子に」
「……そう。なら、私も『何で』なんて言わないよ。今までだってそうだったもの」
「……強がるか」
「ええ、私はあなたより強いから。私は死なないよ」
嫌味じゃない。
時間は満ちた。
今なら、あなたよりも強い。
私は動き出す。
ティレシアスの剣先を逃れて、天井に刺さる私のサーベルを取り戻す為に。
けれど、ティレシアスは私が動き出すことを読んでいる。
彼女は迷いなく剣を私の額に突き刺す。
それも私には当たらなかった。
彼女は私を読めていて――私は彼女に読まれていた。
それでも、私は死ななかった。
私が天井のサーベルを取り戻した時、背後のティレシアスは窓を突き破っていた。
私は無傷のまま、ティレシアスのがら空きの背中にサーベルを振り抜く。
それまでの私とは桁違いの速さで――片腕で――
「――!」
ぎりぎりで気付いたティレシアスは、振り返り様に私の剣を受け止める。
金音が鳴り響き、ティレシアスの腕には大きな衝撃が走る。
怯んだ彼女だったが、すぐに私の刃を跳ね除けて体勢を立て直す。
しかし、その数手先まで見透かす瞳は、未だ混乱したままだった。
「……どういうことだ。何故、私の一撃を躱せられたんだ」
「言わないよ。あなたを倒すまで」
「……貴様!」
彼女はきっと分かっているはずだ。
けれど、信じ難いのだろう――信じたくないのだろう。
未来が見える彼女だからこそ、分かってしまうのだ。
読めたところで――追いつけないことに。
彼女の動揺が続いている内に決着をつける。
ティレシアスの剣を弾く。
彼女はそれを分かっているだろう。
けれど、対処できずに剣を弾き飛ばされる。
ティレシアスの手鎧を剥ぐ。
彼女はそれを分かっているだろう。
けれど、対処できずに手鎧の結び紐を切られる。
ティレシアスの膝裏を斬る。
彼女はそれを分かっているだろう。
けれど、対処できずに足が崩れる。
ティレシアスを押さえにかかる。
彼女はそれを分かっているだろう。
けれど、対処できずに強く押さえ付けられる。
あっという間だった。
呆気なく、感動もなく、喜びもなく、悔しささえなく、ただただ私が圧倒した。
普段の私では絶対に出すことのできない速度で立ち回り、目にも止まらない速さで彼女を――コイロ聖教王国聖騎士団長を封じ込めた。
しかし、それは決して彼女が弱いからではない。
彼女の予知能力は恐ろしいほど強力で、決着がついた一瞬の終わりには私もぎりぎりの状態だった。
あと数秒戦いが長引いていたら、心臓が止まっていたかもしれない。
「何でだっ! どうしてお前ごときに私が伏せつけられている!」
ティレシアスは叫びながらも抵抗を続け、上に乗っかる私を押し除ける。
その頃には、いつものひ弱な私に戻っており「あうっ」と簡単に押し退けられてしまった。
「くそっ、許すものか、こんな屈辱!」
憎悪を一粒も隠そうとせず、彼女は見えない私を睨みつける。
手を伸ばし、私に掴みかかろうとするけれど、彼女の片足は既に動けないように筋を切ってある。
一時的な損傷に済ませたから、あとで治療は可能だ。
彼女を生かしておくのも、フィンから与えられた重要な任務なのだから。
それ以前に、彼女を手に掛けるつもりは私自身もない。
しかし、彼女は動くもう一方の片足で這いずり、私に飛びかかる。
ろくに動けない今の私にはそれを避ける力もない。
ティレシアスはまだ腕の力は残っているようで、私の首を折るなり絞めるなりは可能だろう。
要は、まだまだ危険は去っていないということだ。
その時、部屋の外――螺旋階段の奥から物凄いスピードで部屋へ飛び込んでくる影があった。
影はティレシアスの手足を完全に押さえ込み、今度はうつ伏せで片腕を背中に絞めた状態で固めている。
いつもの見慣れた姿ではなかった為に一瞬誰だか分かり兼ねたけれど、その話し方はよく聞き覚えのあるものだった。
「先日はよくも軽くいなしてくれたな。どうだ、上に乗られる気分は?」
〇
どうやらオールは下に群がっていた聖騎士達を一人で倒し切ってしまったらしい。
これが洛北竜の力か。
彼女は竜人の姿になっており、一瞬アルステマが応援に駆けつけに来たのかと思ったけれど、彼女特有の緋と白のダブルカラーの髪の毛は、見間違いようがない。
本来は竜であるはずの彼女だけれど、彼女の竜人の姿は初めて見る。
背丈は私とコルキの間くらいで、種族はやはり火竜の竜人のようだ。
人間の姿のオールが成長したら、こんな感じの雰囲気なのかな。
「気配は槍の小娘に似ているが、その声……まさかあの少女か?」
「ああ、気付くのが遅かったな」
オールはにやにやと微笑んでいて、味方ながらに意地悪だなあと感じてしまった。
「しかし、この膂力、この間とは桁違いだぞ。どういうことだ」
「さあな、神の御技とかいう奴じゃないか?」
「貴様! 馬鹿にするなあ!」
実際、オールの姿を変える能力は『神の恩恵』と呼ばれているので、案外間違ってもいない。
しかし、私の身体能力の強化は違う。
私のそれは説くも簡単――魔法である。
「さあ、この厄介者も封じ込めたし、早いところエクヴォリの証拠を見つけ出すぞ」
「おい、貴様らあ!」
オールは縄を取り出し、片手でティレシアスを押さえながら、もう片手で器用に彼女を縛っていく。
「おい、こんな真似してただで済むと思うな。必ず神の鉄槌が」
「うるさい。四半世紀も生きていない女郎がわあわあと喚くな」
「お前こそ黙れ。お前らなどこんな縄さえ無ければ」
「たらればで優劣を決めるな。縄に縛られているお前が事実だ。縄が無かったところで、その怪我じゃもう抗えないだろう」
オールは手当たり次第に部屋の書棚を漁りながら、ティレシアスを適当に遇らう。
それにも屈さず、ティレシアスはまだ声を荒げる。
「くそ、どんな狡い真似をしたのだ。でなければ、そんな細枝のような悪鬼に負けるはずがない。それもあんな一瞬の内に」
そう言えば、彼女に種を明かしていなかった。
倒すまで言わない約束だったけれど、もう倒したから大丈夫かな。
「狡い真似なんかしてないよ。あなたが未来を見れることと、大元は同じだよ」
「何だと?」
まず、ティレシアスの予知という強力な能力の実体が結局のところ何なのか――これを知らないことには勝算も見出せない。
これらは全て、牢屋の中での作戦会議中、実際にティレシアスと戦ったフィンとオールが教えてくれた仮説だ。
魔法とは奇跡ではあるけれど、無限ではない。
起きる奇跡にも必ず限界がある。
だからこそ、彼女の予知能力も世界の終わりまで見えているわけではないはずだ。
どこまでか見える未来に限りがある。
二人が立てた推測では、約三秒先の未来まで見ることができるという。
それが彼女に圧倒される理由であり、ぎりぎり命を持っていかれない理由である。
三秒の遅れなら何とかなる二人もすごいけれど。
予知の仕組みは恐らく、因果律に基づいた超計算で割り出せる未来の予測を、魔法で補助しているのだろう。
故に、正確には『未来予知』という能力ではなく、脳の働きを大幅に向上させる為の魔法と言える。
何にせよ、未来が読める――考え得る中で一番可能性の高い未来が。
それが結果的に相手の動きを読むことに繋がり、彼女の手強さを象徴しているのだ。
けれど、未来の動きを頭では理解できても、体が追いつかなければただ未来を受け入れるしかない。
その上、彼女は盲目の身――未来の視界が頭の中に記憶として浮かんだとしても、それに合わせて正確に体を動かすのは至難の技。
それこそ、神の御技などではない――純粋な努力によって、今の強さを確立したのだろう。
だからこそ、私達は苦戦させられ――強行手段に出るしかなかった。
こちらが三秒遅れているならば、三秒を詰めるだけの速さを得なければならない。
相手が脳を強化して未来が見えるのなら、こちらは身体を強化して未来を置いていけば良い。
要するに、未来が分かっていたところでティレシアスの身体能力では対処できないほどに、自分の身体を魔法で強化してしまえば良いのだ。
それ故に、彼女はせっかく追い詰めた私を突き刺し損ねた。
それ故に、普段は両腕でぎりぎり持ち上がるサーベルを片手で扱えた。
ただ、体に魔力を行き渡らせ、全身の身体能力を向上させるまでに少し時間がかかる。
だから、あっという間に追い詰められた時は焦ったし、何とか会話で時間を繋げようと必死だった。
結局、魔法しかできない私が彼女に追いつく方法は、魔法で勝つしかなかった。
そして、今無事に勝った。
しかし、この魔法にもリスクがある。
ティレシアスの『未来予知』が極めて高い身体能力を必要とするように、でき上がっていない体での無理な運動は自壊を齎す。
私の貧弱な体では、この戦法は長く保たない。
故に、短期決戦で決着させる必要があったのだ。
冗談抜きであと少し長引いていたら、私の心臓が止まっていたかもしれない。
二つの意味で心臓に悪い戦法だ。
今も私の体は疲れ切り、ぐったりとしている。
けれど、鬼人は身体上の構造が近接戦闘に向いている。
私は特別魔法に特化してしまい、近接戦闘なんてできないけれど、体は一応他の種族よりも動きに付いて行きやすい。
今回の戦いは、私がティレシアスの憎む鬼人であるからこそ勝てたのかも。
一通りの種明かしが終わり、ティレシアスは苦悶の表情を浮かべる。
彼女が強かったことは確かで――それでも、負けたことも確かなんだ。
「……こんなこと、あって良いわけがない」
ティレシアスの唸るような一言に、オールは冷たく手厳しく返す。
「お前は良し悪しを決められるほど自分で選んできていないだろう」
辛辣な応えがティレシアスの怒りにさらに拍車をかけた。
怒号が部屋の中に響き渡る。
「黙れ、異端者共! 私達の神は今すぐにでもお前達を」
「そればっかりだな。もう聞き飽きたぞ。そう言って、お前の神はいつまで経っても来ないじゃないか」
淡々と流れるオールの言葉に、一層憤りを募らせるが、ティレシアスの口はそれに勝る言葉が見つからないようだった。
きっと彼女は薄々真実に気付きかけている。
だとしたら、今まさに苦しんでいる最中なのだろう。
「お前が神に与えられたにしろ、エクヴォリに与えられたにしろ、お前は与えられたその力に従っただけではないか」
「違う、私は神の導きに従って……」
「違うことないだろう。神の導きに従ったのなら、その結果が今だ」
オールは言葉だけをティレシアスに――あとは全てエクヴォリの証拠探しに傾けている。
確かめ終えた本を放り投げながら、次の書籍に手を伸ばす。
「なあ、神とはそんなに信じられるものなのか? お前が本当に信じたいのは、別のものではないのか?」
その言葉が、ティレシアスには刺さったらしい。
痛いところを突かれたのか、はたまた自分でも見落としていたことなのか。
彼女の険しい剣幕がふと緩み、唇が微かに揺れている。
「…………」
「神に託けて誰かを肯定しているのではないのか?」
「…………」
「神を身代わりにして誰かを守っているのではないのか?」
「…………」
「神を――」
「オール」
それまで口を噤んでいた私が、そこでオールを制した。
「彼女の本心を聞いてみよう」
「……そうだな」
私は未だ重たいままの体を引き摺り、何とかティレシアスの正面にまで移動する。
彼女の瞳は本当に不思議だ。
見えていないはずなのに、目が合っている気がする。
彼女は未来を見ているはずなのに、今の私を見ている気がする。
「聞かせて。あなたの怨みも、苦しみも」
〇
別に、大した話ではないのだと思う。
狡くて逃げたがりの私が視覚を失った時、もしかしたら嬉しかったのかもしれない。
目が見えない私が神を知った時、もしかしたら都合が良かっただけなのかもしれない。
幼い頃、コイロではない――どこの国でもない土地の村で育った。
父親は居らず、逃げられたらしい母親は貧乏のくせに派手に着飾る人だった。
服装だけではなく、家中に訳の分からない石や絵画を飾り、それなのに食卓に並ぶ料理は酷く質素なものだった。
「慎ましさは美徳なのよ」と、母は幼い私に狂ったように囁いた。
子どもの私にとって、母が何に夢中になっているのか分からなかった。
ただ、それが途轍もなく不気味なものだったと感じ取れたのは、私が子どもであるからこそだったかもしれない。
今思えば、信心深い血筋なのだろうか。
その日は、母がミサの為に教会へ行くと言って出掛けた。
教会と言っても、祝福の鐘も聖母像も無い――小さな十字架が飾られているだけの掘建小屋だった。
大人達が所狭しとそこに集まって、中で何をやっているのかは知らない。
母が留守の間、留守番を任されていた私だったが、約束を破って外へ遊びに出てしまった。
元々怠慢な性格で、言いつけを破ってはよく母に叩かれていた。
母は散々私を叩いた後、必ず謝りながら優しく抱き締める。
その温度が腫れた頬に響いて、私は嫌いだった。
けれど、悪いのは言いつけを守れない私なのだから、仕方ないとも今じゃ思う。
外に出たら大抵森の中の泉に遊びに行く。
そこはとても綺麗な場所で、家よりも余程居心地が良かった。
いつもは泉の畔で花を摘んだり、寝転んで雲の形をなぞる。
けれど、その日は叶わなかった。
先客が居たのだ。
とても綺麗な鬼人の少女だった。
一本角と黒髪が美しい――鬼の子だった。
彼女は泉に入って沐浴をしている――と思った。
けれど、近付いてみれば、すぐに違うと気付く。
彼女は腕を激しく擦り、必死に洗い落としていた。
両腕だけではない――胸も、背も、腰も、頬も、髪の先も――べったりと固まった血で覆われていたのだ。
泉の水は忽ち赤く濁っていく。
声も出ずに腰を抜かした時には、彼女も私に気が付いていた。
彼女は血相を変え、青白い肌がますます青く染まっていく。
「違う」
彼女は何も言っていない私に対し、その言葉だけを零す。
私は大量の血にすっかりと怯え、彼女に背を向けて逃げ出した。
それが今になって思えば、彼女をさらに困惑させたのだ。
彼女に背を向けた次の瞬間、後頭部に鈍痛を感じ、視界が真っ暗になった。
脳の視覚野が損傷したのだろう。
それきり私の目は光を失った。
何が悪いのか分からない。
誰がいけなかったのか、留守番を破った私なのか、血を洗っていた彼女なのか。
何にせよ、最後の景色に蔓延る鬼人が途轍もなく憎い存在になった。
それから、目を覚ますと――もとい、意識を取り戻すと、一人の男性の声が聞こえてきた。
それこそ、私に新しい目を与えてくれたエクヴォリ様だった。
あのお方は私に未来を見ることのできる力を与えてくれた。
少しの間だけだが、景色が見えた――記憶の朧な視界だが、色が見えた。
それにとても安心した。
彼に「ここはどこか」と訊ねると、そこは既に故郷の村ではないと言われた。
村からも母からも遠く離れ、どこかの轍を進む馬車に乗っていた。
それを誘拐と呼ぶのか、或いは保護と呼ぶのか、それは人によるだろう。
私はあの場所から救い出してもらったのだと思っている。
だから、母のことも気にならない。
それからは早かった。
聖教会に保護され、パラミ教を学び、パラミの女神を慕い、人間こそが崇高であると信じた。
その頃には、鬼人の少女など忘れていた。
私にとっては、亜人もパラミ教もどうだって良いんだ。
ただ、あの時救ってくれたエクヴォリ様に報いたい。
私にとっては彼こそが神様なんだ。
〇
「やっぱり、神など居なかったではないか」
ティレシアスの話を聞き終え、オールはいの一番にそんな感想を告げる。
しかし、ティレシアスも懲りない様子で否定する。
「神は居るさ。エクヴォリ様こそ私の神だ」
「奴はそんな高尚な生き物ではない。己の金の為に亜人の命も人間の命も食い尽くそうとする輩だ」
「それが虚言でないと何故言える?」
オールは呆れ返り、持っていた本を投げ捨てる。
「度し難いな」
「お前に救われる気などない。私を救ってくれたのはエクヴォリ様ただ一人だ。私に光を与えてくれたのはエクヴォリ様ただ一人なんだ」
「……あなたは目が見えないから」
ふと呟いた私の言葉に、ティレシアスはゆっくりと――強く反応する。
「目が見えないから、何だと言うんだ?」
「あなたは目が見えないから、きっと簡単なんだよ」
「何?」
それは間違いなく怒りの声だったが、それでもここで止めるわけにはいかない。
彼女はきっとまだ戦っている。
「あなたは目が見えないなら、あなたにとって都合の良い光だけを見せたら良いもの。あなたは耳しか頼れないから、あなたにとって一番甘い言葉を囁いたら良いもの」
「そんなわけない、あのお方がそんなことするはずがない!」
「どうして?」
「だって……あのお方は、私を……」
彼女の声が急激に弱る。
もう一歩で彼女が気付ける。
けれど、その一歩に怯えている。
真実を見ることに――真実が見えないことに、怯えている。
「あなたにとっては見えるものが全てなんだよね。救ってくれた人だけが神様なんだよね」
「…………」
けれど、私は知っている。
神様がどんな奴らなのか――神様と崇められる者達がどんな奴らなのか。
だから、彼女の怯えもやっと分かってあげられる。
ティレシアスが欲しているのは、一歩を踏み出す為の背中の後押しじゃない。
踏み出して傷ついた時、次に彼女を救う安心なんだ。
「でもね、神様はいつも見ているだけだよ。善い時も、悪い時も、生き抜いた時も、死に絶えた時も」
「…………」
ティレシアスに戦意は既に無かった。
刃を交えた剣戟なんかよりもずっと長くて、ずっと有意義な時間だったと思う。
最初からこうできたら良いのにな。
さらに体をティレシアスに近づけ、オールが縛った縄を解く。
「おい」
オールは少したじろいだけれど、私の目を見てすぐに声を引っ込めてくれた。
彼女が優しい証拠だろう。
自由になったティレシアスの腕は、もう何もしない。
私はその腕ごと抱き締める。
「何にもしてくれないの。今だって、あなたの神様は来てくれないよ」
「……信じないぞ」
「うん、信じたくないよね、そんな神様」
彼女の苦しみはまだ終わっていない。
ただ、踏み込む一歩へ、足は既に踏み出している。
「見えないなら、私達も神様も一緒だよね――信じられないよね」
解かれた両手で彼女は私を抱き返した。
次回にご期待ください。
本作品は、不定期更新となります。次の物語をお待ちください。




